11話
――銭唐南部に設置した野営地――
孫策と黄蓋は李鳳を担いで陣地に戻ったのだった。
孫策と李鳳はすぐに衛生兵からの治療を受けて、李鳳はそのまま医療所の寝台に寝かされたのである。
孫策は黄蓋と共に参謀である周瑜の天幕を訪れていた。
【周瑜】
周瑜は呆れた表情でため息と共に愚痴をこぼすのだった。
「……はぁ、貴女に大人しくしてろなんて……所詮、無理だったのよね」
「だからぁ、悪かったわよ。ちょっとした気晴らしのつもりだったんだけど……つい盛り上がっちゃってね」
反省している様子の無い孫策を見て、周瑜はまた溜め息をはく。
「はぁ……それで? 黄蓋殿が付いていながら、それでも梃子摺る程の相手だったということなのね?」
「いやはや、面目無い。弁解の余地も御座らんが……強敵であったことは確かかのぅ」
素直に非を認めた上で反省している黄蓋を見習って欲しいと思う周瑜だったが、孫策は気にもしておらず反論し出したのだ。
「祭が謝ることないわよぉ。強敵だったんだし、ちゃんと捕縛して責務は果たしたわよ」
「そんな事より軍は規律で動いてるのよ。毎回こんな事されると規律が乱れて大問題なのよ。貴女の捜索に兵を割いた分、賊を何人か取り逃がした可能性が高いわ」
「だってェ、そんなこと――」
「知らないと言える立場でないことは、理解しているわよね?」
周瑜の正論に流石の孫策も分が悪く、素直に頭を下げるのだった。
「……そうね。ごめんなさい、次からは一声かけてくわ」
「勝手な行動自体を謹んで欲しいのだけど……まぁ、いいわ。貴女だものね、傷はどう?」
「ありがと。急所は外れてたから大事には至らないわ。当分、剣は振れそうにないけどね」
賊狩り自体は確かに少し拍子抜けだった感があったのだ。
思った以上に策が上手くいったのは軍師としては喜ばしいのだが、そのことで兵たちが慢心してしまわないかという懸念もあった矢先の出来事だったのである。
「逆に……良かったかもしれないわね。戦場じゃ何が起きるか分からない。身にしみたんじゃない?」
「儂もそうじゃが、策殿も良い経験になったじゃろうて」
「そうね、いい拾い物も出来たし、これから楽しみねぇ」
「随分ご執心なようだけど、その子に恋でもしたのかしら?」
嬉しそうな孫策を見て、周瑜の悪戯心も刺激される。
「うーん、ちょっと違うかな。あの子はね、なんて言うか、可愛らしい玩具なのよ」
「なんとも……策殿も悪趣味じゃのぅ」
「貴女がそこまで興味を示すなんて珍しいわね、私も少し興味が出てきたわ。それで今はどこに?」
興味を抱いた周瑜が居場所を尋ね、黄蓋がそれに答えるのだった。
【黄蓋】
「うむ、気を失ってしもうたんでのぅ。応急手当を済ませて寝かせておるんじゃ。一応見張りは付けておるが、かなりの重傷じゃったから……当分目は覚まさんじゃろう」
ザッザッザッと何者かが陣営に足早に近づいてくる音が聞こえた。
「た、大変です!!」
衛兵の声が陣幕の中にも響く。
「なにごと?」
「はっ。孫策様が捕らえて来た子供が……逃げました」
「なんじゃと!?」
驚く面々。
あ、あのケガで逃げたじゃと? ……信じられん。
死んでもおかしくない程の血を流した後じゃと言うのに……。
「辺りの捜索は始めていますが、未だ見つけられずにおります。申し訳御座いません!」
頭を深々と下げる衛兵の後ろから、別の者が走り寄ってきた。
「報告します。逃げた子供のものと思われる竹簡を発見しました。孫策様宛の文となっております」
「見せて」
驚いた様子の孫策であったが、文を受け取り読み始めた。
それを興味深く眺める周瑜と黄蓋。
すると、突如として孫策が笑い声を上げたのである。
「…………ふ、ふふ。あはははは」
「ど、どうしたのよ?」
「ふふふ。はい、読んでみて。冥琳もことも書いてあるわよ」
「私のコトも!?」
周瑜は驚きで目を見開いた。
そして、それは黄蓋も同様であった。
あの童、冥琳の事まで知っておったのか!?
ふむ……どれ、儂も拝見させてもらうかのぅ……こ、これは!?
周瑜が読んでいる文を横から盗み見た黄蓋は言葉を失ったのだった。
『拝啓、孫伯符様。お元気ですか? 私は元気とは程遠い体調ですが、丁寧な手当てのおかげで何とか動けるまでには回復致しました。伯符様の傷も早く良くなるといいですね。受けた御恩は決して忘れないと言いたいところですが、伯符様もきっと恩着せがましくするのは嫌だろうと思いますので忘れることにしますね。民草を助けるのは当然の義務ですもんね。これから私は全国を旅して、私なりに常識を学び、その過程で罪の償っていきたいと思います。そして、夢の実現に邁進していく所存であります。応援して下さいね。
黄蓋殿には機会があれば、一度氣功術に関して手ほどきを受けたいと思っています。その日が来るのを楽しみにしております。伯符様にはもう二度と会うこともないと思いますので、それなりに頑張って下さい。
追伸、周公瑾殿にお伝え下さい。盛りの付いたメス猫は放し飼いにせず、縄で縛って躾けるようにと。手強い敵より、制御不能な身内の方が厄介で怖いですからね。貴殿の気苦労を思うと胸が痛みます。旅先で良い煎薬を見つけましたら送らさせて頂きますので、無理をせずに御自身を大切になさって下さい。では、さようなら』
…………いやはや、何と言って良いのか。
黄蓋は呆れ顔だが、周瑜と孫策は楽しそうに笑みを浮かべていた。
「ふふふ、確かに興味をそそられる童だな」
「でしょ! 蓮華へのお土産にしようと思ってたのに、残念ね」
「あの容態ではそう遠くまで逃げられんと思いますがのぅ」
「もう近くにはいないと思うわよ。勘だけど」
策殿の勘は馬鹿に出来んからのぅ……しかし……。
「孫家の敵になる、ということはないかのぅ?」
儂はあの童に、言い表しようのない恐怖を感じておる。
今まで生きてきた中で、あれほど不気味な存在には出会ったことはなかったわい。
「どうかしら? そうなったら、今度は首を刎ねればいいじゃない」
「ははは、なるほど。全くその通りですな」
ははははは、流石、策殿じゃ!
堅殿の血をしっかりと継いでおられるようで孫家は安泰じゃわい。
それから時間が経ち、夜が明けようとしていた。
とある森の中に居る李鳳の目の前には、狼の屍が転がっている。
【李鳳】
「ホントは煮込みの方が好きなんだけど、鍋がないもんな……」
と文句を言いながら先程狩った狼の肉を火で炙っていた。
「しっかし、氣ってのはすげーな! モヤモヤを少し送り込んだだけで頭が爆ぜるとは思ってもなかったよ」
行き成りのスプラッターでビビったよ……誰も見てなくて良かった。
「世紀末の覇者ごっこが出来そうだな」
いかんいかん、テンションが上がって独り言が多くなってるようだ。
ここまで来ればもう追って来ないと思うけど、ちゃっちゃとエネルギー補給して洞窟ってのを探さないとな。休もうと思って気を抜くと、痛みで眠れないから進むしかないよな。
孫策陣営から逃げ出したもののケガが完治したわけでもない李鳳は、満身創痍のまま狼肉にかぶりつくのであった。
「うーん、調味料が無いと、何とも味気ないなぁ……はぁ、贅沢は言ってらんないか。欲しがりません、勝つまでは!」
いやぁ、警戒が甘くて助かったな。まだ子供でしかもケガしてたから侮ってくれたんだろうな、ラッキー。
しかし、初めて会った知ってる歴史上の人物があの孫策とはね……女だったけど。
『江東の小覇王』か……もうすでに、雰囲気出てたな。
俺の理想とする世界には……必要ない人間だな、もう二度と会わないことを祈ろう。
そんなコトを考えながら、焼いた肉をどんどん胃袋に流し込んでいったのである。
さて、腹ごしらえも終わったし、夜が完全に明ける前に移動しないとな。
孫策や黄蓋の強さから考えて、逃げ延びた人数は極めて少ないだろうな……誰もいなかったらどうしよう。
……ああ、まだ血が足りてないな……フラフラする。
足元の覚束無いままではあるが、李鳳は一歩一歩確実に合流地点である洞窟に歩を進めていたのである。
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