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海を越えた破綻者  作者: パトラッシュ
袁家の栄枯盛衰
118/132

118話 罪と罰③

 侃々諤々の答弁は李鳳の一方的攻勢(ワンサイドゲーム)に終わった。袁紹は自分の置かれた立場を受け入れる事が出来ず、こんなの間違っていますわと怒りを顕わにする。しかし、その叫びも空しく、袁紹は衛兵に引き()られて行く。

 国賓として歓迎を受けると思っていた袁紹は今、罪人として獄に囚われる事になった。どうしてこうなったのか袁紹には判らない。分かろうともしない。ここに来る直前までの袁紹は劉備とその将兵全てを自身の配下に接収し、再び中華に覇を為そうとさえ考えていたのだから。四世三公を輩出した名門袁家の正統な当主である自分に、他者が(かしず)くのは当たり前だという認識があった。

 一方、顔良と文醜は置かれた立場を理解していた。袁紹とは対照的に暴れる事も(わめ)く事もしない。弱肉強食の世で逃亡に失敗した敗者に与えられる選択は服従か死。世間知らずの袁紹と違い、戦場で直接指揮を取ってきた二人はよく理解している。だからこそ、袁紹の死が避けられぬと悟った時、二人は迷わず死を選らんだのであった。

 しかし、それは劉備の与えた選択肢ではない。なにしろ劉備は登用が叶わぬ時は、二人を再び解放するつもりだったのだから。主君に従っただけの忠臣達まで殺す事はない、甘いと言われようがそれが劉備の信念であった。

 ところがそれを()しとしない人物がいた。李鳳である。李鳳は答弁途中に一度だけヒヤリとした瞬間があった。それはふいに顔良達が口走った事で、劉備達は気にも留めていない。だが、ある人物に知れると少々面倒な事になるのだ。

 そこで李鳳は一計を案じた。顔良達の説得を続ける劉備に対して悪魔のような言葉を放ったのである。


「例え生まれてきた日は違えども、同年同月同日に死にたい……忠義ですねェ」


 劉備はその言葉に動揺せざるを得なかった。脳裏に浮かぶは関羽達と交わした義姉妹の契り――李鳳はしてやったりとほくそ笑む。

 劉備はお人好しで情に厚いが、約束事にも人一倍拘りがあった。約束した事は何があっても守るし、相手にも破らせたくないのだ。己の信念を貫きたいのに、相手の信念を曲げたくない。大いなる矛盾。

 その後も劉備は説得を続けたが、献身的な頑張りは徒労に終わり、数日後には袁紹達の処刑が決定した。その間も李鳳が暗躍した事は言うまでもない。公孫賛の元部下を使った情報の漏えいと拡散、そこから幽州遺民を扇動(せんどう)し、民意という大きな力の流れを操作したのである。極刑を求める民の声、責務を果たさねばならない君主、主君に殉じたいという忠臣の声、これらは無視出来ない程大きな声となった。

 劉備には己の信念を相手に押し付けるような事は出来ない。他の君主ならそれが出来る。否、出来なくてもそう見せかける事は出来る。しかし劉備は出来ないのである。そんな劉備は人一倍悩み迷う。治世においてそれは美徳であるが、乱世においては弱みに他ならない。人の上に立つ者として、揺れてはいけない瞬間がある。図らずもこの時がそうであり、皮肉にも劉備は李鳳に救われたのであった。



 こうして悪逆非道の暴君と恐れられた袁紹と、袁家の二枚看板たる将軍の顔良と文醜は同じ日、同じ場所にて最期を迎える。処刑場に連行される三人の服は修繕され、全身も浄められていた。ボロボロで汚れた姿のまま逝く事はしのびないと思った劉備からせめてもの計らいである。

 袁紹の最期を見届ける為に劉備陣営の半数近い幹部将校が集っていた。その中には李鳳と李典もいる。亡き公孫賛との約定を果たす為である。

 死を受け入れて大人しく断首台に頭を垂れる顔良達に対して、袁紹は最期の最後まで喚き倒し、暴れ倒し、徹底的に抵抗を続けた。


「わたくしが死刑だなんて絶対に間違っていますわ! わたくしを誰だと思っていますの!? 貴女方はどうしてそれが解りませんのッ!? 斗詩さんッ!? 猪々子さんッ!? どこにおりますのッ!? 早くわたくしを助けなさいッ!!」


 袁紹は劉備達の無知を(さげす)むように叫ぶ。そして崇高な自分の言葉をなぜ解ろうとしないのかと激昂(げっこう)する。袁紹は足元はおろか周りすら何も見えなくなっていた。すぐ隣にいる顔良達の姿を認識出来ない程に。

 将兵から容赦ない罵声を浴びせられても、もはや袁紹の耳には届かない。五感の大半が正常に機能していないのである。

 顔良と文醜の目からは涙が溢れた。死の恐怖や敗北の悔しさからではない。主君の最期の姿を見て、心が啼いたのである。

 もはや一刻も早く刑を執行する事が劉備に出来る唯一の慈悲となった。劉備の視線を受けて趙雲が手を振り下ろす。と同時に三人の首がゴトリと落ち、鮮血が舞った。屈強な処刑人により刃が振るわれたのである。

 漸く静けさを取り戻した処刑場は、 数瞬後、再び盛大な歓声に包まれた。城の周囲は詰め寄った民衆で埋め尽くされており、その大群衆が袁紹斬首という速報を聞いて一斉に喜びの咆哮(ほうこう)を上げたのだ。

 兵士や若者は逆賊を討てたと身を奮わせ、婦女は感涙し、老人は拝み、劉備を英雄と(あが)める。雄に十万を越す大観衆が口々に劉備を讃え、噂はあっという間に広まった。怪我や病気で床に臥していた者達でさえ、その吉報を聞いた時は痛みや苦しみを忘れて飛び上がったという。

 民衆の大半はこれにより溜飲(りゅういん)を下げた。首を(さら)せなどの苛烈な意見もあったが、そこまではやっていない。あまりやり過ぎると劉備の風評に悪い影響が出る、軍師達もそう判断したのであった。後味の悪さを感じていた劉備にとって、今回唯一の救いとも言える。それでも憂鬱(ゆううつ)な気分が晴れる、というワケではない。


 他方の李典もまた、念願の敵討ちが果たせたにも関わらず、その表情は冴えない。李典は心の中で公孫賛の冥福を祈りつつ、湧き上がる失意の感情を噛み締めていた。


「……結局、白蓮はんとはちゃうんやな」


 虚空に向かってポツリと呟く。李典にとって袁紹の処刑執行は()わば決定事項であった。こうなる事が当然の流れであり、これ以外の結末を許容する気もない。本来であれば、もっと早く、自分の手を処刑を行いたかった程である。袁紹の言動には怒りを通り越して呆れを感じたが、大きな感慨(かんがい)はなかった。しかし、劉備の言動は李典に大きな憤慨(ふんがい)と失望感を与えた。


「ウチは何を期待しとったんやろ」


 誰に問うワケでもなく吐き捨てる。答えなど求めてはいなかったのに、答えはすぐ隣から返ってきた。


「大方、伯珪殿の代わりと言ったところでしょうか。いけませんねェ……死んでしまった人の代わりなんて、誰かに求めるものではありませんよ。意外とマンセーは寂しがり屋ですねェ」

「……余計なお世話や」

「まぁ、解らなくもないですよ。誰よりもお人好しだった伯珪殿でも、締めるべき所はビシッと締めていましたから……そうあって欲しかったんですよねェ、期待の劉備殿にも」


 自身の本心をあっさり見透かされた李典は口を尖らせて子供のように拗ねる。クスクスと笑う李鳳を見ると、ますます面白くない。確かに李典は思っていたのだ、劉備と公孫賛は似通った所があると。しかし、劉備は劉備であって公孫賛ではない。その事を改めて思い知った時、李典の決意は固まったのである。

 李典の表情が変わったのを見るや、李鳳は茶化すのを止めた。李典は先ほどと打って変わって真面目な顔で李鳳を見る。


「なぁ伯雷、ウチ……やっぱり劉備はんとは合わん!」


 目を丸くする李鳳。とてつもなく真剣な表情から飛び出した、あまりに予想外で馬鹿馬鹿しいほど素直な感想であった。


「クク、プククッ、アーッハッハッハ! 何を言い出すかと思えば……何を今更、クックックッ!」


 李鳳はこみ上げる笑いを我慢する事が出来ない。李典はいつも李鳳の予想の斜め上をいく。それだけでも李鳳にとって李典は特別な存在と言えた。

 李鳳としても今回の成り行き全てに満足していたワケではない。思い通りにならない事も多々あったのである。

 例えば、処刑方法一つ取っても全く納得していない。李鳳は思い付く限りの(むご)たらしい処刑や拷問をいくつも提案していた。李鳳にとって劉備の名声など眼中にない。いかに袁紹を苦しめるか、その一点のみが重要であった。

 青褪めた顔で全ての提案を却下した劉備には、李鳳自身もガッカリしている。惨たらしさが不足していたかと思い、一晩考え抜いた改定案を持って行ったが、やはり却下されてしまったのは言うまでもない。

 李鳳には袁紹を必要以上に苦しめず礼節をもって処刑したいと言う劉備が宇宙人に思えた。意思の疎通が図れないのである。劉備の頭をノックして「もしもし?」と言いたくなった。礼節をもって接するのは、敬意を払うべき相手にだけである。決して万人に対してではないし、袁紹に対してなど有り得ない。

 まさに水と油、スイカと天ぷらのようだと李鳳はずっと思っていた。その事を李典はたった今気付きましたとばかりに熱く宣言したものだから、意表を突かれた李鳳の腹筋が受けたダメージは計り知れない。

 茶化されたと思い、顔を赤くして怒る李典。誤解だと言い張る李鳳だが、口元が笑っていては説得力に欠ける。許さんと腕を振り上げる李典に、笑って後ずさる李鳳。追いかける李典に、逃げる李鳳。場違いに微笑ましい光景がそこにあり、二人が目撃された最後の瞬間でもあった。

 それ以降、李典と李鳳の姿を徐州の街で見かけた者はいない。二人は忽然(こつぜん)と姿を消し、劉備達は騒然(そうぜん)とする。そして、忽然と姿を消したのが二人だけではないと判った時、劉備は愕然(がくぜん)とするのであった。


2015/11/08 誤字修正

2016/3/29 サブタイトル追加

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