110話
伏兵の計により背後から奇襲を受けた袁術軍は混乱の極みに陥る。
斥候を出し忘れた指揮官の怠慢は軍長達から余裕を削り、厚くし過ぎた陣形は騎兵達から疾さを奪っていた。飛び交う指示はどんどんと雑になり、小回りの利かない軍馬は大渋滞で満足に動けない。
一方、劉備軍の伏兵は『騎兵隊の神髄は速度にあり』を体現していた。森の中では息を潜めて牛歩し、飛び出してからの勢いは烈火のごとし。侵略してきた袁術軍を逆に激しく攻め立てる。一糸乱れぬ隊列と縦横無尽に猛進する様子は、まるで生命を宿した一本の槍を彷彿とさせた。この進攻に袁術軍は為す術もない。
また、伏兵に呼応して趙雲率いる本隊も動きを見せた。それまでは耐え忍ぶだけの防戦一方であったが、この機に乗じて攻めに転じたのである。関羽・張飛もそうであるが、劉備軍の武将は攻めに長けた者ばかりであり、趙雲もその例外ではない。守るよりも攻めて輝く将軍なのだ。
後方と前方から同時に攻められた袁術軍の指揮系統は大いに乱れた。結果として、軍長達は具体的な打開策を示せずにただ「迎撃せよ」と喚き散らし、兵の多くは隊としての連携が取れず何も出来ない。分厚い陣形に今、致命的な亀裂が生じようとしていた。
劉備軍と袁術軍の決定的な差、それは――将の質にある。
今の袁術軍には千変万化の戦場で臨機応変な指揮の取れる将がいない。これまでは客将の孫策がその役を担っており、袁術軍は仮初の連戦連勝を続けてきた。そのせいで袁術は自軍の強さを疑わない。張勲は富国強兵になど興味がなく、あるのは袁術を如何に愛でるかという一点のみ。
劉備軍は見事に証明してみせた。戦争の勝敗を左右するのは数ではなく、人なのだという明確な反定立を。鍵となったのは間違いなく伏兵――二人の将と精強な騎兵隊の存在であった。
雌伏の時を終えた伏兵は大いに猛っていた。鳳統の懸命な説得がなければ我慢し切れずに飛び出していただろう。極限まで引き絞られた弓矢の如く、解き放たれた騎兵隊は風を切り裂き、袁術軍をも切り裂く。
「徹底的に蹴散らしなさい! 軍神・関羽様に敵対した愚か者共に“正義”の鉄槌を下すのよ!」
身の丈を超える巨大な刀――斬馬刀を振り回す黒髪の少女が叫んだ。肩口で整えられた髪を揺らし、騎乗したまま檄を飛ばして敵を薙ぎ倒す。その姿は少し小さいが、関羽そのものであった。
まだ幼さの残る高い声で名乗りを上げる。
「我が名は関平! 見目麗しき軍神・関羽様の気高き左腕とは、あたしの事よッ!」
威風堂々と宣言した関平。緑と白を基調とした衣服や短いなりに結った髪の毛などは、明らかに関羽を意識しているのだろう。名乗りを上げる姿もうり二つである。
自分は今関羽のように振舞えていると恍惚に浸る関平の耳に、野太い男の声が届く。
「ちっくと待ちやー!」
声の主は厚く盛り上がった胸板と隆起した腕の筋肉が異様に目立ち、七尺を超えようかという巨躯な男であった。無精ヒゲを生やし、衣服も薄汚れている。しかし、驚くのはそこではない。この男は軍馬にも乗らずに関平の横を併走していたのだ。
男は疲れた様子もなく平然と関平に話しかけていた。関平の表情は明らかに不機嫌なものに変わる。
「おまんがあん御人の左腕!? なんぼゆうたち、そりゃないちや。あやかしい事言うたらいかんでよ」
「男のくせにゴチャゴチャ五月蝿いわね。元賊徒のくせに態度がでかいわよ、周倉!」
「わーっはっはっは、ワシは器がふといんじゃ……おまんは、背丈もこんまいきのぉ」
周倉と呼ばれた男は豪快に笑った。気持ちの良いカラッとした笑いである。
しかし、侮辱されたと思った関平の額には脈々とした青筋が浮かぶ。
「あんたが無駄にバカでかいのよ! 馬にも乗れないなんて、武将として問題ありでしょ!?」
「ワシの足は馬より速いき、なんちゃぁないち。あん御人の片腕はおまんやない、このワシぞ!」
周倉が槍を一閃するだけで敵が数人吹き飛ぶ。その槍は刃の部分が曲刀で作られており、関羽の青龍偃月刀を意識している事は一目瞭然であった。しかも、性別は違えど槍を振るう武技は関羽のそれによく似ている。関平にはそれが気に入らない。統率力は低いが、個人の武才は周倉の方が若干上なのだ。
「バカ足とバカ力しか能が無いくせに、関羽様の片腕が務まるわけないじゃない! 身の程をわきまえなさいよね、バカッ!」
「ワシに学がないんはよう知っちゅう。ほいたら足りん頭は腕っぷしで補うちや、かっかっか!」
「あんたって、やっぱりバカね! バカの一つ覚えみたいに振り回すだけのあんたの武芸が、何の役に立つって言うのよッ!」
関平はこれでもかと吠えた。
これには周倉も呆れるしかない。
「……い、いや、おまんがそれ言うたらいかんでよ。それに、おまんはワシにいっさんも勝った事が――」
「聞け、勇敢なる白馬隊の精兵達よ!」
「ないき……ちゃっちゃっちゃ」
「亡き公孫賛殿の無念、あたし達の手で下劣な袁家に思い知らせてやりましょう! 我に続けェい!」
関平は周倉の言葉を遮って白馬隊に指示を飛ばした。そして馬を駆って加速し、周倉を置き去りにしようとする。
白馬隊は一騎も遅れる事無く関平に付いて行く。静かな中にも鬼気迫る激情を宿し、憎き袁家を仇敵として駆逐する。私怨ではあるが、それが彼等の力になっていた。
先頭を駆けていく関平を見て周倉は笑う。
「わあっはっはっは、しょうまっこと飽きん女ちや。性格はてき違うがやき、外見はあん御人によお似ちゅう。臥牛山でやりおうた頃となんちゃーじゃ変わっちゃーせん!」
関羽の面影が見え隠れする関平を見詰める周倉。
人一倍強い正義感と負けん気が影響して、関平は周倉を毛嫌いしている。初めての出会いは最悪そのものであり、互いに殺し合った間柄なのだ。仲間となった後も遺恨は残り、二人は何かと対立していた。しかし、周倉の抱く感情は関平とは少し異なる。それはむしろ親近感に近い。
「おっと、いかんいかん。ワシだけ遅れたらえずいでよ」
周倉は浮かべていた微笑を消し、関平と白馬隊の後を追う。
決着の時は刻一刻と近付いていた。
関羽を敬愛してやまないこの二人の出会いは、黄巾の乱が平定された直後である。
片や地方の有力な豪族の娘として恵まれた環境で育ち、もう片方は盗みや略奪で日々を生き抜く過酷な環境で育ってきた。一見相容れない立場として生まれ育った二人にも関わらず、関平と周倉には共通点があった。それは自分以外――特に大人を信じない心であり、関羽達との出会いで変化し始めた心である。
関平とは彼女の本名ではない。幼い頃より両親と役人の汚いやりとりをずっと目にし、苦しむ民草を他所に自分達だけ何不自由ない暮らしを送る事に苦痛と自責の念を感じていた。秀でた武勇で襲い来る盗賊団をいくつも撃退してきたが、喜ぶのはいつも役人ばかりである。被害と補填のしわ寄せはいつも弱き民にいっていた。積年の思いと鬱憤がとうとう爆発し、関平は家と絶縁して世直しの旅に出る。その時に実の姓を捨てたのだった。
一方の周倉は裴元紹と共に臥牛山を拠点に山賊まがいの生活を送っていた。裴元紹は元々黄巾党で張角の部下をやっていたが、黄巾の乱が鎮圧されて主を失い、当時その巨体と身体能力の高さから鬼と恐れられていた周倉と部下数十人を誘って山に篭ったのである。周倉は強き女性が支配するこの世界では稀有な存在であった。男でありながら異常に発達した肉体を武器に喧嘩では負けなし。その風貌から近隣の村人が「臥牛山には鬼が住む」と噂し始める程であった。
関平は旅の道中、その噂を耳にした。関平もまた生まれてから一度も負けた事がなく、その溢れる自信と正義感と他人を信用しない心情から、たった一人で討伐に向かったのである。若さゆえの行動であった。
しかし、関平は強かった。山賊一味を半壊させ、裴元紹を後一歩のところまで追い込んだのである。故郷の村では他人より頭二つ分抜きん出た強さを誇った関平は小さい頃から神童や天才と称されてきた。自分より大きな大人が相手でも苦戦すらした経験がない。関平はすっかり慢心していた。自分はきっと世界で一番強いのだろう、と。
斬馬刀で止めを刺そうとした瞬間、その化け物は現れた。一瞬世界が闇に包まれたかと錯覚するほど、周倉の影は関平にとって大きいものであった。
結果、関平は生涯初となる敗北を喫す。破壊力・瞬発力・耐久力・持久力・経験値、その全てで周倉は関平を上回っていた。あと数年遅ければ結果は変わっていたかもしれないが、この時は周倉に軍配が上がる。
周倉は例え敵でも女・子供は殺さない。周倉にとってみれば、関平はその両方に当てはまる。しかし、裴元紹らが黙っていなかった。殺されかけた彼等は関平を生きて帰す気など毛頭ない。
関平が死を覚悟し諦めかけたその時、軍神は降臨した。
長い黒髪をなびかせ、軍馬に跨り、隊を率い、自分の敵わなかった周倉を一撃でねじ伏せた関羽は優しく微笑み、「大丈夫か?」と関平に声をかけたのである。美と武と将の融合した関平が理想とする完璧な姿がそこにあった。凛々しい笑顔に心奪われ、関平は見惚れてしまう。
生き別れた姉妹ではないかと疑いたくなるほどに関羽と関平はよく似ており、叩きのめされた周倉も当初は姉が報復に来たと思っていた。義姉妹である劉備や張飛でさえ勘違いしたほどなのだ。
劉備軍はまだ平原の相に任命される前であり、相変わらず義勇軍として治安の回復に動いていた。たまたま通りがかった村で少女が制止を振り切り、一人で臥牛山に登っていったと聞き助けに来たのだ。
この偶然に関平は運命を感じ、天に感謝した。これを機に関平は関羽の名を貰い、劉備軍の一員となったのである。
一方の周倉も初めての敗北に悔しいという思いよりも、むしろ関羽の強さに憧憬を抱く始末。『黒髪の山賊狩り』の高名は聞き及んでいたが、噂に偽りなしと周倉は歓喜した。周倉もまた、丁奉とは別の意味で自分より強き者を欲していたのである。自身を負かす存在、それは周倉を普通の域に押し戻してくれるのだ。異端児扱いされ続けてきた周倉が生まれて初めて喫した敗北の味は決して苦くなかった。
逃亡を図った裴元紹は趙雲に討ち取られ、周倉は大人しく降伏する。その表情はどこか清々しかった。その後しばらく捕虜として劉備軍と行動を共にする内に、関羽に心酔してしまい従者にして欲しいと懇願したのである。無論、関平が猛反対したのは言うまでもない。
こうして、後に関帝廟で関羽と共に祀られる二神が配下に加わったのであった。




