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海を越えた破綻者  作者: パトラッシュ
独立する愚連隊
121/132

121話 李遊軍白螺隊①

 李遊軍に白螺隊が新設されて数日、彼らの中にも事の重大さに気付く者が出始めた。


 白螺隊の朝は早い。

 まだ小鳥も(さえず)らない時間に起床し、寝床を片付けた後に湖の水で顔を洗う。ひんやりとした感覚が意識を覚醒させる。さらに寝ている間に凝り固まった体は曲げ伸ばしや捻りを加える事でパキポキと音を立てた。

 入念な柔軟体操により体を(ほぐ)し終えると、白螺隊は伍を組んで別々の行動に移る。伍とは五人一組の小隊であり、小隊長たる伍長の選出から各伍の組み分けまで全て李鳳が担当した。白螺隊は常に伍で動く事が義務付けられており、これに背く事は禁じられ鉄の掟とされた。

 二十組になる伍がそれぞれの役割を果たす為、辺り一帯に立ち込めた白い霧の中を奔走する。ある伍は昨夜仕掛けた罠に獲物がかかっているかを確認に、ある伍は作物を育てる為の土地を開墾しに、ある伍は釣った魚を一時的に飼っておく生け()を作成し、またある伍は生活基盤となる上下水路の整備を行う。白螺隊の仕事は完全分業且つ循環制であるが、最善の効率を考えて同じ仕事に複数の伍が当たる事も珍しくない。

 李鳳は白螺隊を指導して人里離れたこの地に秘密の拠点(アジト)を築こうとしていた。広大な湖と湖畔は万単位の部隊でも養うに十分な土地と豊富な水量を有している。

 李鳳がこの地に目を付けたのは偶然ではない。眷属と呼ぶ小動物から得た情報を基に、隠れ処として最適な立地であると判断したのだった。計画はあったものの実行に移すとなると大変である。白螺隊の結成は李鳳にとっても渡りに船であった。

 労さずして働き手が手に入り李鳳はほくそ笑む。しかし李鳳としても白螺隊を単なる労働力で終わらせるつもりはなかった。


 李鳳は毎朝判で押したように正確なタイミングで同じ時刻に姿を現す。それが早朝の作業を切り上げる合図であり、同時に朝稽古を開始する合図でもあった。朝食当番の伍を除き全ての伍が合流する。

 百人弱の男が複数の列をなして立ち並ぶ。お世辞にも統率が取れているとは言えないが、雑談する者は皆無である。

 整列する兵士を一瞥し、李鳳は片手を挙げた。すると、その動作をきっかけにして白螺隊の練武が始まる。


「はッ! はッ! はッ! はッはッ!」

「はッ! はッ! はッ! はッはッ!」


 得物を持たない徒手空拳による朝稽古。型は少林拳と太極拳をベースに合気道を組み入れた李鳳オリジナル武術である。


「はッ! はッ! はッ! はッはッ!」

「はッ! はッ! はッ! はッはッ!」


 湖面を揺らす掛け声は小鳥に代わる朝の囀り……と呼ぶには少々煩過ぎた。白螺隊は若い部隊であり、戦経験豊富な老練兵は少ない。代わりに血気盛んな若者が多く、練武はいつも熱気で溢れている。


「突く時は踏み込みを深く、もっと腰を落として」

「はッ! はッ! はッ! はッはッ!」

「はッ! はッ! はッ! はッはッ!」

「いいですか、下半身は大地に根を張る大樹の如くどっしりと」

「はッ! はッ! はッ! はッはッ!」

「はッ! はッ! はッ! はッはッ!」

「ただし上半身にはあまり力を入れ過ぎないこと。構える時は自然体で構いませんが、動く時は常に螺旋を意識するように」


 激しい息遣いの合間を縫って、李鳳の声が淡々と響く。この朝稽古は個人の戦闘力向上が目的ではない。あまりに稚拙な体術を見兼ねたというのもあるが、真の目的は別にあった。

 白螺隊は工作部隊出身の者が多く、戦闘面では騎兵隊はおろか歩兵隊にも大きく劣る。部隊における概念が異なる為ある程度は仕様なのだが、戦場においては何の言い訳にもならない。弱ければ死に、運が良ければ生き残る。そして筋骨隆々の屈強な男達が束になっても、選ばれた細身の少女一人にまるで歯が立たない。

 それが戦国の世の常であり、この世界での現実でもあった。事実として白螺隊は百人がかりでも張飛を倒すどころか、かすり傷すら負わす事が出来なかった。

 そして、その事実を歯痒く思う者は皆無である。圧倒的な力を持つ女性が支配する世界、女尊男卑が当然という環境において、彼らの思考はある意味正常と言えた。この世は理不尽で成り立っており、努力ではどうにもならない事がある。

 ところがである――慣れ親しんだ環境は李鳳という一つの異物によって大きく変化した。


「技を放つ瞬間、技と技を繋ぐ際も、流れる水の如く滑らかに」

「はッ! はッ! はッ! はッはッ!」

「力に対して力で(あらが)おうとしても、諸君は永遠に張飛殿には勝てないでしょう」

「はッ! はッ! はッ! はッはッ!」

「あの丁奉ですら力ではなく、速さと間合いで対抗しています。しかし残念ながら諸君には丁奉ほどの俊敏さも才能もありません」


 李鳳は淡々と事実だけを告げる。否定的な意見ばかりにも関わらず、白螺兵の表情に悲壮感は見られない。事実として受け入れている部分もあるが、彼らは李鳳に希望を見出していた。


「はッ! はッ! はッ! はッはッ!」

「クックック、困りましたねェ……凡庸な諸君には張飛殿に対抗し得るモノが何一つとしてない。"個"では百年修行しても敵わないでしょう」

「はッ! はッ! はッ! はッはッ!」

「では、どうするか――学びなさい、"個"の限界を! 考えなさい、"集"における"個"の可能性を!」

「はいッ!!」


 事の発端は白螺隊と張飛の模擬戦に遡る。鬼神の如き膂力を誇る張飛は軽い一振りで五人でなぎ倒し、白螺隊はただの一撃で心が折れ戦闘不能に陥った。立っていられる者がいなくなるまで、そう時間はかからなかったのである。

 物足りない風に蛇矛を振り回す張飛は汗一つかかず呼吸も乱れていない。白螺隊は愕然として震え上がった。そして弱った思いは次々と口から零れ出る。


「俺らじゃ将軍の準備運動にもならないのか」

「……千人いたって無理だよ」

「そもそも男が勝てるはずねーじゃん……」


 李鳳には白螺隊の心の色がはっきりと視得た。嘲笑しそうになる緩んだ口元を隠し、落ちていた木の棒を拾う。そして張飛の前へと歩み出て一勝負しましょうと持ち掛けた。

 男と女、軍師と猛将、木の棒と蛇矛――勝負にならない。張飛の圧勝――それが白螺隊の共通認識であった。当の本人である張飛すら己の勝利を信じて疑わなかっただろう。

 張飛は李鳳を侮っていた。否、油断を誘うように李鳳が装ったのである。木の棒を使うのもその仕込みと言えた。撃って来いと言わんばかりに木の棒を構える李鳳。受けてたたんと力任せに蛇矛を振り下ろす張飛。

 一瞬の出来事であった。目視出来た者は多いが、理解出来た者は少ない。張飛の一撃はあっさりと木の棒をへし折り、大地をも砕いた。木の棒を身代わりにして蛇矛の軌道から辛うじて逃れた李鳳を張飛は見逃さなかった。武器を失った死に体の李鳳に止めを刺すべく張飛は横薙ぎを放つ。小さな体を目いっぱい捻り加速する蛇矛は意志を持っているかのように襲い掛かる。

 そして、それは確かに李鳳に当たった。しかし、結果として地面に倒れているのは張飛であった。空を仰ぐ張飛は目をパチクリさせる。何が起こったのか解らないのだ。ダメージはなく慌てて飛び起きるが、それと同時に李鳳が降参を申し出た。

 白螺隊の面々は驚きの余り声も出ない。李鳳は左腕を押さえており、折れているように見える。結果としては李鳳の負けであるが、仮に複数で挑んでいれば一矢報いる事が可能と思えた。

 納得のいかない張飛はもう一回と駄々をこねる。李鳳は苦笑しているが、納得がいってないのは白螺隊も同じだった。李鳳の動きはゆったりとしていて、彼らの目にも見えていたのだ。見えない程の素早い動きであれば逆に納得出来たかもしれない。しかし白螺隊をして遅いと思える動きにも関わらず、張飛を転倒させてしまった理屈が解らないのである。解らないからこそ興味をひいた。


 だからであろうか――あの動きならば自分達でも出来るのではないかと思ってしまった事は。

 仕方ないのだろうか――それが力の流れを支配する超高等技術であると気付けなかった事は。


 何も知らない白螺隊はこぞって李鳳に師事を仰いだ。してやったりの李鳳は昂ぶる気持ちを抑え、渋々と言った表情を作ってある交換条件を提示した。白螺隊はそれを了承して現在(いま)に至る。


 日が昇ってからも朝稽古は続いた。そうしてたっぷりと汗を流した後、お待ちかねの食事によって体力を回復させる。たんぱく質を補給するという名目で毎食一品は肉か魚料理が義務付いているが、これは李典の要望(わがまま)でもあった。そのおかげで白螺隊は何よりも食事の時間を楽しみにしており、この時間になってムクムクと李典が起きて来る。

 李典は開発や製作に熱中すると徹夜してしまう事が多かった。食後すぐに食休みと称して二度寝に入る事も日常茶飯事である。それを敢えて正当化する為に白螺隊にも食後の小休止を与えていた。白螺隊にとって李典は女神に等しい。

 李典は君臨すれども統治せずを地で行く。軍と呼ぶのもおこがましい李遊軍は白螺隊を得て、漸く軍としての体裁を整え始めた。面倒事は全て李鳳に押し付け、尊ばれる快感に酔いしれる。


 昼になると早朝に引き続いて拠点の建設や生活用水の工事、農地の開墾に食糧の調達を再開する。また李典指導で兵器や農工具の作製も行う。拠点の発展はダイレクトで生活基準の向上に繋がる為、白螺隊にとっては戦闘訓練以上にやる気が出るのであった。


 そして日が傾くにつれて彼らの気分は憂鬱になってくる。鬼軍曹と化した丁奉と空気を読めない全力少女である張飛を相手に日替わりで実戦訓練を行うのだ。彼らにとっては煮るか焼かれるかの違いでしかない。


「何度言ったら判んだ、糞バカ野郎共ッ! 狙いは常に急所だッ! 突けッ! 穿てッ! 抉れッ!」

「せいッ! はいッ! はいーッ!」

「オラオラッ、馬鹿正直に受けてんじゃねーよ! 捌けッ! 払えッ! 打ち落とせッ!」

「ふんッ! はッ! てぇぇいッ!」


 気迫の篭った拳が激しくぶつかり合う。実戦に勝る訓練なしが丁奉のモットーであり、痛みを伴わずして成長など有り得ない、そう信じていた。

 最初は乗り気でなかった丁奉も予想外の頑張りを見せる白螺隊に、今では熱い檄を飛ばす程である。ただ暴力に酔いしれているワケではないと信じたい。


「オラオラオラッ、考えてる暇があったら打ち返して来いよッ! 全身全霊で感じやがれッ!」

「がはっ」

「ぎゃぁああ」

「ぐむっ」

「げぼっ」

「ごふっ」


 目を紅く染めた丁奉の突きは一撃で骨をへし折り、その手刀は軽々と肉を切り裂いた。兵士達は悲鳴と共に崩れ落ちる。辛うじて意識は保っているが、立ち上がれる者はいない。


「……ったく、だらしねーな。邪魔になるから、また糞李鳳んトコに運んどけ」


 丁奉の指示で倒れた兵は一所に運ばれる。そこで傷の治療が行われるのだが、なぜか乱取り稽古以上に兵士達は絶叫していた。


「あがががが……」

「ぐぎゃぁぁぁぁぁ」

「へもあっ」

「丁奉にはもう少し手加減を覚えて欲しいですねェ。こう毎日怪我人が続いては……」


 言葉と裏腹に李鳳の口角は不気味なほど釣り上がる。


「経絡の巡りが良くなれば、怪我の治癒力も高まります。気脈の詰まりを取り除く方法はいくつかありますが……私の場合は、これです」


 そう言って深々と経穴に鍼を指す。その度に大の男が断末魔のような叫び声を上げた。


「全身の気脈を私の氣で無理矢理こじ開ける。酷い激痛が走り、寿命も少々縮まりますが……まっ、今は戦国の世ですしね。明日丁奉に殺されるよりはマシでしょう……おや、気絶してしまいましたか」


 丁奉と張飛が壊し、李鳳が治す。繰り返される破壊と再生によって、白螺兵は自分達でも知らぬ間に肉体を作り変えられていく。朝稽古の真の目的はこの肉体改造に馴染む為の下地作りであり、そのついでに理合いも叩き込んでいるに過ぎない。

 運良く大怪我を免れた者は夜食と翌日の為に罠の準備を行う。白螺隊にとって夕方から夜食までは地獄に次ぐ地獄でしかない。

 しかし翌朝目覚めると驚くほど怪我の痛みがなく、むしろ全身から力が湧き出し体も軽くなっているという不思議な感覚に戸惑う者が出始めた。それから二週間と経たず、この感覚を全員が経験する事となる。


 李遊軍白螺隊――歴史に名を残す事を憚られた特殊部隊が誕生した瞬間であった。

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