103話
――眷属。
現在の李鳳には家族と呼べる人物はもう存在していないが、眷属と呼べるモノなら存在していた。
血の繋がりがある者などを指す言葉であるが、李鳳の場合は違う。
血筋ではなく、氣の繋がりがあるモノを眷属と呼んでいた。
最初に李鳳の眷属となったのは、小さい鳥である。
関羽にも使用した蘇生功を初めて試したのが、瀕死の小鳥であった。
初めての施術は無事成功したが、李鳳は加減を間違えて丸二日こん睡状態のまま寝込む事になったという笑い話である。
しかし、その結果が思わぬ副産物をもたらす事になる。
こん睡状態から目覚めた李鳳は、小鳥がまだ部屋に居て、更にはやけに懐いている事に驚いた。
人だけでなく、動物からもあまり好かれた経験のない李鳳は珍しく戸惑う。
肩に乗り耳たぶや頬を啄ばんでくる小鳥を振り払うが、振り払っても振り払っても、小鳥はめげずに肩に飛び乗って来るのだった。
寝床から起き上がり、両手で小鳥を掴んで外に逃がす。
しかし、飛び去る事はない。
無理矢理投げ放っても上空で旋回して、また窓の格子から室内に戻ってきてしまう。
小鳥は「チチチ」と鳴きながら、首を傾げながらも二本足でピョンピョン跳ねて李鳳に近づく。
李鳳は苦い顔をした。
言葉によるコミュニケーションが図れない相手をあまり好まないからである。
ただ可愛いだけのペットよりは、化け猫でも化け狸でも良いから会話が成り立つ方を飼いたいとさえ思っているのだ。
せっかく助けた小鳥を乱暴に扱う事も出来ず、寄って来るならと李鳳は観察を始める。
すると、その小鳥の俊敏性と跳躍力が異常だと気付いた。
そうは言っても、人智を超えているワケではない。
あくまで鳥という種において、その性能が尋常ではないというだけである。
観察と検証を続けると、飛行や滑空速度も同種の鳥類とは比較にならない事が判った。
骨密度や筋繊維がどうなっているのか解剖してみたい衝動を抑えて、李鳳は再現性実験を試みる。
同種の小鳥を捕獲し「心が痛みますねェ」とニヤニヤしながら瀕死の重傷を負わせ、蘇生功を施術した。
被検体は同型同種であり、施術のやり方も同様である。
ただ一点、異なる点があった。
前回の経験を生かし昏倒する程の過剰な氣を込めるのではなく、回復に必要な最低限の氣に留めたのである。
結果として、施術は成功した。
李鳳も今回は昏倒する事なく、多少の疲労で済んだのである。
李鳳は早速施術後の被検体の状態を確認した。
傷は完全に治っており、飛空に関しても問題はなかった。
問題があるとすれば、飛んで行った鳥が戻って来なかったというお粗末な事くらいであろうか。
最初に助けた小鳥は未だに李鳳のそばを離れようとはしない。
しかし、李鳳の目には前者と後者で決定的な違いが映っていた。
それは鳥が身に纏う氣である。
総量、氣質が明らかに異なるのだ。
前者のそれはむしろ李鳳の氣に近かった。
李鳳はある仮説を立てて、動物虐待という実験を何度か繰り返した。
そして出た結論は、氣の過剰注入による肉体および精神への介入と変質である。
李鳳の氣を過剰に受けた小鳥は、同種を圧倒的に凌駕する肉体的性能と卓越した精神を宿したのだ。
絶対服従や自由自在とまではいかないが、小鳥は李鳳の意思や言葉をある程度は理解していた。
また、李鳳も小鳥の意思を抽象的な漠然としたイメージで理解出来るようになっていたのである。
現在、小鳥は陳登とのパイプ役となる伝書鳩代わりや、敵情視察といった伝達・偵察任務をこなしている。
小鳥だけではない。
李鳳にはそれ以外に小猫や小犬といった数種類の生物が眷属となっていた。
その眷属達に李鳳はそれぞれの地域や場所で情報収集などの役割を与えている。
先行調査や先遣隊といった立場を担わせていたのだ。
李鳳の眷属の中で一番大きいのは小犬である。
これには理由があった。
弛まぬ修練と研磨によって氣の高みへと登っている李鳳であったが、過剰な氣の注入にはリスクも伴うのである。
蘇生に必要とされる氣の量は、対象となる生物の大きさに最も深く起因した。
つまり馬や熊や虎、ひいては人間といった大型の生物を眷属するだけの氣の注入は、その絶対量が足りずに李鳳の死が付き纏うのである。
流石の李鳳も実験の為に自分の命を犠牲にする事は出来ず、関羽の一件からも、人型以上の生物を眷属にするのは無理であろうと確信していた。
眷属に関する事は李典にも話していない。
李鳳は今後も話す事はないだろうと思っている。
切り札となり得るモノは、全て自分一人の中に抱え込んでこそ情報の漏洩を防げるのだ。
相棒である李典を信じる信じないの問題ではなく、自分以外の誰かに話すという事は全ての人に知られるのと同義であるというのが李鳳の考え方であった。
話す限りは口止めの有無に関わらず、誰かにバラされても仕方ないと李鳳は思っている。
つまり、逆もまた然りなのだ。
李鳳は誰かから内緒話を打ち明けられても律儀に黙っているつもりはないのである。
むしろ、だからこそ言い触らしたいのだろう。
自分で探って知ってしまった秘密に関しても同様なのだ。
他人知られて拙い事を誰かに知られるという事は、そいつがマヌケだと李鳳は考える。
李鳳が恋姫の世界に転生してから十数年が経過した。
この世界では女尊男卑であり、理不尽な経験を何度もしてきた。
その中で最も理不尽だと業を煮やしたのが【孫策】という存在である。
彼女の神懸り的な直観力(勘)は、常識の範疇では収まらない。
李鳳が“エスパー”と称したのも、内心の恐れからだった。
極稀にうっかりミスする事はあっても、李鳳の秘密厳守や隠し事に関する徹底した言動には多少の自負があった。
彼女はその自信を粉々に砕き割ったのだ。
李鳳にミスらしいミスがないにも関わらず、全てを見通したかのような孫策の発言は、李鳳ですら心や頭の中を読まれたのではと疑った程である。
熟練の達人が優れた観察力や洞察力で行動や心理を推測するのではなく、直感で言い当てるのだ。
その的中率が百発百中であるなど、これほど理不尽な事はないだろう。
どれだけ口を閉ざしても、細心の注意を払って隠密な行動を取ろうとも、根拠のない閃きに屈服せざるを得ないという現実には我慢ならなかった。
内心の動揺を押し殺して平静を装う李鳳を前にして、孫策は自分の直感だけを揺ぎ無く信じ、そして、李鳳を見て哂ったのである。
隠しても無駄だ、お前の矮小な考えなど全てお見通しだと言わんばかりに哂ったのだ。
李鳳が孫策という存在を許すまいと決めた瞬間であった。
殴ってやりたい、罵声を浴びせたい、殺してやりたいではなく『存在を許さない』である。
神にでもなったつもりかと罵倒されても、李鳳には関係なかった。
李鳳にとって、この世界の神とは【母】なのだ。
その母の最大にして唯一の望みは自分が笑って一生を過ごす事である。
自分が笑えないどころか、自分を哂ってくる存在を看過するつもりは毛頭ない。
半殺しの目に遭い、一家を皆殺しにされ、華佗に弟子入りし、公孫賛に仕官してからもずっと孫策に対して、否、孫家に関わる者達に対しての脚本を練り続けてきた。
目の前に居る少女も駒の一つである。
小猫と戯れて悦に浸っている少女に口角を上げた李鳳が声をかけた。
「随分気に入ったご様子ですねェ」
「はふぅぅ……小猫様~、モフモフですぅ」
「その子も周泰殿にとても懐いてるみたいですし……どうでしょう、周泰殿の方で引き取って頂く事は可能でしょうか?」
「ウフフフフ…………へっ!?」
だらしない顔をした周泰が李鳳の言葉に反応して、素っ頓狂な声をあげる。
「良ければその子の為にも、周泰殿に貰って頂けないかと」
「えっ? よ、よよよよよ、宜しいのですか!? こ、こんな聡明な小猫様を、私如きが!?」
周泰は驚きを隠せなかった。
まるで人語を理解しているかのように賢い小猫は呼べば付いてくるし、待機を命じるとその場で大人しく待っている利口な子なのだ。
周泰の過剰な愛でっぷりにも嫌がる事無く、むしろすり寄って来るこの小猫に周泰は心を奪われた。
元々無類の猫好きであるが、気ままな猫が相手であるだけに苦労が報われる事は少なく、餌を献上してもさっさと食べて触る事すら出来ない事が日常茶飯事である。
眺めているだけでも幸せであったが、本音はやはり触れ合いたかったのだ。
そんな折に出会った自分に懐く聡い小猫に、周泰が篭絡するのは僅かな時間で十分だった。
「クックック……勿論ですよ。その方が、“この子の為”にもなりますから」
「おお、申し出感謝致す! して、この小猫様の名はなんと申されるのですか?」
「私は【竹千代】と呼んでおりましたが、周泰殿の好きに名付けて貰って構いませんよ」
「いえ、とても立派でお似合いな名前です。竹千代様……不束者でございますが、これから宜しくお願い致します」
周泰は竹千代と呼ばれた小猫に臣下の礼とばかりの姿勢を取る。
竹千代はそれに応えるように「ミャァ」と一鳴きするのだった。
周泰はそれだけで感涙した。
それを見て、李鳳はほくそ笑む。
計画通りに事が運んでいるからである。
現代から転生した李鳳の前世の記憶には、今後の孫呉にとってターニングポイントとなるイベントがいくつか刻まれていた。
情報は時として凶悪な武器になる。
李鳳はそのアドヴァンテージを最大限に利用し、最高のショーを計画していた。
歪んだ笑みは、関羽の訓練に呼び出されるまで続くのだった。
PCの不具合により更新が遅れました。
これからもボチボチ続けていきますので、宜しくお願いします。