5 学校
時制など、あやふやなところもありますが…。大らかな目で見ていただけると<m(__)m>
城の中には、貴族の子弟が13~18歳までの6年間通う学び舎があった。正式名称はとても長すぎるために、皆は「学校」と呼んでいた。一学年30人程度だから、競争倍率は大変なものだった。
平民でも金持ちや飛び切り優秀な子供は、性別を問わず入学を許可されていた。これは、初代校長でもある賢帝プレート王の意向を反映した理念だった。将来の国の幹部候補と豪商たちの接点を持たせることが目的で作られた学校でもあった。だから、王室の人間であれば入学資格があった。
実際は、貴族の女性の多くが16歳で社交界にデビューして結婚相手を探すことが主流の中で、適齢期に学校に入る女性はめったにいなかった。男女問わず勉強やマナーは家庭教師をつけて行うことが主流の中、学校が作られて90年余りの歴史の中でわずか4人。5人目の女性が私だった。
しかも皇太子候補での入学は初。それがニュースになる訳でもなく、城の中で無視されていた私は、学校の中でも目立たない、中途半端な存在だった。
私が学校に行った理由。それは行くべきところが、他にどこにもなかったからだ。城の中で無視をされていた私も、読み書きレベルまでは家庭教師がつけられた。しかし、乳母がこの世を去った9歳以降は放置状態だった。毎日、城内の図書館と部屋の往復の日々。図書館にある本が、私の先生であり、唯一の友でもあった。私を悪く言わないし、ページを捲れば答えてくれる。小説の世界は遠くへ連れて行ってくれるし、知らない知識をいろんな分野から吸収できる。
人との接点と言えば、炊事部に食事を取りに行く時位だった。私は給仕やシェフに、もう少し食べなとか、あんたはいつも残さず食べるしお皿も洗って返すなんてこんな姫さまはいないねぇとか、砕けた言葉遣いでもかけられる言葉は何でも嬉しく感じた。たまに頭を撫でられる時など、心から温かいものが出てきてその扱いに困った。言葉にしたくてもなかなか出てこない。部屋に戻る帰り道、ありがとうと言う練習をしても、ここぞという時に出てこない、愛想も要領も悪いのが私だった。
いつもおいしいオムレツを焼いてくれるシェフが、ある日、学校を知っているか、と問うた。
私は首を横に振った。シェフの子供が、来年入学するのだが、そこでは勉強だけでなくいろいろな教養が身につくらしいと。炊事部の人々は「あんたのガキは天才らしいね」とか大騒ぎしていたが、シェフは照れたようにそれには答えず続けた。王室の人間なら入れるらしい。あんたは直系だから間違いないらしいと、うちのガキが入学資格を読みながらが言っていたんだ、と温かく笑った。
人のお宅で自分の(噂ではない)話題が出ていると聞くのは初めてで、学校というところがどういうものか、私は興味が湧いた。そういえば城内に四角い古ぼけた建物があり、若者たちが日夜集まっていたなぁと思い返した。その時の私には、部屋と炊事部と図書館以外はぼんやりとしか見えていなかったのだ。この世に存在していないみたいに。
私は生まれて初めて、王である父にお願いをした。交流がなく、近いうちに王族が集まる儀礼もなく、自然に父に会うのは難しかった。私は初めて手紙を書き、父の従者を待ち伏せして、手紙を託して走って逃げた。
返事はなく、それでも、入学式の前日に許可証と用具諸々が届けられたのだった。愛想のない父の従者は、荷物を届けると「励むように」とだけ言って去った。父からの伝言はやはり何もなかった。