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海を越えた破綻者  作者: パトラッシュ
独立する愚連隊
122/132

122話 李遊軍白螺隊②

 李遊軍の将たる李典の朝は遅い。

 白螺隊の朝稽古や日課の雑事が全て終わった後に起床し、寝ぼけ眼のまま配膳を頼む。ぼんやりした意識の中でも食事の催促だけは忘れた事がない。

 しばらくボーッとしていると、幕が開き妖光が朝食を持ってきた。膳からは湯気が上がっており、ホカホカである事を物語っている。今朝の献立はこんがり焼いた干し肉の上に水鳥の卵の目玉焼きが乗り、茹でた芋をすり潰し塩と乳で味付けした物、それに茸と筍を餡にした小籠包(ショーロンポー)という内容であった。妖光の気遣いで芋だけはたっぷりと盛られている。


「李典さま、お食事を持って来ましたよぉ。ここに置いておきますわね(うわぁ、いつ来ても汚いですぅ……寝床くらい片付けろっての。これじゃあまるで豚小屋って感じィ)」


 妖光は恭しく頭を垂れ持っている膳を机に置いた。机の上に乱雑に置かれた何かしらの部品は、膳によってその場を追いやられて落下していく。例え武具や防具や生活用具などの重要な部品だとしても、足の踏み場も限られている状況では致し方ない。


「んん、ふぁぁぁぁぁぁぁ……おおきに」

「いえいえ(あーぁ、李鳳さまの為なら喜んでやるのになぁ)」


 伸びと共に大きな欠伸(あくび)をする李典、そして冬眠期の熊の如くのそのそと寝床から這い出す。将官として部下に見せるべき姿ではないが、李典はその当たりに無頓着だった。寝間着のせいか布地が薄く、胸元などは透けて見える。男であれば欲情し目のやり場にも困った事だろう。

 女である妖光も自分と上官の胸を見比べ、理不尽な現実に舌打ちした。そもそも妖光は李鳳付きの副参謀を志願しており、決して侍女として従軍しているワケではない。しかしこの数週間やった事と言えば、給仕や看護などの雑用が主である。

 李鳳は錬武や治療で白螺隊にかかりきり、丁奉と張飛も修練と演習に大忙し、必然的に李典とばかり絡みが多くなってしまう。李鳳と二人きりで濃密な時間を過ごせると思っていた妖光は大いに落胆し、日に日に不満は鬱積(うっせき)していった。

 そんな妖光の精神衛生など知る由もない李典は、芋を頬張ったまま思った事を思ったままに口にする。


「あむあむあむ……んぐ、明日からは肉もうちょい多目にしてや。芋はこの量で構へんし」

「……はーい、喜んでぇ(――デブれデブれデブれデブれデブれデブれデブれデブれデブれデブれデブれデブれデブれデブれデブれデブれデブれデブれデブれデブれデブれデブれデブれデブれデブれデブれデブれデブれデブれデブれデブれデブれデブれデブれデブれデブれデブれデブれデブれデブれデブれデブれ)」


 思ってもいない事を口にするしかない妖光。内心ではドロドロとした黒い感情が(うごめ)く。妖光は恋敵として李典を快く思っていない。むしろ一方的に敵愾心を抱いており、事あるごとに小さな嫌がらせを繰り返した。しかし幸か不幸か、李典が気分を害する事はなく、妖光の行為はいつも骨折り損に終わる。李典の強運に対して、妖光の幸はあまりに薄かった。

 悪巧みが報われないのは自業自得でもあったが、意外にも妖光は白螺隊の支持を得ている。白螺隊の多くは李典の女前な性格に心酔して付いて来ているが、彼らとて男なのだ。

 李典と李鳳の仲は周知の事実であり、その間に割って入ろうとする者はいなかった。そんな事をすれば死より恐ろしい目に遭うというのが李鳳をよく知る者の共通認識である。お子様な張飛や戦闘狂の丁奉は論外であったし、万一にも手を出そうものなら本当に死を覚悟しなければならない。実際に演習で何度も殺されかけている白螺隊にとって、彼女らは可憐な少女ではなく二匹の怪物なのだ。妙な気など起こせるはずもなかった。

 そんな地獄に現れた菩薩(ぼさつ)が妖光である。彼女は李鳳の指示に従って甲斐甲斐しく負傷した白螺隊の看護を行った。血と泥で汚れた体を拭い、折れた腕を優しく支え、清潔な布で傷口を覆う。不自由な身体を擦り、渇いた喉を潤す為に水を飲ませてくれる。ただそれだけの行為であったが、彼らには新鮮だった。

 常日頃丁奉から汚い言葉と暴力で罵倒されているだけに、妖光のちょっとした気遣いと笑顔に魅了されたとしても仕方のない事だろう。さらに妖光は料理も上手く、白螺隊を胃袋から掌握していた。


 朝食と着替えを終えた李典が太陽を拝むのはいつも真っ昼間である。燦々と降り注ぐ日の光を全身で浴び、李典は微笑む。太陽すら自分の為に輝いていると思っていた。

 李遊軍に白螺隊という屋台骨が出来て以来、李典は天才だの何だのと称賛と尊敬の眼差しを受けまくっている。その結果、李典は分かりやすく増長した。

 日向ぼっこを堪能した李典は拠点(アジト)内を悠々と闊歩し、目に留まる白螺隊に声をかける。


「調子はどないや?」

「はっ! 拠点開発は工程表通り着工出来ており至極順調であります。これらも全て李典様から頂戴した工具とカラクリ器機のおかげッ!」

「ナッハッハッハ、せやろ! もっともっと凄いんを作るさかい、アンタらも気張ってや!」

「はっ! お任せ下さい!」


 得意気に胸を張って高笑いする李典。ここ数週間毎日のように見られる光景である。

 真の天才は謙遜などすべきではないと言われてから李典は変わった。その日から彼女は高慢になり、態度も日に日に大きくなっていく。

 普通そういった言動や振る舞いをする者は疎まれ、煙たがられ、嫌われる事が多い。しかし李典は何ら変わらず慕われている。彼女は褒め称えられると調子に乗りやすい性格ではあるが、能力において他人を見下すような事を決してしない。

 やたらと威張り散らしてはいるが、基本的には無害――否、むしろ有益でさえあった。李典は褒められると飛躍的に伸びるタイプであり、李鳳のおかげで我が意を得た彼女は開発の鬼と化していた。

 湖から流れ出る小川は生活用水路として手が加えられ、いくつも水車が設けられている。人手の少ない李遊軍にとって揚水用にと設置した水車がもたらした恩恵は計り知れなかった。その用途は炊事、洗濯、飲用に留まらず、製粉や製糸と言った農工産業にも及ぶ。原動機関としては未だ機能していないが、李鳳の知識と李典の才能が合わされば十分に実現可能であった。

 水車に連なるよう木造の小屋が建ち並び、それぞれの建屋が独立した生産工場の役割を担う。李典は現場監督である伍長を呼び出して進捗状況を詳しく確認する。


「糸の生産がだいぶ遅れとるみたいやな」

「は、はい。縫合糸の強度を決定付ける工程が安定せず、どうしても良し悪しにバラツキが生じてしまいます。我々で改善を試みてはいるのですが……」


 伍長は申し訳なく頭を下げた。

 これが天才故に起こる弊害の一つである。李典は呼吸をするように当たり前の事として己の技術を扱えるが、それを他者に、しかも理論的になど説明出来ない。天才と凡才では見えている景色も違うのだ。


「なるほどな。ウチが超絶美人で可憐過ぎるせいで技量が凄過ぎて真似出来んほど神々(こうごう)しいっちゅう事か」

「……え?」

「えっ?」


 李典の理解に苦しむ独り言が耳に届き伍長が一瞬呆けてしまう。


「あ、いや、は、はい、その通りであります。我々の理解力が拙いばかりに……面目ない」


 すぐさま取り繕い非を詫びる伍長。例え詫びる必要がないとしても李典の纏う空気に気圧されてしまうのだ。

 李典は顎に手をやり、何かを思い付いたのか徐に口を開く。


「よっしゃ! ほんなら今日は特別にウチが手本見せたるさかい、目ん玉ひんむいて括目しィや。あっ、ウチに見惚れ過ぎたらあかんで。ほんで盗める技はバンバン盗むんやで」

「はっ!」


 この後しばらく建屋内からはギュイーンやらズゴォーンやらグワワワワーンという李典の奇怪な擬音が大音量で響いたのであった。当然ながら李典の教えを完全に理解出来た者などいない。しかし元々は李典配下の工兵だけあって、僅かながらも理解を示す者もいる。

 技術の継承と言っても李典は全てを教えているワケではない。李鳳もそうであったが、李典も取捨選択を行って最低限の技術だけを伝えていた。それでもこの時代にとっては十分オーバーテクノロジーなのだ。


 夕刻になると生産部門以外の白螺隊が集まり、より実戦的な演習が行われた。白螺隊を二分割し、張飛と丁奉を敵将に据えた模擬戦である。二分割と言っても張飛が相手取る人数の方が明らかに多く、扱う武器も刃引きなどしていない。当たり前のように鮮血が飛び交い、肉は抉れて骨が見え隠れした。

 張飛は蛇矛を、丁奉は円月輪をそれぞれ手にしていたが、白螺隊の面々は全く新しい得物を扱っている。今回はその性能をお披露目する場も兼ねているのだ。

 匠の仕事を終えた李典はホクホク顔であった。理由は至極簡単――仕事中常に天才と称賛を浴びたからに他ならない。ご満悦な李典は演習の様子を見て更に頬が緩む。


「ええやんか、ええやんか。ごっつサマになって来たやん」


 微笑む李典の視線は白螺隊が扱う新しい武器に向けられていた。自分の作る武具が優れているという自負はあったが、李鳳の知識が加わると途端に凶悪な兵器へと生まれ変わる。

 その一つが張飛へと飛来した。いくつもの節から成る鞭は先端に鋭い刃を備えている。その刃はまるで自ら意志を持ったかのように襲い掛かった。巨大な盾を構えた前衛役の白螺隊の間をウネウネとすり抜け、その鞭は鋭い牙をむく。

 予期せぬ急襲であったが、張飛は玩具を見るように目を輝かせて楽々と避ける。鋭い牙は対象を見失い虚しく空を裂く。


「多節鞭・大蛇(オロチ)、その真価が牙だけやと思いなや」


 李典は不敵に笑う。次の瞬間、後方に逸れたはずの多節鞭・大蛇は進行方向を変えて張飛に巻き付いた。あっという間の事に流石の張飛も「な、なんなのだ!?」と驚きの声を上げる。死角からの、しかも攻撃が目的ではない強襲とあって張飛の反応も遅れたのだ。

 上半身を拘束された張飛を別方向から二匹目の大蛇が襲う。飛び跳ねて回避する張飛であったが、三匹目の大蛇によって下半身までも締め付けられた。そして四匹、五匹とグルグル巻きにされる。


「多節鞭・大蛇のホンマの目的は相手を拘束して動けんようにする事やで。ニッシッシッシ、鈴々も油断しおったな」

「にゃはははは、凄いのだ! 動きを封じられてしまったのだ!」


 危機的状況にも関わらず未だ余裕を見せる張飛。間髪入れず白螺隊は巨大な盾に空いた隙間から弓矢を射る。この盾もそして弩も普通ではない工夫が施されており、完全に体を拘束されている張飛に防ぐ術はないと思えた。しかし、張飛は己の体を軸に回転させ巻き付いた大蛇を操る白螺兵ごと振り回し始める。大の大人五人を軽々と浮き上がらせ、それによって弓矢は弾かれてしまう。

 回転数が増す毎に遠心力が強くなり、耐え切れなくなった白螺兵は多節鞭を手放すしかなかった。吹き飛ばされた白螺兵は盾役と弩を引いていた白螺兵を巻き込んで地面に倒れる。致命傷ではないが、もはや余力は残っていない。

 その合間を縫って三尖槍(さんせんそう)を構えた白螺兵五人が前後左右から突っ込んで来る。多節鞭・大蛇から解放された張飛は蛇矛でまず三人をなぎ倒し、残った二人の槍も同時に防いで見せた。


「かぁぁ、ごっついのぅ。流石は鈴々や。せやけど……それは悪手やで」


 多節鞭・大蛇を正面から捻じ伏せ、三尖槍も軽くいなした張飛を素直に称賛する李典。しかし、その笑みには含みがあった。

 身体能力だけでゴリゴリと押し返す張飛。三尖槍で応戦する白螺兵は一瞬すら耐える事敵わず二人掛かりでもじりじりと押し返される。均衡が崩れるのも時間の問題と思われた――が、ガチンッという音と共に張飛が後方へとのけ反ったのである。


「弾道三尖槍・孤蜂(コバチ)、ただの槍とはちゃうんや!」


 李典がどや顔で叫ぶ。

 通常の三尖槍と異なり独立した中心の主槍はバネによる弾性エネルギーによって発射可能であり、初見殺しの暗器としては十分な威力を誇る。刃先が飛ぶという観念はこの時代にはなく、この不意打ちで倒せないようなら相手は怪物であろう。そして、張飛は正真正銘の怪物であった。


「ふほいのら! はひはほんはのら! ほんはのひはほほはいほら!」


 のけ反った体を起こすと、張飛は勢いよくまくし立てた。しかし、何と言っているか解らない。それもそのはず、張飛はあろうことか目の前で発射された刃先を歯で受け止めていたのである。

 孤蜂を放った白螺兵は刃先が一本減った二又槍で追撃を仕掛けた。残りの四人も体勢を立て直して弾道三尖槍を構える。

 白螺隊は張飛が怪物である事を誰よりも理解していた。だからこそ驚く事も青褪める事もなく、次の行動に移れたのである。しかし、実力差は明確であった。

 一度ネタバレした特殊攻撃の効果は薄くなり、今日もまた張飛に怪我らしい怪我を負わせる事なく白螺隊は敗北した。丁奉が相手にした白螺隊の数は張飛より少なかったが、こちらは意外に苦戦を強いられたと言える。李鳳の施術と李典の武具によって急成長を遂げている白螺隊だが、張飛が怪物過ぎてその成長を実感出来ている者は少ない。


 白螺隊との演習が終わると、恒例の一騎打ちが始まる。勿論、張飛と丁奉の一騎打ちである。

 悠然と構える張飛に対して、丁奉は円月輪で遠距離から機先を制した。張飛はそれを弾くでもなく、すれすれで回避する。丁奉は舌打ちし戻って来た円月輪を回収して詰め寄る。

 蛇矛を操る張飛に対して中距離で戦うのは愚の骨頂。柄の長さを逆手に取った接近戦か、投擲を主軸にした長距離戦が丁奉の歩める活路であった。以前までは――。


「うーん……むぅ……変やなぁ」

「おや、どうされました?」

「うぉ、伯雷ッ!? いつの間に!?」


 音もなく隣に立っていた李鳳。気配を消して近付くのは毎度の事であったが、心臓には良くない。注意しても聞く耳持たないので半ば諦めている。


一方的に攻めているのは丁奉であったが、未だ有効打は一度も入っていない。互角だったとは言わないものの、一ヶ月前まではそれなりに戦えていたはずである。それが今の丁奉は明らかに精彩を欠いた。


「それで、何が変なのでしょう?」

「……仙花って今日、調子悪いんか?」


 張飛がキレッキレなのに対して、丁奉の動きはどうしても鈍く思える。


「いえ、調子は悪くないですよ。先ほども白螺隊相手に優れた状況判断力と投擲術を披露していましたから……そう見えるのは、他に原因があります」

「……な、なんやッ!?」


 どうしてこれ程の差があるのか、李典は聞かずにはいれなかった。


「簡単な話ですよ。張飛殿が圧倒的に強くなった――いえ、元の力関係に戻ったという方が正確でしょうか」

「元に……戻った? な、何言うてんの?」


 怪訝な表情に変わる李典。

 そんな話をしている間も張飛の優勢は変わらず、余裕をもって丁奉の攻撃を捌いていた。どこまで引き寄せられるか、ギリギリまで試しているようにさえ見える。


「信じられないかもしれませんが、張飛殿はこれまで自身の能力を制限していました」

「て、手加減しとったっちゅう事? そうは見えんかったで」


 これまでの張飛をよく知る李典はとても信じられないと言う。


「ええ、本人すら気付いていませんでしたから」

「……へっ?」

「張飛殿は幼い頃より武力に優れていました。今のように制御出来ない頃は何かと暴走したでしょう。それを見た村人は張飛殿を化け物と呼んだそうです。誰もが彼女を恐れました。ほどなくして人里離れて暮らすようになった事で、張飛殿の疎外感は更に増したでしょう。親は子を想い、彼女に近付く事すら禁じました。如何に張飛殿が楽観主義と言えど、己の力を怨んだ事が一度もないと言えるでしょうか? もし誤って誰かを傷付けていたとしたら、性根の優しい張飛殿が何も思わずにいられるでしょうか?」

「……」

「他人に嫌われたいと思う人など稀でしょう。誰もが好き好んで嫌われたいなどとは考えない。張飛殿も然りです。多感な時期に他者と触れ合いたいと思うのは至極自然……その結果、彼女は力の一部を無意識下に封印する事に成功しました。生きる為に過ぎた力の一端を抑え込んだのです。私も暗示を経て気付けた事ですから、普通の人が気付かないのも無理ないでしょう」


 さもありなんと話す李鳳に驚く李典。


「そ、それがホンマやとしたら……制限した力で、あないに強かったんか!?」

「はい。制限して尚、関羽殿と対等に戦える程度には強かった。そして私の暗示によって制限(リミット)を解除した張飛殿は、ついでに限界(リミット)という観念も解除してあります。よって現在の武力は…………呂布殿に匹敵するでしょう」


 李典は言葉がなかった。

 新たな武器と力を手にしたはずの白螺隊を一蹴し、赤子の手をひねるように丁奉を相手取る姿はまさに鬼神そのものである。


「…………。あの鈴々に、そないな過去があったんか……よう調べたな、伯雷。大変やったやろ?」

「そうでもありませんよ。九割ほど私の想像ですから……クックック」

「はぁ!? 九割て……ほぼ全部やん! よう長々と語ったな!」

「ククク、経緯の詳細は知りませんが、能力を制御してあったのは事実です。そのせいで私も余計な怪我を負いましたからねェ」


 遠い目で苦笑する李鳳。

 初日に行われた張飛との模擬戦、本来であれば猪突猛進な性格を逆手にとって木の棒であっさり勝つ算段であった。ところが想定外の速度に想定外の力を発揮した張飛に面食らい、腕一本を犠牲にしなければ引き分けにすら持ち込めなかっただろう。


 一方、戦闘狂の丁奉も張飛の変貌ぶりには戸惑っていた。かつて数人掛かりで相対した呂布と同じ戦慄を感じるのだ。冷や汗が流れ、喉が渇く。ゴクリと生唾を飲む音がとても大きく聞こえた。乱撃戦にもならず未だ両者無血であり、それがより一層丁奉の焦燥感を煽った。

 丁奉は血を見る事で高揚し、目を紅く充血させて戦闘力を高める特異体質である。このような無血の争いでは本来の実力を存分に発揮出来ない。知ってか知らずか、張飛は丁奉を完封している。

 そして一騎打ちは張飛の一振りで呆気なく決着がついた。その一撃は体がバラバラになったかと丁奉が錯覚する程であった。立ち上がれない程深いダメージを負った丁奉は倒れたまま忌々しく張飛を睨む。


「……糞がッ、て、テメェ……何者(なにもん)だよ!?」


 あまりの変わりように目の前の少女が自分の知る張飛だと思えない丁奉。素っ頓狂な問いを投げかけられた張飛は蛇矛を振り回して豪快に笑う。


「にゃはははは、鈴々は天下の大将軍なのだ!!」

「…………はぁ?」


 丁奉は呆れたように溜息を吐き、さっさと起こせよ糞チビと開き直った。どんなに変わっても張飛は張飛なのだと思い知ったのである。


 李典も丁奉の気持ちはよく解った。隣でクククと笑う李鳳には呆れるばかりである。


「一歩兵でええて拗ねてた子が、よりによって天下の大将軍かいな……呆れて物も言えんなぁ」

「暗示の副産物と言いますか、副作用とでも言いますか……この世で最強の人物、それが天下の大将軍だと思っているようですねェ」

「ふーん、まぁええわ。メソメソと駄々こねとった頃よりは千倍マシや」

「それはそうと白螺隊の方は着実に準備が整いつつありますねェ。"集"としての"個"はもう少し理解を深める必要がありますが、肉体と武具に関しては計画通り第二段階に移行しても構わないでしょう」


 最後の言葉を聞いて李典が目を輝かせた。


「おっ、やっとかいな」


 待ってましたとばかりに鼻息を荒くする李典。唇がぶつかりそうなほど接近する李典を苦笑してあやす李鳳。


「まぁまぁ落ち着いて。今回の検証で大蛇にはやはり関節部に返しの棘を鱗のように設けましょうか。締め付けた時に簡単に外れなくなりますし、それだけで敵に損傷を与える事も出来るでしょう。あと刃先には即効性の薬を塗って毒牙としますか」

「ええやん、ええやん。ほんなら弧蜂も毒針にせんとな。あとバネをグウィィィンしたら、発射速度と威力がキュピーンて倍増するで。これまでは柄の方が負荷に耐えれんでペケペケやったけど、新調した楚鉄で補強するさかいガインガインやで。それに――」

「ほぅほぅ。では、これをこうすれば摩擦係数を減らせ――」

「いやいや、これはもっとギャワワワーンとやな――」


 こうなるとマッドな科学者は止まらない。たっぷりと日が暮れるまで改造案について談義し、夜ご飯となった。


 食事の席で李典はふと疑問に思った事を口にする。


「せやけど、伯雷。アンタいつからウチの横におったん?」

「マンセーが『ごっつサマに……』と言ってた辺りでしょうか」

「演習のドあたまやんけ! かけようや、声! 普通かけるやん、声を!!」


 李典の抗議に李鳳はどこ吹く風。


「それはそうと伝者から返書が二通届いていましたよ」

「あからさまに話題を変えよってからに……ほんで、誰からや?」

「諸葛亮殿と商家の御大からです。まず勝手に軍を離れてしまった張飛殿の件ですが、こちらが落ち着くまでの護衛という事でお咎めはありません。かなり強引な対応ですし、劉備殿の意向が強いかと」

「ウッシッシッシ、相変わらず甘ちゃんやのぅ。んで、商家の爺さんは取引したい言うてきたか?」

「はい、耄碌はしてなかったようですねェ。安定した供給を続ける限りは、こちらの言い値を聞いてくれるそうです。利に聡とければこの需要を見逃すはずがありません。まぁ価値も解らない無能が相手であれば、洗脳(おはなし)して終わりですけどねェ、クックック」

「ニッシッシッシ、漸くウチのカラクリに時代が追い付いたっちゅう事やな」


 李典のカラクリ道具は斬新過ぎるが故に一般受けが良くなかった。如何に便利な物を作っても用途を理解していない人にとってはガラクタに過ぎない。

 その世間と李典の認識のズレを李鳳は埋めたのだ。李鳳はまずニーズを知る為に眷族を使ってマーケティングを実施した。その結果、いかに有用な物を作っても大衆相手では儲けが少なく、客層を高貴な身分の者に絞り、小銭を稼ぐよりも贅沢品で一攫千金を狙う方が李典の才能を活かせると判断したのである。

 問題はそういった富裕層にコネがなく、大陸全土の販路について疎い事であった。李鳳は手近な商人達を洗脳(せっとく)し、協力を取り付けて、高貴な顧客を囲う御大と知己になったのである。

 李典の作品は御大の眼鏡にかない、異例の高額にも関わらず契約は為された。御大も馬鹿な貴族に更なる高値で売り付けるのだから損はない。

 あとは李典の制作意欲を掻き立てて、富裕層が満足しそうな虚栄心を擽る品を作れば良かった。その点は李鳳に抜かりはない。それが現在進行形で続いている褒め殺しとマッドな会話にも付き合う事である。

 調子に乗せれば乗せるほど、李典はサクサクと新製品を産み出す。それこそ寝る間も惜しんで制作するのだ。中身や実用性を度外視し、見た目のみに注力した細やかな造形美は李典の言う神々しさを存分に表現していた。

 李典にとっては取るに足らない製作の繰り返しでも、李遊軍の活動資金を得る為には欠かせない。ひとまず白螺隊が軌道に乗るまでは、李典のモチベーションを維持する事が李鳳の最上命題であった。


 白螺隊の長たる李典の朝は遅いが、彼女の夜は誰よりも長い。その事を知っているからこそ、李典の高慢な態度に腹を立てる者はいなかった――ただ一人、妖光を除いては。


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