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18 月夜

 マスクが外れてしまう!今のこの時が淡雪のように消えてしまうのが怖くてたまらず、あいさつも何もせず、部屋を出て暗がりに逃げた。舞踏会の灯りがほんのり周りを照らすほど離れた場所へ。今日は月は出ていない。真っ暗だった。三日月だったなら、勇気が出せただろうかと私は一人ごちた。


 せっかく会えたのに…。結局逃げてしまった。いつまでたっても私は変わらないなと、落ち込むだけ落ち込みながら、紐を結び直し、今度は涙を隠すためにマスクをつけた。


 しぼんだ勇気と虚勢は戻ってこない。さっきの私は消えていた。彼のぬくもりを、一生忘れないで生きていこう。そう自分に言い聞かせても涙はとまらなかった。誰にも会わないようにそうっと帰ろう。外から入口に向かおう階段を上っていた時だった。


 「遅いよ。」

  

 下から声がかけられた。彼の声に違いなかった。私は頭が真っ白になって振り返ることが出来ない。


 「大丈夫?」


 むきだしの私の肩をつかみ、自分の方に向けながら彼は覗き込む。いつか誰かに首に唇をつけられたとき嫌でたまらなかったのに、彼が触れるとずっと触れてほしいと思うのはなぜなんだろう。


 私は振り返った。いつの間にか月が出ていて、月明かりが彼の瞳をマスクの間から照らしている。暗いと思うほどの漆黒の瞳の中にキラキラした光が見える。昔と同じキレイな目。


 逆光になっている私の顔は見えないだろう。私の正体を知っているのか知らないのか、もうどうだっていい。私は欲しい。ただそれだけ。


 「お願い。」


 陳腐かもしれない。でもその言葉しか出てこなかった。私は必死だった。そう言って、彼が答える前に私は彼に近づいて行った。そして一瞬躊躇したあと勇気を出して触れてみた。私の唇で、彼の唇の傍にあるあの三日月の黒子へと。


 唇が触れたのは一瞬だった。ひんやりとした彼の頬に、さっき泣いたからか腫れた私の熱い唇が触れたのは。パッと離れると、びっくりした彼が瞬きをしたのが分かった。ゆっくりと二回。パチパチと音が聞こえてくる位。こんな大事な時なのにどうしてこんなことが気になるのだろう。


 真っ赤になった私が逃げようとした瞬間。後ろから抱きつかれて、鎖骨とお腹のあたりに彼の腕が来、逃げるなと言うように、私を下から押さえ込んだ。離して、と振り払おうとした時、鎖骨にあった手が顎に添えられて後ろを向かされ、彼が階段を一歩上ると、私はキスされていた。


 唇は重なり切れず、間から息が漏れる。ひどく性急だった。彼の息遣いと私の息遣い、そして唇の触れる音だけが耳に響く。言葉のかけひきではなく、身体で伝えるのはひどく恥ずかしいのに、私は安堵していた。言葉で伝えるのが不得手な私は、求められているのがただただ嬉しくて、食べられるように口づける彼が愛おしくてたまらなかった。私も彼を真似て懸命に応えた。彼はあたたかかった。


 長い時間が経ったようだった。ようやく会場の音楽が耳に届き、彼のマスクがずれて頬にあたってチクチクする。そんなことにようやく気付いたころ、彼が私の左耳を軽く噛み耳の裏に口づけた。甘い痺れに、私はまた体全体が酔ったような思いになった。


 その時、誰かが近づいてきた。その後ろに何人も従えて。妹だった。


 彼も気付いて私に何かを言おうとしたが、それを振り切るように離れると全力で駆けた。私はまた逃げた。結局私はいくじなしだった。彼の黒子にキスするという目的は果たしたけれど、気持ちを伝えるでもなく、妹に対峙するでもなく、甘い時間も夢のようだった。


 ただの女になりたかった。でもその代償はなんて大きいのだろう。残ったのはみじめな私一人だった。心はどんどん冷えていく。


 それでも、彼にささやかれた耳はいつまでも熱いままだった。

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