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第一章 四話

 イーリーがどう動こうとも、男の目指す標的が変わるわけではない。最小の動きで距離を縮め、手の中に隠すように持った小型ナイフで切りつけてくる。木を盾にしながらかろうじて避けているが、それも徐々に限界がきていた。まず、彼の体力がもたない。普通に逃げるよりも、心身ともに疲労していた。

 腐葉土に足を滑らせたり、木の根につまづくことも多くなる。そうした隙を、男は決して逃さず責めてくるのだ。最初は制服を切るだけの攻撃も、やがて皮膚に浅いながらも傷を残すようになった。血はほとんど出なかったが、逆にそれが痺れるような痛みとなってイーリーを襲う。

 なんとか形勢逆転を狙おうと魔法を使うチャンスを窺うが、その隙が相手にはない。今のイーリーの能力では、どれほど急いでも三十秒は必要だった。『素態』の練成には、意識の集中も必要である。逃げつつ、攻撃も避けなければならない今の状況では、魔法を使うのは無理といえた。

 ……どこかに隠れられれば。

 魔法でもたいした攻撃にはならない。だが、このまま逃げ回っているよりは、何かのきっかけになり得る可能性がある。時間を稼げる場所を、イーリーは視線を素早く走らせて探した。

 祈るような気持ちだった。すると、それが通じたわけではないだろうが、岩壁に、錆付いて同化している鉄の扉を発見したのである。さらにその隣には、人工的に掘られたと思われる横穴が開いていたのだ。

 鉄の扉は簡単に開きそうにない。だが、横穴もどこまで続いているのかわからない。どうすべきか、イーリーは迷った。その時である。

 横穴から、十歳ほどの少女が飛び出して来たのだ。少女はイーリーたちの姿に、驚いたようにその場で立ちすくんでしまった。それを見た男が舌打ちをし、イーリーは微かなその音を捉えて直感する。

「逃げるんだ!」

 叫ぶと同時に、イーリーはあらん限りの力で大地を蹴った。前のめりになりながら少女を庇うように腕を回し、勢いのまま倒れて地面を滑る。

 痛みに低くうめいたイーリーは、自分を見下ろす影に気付いた。男が、とどめを刺しにきたのだろうか……そう思い向けた視線の先には、先端が三又に分かれた槍を持ち、帷子(かたびら)の上から胴と両手足に鎧をまとった老騎士の姿があった。

「プリム、大丈夫か?」

 どうやら、少女の知り合いのようだ。

 老騎士は瞬時に視線をめぐらせ、状況を把握する。プリムという少女に覆いかぶさるように、一緒に倒れているイーリーの右の肩口には小さなナイフが突き刺さっていた。そのナイフを投げたのは、黒い覆面で顔を隠した男だ。よほど見当違いでもしない限り、プリムにとって誰が敵かは明白である。

「お前は、この国の者ではないな」

 一歩を踏み出して少女とイーリーを背に、老騎士は槍を構えた。幾多の戦いを潜り抜けてきた猛者の気迫、それが老騎士の全身から立ち昇る。

 男はわずかに怯み、老騎士はその隙を逃さず大地を蹴る。年齢や鎧の重さなど感じさせぬ身のこなしで、自分の間合いに敵を捉えて鋭く槍を突き出した。男が上半身をひねってかわすと、老騎士はすぐさま腕をねじり手前に引きながら横に()ぎ払った。

 槍の三又の両側は下向きに鋭く伸び、外側も内側も鋭利な刃になっている。そのため、前後左右どの動きでも敵を討つことが出来た。

 男の脇の下辺りを浅く裂いた老騎士の槍は、間髪いれず次の攻撃に転じる。しかし男も、いつまでも黙って受身でいるわけではない。何本ものナイフを投げ、老騎士の接近を牽制する。打ち合いこそ無かったが、互いに間合いを計りつつ、見えないやり取りを繰り広げるその様子に、イーリーは圧倒されていた。

 自分の下で少女が体を動かそうとしたことで我に返り、イーリーはすぐに起き上がって手を差し出す。

「大丈夫?」

 彼が尋ねると、少女は少し警戒した様子で黙って頷く。言葉を交わすこともなく、二人は自然と老騎士の闘いに視線を向けていた。その時、イーリーは少女を守らなければという責任感が生まれ、わずかに前に出て少女を庇うような位置に立った。そして、誰にも気付かれないように意識の集中を始める。『素態』を練成し、いつでも魔法を使えるように準備しておこうと考えたのだ。

 イーリーは男に見えぬように媒介となる左手を背後に隠し、『素態』を定着させた。左手が燐光を放ち、少女が息を呑むのがわかった。

 善戦している老騎士の邪魔にはなりたくはない。イーリーはタイミングを待った。

 男も老騎士も、イーリーの行動には気付くことはなく、互いに目前の敵を倒すことに集中している。どちらも一歩も引かず、静かな攻防を繰り返していた。だが、どれほど鍛えようとも持久力は無限ではない。同じレベルまで昇りつめた相手なら、最終的には年齢がわずかな差を生んでしまう。それは、老騎士の荒い呼吸によって現れた。

 これまで乱れのなかった呼吸が荒くなり、彫りの深い顔に汗が(にじ)む。表情にも、焦りが浮かんでいた。

 イーリーは息を潜め、出来る限り気配を消す。おそらく今の男の頭には、彼という存在は失せているか希薄だ。それはイーリーが男にとって手に余る相手ではないからだが、それを逆手に取ろうと考えたのである。チャンスは一回、それを逃せば真っ先に殺される可能性があった。

 もし男が自分と少女を同時に攻撃したなら、老騎士が守るのは少女だろう。イーリーにも、男にもそれは確かなことだった。

「あっ!」

 わずかに意識が別のことに向いていたその時、少女が小さく声を上げた。老騎士の動きが鈍ったのを見逃さず、距離を縮めて槍の内側に男が入り込んだのだ。

 少女が思わず飛び出そうとするのを押しとどめ、イーリーは素早く左手をかざした。

召喚(クリート)!」

 突き出す手刀から炎が噴出し、紅色の残像を引きずりながら宙を走った。拳ほどの炎は男の眼前に迫り、見事に命中……したかに思えた。炎は霧散し、立ち上る黒い煙が晴れると、呪文の刻まれた短刀をかざす男の笑みがイーリーの視界に飛び込む。

 魔法は失敗だった。誰もが、そう思った。だが直後、消えたはずの炎が再び現れたのである。男の背後に小さな火の玉がひとつ、またひとつと浮かんできた。男も驚いたが、一番驚愕したのはイーリーである。彼は何もしていない。

 その間にも火の玉は次々に浮かび、やがてひとつに集まると大きく旋回し、巨大な龍の姿に変貌して男を襲った。さすがの男の持つ短刀も役には立たず、男は老騎士から離れて地面に転がった。そして、明らかに分が悪いと悟ったのだろう。戦うのを諦め、イーリーを一瞥(いちべつ)すると木の葉を舞い上げて消え去ったのである。

 すると炎の龍も標的を失って、岩壁に激突して消えた。その一瞬、イーリーは小さな笑い声を聞いた気がしたのである。空耳かと思ったが、その声はいつまでも耳に残っており、思い出すほどに鮮明になっていったのである。

「なんだったんだろう」

 呟きながら、彼の脳裡にはひとつの名前が浮かんでいた。慌てて頭を振り、イーリーは近付いてきた老騎士に深く頭を下げ礼を述べる。そうしながら卒業試験のことを思い出し、気持ちを重くしていた。

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