104話
孫呉の使者として派遣された周泰から劉備に一通の文が渡された。
謁見の間に姿を現した周泰の肩に小猫が乗っていた事実に、誰も突っ込まない。
文を手渡し役目を終えた周泰は、小猫に何かを話しかけて音もなく姿を消したのである。
前回も今回も周泰は李鳳を見ても驚く事はなかった。
これが孫策や黄蓋であれば驚愕に目を見開いたであろう。
死んだと思っていた人物が生きていたのだから当然である。
しかし、周泰はその事を知らなかった。
主君からは何も聞かされていなかったからだ。
だから、李鳳の生存を驚く事もなければ孫策達に報告する事もなかった。
李鳳自身もあの孫策がそんな勘違いをしているとは夢にも思わず、普通に周泰と面会していたのだ。
この勘違いは誰にとって吉と出、誰にとって凶と出るのだろうか。
孫呉からの文には条件付きでなら挟撃に賛同する旨が記されていた。
相手がいくつか条件を付けてきた事に張飛はブーブーと文句を言っていたが、諸葛亮から妥当性を説明されて渋々引き下がったのである。
多少無理をしてでも挟撃を成功させる事が、結局は一番被害を最小限に抑えられると皆が納得していたのだ。
劉備陣営が慌しく動き出したのは周泰が帰郷してから2日後であった。
袁術が大軍を領境近くまで動かしていると斥候から報せが入ったのだ。
当初の懸念通り、と言うか予想通りなのだが、宣戦布告は未だされていない。
袁術軍の中に呂布がいるかもしれないという情報に月や詠は少なからず動揺していた。
しかし、彼女達はそれで何かを口にするような子供でもない。
本当は参軍して呂布の安否を自分の目で確認したかったが、侍女としての立場を遵守したのである。
妖光だけは李鳳に付いて行きたがっており、無謀にも劉備に直談判していたが、さすがに周りの者に却下された。
現在、劉備軍も袁術軍を迎え撃つ為に進軍中である。
行軍中の劉備軍は足の速い騎馬隊が先行し、必然的に歩兵隊や支援輸送部隊は少し遅れ始めていた。
「これほど遅れるとは、すまぬな……私のせいで、後方部隊の足並みが揃っておらぬのであろう?」
鎮痛な面持ちで関羽は謝罪する。
その表情からは申し訳なさと気負いで満ちていた。
「はぁ? 何言うてんねん、こんなん普通やで」
「最前線ばかりで指揮してこられた関羽殿はあまりご存知ないかもしれませんが、隊列の後方というものは程度差はあれ伸びるものなのですよ。この状態は想定内ですし、むしろマシな方と言えるでしょう」
李典と李鳳は何でもないように言う。
騎馬隊を厳しく律してきた関羽にとっては、隊列の乱れは敵に付け入られる隙を晒すようなものであり、調練不足を露呈するような恥だと思っていた。
自分が加わったせいで、このような状態になっていると思い込んでいる関羽には些か屈辱的である。
「そうだとしても、お主らに負担をかけているのに変わりなかろう……」
「そう思うなら、今回の参軍は辞退して欲しかったですねェ」
ガラガラと音を立てて関羽達は街道を進んでいる。
関羽が乗っているのは愛馬の黒蓮ではない、それは軍馬ですらないのだ。
兵糧や物資を運ぶ荷馬車と同じ木材ベースで組み立てられた車椅子に乗って進んでいた。
つまり自身の手で直接車輪を回すか、誰かに押して貰わないと進まない。
そして、現在その車椅子を押しているのが李鳳であった。
「やめやめ、出陣前に決まった事を今更言うてもしゃーないやろ? 伯雷は自業自得やし、アンタも参戦条件に納得しとったやんか?」
「そ、それは……そうだが……」
「おやおや、私は納得した覚えがないんですが?」
「何言うてんねん、アンタが変な期待を持たせたんが悪いんやないか」
「私が? クックック……それこそ、覚えがないですねェ」
車椅子を押す李鳳は笑みを浮かべている。
李典は呆れ顔で、関羽は困り顔だ。
左腕と下半身が不自由となった関羽に斬新な戦闘方法を示した李鳳であったが、その方法は一朝一夕にいくものではなかった。
鐙を改良し、体を固定した状態で乗馬して戦うというのは想像以上に困難なのだ。
関羽だけではなく、軍馬である黒蓮にも慣れが必要であり、今回の戦には間に合わないと判断したのだった。
そこで次善策として立案されたのが戦闘用車椅子の開発である。
いかに人並み外れた腕力を誇っていた関羽と言えど、右手に青龍偃月刀を持ち、更に同じ右手で車椅子を操るという非常識な力技には問題があった。
いくつもの試作機を使い潰して試行錯誤が繰り返される。
しかし、開発にかける期間が短過ぎた。
辛うじて戦闘に耐え得る車椅子『木蓮・四式』が完成したが、その構造は歪である。
まず倒れないを前提として車輪に傾斜が加えられており、基礎は木材であるが部分的に金属で補強され耐久性が底上げされていた。
さらに大地との緩衝材として南方地域に生える樹木から滲み出るという特殊な樹脂で車輪全体を覆っている。
また動力機関として李典の螺旋槍と同様の絡繰が搭載され、短時間の自動走行を可能としていた。
しかし、欠点も多い。
戦闘と言っても敵陣に斬り込むなどは論外であり、防衛・迎撃に重点を置かれた戦法しか取れないのである。
それ故に通常の生活はおろか長距離移動などは全く考慮されておらず、あくまでもその場に留まって戦闘する事しか出来ない。
さらに補助動力の出力も小さい為、武器を持って動き回る時間は制限されるのである。
だからこそ、今現在関羽が乗って移動しているのは普通の一般的な車椅子であり、木蓮・四式は荷車に積んで運んで貰っていた。
限定的な戦いしか出来ない関羽ではあったが、それでも並の兵士では相手にならない。
趙雲や張飛といった一流の武将では遅れを取るものの、一般兵では数人がかりでも蹴散らされるのだ。
最初は心配していた兵士達も自分達を軽く薙ぎ倒す関羽に『軍神の力に陰り無し』と歓喜していた。
しかし、発明品をいくつも潰されて不満を持つ者が一人。
「そもそも関羽が戦い易いように調整してくれっちゅうからやで」
「……判っておる。私の我侭でこうなってしまったという事は……だからこそ、この状況を申し訳なく思っているのだ」
「これに懲りたら夜中に一人で訓練するんは止めてんか。せっかくの『二式』も『三式』も壊すし、侍女は騒ぐし、劉備はんは取り乱すし、ウチの手間は増えるし、睡眠時間は削られるし……えらい迷惑やったで」
「うッ……す、すまない」
ジト目の李典に関羽は冷や汗をかいて小さくなる。
李典は通常生活においても自力で動き回れるように右腕だけでも操縦可能な生活兼用の車椅子も開発していたのだ。
しかし、関羽は一刻も早く戦力になりたかった為に無理をした。
そのせいで生活兼戦闘用車椅子『木蓮・二式』と『三式』を大破させていたのである。
「とにかく、アンタは参軍を認められたと言え予備戦力扱いや。大人しゅう後方部隊の防衛に専念してもらうで!」
「……ああ、承知している。二度と立てんと思っていた戦場に再び立てるのだ。自分の役目はきっちりこなしてみせるさ」
「ニシシシシ、せいぜい空回りせん程度に気張りや」
「フフフ、そうさせて貰おう」
いつの間にか関羽の表情から気負いは消えていた。
「まぁ、今回は挟撃が成るまで前線をどない持たすかっちゅうんが鍵になる戦いやし……ウチらの出番はあれへんかもなぁ」
「ふむ。それはそれで物足りない気が……」
「ウチらの出番があれへんのやったら、それだけ被害が少ないっちゅうこっちゃろ? 文句言うたら罰あたるで」
「フフフ、そう言う考え方もあるのだな」
「せやろ。ほら伯雷、ちゃきちゃき押しや」
車椅子の自分に出来る事は限られている、しかし、やれるだけの事を精一杯やろうと腹を括っていた。
だが、出番が来ないのならそれはそれで良いとも思えた関羽は笑った。
李鳳は無言で車椅子を押しながら、こうなった経緯を思い悩む。
(どうしてこうなるかなァ……言いだしっぺの責任って何だよ? 前線復帰の方向性と手法をいくつか示しただけで、約束も保証もした覚えなんてないぞ。まぁ、面白かったから煽ったのは確かだけど……だからって、責任って言われてもなァ)
現代のようにアスファルトで舗装されたワケでもない道は、李鳳の手に地面の凸凹感をダイレクトに伝えていた。
緩衝材である程度は抑えられているものの、李鳳の口からは溜息が漏れる。
(ハァ……そもそも李遊軍での俺の役割って情報収集メインの隠密じゃなかったっけ? 眷属のおかげで昔より諜報力がアップしたって自負もあるのになァ。あの戦闘狂が表に出る代わりに俺は日陰に下がるはずだったのに……)
3人だけの李遊軍だが、今この場には李典と李鳳の2人しかいない。
李鳳は気配を探ってみるが、近くにはいなかった。
「ところでマンセー、あのバk……丁奉の姿が見えませんが?」
「ん? ああ、仙花やったら星姐さんの部隊に付いて行っとるで」
「……は? えーっと……いつ、どうして、誰の了解を得て、そうなったのでしょう?」
「出発前、呂布ともっぺんヤりたい言うから、ウチが了承して、星姐さんに預けたんや」
「…………ふぅ」
李鳳は片手で車椅子を押し、もう片方の手でコメカミを押さえた。
(やれやれ、表舞台に立ってもイイとは言ったよ。確かに言いました。言ったけどさァ……クックック、黒子から出世していきなり主演を張るつもりとはねェ……意外と大物だったんだな)
螺旋槍を肩に担いで歩く李典は、思い出したように話す。
「そない言うたら、洛陽で付かんかった決着をえらい気にしとったわ。勝敗を確認する前に気絶してもうたんを悔いとったしな」
「ほう。あの呂布と対峙して生き残ったとは……それだけでも、大したものだ。なかなかの使い手とは思っておったが、呂布を標的としておるとはな」
「他人事とちゃうで。復帰したアンタとも手合わせしたい言うて、目ェ血走らせてたんやからな」
「フフフ、それ程の武人であれば……望む所だ」
関羽は昂る気持ちを抑え、右手をワキワキさせていた。
李典は呆れて李鳳に視線を移す。
「伯雷の言うとった“ばとるじゃんきー”っちゅう病気やけど、意外と感染者多いんとちゃうか。星姐さんもその一人やで」
「ククク、そうでしょうね。張飛殿も重症のようですし……こればかりは、特効薬がありません」
「ニシシシシ、まっ、ウチには縁のない病気やで」
「……だと、イイんですがねェ」
李鳳もチラリと李典に視線を移した。
(自分の事って……やっぱり自分じゃ解らないモンなんですねェ、クックック……面白い)
氣を修め、螺旋槍・改『怒髪天』を愛用するようになって以来、李典は戦闘を楽しむ傾向にある。
丁奉のように“死合”を好むわけではないが、武を競う“試合”においては積極性を見せるようになっていた。
その実力は昔を知る趙雲をして、別人と言わしめる程強くなっている。
強くなる実感を得る事は一種の快楽であり、依存性の強い麻薬のようでもあった。
一度ハマると止められない。
李典が丁奉の発言をあっさり認めたのも、その思いを共感出来たからだ。
李典にとって、それは張遼に当たる。
好敵手と呼べる存在は貴重であり、自身が成長する糧となるであろう。
今の丁奉からすると、呂布はまだ雲の上かもしれないが、何より強さを欲する丁奉を李典はよく理解するようになっていた。
(類は友を呼ぶ……か、そうなると……俺もいつか感染するのか? クックック……蹂躙するのは嫌いじゃないけどねェ、特に……あのエスパー一味は)
李鳳は起こり得るかもしれない未来を想像してほくそ笑む。
表情こそ見えないが、李典との会話を何となく聞き流していた関羽は、ふと思った事を李鳳に尋ねた。
「ところで李鳳殿、一つ聞いても良いだろうか?」
「はい、何でしょう?」
「お主はなぜ……実力を隠しておるのだ?」
「…………」
「神医と称される華佗殿の弟子というだけあり、医術や氣の扱いは素人目からも見事の一言に尽きる。しかし、此度の訓練に付き合って貰って気付いた……否、気付けたと言った方が良かろうか。お主の武力は見せ掛け、つまりは偽りであると……なぜ隠すのだ? なぜ弱く見せる必要がある?」
「…………」
突然投げかけられた関羽の質問に李鳳は沈黙した。
隣を歩く李典も興味深げに口を開く。
「ほほう、そらウチも知りたいなぁ。アンタ今……どんだけ強いんや?」
「いえいえ、私は別に強くなど――」
「言い訳はいらんで。初めて会うた時からアンタはめっちゃ強かったやん……あの夏候惇はん相手に互角にやり合うたんをこの目で見とるんやで、ウチは!」
「なにッ!? あの魏武の大剣と!?」
「…………」
予想外の事実に関羽は驚きの声を上げた。
曹魏最強と謳われる曹操の側近である夏候姉妹、特に個の武力に抜きん出ているという夏候元譲が振るう大剣の噂は関羽でなくとも子供でも耳にした事があるだろう。
その強さは五体満足であった頃の自分と同等であろうと関羽は思っていた。
無論負けるつもりは微塵もないが、手合わせもせずに勝てると断言出来る相手ではない。
一方、李鳳は黙したままである。
李典はさらに言及した。
「最近の鍛錬でもワザと手ェ抜いとるやろ? ウチだけやあらへん。仙花かて毎回イライラしとるんやで、手加減されて勝っても嬉しないて」
「……それはそれは」
張遼を破ったのは夏候惇というのは周知の事実であり、張遼と直接対峙した李典はその張遼を通して夏候惇の強さを改めて思い知らされたのだ。
だからこそ、その夏候惇と互角に斬り合っていた李鳳が弱いとは思っていない。
氣を覚えた李典だからこそ、今の李鳳は遥か高みに居ると感じていた。
それなのに、自分や丁奉との手合わせでの戦績が五分五分で大差がないのはおかしいと思うのは当然だろう。
李鳳は面倒な事になったと顔を顰めた。
(クックック……自分の事は解らないものだと思った矢先に、これとはね……迂闊、としか言いようがないなァ。別に隠してたつもりは……いや、隠してた事になるのかなァ? 最初は将軍より強い軍師なんて、変に目立つからって理由だったっけ……クヒヒヒヒ、聞いてみないとホント解らないモンだ……聞いてみないと、ね)
一瞬眉を顰めた李鳳であったが、一転して笑みを浮かべる。
「クックック……ちなみに、どうしてそう思われたのでしょう?」
「直接剣を交えれば肌で感じる事が出来る。お主が強者であり、それを隠している事はすぐに判ったさ。まぁ隠していると言うよりは、全力を出す気がないと言った方が適切か」
「ウチは最近になってからやな。以前は感じひんかったアンタの凄さが判るようになってん。せやけど、判るようになったからこそ……解らへんねや、アンタの底が見えへん強さがな。この半年で化けたアンタはハッキリ言うて異常やで、何があってん?」
「ふむ、なるほど。なかなか……的を射ているご意見ですねェ、参考になりますよ」
李鳳はなぜかニコニコしていた。
李典は逃すまいと詰め寄る。
「ほな伯雷、素直にゲロってもらおか」
「ククククク、別に隠していたつもりはありませんよ……ただ、関羽殿が仰った通りです。手合わせで本気を出す気はさらさらありません。ほら、言うじゃないですか……能ある鷹は爪を隠す、と」
「やはり……そうであったか」
「いやいや、結局隠しとるんやん! ほんで、化けた理由は?」
関羽は納得しているが、李典は矛盾を指摘せずにはいられない。
李鳳は未だニコニコしている。
「ここ半年で化けた理由ですか……思い当たるとすれば、恐らく小周天を会得したからではないでしょうかね」
「小周天って、何や?」
「簡単に言うと、体中に氣を巡らす気功法の一つですよ。小周天は丹道を経て大周天に至る、これ仙道なり」
「……何のこっちゃ?」
「まぁ、仙術の初歩である氣の極意と思って下さい。それを私が習得したのだと」
面倒臭くて説明を端折った李鳳。
李典は驚きを顕にする。
「せ、仙術て……そんなんあるんやったら、ウチにも教えてェや!」
「うーん……どうでしょう、難しいと思いますよ?」
「なんでやッ!?」
「私自身、言葉では上手く説明出来ないものですから……」
「えぇぇぇ……そこは何とかしィや! 気合と根性で!」
理不尽を押し付ける李典に李鳳は苦笑する。
関羽は静かに呟く。
「氣とは、そこまでのものなのか……?」
「万能、とは言えませんが……有能、有効である事は疑いようがありませんねェ。個人の資質による差異も大きいでしょうが」
「ウチかて覚えるまでは半信半疑やったで。昔、凪に習うた時はサッパリ覚えれへんかったさかいな」
「誰にでも……私にも、習得可能なのだろうか?」
「可能でしょう。と言うよりも……関羽殿はすでに無意識下で氣を使用していますよ、戦闘時の肉体強化でね」
関羽は李鳳の説明を聞き、振り返って目を見開く。
信じられない事を聞いたという顔だ。
「な、なんと……私がすでに、氣を……?」
「ええ、猛将や猛者と呼ばれる武人方は大抵無意識で使ってますよ。張飛殿も趙雲殿も、然りです」
「鈴々や星も……なるほど……なるほど」
関羽は何かを思い起こしながら頷いていた。
関羽にとっては衝撃的でも、李典にとっては以前聞いた事がある内容であったので驚かない。
「なぁ伯雷、そないごっつい極意を会得したんやったら随分強なったんやろ? 今やったら夏候惇はんにも勝てるんとちゃうん?」
「さぁ、どうでしょうねェ……勝ち負けとか、正直どうでもいいので」
「そうなん? その割には真面目に鍛錬は続けとるし、強なろうと必死になっとる気ィがしたんやけどなぁ?」
「ええ、私は強くはなりたいですからねェ」
「……へっ? どういうこっちゃ?」
強くはなりたい、でも勝ち負けには頓着しない。
そんな事を言う李鳳の考えを理解出来ずに、李典は素っ頓狂な声を上げた。
李鳳はクスクス笑う。
「ククククク、どちらの武がより優れているか……私はそんなものには興味がありません。重要なのは、相手を確実に殺し切れるか否か、ですよ。その為には……強くなるに越した事はないですから」
「ハァ……アンタらしいっちゅうか、なんちゅうか」
李典が呆れる反面、関羽は急に背筋が冷たくなる。
虎牢関で呂布を相手取った際、李鳳だけは犠牲を伴うが確実に呂布を殺し得る策を提案していた事を関羽は思い出していた。
自分や趙雲に匹敵するであろう武を持ちながら、武人の矜持は全く持ち合わせていない。
ただの武芸者などではなく、李鳳は根っからの暗殺者気質なのだ。
今は食客として自分達の味方をしていてくれるが、万が一敵対すればと考えると、関羽は薄ら寒いものを感じた。
しかし、すぐに頭を振って考えを改める。
自分の命を救ってくれた恩人に対して、抱いて良い疑念ではなかったと自身を戒めた。
「李鳳殿、願わくば……是非一度全力でのお相手を」
「申し訳ありませんが……私が本気を出すのは、相手を殺す時だけと決めていますので」
「フフッ、なるほど。いや、自分本位で無粋な事を申しました。許して下され」
「いえいえ、構いませんよ。私の我侭でもあるのですから……ただし、殺し合う覚悟があるのなら相手になりますよ。クヒヒヒヒ……!」
律儀に頭を下げる関羽に李鳳は笑い狂う。
関羽も困ったように苦笑する。
「いや、命の恩人と、生死を賭けてまで手合わせしたいとは思いません。私の言った事は忘れて下さい」
「クックック……そうですか? では、聞かなかった事にしましょう」
李鳳は笑って車椅子を押していた。
城を出てから約半日。
時刻はお昼を少し過ぎた折、とうとう袁術軍を視界に捉える。
斥候からの報せが入り、前衛となる騎馬隊は軍師の支持を受け、速やかに陣を形成していく。
袁術軍は兵数で圧倒している為、V字ではなくY字の鶴翼の陣を敷いている。
対する劉備軍は魚鱗の陣と鋒矢の陣の中間のような陣形で応戦する構えを見せていた。
がっぷり四つに組み合うのは得策ではないが、これは孫策との条件であり、孫策達としては一人でも多くの袁術兵を亡き者にしたいと考えているのだ。
劉備軍にとって目下最大の警戒対象は天下無双の武を誇る呂布の存在である。
彼女がどこに布陣しているかを斥候も最優先で探っていた。
睨み合いは続かず、袁術軍はすぐに進軍を再開する。
「報告します。袁術軍、すでに領境を越えて侵入して来ており、宣戦布告無きまま侵略行為を開始しました」
「皆、国を守る為に迎撃行動を開始して下さい! 全軍前進!」
「突出し過ぎずに挟撃の機まで敵を引き付けて耐えて下さい」
「進め!」
「進むのだ!」
再び斥候から連絡が入り、大将である劉備から号令が響く。
あとは将軍や軍師から細かな指示を飛んで部隊が動き始めた。
両軍の最前列が激しくぶつかる。
その轟音は後方の李鳳達にも届いた。
「始まったようですねェ」
「ウチらも準備しよか。おーい、四式持ってきてや」
「はっ」
李典は部下に命じて戦闘用車椅子を用意させる。
関羽は他者の助力を得て四式に乗り換えると、偃月刀を手に武者震いと起こした。
「フフフ……まるで初陣のようだ」
誰にも聞こえない小声で関羽が呟く。
程好い緊張感が体全体を包んでいた。
いつでも動けるように補助動力機関を起動し、偃月刀の握りを確かめる。
騒音と土煙が舞い上がる戦場を眺め、関羽は知らず知らずの内に獰猛な笑みを漏らした。
李典が周囲を見回すと、いつの間にか李鳳の肩に小鳥がとまっているのに気付く。
その小鳥はチチチと鳴き、まるで李鳳と会話しているようであった。
李典は半信半疑だが、李鳳はこの小鳥と意思の疎通を図っているという。
「うん、うん、そうか……呂布、一番強そうな奴は? なるほどね、一番弱そうな奴は……ふんふん、流石は“吉法師”。相変わらず良い仕事してるね、で……孫策は? 野生の虎みたいな奴だよ、えっ!? 嘘だろ……!? ホント……に? What the Fuck!! ああ、すまない……うん、ご苦労だったね。しばらくは安全な場所で待機していてくれ」
小鳥は再びチチッっと鳴くと、森の方へと飛び立って行く。
それを見送った李鳳は一際険しい表情をしている。
李典が何事かと問う。
「どないしたんや? 糞詰まりみたいな顔しよって」
「ククク、まさにその通りだよ。Shit!! あのBitch……Kiss my ass!! マンセー、非常に腹立たしい情報だ……孫策は、孫策軍は此処には来ていない」
「な、なんやて!? どう言うこっちゃねん!?」
突然の事に焦る李典。
「……ここのままじゃ、俺達は孫策の手の平で踊るって事だよ」
「んなアホな……挟撃は、策はどないなるねん!?」
「事実上、その目は潰えたな。舐めやがって……ワザと正面からぶつけさせたのは、その為かよ」
李鳳は憎憎しげに舌打ちした。
土壇場にきて孫策軍の共闘破棄、劉備軍を震撼させるには十分な報せであった。