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第二章 三話

 忌まわしき存在として知られる伝説の魔女アイソリュースを目前にしたイーリーは、それとは別の理由によって圧倒され、気持ちが乱れるのを感じた。彼女のまとうタイトな服が浮かび上がらせるラインは、イーリーが同年代の男子と比べて奥手であるという事実を除外しても、鼓動の速さを実感せずにはいられない魅惑的なものだったのだ。加えて、視線の高さにスリットから覗く太腿があり、視線を上げれば豊満な乳房の向こうに少女のように微笑む顔がある。

 しかしそのどれよりも、イーリーの心に深く印象を残したのは、瞳の美しさだった。漆黒の闇は光に濡れ、虹彩に曇りはない。半透明の幻のような身体のなかで、そこだけが実体のように思えた。

 イーリーは、下から見上げることになんだか罪悪感を感じて、慌てて立ち上がる。何か言おうと思うが、言葉が浮かばない。動揺している自分に気付き、彼はともかく散らばっている本を集めることで、落ち着くまでの時間稼ぎをすることにした。

「手伝うわ」

 そう言って、アイソリュースも手伝い始めた。イーリーは、言葉に表せない不思議な思いに捉われる。奇妙な違和感……まるで当然のようにそこに居て、本を片付ける手伝いをしてくれるのは伝説の魔女。闇の象徴であり、決して封印から目覚めさせてはならないといわれる『深淵の眠り姫アイソリュース』なのだ。

 しかしどうだろう。少なくともイーリーは、彼女を話に聞くような恐ろしい存在には思えなかった。緊張はするが、それはまた別の理由からだ。逃げ出すことや、誰かに報告することなど、微塵も思い浮かばなかった。

「あの……」

 静寂に堪えかねたように、イーリーが口を開く。しかし言うべき言葉が見つからず、迷った挙句に手にしていた本を示して尋ねた。

「これは、何語なんですか?」

 後から思い出したイーリーは、あまりに間の抜けた台詞に恥ずかしくなった。突然現れた伝説の魔女に、まず言うべき言葉ではない。しかしこの時の彼には、会話の糸口を見つけ出すことで精一杯だったのだ。

 アイソリュースはイーリーの手にした本を見ると、不意に霧が晴れるように姿を消した。驚いたイーリーは、上の方から声が聞こえて再び驚く。

 見上げると、彼女はまるで足場があるように宙に立って、最上段の本棚から一冊の厚い本を取り出した。

「これを使うといいわ」

 投げてよこしたのは辞書だった。アイソリュースはまた消えると、彼の目前に現れた。

「レプトン語よ。私が生きていた頃のピーモ族が使っていた言葉で、今はたぶん使われていないと思う」

「たぶん?」

「私は封印の地から離れられないし、小さな彼女はまったくピーモ族の言葉を話すことが出来ないの。母親はきっと話せるだろうけど、意識して使わないようにしているみたいだしね」

 その言葉を聞いてイーリーは、ようやくすっきりした気持ちがした。アイソリュースだろうという確信はあったが、それを問いただしたわけではない。しかし今の台詞で、自分の確信が間違っていなかったことを確認できた。

「あの、アイソリュース……さん?」

 恐る恐る口にしてみる。すると、彼女は意外な反応を見せた。

 はにかみながら、じっとイーリーを見つめたのだ。そしてもじもじしながら、何か誤魔化すように咳払いをする。

「えっと……私のことは、アイサって呼んで欲しいかな」

 そういえば、プリムが同じ名前を口にしていたのを思い出す。

「アイサさん、ですか?」

 どうやら彼女は、アイソリュースと呼ばれることに抵抗があるようだった。イーリーに彼女の要求を拒む理由もなかったので、すぐに承諾する。

「それで、何?」

「えっ?」

「用があるから呼んだんでしょ?」

 一瞬の間があり、イーリーは思い出した。確かに名前を呼んだが、何か用があったわけではない。あれは、確認のためにした行動だ。「あなたはアイソリュースさんですよね?」という意味で、口にしたにすぎない。言葉足らずが誤解を与えたわけだが、それを正直に答えるのは申し訳ない気がした。

 結局彼は、本来の目的に戻ることで、この場を切り抜けることにした。アイソリュースに養成所のレポートを書いていることを説明し、そのための資料がここにはないか尋ねたのだ。

「んー、確か何冊かあったと思う。でもほとんどが、その本と同じレプトン語で書かれているはずよ。私が覚えていることなら、少しくらい教えてあげても良いけど……」

 アイソリュースは腕組をして、意味ありげにイーリーを見つめた。

「あの、何か条件でも?」

「退屈なの。だから何でもいいから、色々聞かせてくれればいいわ」

 思わず身構えたイーリーだったが、意外に普通の条件で拍子抜けする。まさか封印を解けとは言わないだろうが、もう少し難題を出してくると思ったのだ。

「それぐらいなら……でも、ボクもそんなに話題が豊富なほうじゃないから」

「それなら、養成所のこととか、どんなことを勉強しているのかとか、その辺から聞かせてよ。最近の魔法についてはさっぱりなのよね」

 イーリーは頷き、養成所で教わった魔法の知識を説明することにした。養成所の成り立ちを話すと、どうしてもゼーマン・ハイデルの名を口にしなければならない。やはり、自分を封印した相手の名は、あまり聞きたくはないだろうと思ったのだ。



 話の間、アイソリュースは「へー」とか「ほー」とか、一つ一つに何らかの反応を示した。

「つまり、【元素魔法】が今の流行ってことなのかしら?」

「流行というか、養成所の三年間で教わるのはそこまでだってことなんだ。そこから先は独自に修行をするんだけど、そうした機会に恵まれるのは成績が優秀だった、一部の人たちだけなんだよ。もちろん、独学で魔法を習得した人だっていると思うけど、さっき話した通り、権威というか肩書きというか、そうしたものが一つの判断基準になるから、一般社会で認められるのは養成所を卒業した魔導士だけになってしまう」

「じゃあ、【詠唱魔法】が使えるのは、魔導……士?」

「魔導師、師範の師だよ。音が同じだから、一般的には導師って呼ぶんだ。応用魔法……アイサさんの言う【詠唱魔法】を習得すると、導師として認められるわけなんだ。これってつまり、認めてくれる導師の下で修行をしないと、現実的には無理ということになる。だから、世間では応用魔法の認知度は低いんだよ。滅多に使うところを見ることはないからね」

「それだけ、平和になったということなのね……」

 一瞬、アイソリュースは遠い目をした。しかしすぐに、好奇の色を覗かせて再び疑問を投げかけた。

「もしかして、『魔法使い』は死語なのかしら?」

「そんなことないよ。魔導士を名乗るには協会の許可が必要だけど、魔法使いを名乗るのは自由なんだ。つまり、魔導士というのは証明書みたいなものなんだ。仕事を依頼する時とか、その人の実力を知る指針になる。協会にも登録されるから、身元もわかっているし、安心ではあると思うよ。だからと言って、魔法使いがダメということじゃないんだ。ただ、基準がないから誤解を招くことも多いらしいよ」

 魔法という、共通の話題が功を奏したのか、お互いに打ち解けることが出来たようだ。

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