12 母
「俺の母親は娼婦で、生きてるか死んでるか分からない。へその緒のついたままの俺を、母さんに渡してどこかへ去って行った。」
9歳の時、近衛隊に入るため家を出る長兄から聞いたのだと、淡々と話してくれたのはいつのことだっただろうか。
あの冷たい目をした近衛隊長に、どんな状況で告げられたのだろうかと、そればかりが気になって小さな彼がどれほどショックを受け泣いただろうかと、胸をかきむしられる思いがした。同じ頃、私もこの世で唯一私を気にかけてくれた乳母を亡くして、世界が終ったような気がしていたから。
私の産みの母は、東ことイースタラント連邦出身の舞踊団のダンサーだったらしい。王家の中では母の存在はなかったものになっており、父に聞きたくとも元々話しすらできない私は、乳母の語る母像しか知らない。
「東から北へ向かって旅を続ける途中に、たまたま城下であったお祭りに参加し踊る姿を、城を抜け出して祭りに来ていた王が見染めて妃になられたのです。」
イースタラント連邦のどこ出身なのかも、家族も何にも分からない。ヨランダと言う名前と、私を産んだ時18歳だったということだけ。
侍女たちや親戚の噂では、妃になってすぐに父に飽きられて名家出身の義母が正妃になり、私を産んだ後、心のバランスを崩して舞踊団の男と駆け落ちして、私を残して城を去ったという顛末だった。
そんな耳を塞ぎたくなるような噂を聞くと、私は乳母に「お母さまはどんな方だったの?」と問うた。乳母は同じ話しかしないが、時折、優しい方だった。とか、姫が産まれるのを楽しみにされていた。など噂とは違う母の姿が加えられることがあった。噂と乳母の話しの矛盾をきくこともせず、私は乳母の話しの中の母像をすべてすくい上げてつなぎ膨らませ、なんども眠れない夜に頭の中で再生した。
「お母さまの誰よりも綺麗に踊られる姿を、お父さまが見染められて、妃になられたのです。お優しい方で、姫の生まれるのをお父さまもお母さまもそれは楽しみにされていたのですよ。」
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きっと彼は、貴族たちの噂で私の母のことを薄々知っていただろう。「影の皇太子」で「踊り子の娘」、とんだ悪評ばかりの私だったから。それでも私の小さなころのかけらのような思い出話を、荷の一つとして加えてくれるのが、なんだかこそばゆかった。
「ありがとう。」
彼に向かって言った。
「もし、母にどこかで会ったら、「ありがとう」って娘が言っていたと伝えて。」
珍しくよどみなく伝えた私の言葉に、まぶしいような目をして、彼はうなずいた。釣りを続ける姿をちらほら見ながら、なんで思ってもみないような言葉が出たんだろうと私は思った。母のことを思うとやりきれない悔しさのようなものが湧いてくるのに、口から出たのは違う言葉だった。
彼によく見られたいから?浅ましい私・・・。でも、それだけではない気がした。池で彼と過ごす時間は、私の人生で初めてできた居場所のようなものだった。それを現わす言葉も、母に伝える言葉も、同じような気がしたのだ。
「それで、どうするんだ?」
あぁ、そもそもは卒業後の話しだった。心をさらけ出すのが苦手な私は、話の雰囲気を戻したくて、答えた。
「母になる。」
「は?え?」
誰、相手?と言いながら、釣竿を落としそうになり慌てている彼を見て、してやったりと私は笑い転げた。あのニヒルの権化のようなチェザーレのこんな間の抜けた姿を、みんなに見せてやりたいもんだと思いながら。
卒業後の私は、城の中に一角にある児童院で教師をすることになっていた。悪評からか縁談も来ず、かと言って社交界に出るには時期を脱していて、妹の縁談も本決まりになりそうなこともあり、城から出して問題を起こされては困るというのが、義母を始めとする周りの決定のようだった。
こうして一緒に、蓮の花々を見るには最後かもしれないなと、考えると胸がせつなくなった。私は、自覚している。チェザーレへの恋心を。たぶん、ささやかれた最初からずっと、私には彼だけだった。
忘れないでおこう。こんな時間があったことを。私は気付かれないように涙をこらえた。
季節はまたたく間に過ぎ、私たちは学校を去った。次の約束なんてしたこともない私たちは、お互いにさようならも告げずに、これが最後とは知らずに過ごしたあの日を最後に、池での時間も終えていた。
彼は東へ、私は城内にとどまったまま。




