123話 李遊軍白螺隊③
『彼を知り己を知れば百戦殆うからず』
敵を知り、味方を知り、自分を知っていれば、百戦やっても負ける事はないという孫子の有名な故事である。どんな敵であろう情報を正確に把握していれば策の練りようがあり、逆にどんな策を弄しても勝てないと判断した敵であるならば戦いそのものを避ければ良い。
状況に応じた判断が出来るか否かで勝負の優劣は大きく左右される。その為に白螺隊育成計画の第一段階として、李鳳はまず『識る事』を課した。ただ見聞きした技術と与えられた力を行使するだけなら難しくない。重要なのはその性質をよく見極めて培う事である。
白螺隊は結成初日にして己の無力さを痛感した。事前に相手が一人である事、蛇矛しか使わない事を教えられていたにも関わらず、為す術なく全滅させられたのだ。しかしその一方で新たな可能性を予感していた。
繰り返される破壊と再生で、肉体と精神は日に日に逞しくなっていく。さらに寿命を縮める程苛烈な李鳳の氣による鍼治療は、白螺隊の身体に驚異的な耐性と治癒力を宿す結果となった。その過程で命を落とした者や、戦闘に耐えられなくなった者も少なくない。
そうして志半ばで退役した者は拠点開発部門か農林水産部門へと回された。また適正なしと判断された者も強制的に除隊させられ、各分野の職人として役割が与えられる。木々を伐採し土地を開墾して拠点の規模を拡張したが、生活基盤となる設備や水路は未だ十分とは言えなかった。
幸いにも滅多に人が近付かない奥深い森であった為、野生動物も数多く生息しており、湖の魚も張飛が主を釣り上げたせいかその数を増すばかりで、人数が今の十倍になろうが食う分には不自由しない。食うに困らないのであれば焦る必要はなく、じっくりと白螺隊を鍛えれば良いと李典は考えていた。
しかし李鳳の考えは違う。なまじ前世の知識があるせいで、この世界の異常さを知っていた。性別の逆転や出生時期の食い違いなどおかしな点を挙げればきりがないが、中でも一番危惧しているのは流れの速さである。黄巾党の乱から袁家の没落までの期間が短過ぎるのだ。
このままのんびりと何年も時間をかけて白螺隊を育成してから出ようものならば、浦島太郎よろしく三国志の時代そのものが終わっていましたという可能性もある。母親に誓った笑える世界を満喫する為にも、そんな結末は絶対に許されない。失笑では意味がないのだろう――。
結成当初は百余名いた兵士の数も六割を切るまで目減りした頃、李鳳は計画を第二段階へと押し進めた。著しく向上した身体能力も漸く身体に定着し、特殊な武器の扱いも及第点と言える。彼我の力量を識った白螺隊に課された次の目標は『獲る事』であった。
李鳳が計画を進めると明言した夜、主だった幹部は一部屋に集まっていた。李典がこだわりを持って作製した円卓を囲み、李典、李鳳、丁奉、妖光、郭離の五名が座している。郭離とは白螺隊の伍長の中でも頭一つ抜けた武力と統率力を有する青年で、演習において誰よりも頭を使って考え大きな声を出しており、その将才を買われて白螺隊の隊長に任命されたのだ。立場を弁え腕を組んだまま黙しているが、顔は少し強張り緊張の色も濃い。
しかしそれも無理なかった。夕刻いきなり李鳳から白螺隊の初任務について話があるからお前も会議に出ろと言われたのである。演習で張飛にボコボコにされた直後に仕事を任せると言われてもピンとこない。白螺隊の多くはこんな状態で自分達に何が出来るのだろうと不安を隠せないでいた。
円卓の上には大きな地図と人や馬や城を模した木彫りの白と黒の駒がいつくか置かれている。螺旋の白い駒が置かれている場所はこの拠点を示している事だけは郭離にも解った。そして徐州の北方に位置する青州と思われる場所には白い城と黒い人と馬の駒が三つ置かれている。
地図も駒も随分精巧に出来ており流石は李典様だと郭離が感心していると、その李典が人の駒を指して事の発端を語り始めた。
「つい先日伯雷から報告があった事なんやけどな……青州のこの辺り、ここに数ヵ月前から賊徒が隠れ住むようになったらしいねん。ほんで近場の街や村の住民がちょこちょこ被害を受けとるみたいなんや。っちゅうても襲われるとかやのぅて、夜中に作物が盗まれるくらいで死人はまだ出とらん」
李典は城の駒を指して状況を説明する。なぜ賊の、それも青州の話を今――という疑問が浮かび郭離は首を傾げた。そんな背景を気にしない丁奉は目の前の現実のみを尋ねる。
「そこの領主は何やってんだよ? 実際に領内で被害出てんなら討伐に動くべきだろ?」
「それが動けんのや。ある理由があってな……」
そう答えた李典は指先で馬の駒をツンツンとつついた。馬の駒は蛮族を示しており、曹操に敗れた北端に住まう匈奴の部族が生き場を求めて南下してきたのだ。領主はその蛮族に対抗するので手一杯であり、コソ泥のような賊徒を相手している暇はないと李典は言う。白い駒が味方で黒い駒が敵を表しているのかと郭離は納得する。
「青州の州牧か曹操に援軍を求めりゃ済む話だろ?」
「ニッシッシッシ、そう思うやろ。せやけどそれが出来へんねん。その領主な、実は袁紹が河北を支配しとった時からおってな。色々と悪さしてかなりの私財を隠し持っとるみたいなんや。隠蔽工作の術には長けとるようで、今回も李鳳の調査がなかったら解らんかったやろな」
「……なんだそりゃ? やましいトコがあって痛い腹は探られたくないから御上は呼びたくねーってか!? 糞だなッ!」
丁奉は見た事もない領主に対して怒りを顕わにした。悪徳官僚が跋扈する支配者階級に今更何の期待していないが、それでも怒らずにはいられない。
「まぁまぁ……事態はもうちょい複雑やねん。伯雷、説明したって」
「はい。では概要を掻い摘んで話しましょうか。まず各陣営の彼我戦力差ですが、賊徒三百に蛮族八百なのに対して、官軍は正規兵五百に領主子飼いの私兵五百の計千人です。数では官軍が辛うじて勝っていますが、蛮族は馬の扱いに長け精強ですからねェ。まともにぶつかれば被害は甚大でしょう。先に賊徒を討とうにも相対している間に蛮族に背後を許すと挟み撃ちにされてしまう。かと言って法の番人たる曹操殿には怖くて頼れない。今のところ死者などの大きな被害は出ていないという事で静観を決め込んでいます」
「やっぱり糞領主じゃねーか!」
「クックック、否定はしませんが……何せ三つ巴の状態にありますからねェ。軽々には動けないでしょう。盗賊と匈奴が互いに潰し合う策をいくつか講じたようですが、いずれも失敗していますねェ。脅迫や隠蔽は得意なくせに、策謀は苦手と見えます」
憤りを隠そうともしない丁奉を見て李鳳は笑う。それは奇しくも先日報告した折の李典の姿と重なるからだ。似た者同士とはよく言ったものである。笑みを浮かべ李鳳は馬と人の駒をカチカチとぶつけ合う。
「おい糞野郎、脅迫って何だよ? 言っとくが言葉の意味聞いてんじゃねーからな」
「ククク、貴女も成長しているのですねェ。いいでしょう、現在は漢王朝の衰退と混乱でまともに税制が機能していません。流民が溢れて戸籍が意味をなしてませんからねェ」
「中央も地方も汚職で腐り切ってたからな」
「そこの領主は無知を良い事に民を下僕のように扱っています。戦える者には屯兵を、それ以外の者には農耕をやらせています。それ自体は合理的で問題ありません。問題なのは大半の民を戸籍登録しないまま、徴税だけを課している事です。上には登録者分だけの税はきっちりと納め、下には真実を伏せて逃げられないよう民兵は家族を、農民は隣人をそれぞれ人質にして脅しています。連帯責任制として互いに互いを見張らせて、密告者には報奨金を与えています。また当事者は見せしめに殺す事もあったそうですねェ。戸籍登録はされていないので、見かけ上領内の人数は変わりません。よって詳しく調査されない限り発覚する事はないでしょう」
「……胸糞悪ィぜ」
丁奉は城の駒を握ると、力任せに圧し折った。李典は驚愕で目を見開く。苦労して作った駒を目の前で呆気なく壊され、アワアワと開いた口も塞がらない。怒鳴りつけたいが気持ちも解る為に、結局はガックリ項垂れるしか出来なかった。
李鳳は何事も無かったかのように新しい城の駒をしれッと配置して話を続ける。
「あまり気分の良い話ではないでしょうが、この程度の事は中華全土至る所に溢れています。今の曹操殿は勢力拡大に精力的ですから……国内に放っている間者の数も微々たるものかと。よほど目立たぬ限り今回の件が発覚するのも制裁を加えるのも、かなり先の話になるでしょうねェ」
「民の生活はどうなんだよ!? 税納めさせといて見てるだけとかふざけんなッ! 民守んのが糞領主の務めだろうがッ!」
「それなら州牧さんか曹操さんに匿名で告発文なり警告文なり送ればいいんじゃないですか?(李鳳さまなら当然名案があるのでしょうけどぉ)」
「そうだ、それだよ! そうすりゃ曹操が動いてくれるだろ。糞領主がどうなろうと知った事じゃないが、民に罪はないだろ」
妖光の提案に丁奉は食い気味で飛びつく。戦闘狂のわりに正義感も強い丁奉は一度敵と認識した相手には容赦がない。
「確かにそれも手なんでしょうが……」
「んだよ? はっきりしねーな」
「あ、あの……発言しても宜しいでしょうか?」
丁奉が李鳳に食って掛かる中、郭離が緊張した面持ちで申し出た。
「そう堅苦しゅうせんでええて。アンタはもう白螺隊の隊長なんやから、遠慮のう何でも言うてや」
「はっ。僭越ながらこれまでの話と我らに与えられた次なる課題『獲る事』から、白螺隊の初任務と言うのは青州へと赴き傭兵として活動する事だと愚考します。そして賊徒や蛮族を"狩る事"で報奨金あるいは名声を"得る事"が狙いなのではないでしょうか? こう言ってはなんですが……李鳳殿が慈善活動などを遂行されるとは思えませんので、必ず何かしらの裏があるかと」
少し目が泳いでいるが、堂々と言い切った郭離はある意味肝が据わっている。李典が言った「遠慮なく」を実行したまでだが、やってしまったかと内心では不安を抱えていた。
李典達は一瞬目を丸くしていたが、すぐ爆笑に変わる。
「カッカッカッカッカ、伯雷が鬼畜の腹黒策士やとよう見抜いたな! 大したもんや!」
「アッハッハッハッハ、判ってんじゃねーか郭離。そうだよ、この糞外道に善意や良心なんてモンがあるワケねーしな」
「うふふ(郭離、殺すよ?)」
「クククククッ、察しの良い指揮官は嫌いじゃありませんよォ」
「え!? えっ!? えええ!? い、いや、そ、そそそそこまでは言っておりません」
冗談とも本気とも取れる物言いを聞いて大いに焦る郭離。さらに若干1名が放つ殺意の波動で背筋が寒くなった。
狼狽える郭離を落ち着かせ、李鳳は本題を切り出す。
「さて、白螺隊の初任務に関しては郭離の言った通りです。せっかくの儲け話を他人に譲る必要はないでしょう。マンセーの許可を得てすでに先方とは話がついております」
「ちっ、それを先に言えってんだよ……で、いくらで請け負ったんだ? テメェの事だ、はした金の安請け合いじゃねーんだろ? その領主を助けるってのは気乗りしねーけど、民に罪はねーからな」
「先方からは報酬は折半と提案され、こちらもそれに合意しました」
「はぁ?」
「……李鳳殿、折半とは奪った敵の馬や武器を分け合うという事でしょうか?」
事情を知る李典だけがニコニコしており、他の者は不可解な表情を浮かべた。
「いえいえ、領主の全財産を折半するという意味ですが」
「……は?」
「……え?」
「あらあら?」
「な、なんやてーッ!?」
「……ノリですか」
「ニッシッシッシ、今は乗るトコやろ?」
驚きの余り絶句する者を他所に、李典と李鳳は悪戯成功とばかりに笑う。
「マジかよ……その糞領主、財産半分も寄越すって言って来たのか。ちょっと想像してた奴とは違うな」
「いえ、領主は何も言って来てませんが」
「……はぁ?」
「……えっ?」
「あれあれ?」
「な、なんやてーッ!?」
「……二度目はちょっと」
「せやな……今のはイマイチやったわ。なんでやろ? 勢いか? いや、予想でけてもた事か?」
ポカンとする三人を他所に、李典は少し反省していた。
「さてさて、あまり勿体ぶっても仕方ないので言っちゃいますが……交渉を持ち掛けて来た相手というのは、賊徒の方です」
「……」
「……」
「……」
「な、なんやっ――あれ? どないしたん?」
「どうやら驚き疲れたか、理解が追い付いてないようですねェ……反応もないので、話を進めましょうか。クックック……その賊徒なんですがねェ、元々は今の領主となる前に領土を治めていた公孫賛殿の遠縁に当たる一族の生き残りでした」
口角を上げて人の駒を白色に、城の駒を黒色に変える李鳳。悪巧みがまんまとハマって李典もニヤニヤが止まらない。丁奉に壊された駒の溜飲も下がると言うものである。
額に青筋を浮かべた丁奉や幽州出身の郭離は身を乗り出し、食いかかるようにして真偽を問うた。妖光だけは李鳳の言う事を疑っていない。
……。
…………。
………………。
しかし、その後に李鳳から語られた計画の全貌は耳を疑うばかりの内容であり、郭離も丁奉も呆れるしかなかった。
「おいおい、んな事したら遅かれ早かれ絶対気付かれるじゃねーか! 追手がかかれば足手まといになって逃げきれねーぞ!?」
「クククククッ……ご安心を、そこもちゃんと考えてあります。アレを、ここで使います」
そう言うと李鳳は窓枠から覗く湖を指差し、さらに今までなかった別の物を模した駒を地図上に置く。想像を絶する計画が初任務とあって郭離は何度も生唾を呑む。部下にどう説明したものかと彼が頭を悩ませたのも想像に難くないのであった。