112話
袁術軍の侵略を退けて数日、戦々恐々としていた徐州の民にも笑顔が戻った。
本日は劉備陣営の主立った文武官が全て居城に召集されている。先の戦における論功行賞が催されるのである。
謁見の間は熱気にあふれていた。玉座には劉備、その両脇に諸葛亮と鳳統と立ち並ぶ。広間の中央には車椅子の関羽と趙雲を先頭に関平や周倉など多くの武官が整然と列を成し、文官は側壁を背にして静観している。広間の後方には再会を果たした月と呂布達が控えていた。また、食客である李典と丁奉も武官に混じって並んでいる。しかし、李鳳の姿だけはどこにも無かった。
皆が広間に勢揃いしていた頃、李鳳は参集に応じず鍛錬場にいた。
李鳳は脱力した自然体の状態から一瞬でジャマダハルを引き抜き、人型の巻藁目掛けて突き刺す。抉られてボロボロになっている箇所は全て人体の急所に位置している。また、李鳳が立っている地面だけ他と色が変わっていた。滴り落ち、飛び散った大量の汗でびっしょりと湿っているのである。
「まだ消しきれて、ない?」
納得がいかず首を傾げる李鳳。呼吸を整え、ジャマダハルを収めて再び脱力し、同じ動作を繰り返す。李鳳はこの一連の動作を延々と繰り返していた。その集中力は李鳳を外界から隔離する程である。何度も繰り返したかと思うと急に動きを止めて、ブツブツと呟く。
「ふぅ、成功率は……2割弱か」
誰に問いかけるわけでもなく自問自答する李鳳。脳内でイメージした動きをひたすらトレースしているのである。最近の李鳳は日課であった氣の鍛錬に変えて“一連の動作”ばかり行っていた。
李鳳は額を流れる汗を片袖で拭う。
(対エスパー用の切り札、漸く形になってきたなァ。同じ野生型でも呂布と違ってエスパーは勘がヤバイからな、ペテンやハッタリは看破される可能性が高い。ホントは氣でゴリ押し出来りゃイイんだけど、経絡系がもう限界なのよねェ。これ以上チャクラを開放したら痛みで俺が錯乱しちゃうでしょ。げに忌々しきは神の呪いだよ。小周天は爆発的に身体能力を高められるけど……諸刃の剣なんだよねェ。丁奉じゃあるまいし、俺に自傷癖なんてないもん。クククッ)
李鳳は現状の戦闘能力に満足していない。母の祝福により強力な加護の恩恵で李鳳の身体能力は常人離れしていた。にも関わらず、この世界にはその李鳳を一蹴する化け物のような存在がウヨウヨしている。
李鳳にとって氣は、そんな化け物達と対等に渡り合う為の切り札足り得た。しかし、祝福の副産物として刻まれてしまった呪いのせいで李鳳の痛覚は常に悲鳴を上げている。普段は意識的に痛覚を遮断しており、高度な氣功術を行使する際だけ回路を繋げていた。チャクラをこじ開けるには激しい痛みを伴う。常人でも苦しむ痛みは李鳳にとって悶絶級である。
(大周天が使えりゃ無双も夢じゃないんだろうけど……まだ仙道に一歩足を踏み入れたばっかのペーペーだもんなァ、俺。てか、大周天使える奴なんているのか!? いたらソイツは仙人って事だよな……うーん、技の師事は受けたいけど心読まれるのは勘弁。元々俺の戦闘スタイルはアサシンなんだし、不意打ちや闇打ちしてナンボでしょ。決め手に欠けてるガチンコ勝負なんてやりたくねェよ……って思ってたんだけど)
汗を拭う李鳳は格子から見える太陽の高さを確認して驚く。
「あらら、もうそんなに時間が経ってたのか。ちょっと休憩」
そう言って李鳳は鍛錬場を出て、木陰にドカッと腰を下ろした。すると、どこからともなく小鳥が飛んで来て李鳳の肩にとまり、チチチと囀る。
「やぁ、吉法師。ネット環境のないこの時代で。お前は金より価値があるよ。クックック」
李鳳は小鳥に笑いかけた。褒められているというニュアンスが伝わり小鳥も喜んでいる。李鳳は小鳥を見て先日の事を思い出す。李鳳の眷属である小鳥・吉法師は撤退する袁術軍を追い、寿春での顛末を目撃していた。
(しかし、たった一日とは……あの袁術、役立たず過ぎッ! てか、張勲にはマジでガッカリだよ。あれだけお膳立てしてやったのに、間に合わないし返り討ちにされるって……使えねェ。だからガキとバカは嫌いなんだよ。あのモンキーなんかダブルパンチだもんなァ。無限ループに突入しそうになった時は本気で殺そうかと思ったよ)
孫策の野望を阻止したかったのは袁術や張勲だけではなく、誰よりも強く望んでいたのは李鳳だった。李鳳としては袁術軍を早々に撤退させ、なるべく被害を少なくして、孫策の独立を盛大に邪魔して欲しかったのである。その為に敢えて危機感を煽り、逃げる口実やキッカケを提供していたつもりであった。しかし、李鳳の期待に反して張勲は袁術の暴走を御さない。
袁術は敵であると同時に、孫策という共通の敵に対する味方でもあると李鳳は認識していた。常日頃から強敵よりも制御不能な味方の方が危険だと考える李鳳にとって、袁術は非常に煩わしい存在でしかない。それでも自重していたのは、孫策にとっても目の上のたんこぶだろうと思えたからである。
(やっぱり暗示下にない真性バカを誘導するっては無理があったか。張勲の権限や発言力はもう少し大きいと思ってたんだけど……買い被りだったみたいだなァ、ガッカリだよ。過度な期待をしてたつもりはないけど……こうも大きく予想を下回ってくれると、呆れるよなァ。まぁ、他人はアテにならんって事を再認識出来ただけでも良しとするか)
李鳳は懐から麻袋を取り出す。中には雑穀が入っており、李鳳をそれを掬って吉法師に与える。吉法師はツンツンと李鳳の手を啄ばむ。
(ハァ……この場合、エスパーを褒めるべきなんだろうなァ。篭城していた倍する相手を半日で陥とすとは……外からとは考え難いな。何れにせよ、相当な戦力を増強したに違いない。情報を上方修正したいけど、現状じゃ竹千代とコンタクト取るのは難しいよな。猫娘とエスパーのレーダーを掻い潜るのは容易じゃないし)
李鳳は再びため息を吐く。
吉法師の報告では篭城する袁術軍の防衛隊は半日で陥落している。詳細は分かっていない。さらに帰還した袁術軍の本隊も数を減らし疲弊していたとは言え、こちらも半日で壊滅させられたのであった。
(当面は例の準備に専念して、切り札を完成される事か。クックック、エスパーになくて俺にあるアドヴァンテージは知識だ。二千年の英知は武術を更なる高みに押し上げた……力を制するのは、技だよ。クククッ、弱者が強者を蹂躙してこそ面白い!)
邪悪な笑みを浮かび始めた李鳳の耳にキャンキャンという鳴き声が聞こえた。ふと視線を向けると、小犬が走ってきている。
「論功行賞は終わったのかい、彦太郎?」
李鳳の膝元までやってきてじゃれ付く。この小犬も彦太郎と名付けられた李鳳の眷属である。
しかし、李鳳の問いに答えたのは李典であった。
「今さっき終わったとこや。ちゅーか、代理に犬寄越す阿呆はアンタくらいなモンやで」
「ククク、お疲れ様でした。彦太郎は優秀ですからねェ、丁奉より大人しくしてたんじゃないですか?」
笑って受け流す李鳳は彦太郎の頭をなでてやる。肩には吉法師、足元には彦太郎と和む光景を横目にして、李典は李鳳の隣にドシッと腰を下ろした。
「まっ、否定も肯定もせんとくわ」
「それで、どうでした?」
「ほぼアンタの予想した通りやったで。勲功上位は関羽、関平、周倉、それに星姐さんの四人や。関羽は呂布降したんやから当然やし、関平と周倉も軍長を二人ずつ討っとる。星姐さんは張飛が抜けて混乱した本隊を一人で立て直したし、追撃隊の指揮も買って出てごっつい被害を与えたらしいやん」
(チッ、余計な事をしてくれたよ。趙雲さえ頑張らなきゃ、もうちょい袁術軍も踏ん張れただろうに……)
李典の話を聞き、僅かに李鳳は顔を歪めた。
「ん? どないしたん?」
「……いえ、確かに趙雲殿の功績は大きいでしょう。諸葛亮殿はよく見てらっしゃる。しかし、命令違反に対する処遇はどうなりましたか?」
「ああ……問題は、そこや」
突如として李典の表情が曇る。明らかに変わった雰囲気に李鳳は目を細めた。
「おやおや、もしかして私まで……怒られちゃいます?」
「白々しいヤッチャで。アンタの根回しやろ? あの関羽が何の文句も言わんと、罰はともかく褒美まで受け入れるやなんて……あんだけアンタの手柄や言うてた関羽が、やで。罰も褒賞も全部関羽に押し付けたんやろ?」
「クククッ、心境の変化ってやつじゃないですかァ。それに、あの場にいた兵士全員が関羽殿の功績と証言していますからねェ」
「……まぁ、ええわ。実際関羽の処罰はごっつぅ軽いで。手柄がでかいさかい微々たるモンや」
李典は疑惑の目を向けているが、李鳳は気にも留めていない。しかし、関羽の事ではないという事実に引っ掛かりを覚えていた。
「ふむ。では、問題とは張飛殿の方ですか?」
「せや。張飛と仙花は今、牢に入れられとる」
「は?」
想定外の返答に目を丸くする李鳳であった。