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海を越えた破綻者  作者: パトラッシュ
袁家の栄枯盛衰
116/132

116話 罪と罰①

 弱肉強食とは自然界の摂理であり、戦国の世の常でもある。漢王朝の弱体に伴い、各地で群雄達が本格的な動きを始めて1年が経過した。力無き者は力ある者の食い物にされ、力弱き者は強き者に呑まれていく。生き残りし者だけが龍と成り、天を目指す資格を得る事が出来る。互いに競い合い、喰らい合う事で龍達はより大きく成長していった。

 その中で、明らかに毛色の異なる龍がいる。その者は戦乱の世にあって弱者だけが理不尽な目に遭い、苦汁を舐めさせられるのは間違っていると唱えた。強き者が弱き者から一方的に搾取するのではなく、強き者が弱き者に手を差し伸べて分かち合うべきなのだと訴えたのである。漢王朝の復興と共に弱者救済を己の命題とする人物――それが劉備であった。

 人一倍他人を思いやる劉備の仁徳は大陸全土にまで知れ渡り、徐州への移住希望者は日に日に増えていく。人口の増加に土地の開墾や住居の建築が追い付かない程である。貯蓄された食料にも余裕はない。美化された風評は一人歩きを始めて暴走し、やがて劉備の懐に大いなる禍まで招き入れた。

 情報収集という名目で徐州を離れていた李鳳が二ヶ月ぶりに帰還した初夏の暑い日、劉備の命運は大きく左右されたのである。



 久々の再開を喜び合う暇もなく李鳳から語られた事実は、閣議の間を騒然とさせるのに十分過ぎる内容であった。それぞれ反応は異なるものの、皆一様に驚きを隠せないでいる。


「なに!?」

「ホ、ホンマか!? こうしちゃおれんで」

「飛んで火に入る何とやらとは、よく言ったものだな」

「「……」」


 関羽は車椅子から身を乗り出す程驚き、李典は状況を理解し笑みを浮かべて螺旋槍を握り締めた。趙雲は表情こそ変わらないが、眼光は明らかに鋭い。諸葛亮と鳳統は互いに視線を交わして思案する。劉備も驚きで声を出せないでいた。

 各々の反応を楽しんだ李鳳は、改めて劉備に尋ねる。


「今は詠殿に頼んで客間に通して貰っています。無論、お会いになりますよねェ?」

「えっ!? きゃ、客間ですか?」

「ええ。先方は客人として来訪しており、劉備殿との面会を希望しています」

「わ、私に会いに?」

「はい、そのようです」

「ど、どうして……?」


 劉備の頭は疑問符で一杯になった。自分に会いたがる理由が分からないからである。聡明なチビッ子軍師はすぐに察しがついたが、現時点では口に出さない。周囲の感情をかき乱す恐れがあると懸念したからだった。しかし、結局それは無意味に終わる。


「桃香様、是非私にご命令を! 我が偃月刀で即刻五体バラバラにしてみせましょう!」

「そらアカンで。ウチの“怒髪天”で脳ミソぶち抜く予定なんやから!」

「私が首を刎ねた後に貫けば良いではないか」

「アホ、首刎ねた時点で死んどるやないか! ウチがこの手で葬りたいんや!」

「はわわ」

「あわわ」


 意に反して始まってしまった血生臭い話に青褪める諸葛亮と鳳統。関羽と李典は互いに譲るつもりはなく、口喧嘩はエスカレートしていく。


「私は命を救われた大恩を少しでも返さねばならぬ!」

「そんなん知らん! 優先権はウチや!」

「なんだと!? いいや、こう言うのは早い者勝ちと相場が決まっておる!」

「なんやと!? それでもウチが先じゃ!」

「「ううぅぅーッ!!」」


 頑固者同士が唸り合う姿を李鳳は嬉しそうに眺めている。いつもであれば飄々と仲裁に入る趙雲は腕組みし黙ったままだ。軍師達はおろおろするだけで、止める事など出来ない。見兼ねた劉備が口を挿む。


「二人とも落ち着いて! ここで喧嘩しても仕方ないよ!」

「うっ……すみません」

「ふん、ウチは悪ない」


 劉備に注意されて関羽はシュンとなるが、李典はふてぶてしい。劉備は少し困った表情をして話を続ける。


「理由は分からないけど……あちらが会いたいと言っているのなら、私会います――“袁紹”さんに!」

「では私もお供「ダメ!」うぇっ!?」

「お話聞きに行くだけなんだから、愛沙ちゃんはここでお留守番だよ」

「そ、そんな……」


 ガクッと肩を落とす関羽。しかし、李典は気にも留めずズカズカ進もうとする。


「ちょ、ちょっと李典さん、どこに行くの!?」

「決まっとる、客間や」

「ダ、ダメだよ! 行くならその槍は置いて行って下さい」

「はぁ!? 武器無しで行っても意味あれへんやん。ササッと行ってサクッとぶち殺すんが双方にとって一番ええんや! そもそも、何が楽しゅうて袁紹なんぞと茶シバいて話さなあかんねん!」


 荒い鼻息で李典はまくし立てた。劉備に噛み付かんとする李典を趙雲が諌める。


「真桜……気持ちは分かるが、“今”はマズイだろう。相手は丸腰で客分の身なのだからな」

「そうですよ、マンセー。これから楽しくなるのに、“今”あっさり終わらせちゃったら勿体無いですよ」

「関係あるかい! 白蓮はんの仇敵が目と鼻の先におるっちゅうのに、“今”やらんでどないすんねん!」

「お、落ち着け。モノには順序と言うものが……くっ、手を貸せ、李鳳」

「おやおや、ご指名ですか? クックック」


 強引に客間へと向かおうとする李典を趙雲と李鳳の二人掛かりで押し止めた。しかし、怒気を纏った李典は二人を物ともせずジリジリ押し進む。そんな李典の前に劉備が立ちはだかった。そして深々と頭を下げる。


「お願いします。私に、私に袁紹さんとお話する時間を下さい。私だって白蓮ちゃんの無念と受けた恩は忘れてないよ。でも……でも、私知りたいんです。袁紹さんがどうして私に会いに来たのか、何を話したがっているのか……私、知っておきたいんです。お願いします!」

「……」


 真摯に頭を下げる劉備を見て、李典の頭から血が下がっていく。劉備は頭を下げたまま許しを請う。李典の立場はただの食客であり、雇い主の劉備が命じれば従うよりない。しかし、劉備は頭を下げて頼んだのである。この意味が分からない程李典は愚かではない。落ち着きを取り戻し、抵抗を止めて口を開く。


「あーもう、分ーったわ。“今”はウチが引いといたる」

「あ、ありがとう」

「せやけどな、事の次第によっては……李遊軍の“長”として、それなりの対応を取らせて貰うで。エエな?」

「……うん」


 劉備の返答を聞いて、李典は大人しく下がった。代わりに李鳳が前に出る。


「客人は袁紹、顔良、文醜の三名です。丸腰だからと言って油断してはいけませんよ。当然、一人で行くつもりなど無かったでしょうが、最低でも同数以上でお願いしますよ?」

「えっ? あっ、う、うん。ははは、勿論だよ。じゃ、じゃあ、朱里ちゃんと星さん、お願い出来る?」

「は、はひ」

「心得た」


 劉備は顔を引きつらせて笑いつつも、筆頭文官である諸葛亮と文武に長け冷静沈着な趙雲を面子に選んだ。それを聞いてうんうん頷く李鳳はさらに続ける。


「では、李遊軍の代表として私も同席しましょう」

「へ? ど、どうして!?」

「おや、何か不都合でも? ああ、ご心配なく。私はマンセーのように暴れたりしませんし、“余計”な事を言うつもりもありません。ただ、話の流れを正確に報告するには直接聞くに限るでしょ。いけませんか?」

「……分かりました」

「では、参りましょうか。お客人をあまり待たせては悪いですからね、ククク」


 そう言って李鳳は劉備に優しく微笑んだ。その笑みに含みがあろう事は、もはや劉備陣営の誰もが知っている。劉備とて李鳳の同席はあまり歓迎出来ないが、直情的な李典よりはマシだと判断したのだった。その李典が李鳳の肩に手をかけて呼び止める。他の三人は先へと進んで行く。


「伯雷、判っとると思うけど劉備はんはあの性格や。優しさの度を超えて甘過ぎな面が仰山あるよって」

「承知しています」

「誰が何言おうとも、ウチの意志は揺らがんで。ウチは絶対に袁紹を許さん。それが白蓮はんの最期に立ち会うたウチらの責やと思とる」

「……ええ、それも承知しています」


 珍しく真面目な表情で返す李鳳。


「万が一劉備はんがウチらの意に副わん決断を下した場合……判っとるな?」

「勿論。その場合は李遊軍“一同”の総意として、所要の措置を取るまでです」

「せやったら、ええねん。後は全部アンタに預けるさかい、李遊軍参謀として遠慮したらあかんで。袁紹には徹底的に地獄を見せたってや!」

「クックック、言わずもがな」

「ほな、頼んだで」


 李典とて同席したいのは山々なのだが、袁紹の顔を見て自分を抑える事は不可能と判断し、全てを李鳳に一任したのだった。

 李鳳は李典だけに見えるよう笑みを返し、狂気を隠して先行する劉備達の後を追うのであった。

 劉備は知らない。深く考えずに下した此度の判断が、後に強いられる苦悩の決断の呼び水となり、それが劉備の運命を劇的なモノに決定付ける事になるとは。

人生の岐路が待っているとも知らず、劉備はやや緊張した面持ちで客間へと向かう。状況と起こり得る展開を推測している諸葛亮は、胸の内で膨らむ不安を感じずにはいられなかった。忠告だけはしておこうと決めた矢先、いきなり李鳳が話しかけて来て機会を潰される。李鳳と話している猶予はなく、一刻も早く劉備に進言せねばと諸葛亮は焦った。しかし、李鳳の話題が旅先で得た豊胸の秘薬に関する情報であった為、主君を想う決意とは裏腹に李鳳の話につい集中してしまう乙女がいたのである。



 客間では袁紹達が出された茶菓子を貪るように口へと運んでいた。髪や衣服は薄汚れ、痩せた頬は浮浪者のようであり、その風貌も行為もおよそ上流階級の人間とは思えない。その様子を少し離れた位置から詠が見ているが、その目は恐ろしく冷たく殺意に満ちている。反董卓連合の発起人であり、事実無根の誹謗中傷を流言した張本人でもある袁紹を怨むのは当然であろう。宦官の次に憎むべき相手に対しては愛想笑いすら見せようとはしない。この場に月がいないのは、詠の計らいでもあった。

 厚かましくもおかわりを要求する袁紹に対して殺意はさらに高まる。茶や菓子に毒でも盛ってやりたい気分であったが、聡明な詠はこの場で事を荒げるような真似は絶対にしない。実行するならば、誰にも迷惑のかからない時と場所を選択し、確実に息の根を止め、証拠も全て隠蔽する計画を練るであろう。しかし、そんな必要はない。自分がそうする前に袁紹は処刑されるだろうと詠は考えていた。だからこそ我慢出来ていたのである。

 劉備達が到着すると顔良と文醜は食すのを止めて姿勢を正すが、袁紹は構わず食べ続けた。流石の詠もこれには呆れるしかない。もう此処に居たくないと思う程、心底袁紹に幻滅したのである。給仕を終わらせサッサと出て行こうと作業を急ぐ詠に、悪魔が囁く。


「袁紹の顔が絶望に変わる瞬間、見たくありません?」


 それは微かな響きであったが、詠の耳にはハッキリと聞こえた。声の主に目をやると、視線がぶつかり合う。口元は笑っていたが、その目は笑っていない。詠は少し考え、留まる事を決めたのだった。


 盟友・公孫賛を死に追いやった元凶とも言える袁紹を前にして、劉備達も内心穏やかではない。客間にも関わらず和やかに話そうという雰囲気とは程遠かった。

 緊張を顔全体に貼り付けた劉備が要件を伺う。茶菓子を完食して一息付いているにも関わらず、袁紹は何も語らない。代わりに顔良が事の発端と来訪の目的を丁寧に説明し出した。


 公孫賛亡き後、袁紹は河北一帯をあっという間に制圧し、その勢いのまま南下を始め、宿敵・曹操と戦う事になったのである。

 百万の兵力と潤沢な軍資金を有する袁紹に対して、領地改革や黄巾賊残党の徴兵などを積極的に進めて来た曹操も決して見劣りするものではない。むしろ将と兵の質の差で袁紹を圧倒しており、早期に曹操の勝利で決着が付くだろう、と言うのが多くの軍略家達の見立てであった。

 結果だけ見れば曹操の勝利には違いないが、戦は長期に及んだのである。力押ししか能のない袁紹が、戦上手と称される曹操相手に互角の戦いをした事は批評を生業とする軍略家達を大いに驚かせた。

 健闘虚しく敗戦で全てを失った袁紹は一目散に逃げ出したおかげで命は助かったものの、頼れる知人や行く宛もなく方々を転々とし、風の噂で聞きつけた劉備の評判を頼りに徐州へと訪れたのであった。金銭感覚というものが存在しない袁紹のせいで、逃亡資金はすぐに底を尽き、無銭飲食の現行犯として警邏隊に追われていた際、李鳳と遭遇して現在に至る。顔良は悲愴感を前面に押し出し、一貫して劉備の同情に訴え続けた。詠などは歯牙にもかけず鼻で笑うが、劉備はその限りではない。それを見越した上で顔良は目に涙を浮かべて保護を願い出る。


「虫のいい話だと思いますが、今私達が頼れるのは大陸広しと言えど劉備殿だけなのです。何卒、慈悲深き御心で情けあるご判断をお願い致します」


 頭を下げて懇願する顔良は劉備の言葉を待つ。劉備は難しい顔をしたまま黙り込む。諸葛亮の目には劉備が迷っているように映った。ここまでは予想通りの展開である為、驚く者はいない。口を挿む者もいない。皆が劉備の開口を待ち、やがてその時は訪れる。


「一つ、聞きたい事があります。どうして白蓮ちゃんを……遼東を攻める必要があったんですか? ワケを聞かせて下さい」

「それは……」


 顔良は言葉に詰まり、表情を曇らせた。しかし、劉備は別の人物を見ている。


「袁紹さんに答えて欲しいです」

「わたくし?」

「はい、お願いします」

「おーっほっほっほ、よくってよ。それで、何をお聞きになりたいのかしら?」


 高飛車に笑う袁紹に、顔良と文醜は気が気でない。ここで劉備の機嫌を損ねては元も子もないのだ。


「遼東に攻め入った理由です」

「あら、そんな事ですの? 決まってますわ。勿論「ひ、姫ッ!」もう、何ですの? 顔良さん」

「え、えっと……その、ちゃ、ちゃんと答えて下さいよ。ちゃんと」

「言われるまでもありませんわ」

「そ、そうですか……それなら、いいのですが」


 顔良は冷や汗を流すが、袁紹の顔は自信に満ちていた。諸葛亮には無い豊かな胸を張り、袁紹は堂々と答える。


「他国に進攻する理由など決まっていますわ。全てはわたくしの為、美しく優雅で華麗なわたくしの国の為、わたくしの民の為、わたくしを頂点とした泰平の世を築く為ですわ」

「……」

「……」


 顔良と文醜は頭を抱えて言葉が出せない。


「……泰平の、世」


 静まり返った客間に、劉備の呟きだけが響いた。


 満足げなどや顔の袁紹とは対照的に、劉備の表情は険しい。諸葛亮は固唾を飲んで成り行きを見守り、詠はいけしゃあしゃあと言い放った袁紹を睨み付ける。趙雲は顔良と文醜を警戒し、いつでも動けるよう腰を浮かせた。そして李鳳はと言うと、一切の感情を示さない表情で劉備を見ている。

 今ゆっくりと運命の歯車は動き出すのであった。

2016/3/29 サブタイトル追加

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