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海を越えた破綻者  作者: パトラッシュ
袁家の栄枯盛衰
109/132

109話

 木蓮・四式の周囲には相変わらず台風のように氣で発生した暴風が吹き荒れていた。

 お気に入りの帽子を飛ばされまいと、陳宮は体勢を低くして必死に帽子を押さえる。

 ゆっくり、ゆっくり――しかし確実に、呂布へと近付く木蓮・四式。


 呂布は強風に揺らぐ事なくビタッと立っている。

 その瞳はジッと李鳳を捉えていた。

 ほんの僅かではあるが表情は強張り、戟を握る手にも力が入る。

 強烈な氣を放つ匿名こと李鳳の存在が気になって仕方ないのだ。


 互いの声が届く距離まで接近した折、関羽が最初に口火を切る。


「待たせたな、呂布よ。虎牢関での続き――決着を付けようではないか!」


 ここで漸く、呂布は関羽と木蓮に視線を向けた。

 数瞬して、ボソッと口を開く。


「…………立てないの?」


 バカにした意は一切感じられない。

 関羽はクスリと笑う。


「フフッ、どうと言う事はない。立てずとも……私は戦える!」

「…………そう」

「お主こそ顔色が優れぬようだが、疲れておるのか?」


 関羽なりの気遣いである。


「…………」


 返答の代わりに返って来たのはグググゥゥゥという腹の虫の大合唱だった。

 関羽はキョトンとなる。


「お、お主、腹の調子が……いや、まさか……腹が減っておるのか?」


 唖然と問う関羽。


「…………」


 呂布は無言で頷いた。

 その瞬間、李鳳の目が怪しく光る。

 黒い眼でマジマジと観察する関羽は「なるほど」と呟く。


「以前のような覇気が感じられんのは、そのせいであったか」

「…………」

「フフフ、腹が減っては戦は出来ぬと言うが、私はそうは思わぬ」

「…………」

「腹が減ろうが、“怪我”をしておろうが、戦は出来るのだ! 体調が万全ではない事など、戦場では何の言い訳にもならん!」


 まるで自分に言い聞かせるように呂布へと語る関羽。


「肝心なのは出来るか否かではない。むしろ条件はこれで五分と五分。ならば、やるしかないのだ……さぁ、遠慮はいらぬ! そして――こちらも遠慮などせぬぞッ!!」


 関羽は熱い叫びを上げた。

 呂布はその思いに応じる。


「…………いつでも、来い!」


 二匹の野獣が互いのテリトリーを形成する。

 片や偃月刀を掲げ上半身をやや前傾に構え、片や戟を両手で握り直して膝を曲げて重心を落とした。

 侵入するモノ全てをなぎ払う球状の絶対領域――人はそれを“間合い”と呼ぶ。

 両者には油断も余裕もない。

 一触即発の様相を呈していたが、二人の間合いが重なる事はなかった。


 恐ろしく冷たい声が関羽の耳にだけ届いたからである。


「どういうつもりですか、関雲長」

「むっ?」

「どういうつもりか、と聞いている」


 怒気を含む氣が爆ぜ、竜巻のように舞い上がる。

 突如強くなった突風に陳宮は耐え切れずに大地を転がった。

 激しく振動する周囲の空気が、ビュービューと唸り声を上げる。


「うッ……!? いや……こ、これはだな……その……そんなつもりでは……なくもなく……」


 関羽の声は尻すぼみに小さくなっていく。

 膨れ上がった氣に関羽ですら脅威を感じていた。

 呂布は半歩片足を下げて踏ん張り、氣風の奔流を凌ぐ。

 飛ばされた陳宮はほふく前進で何とか元の位置に戻ろうと必死である。


「貴女を連れて来た意味、それを履き違えないで下さい」

「……す、すまぬ」


 バツの悪そうな顔で縮こまる関羽を見て、李鳳は氣の奔流を抑えた。

 恐縮して振り返った関羽は、その目を見開く。

 そして、驚愕の声を上げる。


「ど、どうしたのだ!? 李鳳殿ッ!?」

「……別に、どうも」

「そ、そんなワケなかろう! その異常な汗は一体……それに、その疲れようはッ!?」


 関羽の目に飛び込んできたもの、それは全身に玉のような汗を浮かべた李鳳の姿であった。

 日中とは言え夕暮れが迫っており、気温は下がってきている。

 木蓮で戦場を激走していた際もここまで疲れた様子は見られなかった。


 心配する関羽を他所に、李鳳は不敵に笑う。


「クククッ、私の事はともかく……呂布殿は空腹ですかァ。氣の総量が少なかった理由も、丁奉達が生きていた理由も、これで説明がつきますねェ」


 明らかに話題を変えられたと覚る関羽。


「……本調子ではなかった為に、殺されずに済んだ――そう言いたいのか?」

「当たらずとも遠からず、ってとこですかねェ。クックック……さて、そろそろ始めますよ。“呂布狩り”を、手筈は解っていますね?」

「ほ、本当に大丈夫なのか!? 呼吸も乱れてきておるし、顔も青褪め「Shut up!!(黙れ!!)」……ッ!?」


 関羽は言及出来なかった。

 感じてしまったのだ、李鳳の氣に明確な殺意が混じった事を――そして、それが誰に向けられたモノかを。


「聞きたい事は一つだけです。“約束”を守る気があるのか、ないのか。どっちですか?」

「……無論、あるとも」

「では“約束”した内容も覚えていますね?」

「お主の伝えたい事を私が代弁する、そうであろう」

「Exactly!!(その通り) 貴女の協力なくして呂布は倒せません。その強さは……貴女が一番ご存知でしょ?」


 殺意は消え失せ、再び李鳳の口角が上がる。

 関羽の表情は複雑であった。

 何も感じなくなったハズの左肩がズキリとする。


「……痛いほど、分かっておるさ」

「クククッ……気付いておられないのですか? 貴女のよく響くその声が、ひれ伏したくなるような圧倒的威厳を放っているという事実を」

「そ、そうなのか!?」


 突然振られた話題に戸惑いを隠せない関羽。

 しかし、褒められているようで悪い気はしていない。


「ええ。それは軍神として……貴女しか持ち得ない貫禄なのです。敵には恐怖を、そして味方には勇気を与える。聞いた事はありませんか? “荒神の吐息”なる噂を……!」

「うっ……そ、それは……よく耳にしたが」


 急に耳まで赤くなる関羽。

 汜水関で華雄を誘き出す為に発した罵声の数々がいつの間にか美化され、関羽は多くの兵から称賛を浴びた経緯があったのだ。


「貴女の言葉は今や敵味方関係なく、雷(いかずち)の如く魂を打ち貫く威力があるのです」

「そ、それほどに……」

「クックック、期待――してもイイですよね?」

「無論だ! この関雲長に任されるが良いぞッ!!」


 まだ若干頬は赤く恥ずかしさが残ってはいたが、関羽は力強く応えた。

 荒れた呼吸を整えつつ、李鳳は内心で「チョロいな」とほくそ笑む。

 関羽のような優等生の真面目人間は期待してやればする程に、期待以上の成果を出そうと張り切ってしまうタイプなのだ。

 李鳳はそれをよく心得ていた。


 空腹のせいか、警戒している為か、呂布は自分から動こうとはしない。

 こちらを窺う視線だけをヒシヒシと感じて「クククッ、好都合だ」と李鳳はさらに微笑む。


「それにしても……呂布殿が空腹で不調とは、ツイてますねェ」

「むぅ、これをツイていると言って良いものか?」

「イイんですよ! むしろ高らかに宣言してやりましょう。“我々はツイている”と!」


 李鳳は少し屈んで呂布から口元が見えないように隠し、関羽に耳打ちする。


「ほ、本当にそのような事……わざわざ言う必要があるのか!?」

「あるんですよ。この戦場中に聞こえるよう、お願いできますか」

「……まぁ、お主がそう言うのであれば――『聞けィ、呂布よ! 今ツキは我らの味方をしておるぞ!!』」


 関羽の美声が戦場に響いた。

 普通に話しても届く距離なのに、突然張り上げられた大声に呂布は目を丸くする。


「…………」


 関羽の意図が分からず、呂布は沈黙した。

 その間も李鳳はヒソヒソと関羽に耳打ちを続ける。


「なに!? もう一度だとッ!?」

「はい。大事なコトですから、クヒヒヒヒ……ッ!」

「し、しかし……」

「おやおや、やはり“約束”を破られるおつもりですかァ?」


 汗だくで憔悴していても、笑みだけは決して崩さない李鳳。

 意図が分からないのは何も呂布だけではない、関羽本人もそうなのだ。


「ぐっ……ええーい、そんなつもりは毛頭ない! 言えば良いのであろう、言えばッ! 『呂布よ、括目して傾聴せよ! ツキは我らの手の中だ! 繰り返す! ツキは我らの手中にある!』……一体、何だと言うのだ?」

「クックック……ッ!」

「…………」


 言われるがままに叫ぶ関羽は少し混乱気味であった。

 李鳳は不敵に笑いつつも、なぜか疲れている。

 呂布は黙って聞いていた。

 そんな無言の呂布に代わって吠えたのが、陳宮である。


「さっきからツキ・ツキ・ツキと……ツキがあるから何だと言うのですか!? 運やツキなど関係なく、戦場での呂布殿は無敵なのですよッ!」


 ほふく前進の体勢のまま吠える陳宮は犬のようであった。

 李鳳は思わず嘲笑する。


「クククククッ……無敵ねェ、そんなモノ……この世に存在しませんよ。私は絶対に認めない」


 あまりに小さいその呟きは、関羽にも届かなかった。

 最強は存在しても、無敵など存在しない――それが李鳳の持論なのだ。


「…………ツキ?」


 ――ほんの僅かな氣の揺らぎ。

 李鳳はそれを見逃さなかった。

 言葉は関羽に向けていても、神経は呂布へと向けていたのである。

 すぐさま関羽へと指示を出す。


 関羽はチンプンカンプンのまま偃月刀を大地に突き刺し、右手で上空を指差した。


「『ツキとは天からの授かりモノ! 見よ! 我らの勝利は天が望んでおられるのだ!!』」


 関羽の指差す方向へと呂布らも視線を移す。

 すると――。


「…………月?」

「……月、なのです」


 そこには薄っすらと、しかしハッキリと『月』が昇っていた。

 呂布と陳宮は月を眺めている。

 李鳳はまた耳打ちをした。

 関羽は溜息を漏らす。


「ハァ……『これが何を意味するか、分からぬお主らではあるまい!』……サッパリ分からぬ」


 関羽は頭を抱えたくなっていた。

 何かしらの思惑があるのだろうが、見当もつかないのだ。


「…………ちんきゅー」

「はいはーい、直ちに!」


 陳宮はほふく前進でカサカサと移動する。

 そして、呂布を防風林にして背後にピタリとくっ付いた。

 陳宮の存在を確認した呂布が再度口を開く。


「…………意味、わかる?」


 この日初めて、呂布は陳宮に意見を求めたのである。

 呂布は元来難しい事を考えるのが苦手だった。

 一方の陳宮は真面目な優等生タイプではないが、好きな人にはトコトン尽くすタイプなのだ。


「あんなものはタダのつまらない駄洒落なのですよ! ……と、流したいところなのですが……一つ、気になっている事があるのですよ」

「…………なに?」

「関羽の後ろにいる従者……ねねの目に狂いがなければ、奴は匿名なのですよ。ねねのキックを避けた無礼な男は忘れようがないのです! 憎憎しい奴なのですよッ!!」

「…………恋も、気になってた」


 明確に敵対しているワケでもないが、呂布は李鳳を警戒していた。

 本能が告げるのだ――奴に関わってはいけない、と。

 陳宮は別の意味で李鳳を敵視している。

 しかし、呂布に頼られていると感じた陳宮は冴えていた。


「関羽の言う“ツキ”とは、何かの、いえ……誰かの、例えやもしれないのです。そして、その可能性が一番高いのは――」

「…………(ゆえ)?」

「はいなのです。あの男が黙って従っているのはヘタレだからに違いないのですが、月殿が人質を取られているという可能性までは捨て切れないのですよ。真名を許しているのであれば、人質の可能性は低いのですが……現状では何とも」

「…………」


 考えるのが苦手な呂布も呂布なりに頭を使っていた。

 陳宮は李鳳から関羽に視線を移す。

 氣の奔流が陳宮の髪をなびかせ、帽子を持って行こうとする。

 それを必死に押さえて関羽を睨む。


「しかし……恐ろしい奴なのです、関羽」

「…………」

「恋殿に敗れ、歩けなくなって尚、衰える事のないこの威圧感……飛ばされないようにするだけで、ねねは精一杯なのですよ」


 武に関してはからっきしの陳宮でさえ、氣の奔流の脅威を肌で感じていた。

 涼しい顔で車椅子に座する関羽。


「…………」

「それに加えて、今回の策謀……董卓殿の生存を皆の前で公にする事は出来ないのです。それを真名も語らず、ねね達だけに人物を特定させ不確かな現状でも利を奪いに来る狡猾さ……袁術軍はこれが脅迫だとは思いもしないのですよ」


 陳宮は背筋が凍る思いであった。


「武勇に優れているのは虎牢関から知っていたのですが、まさか智謀にまで長けているとは……認めたくはないのですが、軍神と称されるのも納得なのですよ」

「…………」


 全ては陳宮の勘違いなのだ。

 しかし、考え事をしている呂布が間違いを正す事はない。


「……恐るべし、関羽……なのですよ」


 呂布の足にしがみ付き、関羽を見据える陳宮の表情には畏怖の感情が色濃く出ていた。

 武一辺倒と思っていた相手がまさかの搦め手で攻めてきたからである。

 陳宮は知恵を絞って呂布に助言した。


 そんな勘違いで恐れられているとは知る由もない関羽は、先程からチラチラと陳宮の視線を感じて戸惑っている。


「ど、どういう事なのだ!? 呂布は何を話しておるのだ!?」

「クックック……さァ、何でしょうねェ」

「お主の言っておった“意味”とは何なのだ!?」

「やれやれ……“疑問を挿まず、私の言葉をそのまま伝える”、そう言う“約束”でしたよね」

「そ、それは判っておるが……お主の意図くらい教えてくれても良かろう?」


 拗ねているせいか、関羽の表情が妙に子供っぽい。

 関羽が約束を反故にするとは思っていないが、協力的でなくなられると李鳳も都合が悪いと考え説明を始める。


「ふぅ……せっかく空腹で力が出せないなら、相手の戦意も削いでおいて損はないですよねェ? ただただ大義名分や天意は我らにあると印象付けたいだけで、“他意”はありませんよ」

「そ、そういう、ものなのか?」

「そういうモノなんです」

「ならば、最初に言っておいてくれても良かったであろう?」

「クククッ……説明する前に、二つ返事で快諾したのは誰でしたっけ? まさか、何も考えずに引き受けたんですかァ?」

「うッ……」


 相変わらず顔色は優れないが、李鳳の口角は上がりっ放しだった。

 再びバツの悪くなった関羽は視線を逸らす。

 すると、丁度陳宮の視線をぶつかったのである。


「お前達は手にしたその“ツキ”をどうするつもりなのですか?」

「どうする、とは……可笑しな事を言「関羽殿」――むぐッ!?」


 下手な事を言われる前に関羽の口を塞いだ李鳳。

 そのまま陳宮達からは見えないように関羽に囁く。


「そ、そんな返答で良いのか!?」

「はい、お願いします」

「ふぅむ……『せっかく“拾った”ツキなのだ、今は大事にしようぞ! しかし、お主らの言うようにあくまで戦場では天意など関係ない、という態度を貫くのであれば――こちらにも考えがあるッ!!』……考え?」

「くッ……卑怯なのですよ!」

「は? お主、何を言「関羽殿」――ええーい、今度は何なのだ!? もうこの際、何でも言ってやるぞ!」


 関羽は半ば自棄になっていた。

 自分の理解が及ばない内容を喋らされているのに、会話が成り立ってしまっており、更には身に覚えの無い罵声まで浴びせられているのだ。

 関羽の思考は今ゆっくりと停止していく。

 深く考える事を止め、李鳳の言葉を拡散させる事に専念し始めたのだ。


「クックック……頼もしいですねェ、では――」

「『卑怯? 笑止! そもそも、この侵攻自体に正義はあるのか!? お主らに大義はあるのか!? 民を蔑ろにしていないと胸を張れるのか!?』」

「……い、生きる為には仕方ないのですよ」

「『誇りを捨て、猿に飼われて満足か!? 罪無き民を苦しめて満足か!? 猿に餌を乞う野良犬に成り果てて、本当に満足か!? 答えよ、天下の飛将軍ッ!!』」

「…………仲間の、ため」


 ――呂布の揺ぎ無い信念。

 自分の為ではなく、全ては仲間や同胞達の為に行動していた。


 関羽という名の拡声器は、入力された言葉をそのまま大音量で出力する。


「『仲間の為なら天意に叛くか!? “ツキ”に牙を向けれるのか!? さぁ、お主の選択に全て懸かっておるのだぞ! 呂奉先ッ!!』」

「…………」

「『真に仲間を想うのであれば、我に降れ! 真(まこと)のツキを求めるのであれば、我らの下に来い! お主の勇気ある決断には、“華麗”なる振る舞いを持って応えようぞッ!!』」

「…………カレー? …………食べたい」

「か、カレーッ!? ううっ、ねねも食べたい……い、いや、違うのですよ。お、お前の言葉を鵜呑みにする程、ねね達は甘くないのです! 騙されないのですよ!!」


 華麗という言葉に過敏に反応する二人。

 陳宮は平静を装って涎を拭い、反論に出た。

 しかし――。


「…………ちんきゅー」

「は、はいなのです?」

「…………カレー、食べたい」

「ううッ、い、今は我慢して下され。まだ相手を信用するに足らないのですよ」

「…………」


 呂布の鳴り止まない腹の虫を聞いている陳宮は、心苦しく思うもしばらくの辛抱を願い出る。

 陳宮としても信憑性は低くないと思っていた。

 だからと言って疑いもせずにホイホイ信じて良い程、乱世はお気楽ではない。

 陳宮は呂布と出会うまでに何度も辛く苦い経験をしてきた。

 他人はまず疑ってかかるべきなのだ。


 しかし、そんな陳宮に耳を疑うような宣言が成された。

 深く考えずに関羽は叫ぶ。


「『首をやろう! 万が一にも、我が発言に嘘偽りがあろうものなら、この“ワタシ”の首をくれてやるッ!!』…………へっ? 私の首!? なぜだ!?」


 大声を張り上げた直後に、素っ頓狂な声を漏らす関羽。

 停止していた脳が回転を再開し、徐々に加速していく。

 陳宮はドヒャーと全身で驚きを体現していた。


「な、なんと……ここまで大胆に宣言するとは、流石は関羽なのですよ」

「えっ? い、いや……ちょ、ちょっと待て!」

「関羽程の将が己の首を差し出すという覚悟……ねねは、信じるに値すると思うのです」

「…………恋も、信じる」


 呂布も関羽を見据えて頷く。 

 関羽が慌てふためいている事など関係無い。

 陳宮はバンザイして呂布の横に躍り出て賛同を示す。

 いつの間にか氣の暴風はすっかり止んでいた。


「了解なのです! まぁ、話が嘘でも問題ないのですよ。関羽の首を手土産にすれば、どこの勢力でも引く手数多なのですぞ!!」

「お、おい! ま、待てと言うておるだろう! な、何がどうなって……ッ!?」

「おやおや、私は“私の首”と言って欲しかったのですが……まさか“関羽殿の首”になってしまうとは、クヒヒヒヒ……弱りましたねェ」

「そ、そんな……」


 戸惑う関羽を他所に、呂布とその配下が武器を下ろす。

 陳宮の指示により呂布隊の面々が呂布の後方に勢揃いした。


「我ら呂布隊は関羽殿の言を信じて、これより劉備軍の傘下に降るのですよ。兵の無事と寝食については保証して欲しいのです!」

「く、降るだと!? ほ、本気で言っておるのか!?」

「当たり前なのですよ!」

「りょ、呂布よ!?」

「…………本気」


 関羽の表情が戸惑いから驚愕へと変わる。

 天下無双の豪傑が一合も交わす事無く降ると言ってるのだから当然であろう。


「クククッ、どうされますか? 関羽将軍閣下、先程の発言は間違いと取り下げて拒否も出来ますよ?」

「……まさか、投降を認めよう。お主らの待遇もこの関羽が責任をもって保証しよう。安心されよ」

「よろしくお願いするのですよ」

「…………よろしく」

「クヒャヒャヒャヒャッ!」


 関羽は未だに信じられないと言う表情であった。

 やりきったという手応えや充実感は皆無である。

 そして、嫌でも気付かされて苦笑する。


「フフフッ、全てはお主の謀であったか。なぁ、李鳳殿――なッ!? ど、どうしたと言うのだ!?」


 振り返って話しかけようとした関羽は、李鳳を見て愕然とした。

 長い黒髪が少し間を置いてパサリと揺れる。


「クックック……少々、無理をし過ぎましたかねェ」

「む、無理だと!? それは一体……ッ!?」


 関羽が驚くのも無理はなかった。

 李鳳の頬は痩せこけ、漲(みなぎ)っていた覇気は陰を潜め、表情は憔悴し切っている。

 激しく消耗しており、ハァハァと肩で息を切らしていた。


「これには色々とワケが「おい、糞野郎! こらァどう言う事だよ!? ああッ!?」――やれやれ、丁奉ですか」

「『丁奉ですか』じゃねーよ! 珍しくマジな顔してっから言う通りに見てみりゃ……おちょくってンのかッ!?」


 真っ青でフラつく李鳳に、貧血の丁奉がフラフラと詰め寄る。


「はい?」

「テメー、“本気”出すって言っただろうがッ!!」


 今にも倒れそうな丁奉は、同じく倒れそうな李鳳に噛み付いた。


「言いましたねェ」

「だったら出せや! 吐いた唾飲んでンじゃねーよッ!!」

「ふぅ……関羽殿、済みませんが呂布殿の事を頼めますか? あと、コレを……」


 李鳳は丁奉を無視して懐から布袋を取り出して、関羽に渡した。


「これは?」

「非常用に持ち歩いている干しイモと栄養価の高い甘味菓子です、それを呂布殿に。私は……丁奉と少し休ませて下さい」


 本当に具合の悪そうな李鳳を見て、聞きたい事が山ほどあった関羽も大人しく引き下がる。


「そうか……ああ、分かった。この私に任されよ」

「お願いします。では、丁奉――こっちへ」

「チッ……仕方ねェな」


 そう言うと、李鳳達は関羽から距離を置く。

 暗に聞かれたくない話などだと丁奉に匂わせたのである。

 ある程度離れた位置まで来ると、李鳳は話を切り出した。


「……それで、ちゃんと見てましたか?」

「ッたりめーだ! 一挙手一投足見逃さねェようにしてたってのに、時間の無駄だったぜ! 戦いもせずに終わっちまったじゃねーかよ!!」

「やれやれ……丁奉の目は節穴ですかァ? ずっと出してましたよ、“本気”」

「はァ!? 寝言は寝てから言えよ」


 丁奉の不満はここに来て一気に溢れる。

 何かやりそうな雰囲気を醸し出していた李鳳に少なからず期待していたのだ。

 絶対に見逃すまいと李鳳を凝視していた丁奉は盛大な肩透かしを食らう。

 腹を立てるのも当然であった。


 しかし、憔悴していても李鳳はひたすら笑う。


「クククッ、言いますねェ。では、逆にお聞きしますが……私の“本気”って何です?」

「……ンな事、オレが知るワケねーだろ」

「ですよねェ。だったら……どうして、私が“本気”を出していないと断言出来るのですか?」

「……チッ」


 丁奉は押し黙った。

 李鳳の憔悴ぶりは丁奉の目にも明らかなのだが、原因に心当たりがない。

 どうしてこうなったのか想像も出来ないのだ。


 呼吸が整わず、顔色も優れない李鳳だが、口元には先程からずっと笑みが浮かんでいる。


「クヒヒヒヒ……例えば、あそこにいる関羽殿が“本気”を出すと仰れば、誰もがその武勇を期待するでしょう。では、諸葛孔明殿であればどうです? 皆は何を期待すると思いますか?」

「……智謀、だろうな」

「ご名答。猛将には力を、軍師には策謀を期待するのが当然でしょう。軍師に武勇を期待するなど、有り得ないのでは?」

「テメェの“本気”は智謀だったって言いてーのかよ?」

「クックック、私は“元”軍師ですからねェ。でも、半分正解で半分外れです」


 本来であればこの段階で丁奉は切れていたかもしれない。

 しかし、頭に上るはずの血が不足している事が幸いし、丁奉は平静さを保てていた。

 癪に障ったが、丁奉は下手に出て李鳳に尋ねる。


「……それならよォ、もう半分ってのは一体何なんだよ?」

「何だと思います?」

「質問に質問で返してンじゃねーよ!」

「クヒャヒャヒャヒャッ、普段から注意力散漫なのがいけないんですよ。もう少し他人に興味を持って観察してみては?」

「うっせーよ! ンな事より早く“納得のいく”説明をしやがれ!」


 頭に血は上らなくても腹は立ち、我慢にも限界が訪れ、そして痺れが切れた。

 あまり手の内を明かしたくない李鳳は思案し、しばしの沈黙が続く。


「おい、テメェ……まさか、誤魔化そうなんて考えてねーだろうな!?」

「……クククッ、まさか」

「どうだか……テメェは生粋のペテン野郎だからな、信用できねーンだよッ!」


 何気なく発した丁奉の一言。

 それを聞いた李鳳は狂ったように大声で笑い始めた。


「クッヒャッヒャッッヒャッヒャ……正解ッ! なんだァ、よく分かってるじゃないですか!」

「あン!?」


 丁奉は怪訝な表情を浮かべる。


「私の本質が“ペテン師”だって事ですよ。クヒヒヒヒッ、存分に発揮していたでしょ?」

「はァ? テメェが何したってンだよ!?」


 忌々しそうに丁奉は吠えた。

 呼吸の整ってきた李鳳は、晴れ晴れとした表情で答える。


「何って……その“ペテン”で呂布殿を瞬殺したでしょ」

「ざけンな! 戦ってもいねーじゃねェかよッ!!」

「戦いましたよ。無血で呂布を降したんですよ? これを完勝と言わずに、何を完勝と言うんですか!」

「……ぐぅッ」


 ぐうの音も出ない丁奉。

 李鳳はニヤニヤしている。


「もしかして……氣を練って高めるだけで、誰でも氣風が起こせるなんて思っていませんよねェ?」

「……あン?」

「氣風とは氣圧の差によって生じる氣の奔流です。単に氣を高めたり低めたりするだけでは、決して風は生まれません。氣圧の高い部分と低い部分を意図的に、しかも同時に創り出さなければならないのです。……これがどう言う事だか、分かりますか?」

「……」


 丁奉は沈黙した。

 李鳳は構わずに続ける。


「ましてや、自分の氣を必要以上に大きいモノと錯覚させ、その上で氣風を竜巻のように巻き上げるなど……究極の神業、超々高難度の氣の極意です」

「ちょ、ちょっと待てよ。必要以上に……ってのは、何だ!?」

「クククッ、もしかして私の氣が本当に呂布殿を超越しているとでも思いましたか?」

「はァ!? 現に、そう感じ……ッ!?」


 丁奉は言い掛けて止めた。

 猛烈に嫌な予感が脳裏をよぎったのだ。


「いやァ、修行は大成功ですねェ。クヒヒヒヒッ……“ペテン”の妙技にして“ハッタリ”の極み、堪能できましたかァ?」

「あれが、ハッタリだと!?」

「大変でしたよ。何しろ自己鍛錬の時間をほぼこの修行に費やしてきましたからねェ。一年以上をかけた研鑽(けんさ)の賜物です」


 眩しい程の笑顔で語る李鳳。

 顔色はだいぶ良くなっていた。


「……一年、以上?」

「眷属を“調教”する傍ら、ずっと磨き上げてきた“ハッタリ”技法ですよ」

「……ずっと?」

「クククッ、マンセーには内緒ですよ」

「く……糞くだらねェ修行してンじゃねーよ! “ハッタリ”の為に一年以上だァ!? 頭可笑しいんじゃねーのかッ!?」


 我慢という名の防波堤が決壊した丁奉は吠えに吠えた。

 時折途切れそうになる意識を、意思の強さで繋ぎとめる。


「クックックッ、またまたご名答。私は赤子の頃から“神”とやらに嫌われてましてねェ……頭と体を繋ぐ配線に異常があるんですよ。分かり易く例えるなら、内側を針の山で覆われた重い鎧を常に着ているような状態なんですよ」

「……はァ!?」

「私にとって小周天は苦痛以外の何モノでもないんです。筋力や感覚の強化は肉体と精神を繋ぐ配線を太くする事で実現します……これが私にどれ程の苦痛を与えているか、貴女には想像も出来ないでしょう」

「……」


 李鳳の独白は続く。


「氣は拡散させるよりも圧縮して内に留める方が効率良く肉体を強化出来ます。しかし、氣は高めれば高める程にその制御が困難となります。“枷”で縛られている今の私には、これ以上の肉体強化は事実上不可能でしょう。ならば、それ以外に強さを求めるしかないのですよ。体内が無理なら体外へ、圧縮が無理なら逆に伸張させる……自然な成り行きでしょ?」

「……」

「自分の力を二割増しにも、五割増しにも高めて魅せる事の出来る最凶の“ハッタリ”……それこそが、私の“本気”です。ただし、異常なまでに氣を放出し続ける必要がある為、短時間ですぐに疲弊してしまうという欠点もありますがね。クヒヒヒヒッ……!」

「……偉そうに二天一流とかほざいてたのは?」


 いつの間にか丁奉から怒りの感情は霧散していた。

 貧血の影響もあるかもしれない。


「クヒヒッ、敵を欺くにはまず味方から、でしょ」

「“ハッタリ”と狡(こす)い策だけで、あの呂布を破ったってのかよ?」

「いけませんか? 虎(関羽)の威を借り、張子の虎(氣)で威嚇し、虎穴へと入り(策を弄し)、見事に虎子(呂布)を得たワケですよ。実に私らしい……“本気”でしょ? クヒャッヒャッヒャッヒャッ!!」


 満面の笑みで聞き返す李鳳。


「チッ……、――――」


 丁奉が何かを言おうとした瞬間、突如として袁術陣営が騒がしくなった。


「これは一体どう言う事なのじゃ!? 皇帝たる妾に説明せい、呂布よッ!!」


 袁術の怒号が戦場に響く。

 呂布の寝返りに驚いたのは関羽だけではなかった。

 誰より驚いたのは袁術軍の後方部隊である。

 焦りに焦った兵達は一目散に本陣へと駆けたのだった。


「お嬢様~、待ってくださいよ~」


 一足遅れで張勲が走ってくる。

 また一悶着あるかと思われた矢先、袁術兵が慌しく騒ぎ出した。


「なっ、なんだ!? あれはッ!?」

「馬!? 騎馬かッ!?」

「て、敵襲~ッ! こ、後方より、敵の騎兵隊が我が軍を打ち破っておりますッ!!」


 悲鳴のような叫び声を上げる袁術兵。

 袁術は吃驚仰天。


「な、なんじゃと!?」

「……あっ、斥候出すの……すっかり忘れてましたわ。フフフ……どうしましょう」


 張勲は自身のウッカリに照れ笑い。

 しかし、その目はシッカリと泳いでいた。


「ほほう、虎の子の“あの二人”を潜ませていましたかァ。クックックッ、誰の謀かは知りませんが、面白い“賭け”をしたものです。まっ、私も仕上げに取り掛かりますかねェ」


 先程までの清々しい笑顔は一変、李鳳の笑みは醜悪に歪む。

 その目は袁術と伏兵の騎兵隊、そして、ここには居ない桃色の魔女を捉えていた。


 伏兵の騎兵隊は気持ち良い程バッサリと袁術軍を切り裂いて行く。

 厚くし過ぎた陣形が今度は仇となり、小回りな対応が出来ていないのだ。

 ここから劉備軍の怒涛の反撃が始まるのだった。








最後まで読んで下さり、ありがとうございます。

推敲し過ぎて最初とかなり変わってしまいました…。

ほどほどが一番良いのかもしれませんね。

勉強になりました。

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