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海を越えた破綻者  作者: パトラッシュ
袁家の栄枯盛衰
113/132

113話 嫉妬

 歴史に名を残す名将や名軍師は『信賞必罰』を重んじてきた。曹操然り、諸葛亮然りである。

 強い軍隊を作るには規律だけ厳しくすれば良いというものではない。賞罰をはっきりと明示してこそ人は成長するのである。成長を願うからこそ厳格に処罰するのは愛情の裏返しとも言えた。しかし、往々にしてその想いは伝わりにくい。



 戦以降ずっと張飛は病んでいた。患部は身体ではなく心。呂布という名の怪物によって、心に亀裂を入れられたのである。その亀裂は決して浅く小さいものではなかった。

 戦が終わって以降、張飛は皆が集まる食卓に姿を見せた事がない。劉備達はどんなに忙しくても日に一度は食事を共にしてきた。関羽が復帰して全員で食卓を囲えるのを誰よりも喜んだのは張飛である。その張飛が食卓に顔を出さない。体調が悪く食欲がないわけではなく、食事はいつも自室に運ばせているのだ。劉備や関羽の心配を他所に、張飛は誰とも会おうとしなかった。


 そんな張飛が数日ぶりに姿を見せたのが論功行賞が行われた広間であった。褒賞授与の後に命令違反に対する処遇を発表するとして、何とか自室から引っ張り出す事に成功したのである。劉備と関羽はその姿を見て一安心したが、事態は悪い方向へと進んだ。


 関羽の懲罰はその功績も相まって比較的軽いものであった。丁奉にしても関羽が行くまで一人で呂布を足止めしていた事が評価され、また客分扱いであった為に判断は李典に一任された。李鳳に関しては名すら挙げられない。

 そして、張飛の名が呼ばれる。“事件(それ)”は起こるべくして起こったのだ。処罰を読み上げる諸葛亮の表情は真剣そのものであり、劉備は沈痛な面持ちであった。それまでの雰囲気は一変し、広間内は騒然とした空気に包まれる。


「い、今なんてッ!? おい周倉、孔明様は今なんて言ったの!?」


 関平は恩賞を受けてホクホク顔であったが、顔面を引きつらせ慌てた様子で尋ねた。いつも飄々(ひょうひょう)としている周倉さえも真面目な顔付きで答える。


「まず将軍職を解任、ほいで二階級降格して減給、さらに謹慎処分ち聞こえちゅうがよ」

「ど、どうしてよ!? あたし達は戦に勝ったのよ……どうして、翼徳様だけ? ねぇ、どうしてなのよ!?」

「ほ、ほたえなや。それに普段バカ呼ばわりしちゅうワシに聞くかよ? おまんに分からんならワシにも分かりやーせんちや」

「そうよね。アンタなんかに聞いたのが間違ってたわ」

「あれ……なんろう、涙がちょちょぎれそうぜよ」


 周倉はワザとらしく目元を押さえるが、関平は見向きもしない。険しい表情のまま関平は諸葛亮を見据えていた。その瞳には困惑の色が濃く映し出されている。それを見て周倉はボリボリと頭を掻く。


「よお分かりやーせんが、見せしめかもしれんにゃー」

「バッカじゃないの! 孔明様に限ってそんな事……そんな事……有り得、るの?」

「あくまでも可能性の話やか」

「そんな……玄徳様も承知の上なの?」


 関平は劉備が未だ何も発言しない現状に驚いていた。真っ先に擁護しそうな劉備は辛そうに下を向いている。騒がしい場内において玉座の周辺だけは水を打ったように静まり返っていた。


 そんな中、困惑よりも憤怒の感情を表す者がいた。


「おいおい、何の冗談だよ!? それともオレの耳が腐っちまったのか!? アア!」


 そう吠えたのは丁奉である。同じ命令違反者同士にも関わらず、明らかに異なる罰則の重さに黙っていられるはずがない。最近の張飛は部屋に引き篭もってばかりおり、丁奉もその態度は腹立たしく思っていた。しかし、それとこれとは別の話なのだ。

 丁奉が諸葛亮に文句を言おうとした瞬間、それまで黙っていた当人が声を上げた。


「将軍なんて、こっちからやめてやるのだ!」


 それはハッキリと強い口調であった。張飛は下を向いており、誰とも目を合わせていない。

 ある程度想定していたであろう首脳陣でさえ驚きを隠せないでいる。


「り、鈴々ちゃん!?」

「はわわ」

「あわわ」

「鈴々……!?」

「テメェ、何言ってやがる!?」

「嫌~な予感がするんやけど……ウチの気のせいやろか?」


 丁奉は張飛を睨み、李典は冷や汗を掻いていた。

 広間全員の視線が張飛に注がれる。張飛は俯いたまま拳を強く握り締めていた。張飛は顔を上げることなく声を荒げる。


「呂布がいるのだから、呂布に将軍をやらせればいいのだ!」

「…………」

「へう」

「ふん」

「あらあら、うふふ」

「呼び捨てとは失礼なのですよ!」


 名指しされた呂布は無言のまま小首を傾げた。侍女の反応は様々であり、軍師は非礼を咎めている。

 張飛の叫びは止まらない。


「関平や周倉にもやらせればいいのだ! 鈴々なんかよりずっと役に立つのだ!」

「鈴々……おぬし」

「翼徳様」

「こりゃいかんちや。えらいどくれちゅう」


 文官はただただ困惑しているが、武官の多くは張飛に同情的な目を向けていた。しかし、今の張飛には周囲が見えていない。そもそも見ようとしていないのである。それどころか、聞くことすら拒否していた。そんな張飛でも口だけは動く。


「どうせ鈴々は何の役にも立たないのだ! 軽くて……弱いだけなのだ!」

「おい、黙れよ。クソチビ」

「愛紗や星がいれば、鈴々なんて居ても居なくても一緒なのだ! むしろ居ない方がいいのだ!」

「黙れっつってンだろ」

「足を引っ張るだけの鈴々なんて……居ない方がいいに決まってるのだ!」


 そう言い放った直後、丁奉の拳が張飛の顔面を捉えた。全力で振り抜かれた一撃は軽々と張飛を吹き飛ばす。複数の武官を巻き込んで張飛は倒れ込んだ。


「えっ!? ええーッ!?」

「はわわ!?」

「あわわ!?」

「り、鈴々、大丈夫かッ!?」


 突然の出来事に驚き慌てる一同。劉備は目を見開き、鳳統は諸葛亮に抱き付いて震えている。関羽は車椅子から身を乗り出して張飛の身を案じていた。緊迫した空気に包まれていた広間が再び騒然となる。


「役立たずだって理解してンなら、ピーピー喚くなよ。クソチビ!」

「……あかん。せんでもええのに、的中してもうた」


 丁奉は張飛の慟哭を聞いて完全に切れていた。予測出来たはずの事態を止めれずに、李典は頭を抱えてしゃがみ込む。小犬の彦太郎が近寄って李典の足をペロペロと舐めた。その様子はまるで慰めているようである。


「…………」

「へ、へぅぅ」

「短絡過ぎよ。華雄より重症ね」

「あらあら、うふふ」

「やっぱりアイツはイカレているのですよ」


 呂布は被害が及ばないように黙って月達の前に出た。月は怯え、詠は呆れ、妖光は微笑し、陳宮は己の認識を再確認している。


「フッ、これも若さ故か」

「あ、あの男女、何考えてるのよッ!?」

「なんちゃーじゃ考えてないんやか」


 趙雲は止める素振りもなく腕を組んで頷いていた。関平はいきなりの暴行を言及し、周倉はまたボリボリと頭を掻く。


 丁奉は苛立っていた。理性よりも本能が支配的となり、語るよりも拳が先に出てしまったのだ。そして、その怒りは未だ収まらず一歩また一歩と張飛へと歩を進める。

 慌てて武官や衛兵が制止にかかるが、彼らは背後からなぎ払われる事となった。起き上がった張飛が己の歩む道をこじ開けたのである。口から滴る血を拭い、張飛は一気に駆けた。

 飛矢のように張飛は頭から丁奉に突進する。何の駆け引きもなく、ただ闇雲に突っ込むだけの張飛の動きを見切れないはずがない。しかし、丁奉は張飛の頭突きをまともに喰らったのである。

 そこからは取っ組み合った子供の喧嘩であった。互いに丸腰だった為、攻撃方法は殴ったり蹴ったり噛み付いたりである。ただし、子供の喧嘩にしては個々の膂力が強すぎた。止めに入った多くの衛兵と武官を巻き込んでの大乱闘となってしまったのである。

 戦場に縁の無かった文官は、初めて見る光景に堪らず吐いていた。ある者は血を流し、ある者は腕が有り得ない方向に曲がっている。我を忘れた二人は暴力の権化と化しており、仲間にも関わらず触れる者皆傷付けていた。

 最終的には趙雲、呂布、周倉の三人が割ってはいる事で、漸く二人を取り押さえる事が出来た。しかし、二人が暴れた被害は甚大であり、怪我人は数十名に及んでいる。死者が出なかった事が不幸中の幸いであった。

 温厚でお人好しな上に寛容な劉備と言えど、さすがに味方を害する者は看過出来ず、断腸の思いで投獄を命じたのである。まさしく“事件”であった。




☆☆☆☆☆




「喧嘩両成敗っちゅうワケやな。簡単にスネよるとこなんぞ、二人共まだまだ子供やで」


 李典は身振り手振りを交えて事の真相を説明していた。李鳳は真面目に聞いているが、口元には笑みが浮かんでいる。彦太郎は李鳳の膝で眠っており聞いていない。現場を見ていた彦太郎には既知の事実であり退屈だったのである。


「クククッ……しかし、丁奉の鉄拳制裁(あいじょう)は意外と深いようですねェ」

「せやけど、不器用にも程があるで。上官として頭下げなあかんウチの身にもなって欲しいわ。肩身が狭うて肩凝るで」


 李典は疲弊感を殊更に主張し、大げさに肩を回して見せた。まるで李鳳に揉めと言わんばかりである。反対に、李鳳はお前の肩凝りは乳のせいだろと言わんばかりの横目で見ていた。


「曰く、常軌を逸した狂人は人間であっても鳥獣と変わりない。鳥獣に何かを説いても無駄である」

「なんや、それ?」

「孟子の離婁章句(りろうしょうく)をご存知ありませんか? 要は『バカにつける薬はない』という意味ですよ」

「なるへそ。仙花もちょっとヤンチャが過ぎるさかいなぁ」

「クックック、あれでちょっと……ですか」


 李鳳は眠ってしまった彦太郎を優しく撫でている。小鳥の吉法師は李典が横に来た時点で飛び去ってしまった。李典は少し羨ましそうな目で彦太郎を見ている。


「……あっ、そない言うたら仙花に聞いたで。奥義やら二刀流やら言うて期待さすだけさして騙くらかしたらしいやん」

「おやおや、心外ですねェ。騙したのではなく、事実を伝えなかっただけですよ」

「なんで教えたれへんの? 無いモンは無理やろうけど……ホンマは、あるんやろ」


 李典の視線が李鳳の心を射抜く鋭いものへと変化した。李鳳もその雰囲気を感じ取る。


「秘伝や極意というものは軽々に口にするものではありません。例え、家族でもね」

「ふーん……ほんなら、なんでウチには話したん?」


 丁奉を仲間と認めていないのであれば李典も激昂したであろう。しかし、家族でも秘匿するという発言を聞いた李典は視線の厳しさを少し和らげた。そして、気になった疑問を口にしたのである。

 李鳳は不敵に笑う。


「クククククッ、愚問を……決まってるでしょ。マンセーが私にとって家族以上の大切な存在だからですよ」

「そ、そうなんか!? は、ははは」


 李典は赤面してどもるが、目の色が嬉々に染まる。どこか嬉しそうであった。


「ええ、私とマンセーは何をするのも一蓮托生。運命共同体のようなモノですよ」

「ニヘヘ、さよか。まぁ、そう言う事で納得しといたろか」


 ヘラヘラと笑う李典。李典の笑い声で彦太郎が目を覚まし、アンアンと鳴く。李鳳はニコリと微笑んで彦太郎をさする。


「よしよし。勿論、彦太郎も私にとって家族以上の大切な存在ですよ。クヒヒヒヒ」

「ニヘヘヘヘ…………へっ!?」

「おやァ、どうしましたァ?」


 李鳳は挑発的な笑みを浮かべていた。


「ちょ、ちょう待ちィな! ウチはワンコと同列なん!?」

「そうですねェ……彦太郎は私の分身でもあるので、マンセーより格上かなァ。クックックッ!」

「……おもろない! 行くで!」


 ガバッと立ち上がった李典はズンズン進んで行く。李鳳と彦太郎は顔を見合わせている。


「あのぉ、どこに行くんですか?」

「仙花のトコに決まっとるやろ! 早よしい! グズグズしとったら置いてくで!」


 そう行って歩き進む李典は不機嫌さを隠しもしない。


「クククッ、流石はマンセー。立派な大人ですねェ」


 李鳳は愉快そうにスネた李典を追うのであった。




2016/3/29 サブタイトル追加

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