番外編 君に 上
コッソーレ家の4男坊。
それが俺のあだ名だ。初めて会う人から、「あぁ、あの」といういつもの言葉を付け加えられるのは称賛されたようだったが、同時にこの言葉にふさわしい自分にならなくてはと窮屈な思いもしていたのは事実だ。
子供の頃から、母が時々、自分をとおして誰かを憎んでいるような目をすることに、実は気がついていた。口差がない使用人たちが「娼婦の子」「奥さまはよく引き取られた」とか言っているのを聞いたことがある。多分自分のことなんだろうと気づいたが、意味が分からなくても誰にも尋ねてはいけないことも察していた。
それを除けば、穏やかな少年時代だった。3人の兄たちは、喧嘩をしつつも可愛がってくれた。長男の兄ヨハンは学校に行っていることもあり接する機会が少なかったが、年が離れていることもあり兄のように父のように厳しい人だった。
貴族の奥方というのは、子供を乳母にまかせることが多いが、母は教育熱心だった。家庭教師に細かな指示を与える総監督のようだった。父と母は仲が良い方だったと思う。家の中では、他の女の存在を父は一切見せることはなかった。母や子供の誕生日には、どんなに忙しくても帰ってプレゼントを渡す気遣いを見せた。いつも決まりきった愛情の見せ方。いつもの通り。わが家に例外はなかった。多分自分を除いては。
9歳の時、19歳だった長兄ヨハンが王様の近衛隊に入るため家を出ることになった。兄は俺を呼び、本当の母親が娼婦であったこと。父の留守に生まれたばかりの赤ん坊を抱いてきて、母に手渡すまでは動かないと執事に詰め寄り、母に渡すと去って行ったこと、を告げた。兄の中でその女はどう見えたのだろう。いつもながらの淡々とした温度のないしゃべり方。冷たい目線は窓の外を見ていた。
「知っていました。」
そうか、と兄は答えた。
「お前はどうしたい。」
「どうもこうも俺は俺ですよ。」
俺はいつものようにおどけて答えた。いつもなら眉間に皺を寄せる兄が無表情だった。
「近衛隊に行くが、いつか俺はこの家を継ぐ。だから」
お前に俺から話したんだ、と兄は言った。父も母も言えなかったんだろう。それを兄は分かっていたのだ。この人にも人間らしいところがあるのかと、そちらの方が驚きだった。
「お前は俺の弟で、コッソーレ家の4男坊だ。それは始めから変わらない。」
そう言って、部屋から急ぎ足で出ていく兄の背は、驚くほど大きく見えた。
この話をした時、ジェスは衝撃を受けた顔をして泣きそうになっていた。もちろんまだ幼かった俺は、兄の真意を理解できず、世界に拒否された気になっていた。でも今は分かる。兄は好きなように生きろと言ってくれたのだと。そう思えるのも、ジェス、お前のおかげだ。そして、お前への思いに気づくのが遅すぎた俺をどうか許してほしい。
学校に王家の女性が入る、しかもあの「影の皇太子」だというから、皆内心好奇心で一杯だった。どうも同じクラスらしいと噂には聞いたが、似たような短髪と同じ制服を着ている姿は、全く目立たなかった。父と親友でうちにもよく来る厚生大臣の息子テラロッサが言った。
「あいつ、あのきのこ頭」
入学したばかりで、仲間を作ろうと張り切っているのか、バカみたいな話を大げさに笑いあっている一部に、緊張しているのが丸わかりでひきつった笑いを浮かべていた。
愚鈍で不器量、踊り子の娘、「影の皇太子」への悪評はさんざんだった。社交界にデビューするどころが髪を切り学校に入った時点で、女として生きようとする意志すら放棄した変わり者だと、世間は評価すら放ろうとしていたのに。
その笑顔は、どこか無垢だった。遠くからじっと見てみると醜女と言えるような顔立ちではなく、くせのないパーツはバランスが良いようにも思えた。優しげな目鼻立ちと、口元は可愛らしいと言えなくもない。
噂は噂か・・・。王太子候補筆頭の妹姫は早々と社交界にデビューし、王妃は娘の縁談に躍起になっていると聞く。王家にも国民からも無視されたようにされたこの第一王女が、周りの権力争いのため不遇にさらされているとしたら・・・。
目の前には相変わらず、微笑んでいる姿が見えた。周りからは「影の皇太子」にまつわる悪口をあてこすられているというのに。
俺は、湧いてくる苛立ちを抑えきれずにいた。お前はそれでいいのか。真実でないことを言われたままで、自分を殺したままでいいのか。なのになぜ笑えるんだと。昔の、噂を黙って聞かされた自分が甦ってくるようだった。思い出せば、自分も困ったときは薄笑いを浮かべていることに気づいた。口に力を入れて片方だけ口角を上げる。
その時、理性がプツンと切れた。衝動が抑えきれず、俺は立ち上がりあいつに近づいた。あいつは驚いて微笑みをやめ、慌てた表情をみせた。
それでいい。ただ嘘の笑いをつくろうよりも。
俺は近づけるだけあいつに近づきささやいた。美しい耳をしていた。白くてほんのり赤くてうっすら静脈が見える。耳の裏に3つの黒子が縦に並んでいた。似たような星を冬空に見かけることがあるな、と後で思った。
多分、失礼な振る舞いだった。怒られて当然の。けれど教室を出て行ったあいつは、授業が始まる前にフラフラと帰ってきただけだった。振り返ると、ボーっと赤い顔をしていた。
俺はフッと笑った。胸がこそばゆかった。でもその時は、気に入りのおもちゃを見つけたような気持ちでそれが恋だったなんて気づいてはいなかった。
それから、あいつと接する機会があれば、俺は徹底的にあいつを揺さぶることにした。ディベートの時は徹底的に叩きのめしたが、大抵言葉を詰まらすあいつが面白くて、周りの「ちょっとやりすぎじゃないか」という言葉も完全無視していた。
しかし、妹姫が同盟国と婚約を結ぶことになり、あいつの立場は徹底的に悪いものになった。誰も腫れ物のように扱い、帰りによく一緒にいる奴ともおらず、一人がいつもよりも際立って暗い顔をしていた。そのまま思い詰めるのではないか、と心配になって後をつけてみると、城の裏の藪を進んでいく。
まさか森で命を・・・と真っ青になり、急いで追いかけると、目の前で池の傍にあいつが立っていた。俺に驚いて池に落ちそうになっていたあいつの体を無理やりつかんで引っ張った。その瞬間、こちらを見つめるあいつの目と俺の目が合った。後ろには一面の蓮と蓮の花。
夢の中なのかこれは・・・。
柄にもなく彼女の目もつかんだ体も離せなかった。それは一瞬だったが、ずいぶん長い時だったように感じた。それから気がつくと、俺は池を離れて家に向かって歩いていた。彼女を助けてから去ったのだけど、詳しくは覚えていない位、俺は夢心地だった。
それからもしばらくは、放課後池に向かった。けれど、彼女に声をかける勇気は出ず、さりとて行かないことも出来なかった。ある日、自分の方が先に来てしまい、彼女が遅れてきた。向いあっても彼女は逃げなかった。自然と挨拶が口に出て、彼女も答えた。俺たちは笑い、それから友達になった。俺は初めて学校に感謝をした。本当、あいさつは大事だ。
それからも池で会えば、バカな話をしてこの心地よい関係に俺はすっかり安心しきっていた。社交界で知り合った女性たちとかわす駆け引きも嫌いではなかったが、緊張しながらも自分をさらけ出そうとするあいつを見ていると、過去の自分を許したくなるようなほのぼのとした思いを感じた。
女と二人でいるのに、しかも相手は王女なのに、いつも囲んでいる友達とも違う安心感があった。文官である兄の手伝いをしろと父が言ってきたときには、あぁついにと思った。要は王に気に入られろということだ。つまりひいては、縁談がなかなか進まない妹姫の婚約相手にされるのかもしれない、と俺はうすうす気づいていた。
だから大人げないとは思ったが、学生なのをいいことに、兄のメンツをつぶすことばかりした。王に気に入られまいと。しかし、不思議だったのが、王が話しかけてくるのは、あいつの話しばかりだったことだった。学校での様子を聞かれたので、大変熱心に学び先生方にも積極的に教えを請うていること、ディベートは少々苦手なこと、他の生徒と同じことを王女だとまったくおごらず真摯に取り組んでいること、など熱弁した。いつもの自分らしくもなく。(もちろん池で会っていることは黙っていたが)。王は見たこともないような微笑みを浮かべて聞き、嬉しそうに頷いていた。
あいつは王についてほとんど話さず、学校でも王は、と自分の父だと感じさせないような扱いで話す。接触もないと言っていた。しかし、王は全て分かっているんじゃないか。と一瞬思ったが、いつの間にか王の笑いは消え、俺は後にした。後ろで兄貴が見守っていたとも知らずに。
結局俺たちは大人の手の中で転がされていた。




