12話
――とある洞窟のある山――
夜明けから半刻。
応急手当が施されたとは言え、折れた左腕や肋骨がくっ付いたワケでもなく、ろくな休息もしないまま歩き続ける李鳳は疲労困憊であった。
【李鳳】
「はぁ、はぁ、はぁ……」
体が……変だ。
骨折や貧血なのは分かってる……でも、氣があるんだぞ!?
万能説はどこいったんだ? 誰かが言ってただろ……あれ!? 言ってたっけ……?
ダメだ、拭っても拭っても汗が止まらない。
脱水症状かもしれないな……頭も、重い。
クソ……喉渇いた、血の補充だからって血を飲むのは考えモンだな。
あーぁ、ベッドで横になりたい気分だ……。
チッ……まだ着かないのかよ!? とっくに夜が明けちまったぞ……。
辺りには鳥の囀りと共に柔らかな日の光が降り注ぎ始めていた。
しかし、李鳳にとっては嬉しくも何ともない状況だったのである。
気持ちの悪い朝でしかなかったのだ。
元々重傷だった体は夜通しの歩き詰めで疲弊し、満足に動かなくなってきていたのである。
実際には李鳳の予測通り、夜明けまでに十分到達出来る程の距離しかなかったのだが、それが出来ない現状が、李鳳の容態の悪さを物語っていると言えるだろう。
今の李鳳には狼を倒した時のような機敏な動きは不可能であった。
しかし、李鳳は休むことなく前へ前へと進み続けたのである。
まるで、そうしなければならない運命を感じているかのように一点だけを見詰め、そこを目指して両の足を動かし続けたのだった。
更に進み続けて半刻。
人間もしくは大型動物の気配を感じる洞穴を発見したのである。
「……あ、あれか!?」
目的の洞窟はそれ程大きいものではなく、大人であれば屈まないと入れない程の高さしかなかったのであった。
李鳳は警戒しながら周囲を窺っており、洞窟に入るのを躊躇っていたのである。
「熊の寝床じゃ……ないよな?」
李鳳は不安を感じていた。
疲弊した体では満足に動けず、先程の狼同様、今なら熊に美味しく頂かれちゃう自信があったからである。
恐る恐る近づいてみると、地面の所々に赤黒い斑点が見えたのだった。
「血痕……まだ、乾ききってないな」
李鳳が屈みこんで赤黒い斑点を触ると、ヌルっとした液体の手応えが返ってきたのである。
間違いなく洞窟の中には誰かが居て、それはおそらく李一家の誰かだと確信した李鳳は、生存している者が自分以外にもいた喜びで少しだけ体が軽くなった気がしたのだった。
そして、意を決して洞窟内部への進入を試みたのだ。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
――洞窟最奥――
男が一人、口から血を流して倒れていた。
口からだけでなく、体中から溢れ出した血溜まりに浸っていたのである。
男の名は李単。
李一家の頭領にして李鳳の養父である偉丈夫だった。
孫堅軍の奇襲により李一家が壊滅必至な状況に追い込まれていた折、燈や塁の親子が命懸けで李単を逃がしたのだった。
李単は部下を駒としか考えておらず、優しく接した覚えも無い部下達が必死で退路を作ってくれる姿に戸惑いを隠せなかったのだ。
死を覚悟していた李単はワケも分からず、脇目も振らず走って逃げたのである。
途中孫堅軍の追っ手が数人襲い掛かって来たが、傷を負いながらも森の中へと誘導して全員を撃退したのだった。
一度に複数名を相手取り倒して退ける武力はかなりのものであったが、受けた傷も深かったのである。
全身から出血し足を引き摺りながらも、李単は合流地点である洞窟に辿り着いたのだ。
奇しくも、その姿勢は養子の李鳳と同じだったのである。
薄暗い洞窟内では、湧いている泉の周辺に生息している苔が光っており、それが辺りを薄っすら照らす唯一の光源となっていた。
【李単】
ど……どのくらい、時間が経ったんだ……?
俺以外は皆……死んじまったのか!?
李単が洞窟に辿り着いてから一刻程しか経っていなかったのだが、体感ではもう数日が経過したように思えていたのだった。
李単は背中に5本の矢を受けており、致命傷となる急所は外れていたのだが、手が届かず治療も出来ないまま放置していたのである。
仮に引き抜くコトが出来たとしても、止血出来なければ出血多量で失血死する可能性が高かったのだ。
しかし、不運は重なるモノである。
洞窟に入り、一瞬気の緩んだ李単はその場に倒れこんだのだった。
その際に矢がより深く突き刺さり、いくつかの臓器を傷付ける結果となってしまったのだ。
李単は自分が最早助からないコトを覚っていたのである。
そんな李単がずっと考えていたのは、部下達のコトであった。
「な……なんでだ? なんで……俺を、助けたんだ?」
ゴプッと血を吐きながら、誰に語りかけるわけでもなく呟く。
自分が一部の部下達には慕われていたなどと考えもしない李単に、答えが分かるハズもなかった。
この場所に着いてから李単の頭を支配していたのは、自分を逃がした部下達の心境と、なぜか李鳳のコトであった。
陸路の確保に向かわせたアイツは……多分、生き延びれただろう。
火矢が放たれんのは見てたんだから、きっとそのまま逃げたハズだ。
アイツまで殺されたりは……クソッ!
そこから先は考えられないでいた。
流石に李鳳だけは自分を助ける為にわざわざ戻ったりはしないハズだと思いつつも、確信を持てない自分に腹が立っていたのである。
チッ……なんで、誰も来ない!? 本当に皆死んでしまったのか!?
お、俺だけがあの場で死ねなかったってのかよ!?
不安と苛立ちに苛まれる李単の耳に、何かを引きずるようなズズズッという微かな音が聞こえてきたのだった。
何だ!? 誰か……来たのか!?
とっさに警戒しようとした李単だったが、体が反応せず、阿呆らしくなって開き直ったのである。
そして最早自分は助からないのだからと、思い切って物音がする方向に声をかけたのだった。
「だ……誰だ!?」
すると、聞き覚えのある声がしたのだ。
李単が今、一番聞きたかった声である。
「あっ、やっぱり生き残りが居たのか」
安堵したような李鳳の声であった。
安堵したのは李単も同じであり、生きていてくれて嬉しいと感じてしまっていたが、それを素直に言葉に出せるような性格をしておらず、わざわざ皮肉を言うのだった。
「き……貴様、ぶ、無様に――」
しかし、全てを言い終わる前に李鳳によって遮られたのである。
「おおー! 水だ!!」
脇目も振らず一目散で泉に駆け寄るが、うまく走れずに足を引き摺っていた。
そのまま泉に顔を浸けて水を飲む李鳳。
李鳳の突然の行動に唖然とする李単。
「ゲホッ、ゲホッ、ゴホッ……はぁ……はぁ、はぁ」
むせ返る李鳳を見て、李単は笑ったのだった。
「く……くく、くははははははは。ゴフッ……」
くはははは、血が邪魔で上手く笑えんぞ。
呆れた奴だ……俺を無視して、先に水かよ!? くく、ははははは……。
その笑い声を聞いて、李鳳は漸く倒れているのが李単だと気付いたのである。
驚いたように李鳳は声を上げた。
「あれ……養父上ですか!?」
ようやく俺と気付いたか……くくく、トコトンふざけた奴だ。
李単は李鳳の言動に呆れながらも、先程までの悲壮感はスッカリ失せていた。
そして不器用ながらも気遣いの言葉をかけたのである。
「ぶ……無事、だった……のか?」
「いえ、あまり無事とは言えません……が、生きてます。養父上は……?」
李鳳の状態を見ると一応手当てはしてあるようだが、服は血まみれで顔色の蒼白としている。
自分よりはマシだろうが、どう見ても重態だと分かったのである。
「燈が……俺を、逃がした……奴が居なかったから……とっくに、死んでたろうが……な」
「燈が……ッ!?」
李鳳の驚いた顔を見て、李単は安堵した。
やはりそれが普通の反応だと確かめれたからである。
李単にも、何が何だか分かっていないのでそれ以上の説明など出来ないのだ。
「ゴフッ……ゲフッ……」
「血が!? 内臓か肺をやられていますね……ここじゃ手当ても出来ないし」
吐血する李単の容態を李鳳が診る。
素人目からも手遅れだと思える症状に、現状居る場所は治療するには最悪の環境でもあった。
「か、構わん。お……俺はもう、助からん。そ……それよりも、最期に……こうして、お前に……会えたのだ。い……今なら、お前の、き……聞きたい、事に、な……何でも、答えて……やる、ゴフッ……」
「養父上、喋らないほうが……?」
「く、くっくっく……。ゴフッ、俺が、き……貴様を、嫌っていた……理由か?」
くくく……いいだろう、教えてやろう。
長年お前を嫌ってきて、ここ数年は避けていた本当の理由を……な!
李単が冥土の土産に教えてやろう的な話を切り出し、止めそうにもなかったので李鳳は思い切って聞くコトにしたのである。
「……養父上。でしたら……“そんなコト”よりも、“真名”について教えて下さい。養父上は、真名をご存知でしたか?」
「お、俺はお前に……嫉妬を……何ッ!? ま、真名……だと!?」
く……くくく、くはははは……だから、コイツは好きになれんのだ!
俺が10年以上も悩み続けた苦しみを、そんなコトだと!?
いつもだ……いつも、そうだった。こいつの考えている事は……俺には分からん。
しかし……こいつの口から、真名なんて言葉が飛び出すとはな……。
想像の斜め上をいく李鳳の質問に、李単はただただ笑ってしまうのだった。
10年以上にも渡る確執の答えなど興味すら無いといった李鳳の態度には、むしろ清々しさを感じと共に、自分は何に拘っていたのだろうかという自分自身に対する嘲笑でもあったのだ。
「し……知っている。親しい……間柄だけで、交わされる……し、神聖な、名だ」
「やはり、ご存知でしたか……!」
「く……くくく、我ら、賊には……ふ、不要であろう。ど……どこで、知った……のだ?」
「実は、逃げる途中に孫堅軍の武将2人に見つかってしまい、知らずに真名を呼んでしまって……大変な目に」
「く……くはははは、ゲブッ、ゴホッ、はははははははは」
くははははははははは……不気味な奴だと思ってたが、最期に笑わせてくれるじゃないか。はははは……悪くない、気分だ……。
吐血しながらも笑うことを止めない李単を見て『とうとう壊れたかな?』という視線を向ける李鳳。
決して大きくない李単の笑い声だが、それでも閉鎖された洞窟内ではよく響いたのだった。
自分が笑われているコトに不機嫌になる李鳳だったが、父の最期という状況なので我慢して黙っていたのである。
「くくく……さ、最期に、貴様に、イイものを……くれてやる」
「何でしょうか……? あっ! 隠し財産の在り処ですね!? これから無一文で不安だったんですよ。遺産を残してくれているとは、流石は養父上ですね!」
途端に表情が明るくなり、饒舌に話し出す李鳳。
以前のような無表情からは想像出来ないコトである。
しかし、李単の返答は違ったモノだった。
「ち……違う。き……貴様に、真名を……やる」
「相続税の義務もありませんし、私がきっと有効活よ……えっ? 真名!?」
未来絵図を描いていた李鳳の顔が途端に無表情に戻る。
『ガッカリだよ……』と言わんばかりの冷たい視線を李単に向けていたのである。
一方の李単は失血で目がかすんでおり、もはや李鳳の顔など見えてはいないのだ。
「あ……ああ、よく……聞け。貴様の……真名は、鬼に……あ、雨と……書いて『きさm』……だ」
指先で漢字を示しながら真名を授ける李単であったが、言い終わるや否や、ガクリと事切れてしまったのである。
「……えっ? なんて!? 養父上、すみません。最後の方がよく聞き取れなかったのですが……?」
李鳳が話しかけるが、李単は何の反応も返さなかった。
「養父上!? ちょっと……養父上ッ!?」
物言わなくなった父の姿を見て、李鳳は李単の死を覚ったのであった。
そして、しばしの黙祷を捧げた後に別れの言葉を発したのである。
「養父上……安らかに、お眠り下さい。授かった真名は……も、勿論大切に致します。今まで大変お世話になりました。せめて遺産は残して欲しかったですが……全然、真名だけで十分です。路銀も無く……これから路頭に迷うかもしれませんが、真名さえあれば強く生きていけるでしょう」
少し遠い目をする李鳳であった。
その後、李鳳は洞窟のすぐ側に穴を掘って父の墓を作り弔ったのである。
『またいつか、来れる機会があって面倒臭くなければ、お墓参りに来ます』という誓いも立てて、李鳳は洞窟を後にしたのだった。
しかし、李鳳の表情は優れないままである。
相変わらず大量に発汗していて、足取りもフラついている。
そして洞窟から100m程進んだ辺りで、突然バタリと倒れ、そのままピクリとも動かなくなってしまったのだった。
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