第一章 三話
養成所を出たイーリーは、寮には戻らず公園に向かっていた。あまり人がいない場所で、ゆっくりと考えたかったからだ。
王都にある公園は、作られた時の予想に反して、あまり国民の憩いの場とはならなかった。その理由はただひとつ、作られた場所にある。
ハイデル王国の王都は、巨大な湖と岩壁に挟まれた場所に、東西南北に沿って造られていた。まず、北側にある湖を背にして王城が建ち、そこから真っ直ぐ南に、街を貫くように大通りが延びている。突き当たりには岩壁がそびえ、その麓に植林して公園を作ったのだ。
また、西側には王都への入口になる正門があり、それ以外は高い壁によって囲まれている。正門から真っ直ぐ東へ続く道の先は、歴代の王の名が刻まれた石碑があり、国内外から観光に訪れる者も多い。どちらかといえば、この場所の方が憩いの場として利用されるようだ。
ところで、公園の場所の何が問題なのか。それは、ハイデル王国に伝わる建国の伝説にまつわる噂にあった。
今より二千年以上も昔、まだ世界は暗く閉ざされ、闇の眷属によって支配されていた。多くの人々が無法の世を嘆き、苦しみと悲しみの声を上げる中、世界中で勇者が立ち上がっていた。この地に現れたのはゼーマンで、人々の先頭に立ち勇猛果敢に戦ったのだという。
ゼーマンはもともと、闇の魔導師で最強と言われた『魔女アイソリュース』を追いかけ旅をしていた。そしてこの地でようやく倒すことができ、転生して蘇ることがないようにと、魂を封印したのだという。その封印の地こそが、公園の真下だったというのだ。
根拠は、ゼーマンの死後に発見された、一冊の本にあった。
『対比力学』と題されたこの本の著者が、ゼーマン本人だったのである。ただし、発見された時はただ紐で閉じられた原稿だったのを、後に製本して仕上げた際に、一行目に書かれた文字をタイトルにしたのだ。
この本によると、闇の力を抑えるために、無理に光で押し進めることは逆効果であると書かれている。つまり、強引な封印はいずれ破綻することを意味していた。これを回避する方法として、二つの力を対極に置き、バランスを図ることを提唱していたのだ。
これに当てはめて王都の位置関係を考えると、光の象徴である王家と均衡するのは、西の正門か南の公園ということになる。封印の地を正門とするのは考え難く、また、現在の王こそが国を支える光であると考えるならば、必然と公園が浮かび上がるのだ。
公園に近付くにつれ、人の姿はまばらになった。中に入ると街の音も遠く、誰もいない小道が木々を避けるように曲がりくねりながら、奥へと続いていた。
ほとんど手入れはされておらず、空を覆う枝葉は広がり放題で、見上げても空はほとんど見えない。それでも、意図的に間隔をあけた場所には隙間ができ、そこから日光が差し込んで、大地に突き刺さるように白くすじを作っていた。
薄暗くはなかったが、曇りガラス越しに眺めたような、ぼんやりとした光景だ。
イーリーは散策するようにしばらく歩き、途中のベンチに腰を降ろした。ベンチの上は落ち葉が積もり、払っても砂っぽく、やや湿った感じがする。
座るなり依頼書を取り出して内容を確認するが、何度見てもその文字が変わるわけではない。
「はあ……」
溜息をつき、イーリーは考えた。
依頼書に書かれている従事期間は七日間、依頼主のいる場所まで馬車で一日ほどだろうか。
毎月もらえるわずかな小遣いを貯金しており、それを使えば往復馬車に乗れるだろう。だが、そのお金は卒業後の生活費のために貯金しているのである。使うとしても、それは今月分の小遣いだけだ。それなら、片道だけでも馬車を利用出来た。
「行きは歩きだな。それにおそらく、向こうに行ったらレポートを書く時間なんてないだろうから、先に済ませておくか」
問題はどんな内容で、どこでレポートを書くかだった。学校の図書室が一般的だろうが、出来ればレンツには会いたくなかった。きっと、用がなくとも顔を出すだろう。
イーリーは、持っていた依頼書を封筒の上に乗せ、両手を挙げて大きく伸びをした。気持ちよく、目を閉じたその時、突然強い風が吹き抜けた。
小さく声を上げたイーリーは、慌ててベンチを立つと手を伸ばす。しかし、指の隙間をすり抜けた依頼書は、ふわりと波打ちながら、滑るように地面に落ちた。
駆け寄って拾おうとした彼は、視界の端に人影を見つけた。覆面で顔を隠した、黒づくめの怪しい人物だ。はっきりとはわからなかったが、体のラインや肉付きから、おそらく男性だろうと推測出来た。
イーリーはとっさに身を屈め木の陰に隠れると、そっと様子を伺った。黒づくめの男は、何かを探すように視線をあちこちに向けている。
だが、どうやらこの近辺には目的のものはなかったらしく、男は公園の奥へと進んで行った。イーリーは一瞬迷ったが、封筒を上着の中に仕舞い、後を付けてみることにした。
危険な雰囲気を感じたが、強く興味を惹かれたのだ。以前、『東方国家の歴史と文化』という本で、似たような姿をした隠密部隊を見たことがあったためである。
……何を探しているんだ?
このまま奥に進んでも、あるのは行く手を遮る岩壁だけだ。実際に行ったことはなかったが、地図には特に何も書かれていなかったのを覚えている。
もっと近くで……そう思って移動しようとした時、落ち葉を踏みつける音が背後で鳴った。イーリーは驚いて振り向いたが、何もない。しかしそのせいで、イーリーは男に気付かれてしまったのだ。
舌打ちをした男は、懐からやじりのようなナイフを取り出すと、一直線に走ってきた。その足は速く、息を呑む間に距離は半分に縮まっていた。
イーリーは背を向けて逃げ出す。後悔したがすでに遅い。慌てていたので、自分がどこに向かっているのかもわからなかった。
ただ、出口へ、街の賑やかな方へ、そう思いながら走っていた。しかし、目前に現れたのは、木々よりも遥かに高い岩壁だったのである。
……どうしよう。
触っても、叩いても岩壁は消えない。男の姿は、すぐそこまで迫っている。
相手の実力は不明だが、少なくとも自分では勝てないだろうとイーリーは確信していた。あまりに情けないが、それを前提として考えなければならない。
イーリーはとにかく、今の状況を冷静に分析した。
この公園に訪れるものはほとんどなく、助けは当てに出来ない。だが逆に公園を抜けさえすれば、男も追っては来ないだろう。自分がすべきことは、とにかく逃げることだ。
頼れるのは、心もとない魔法のみである。男が養成所の制服を知っていれば、イーリーの姿を見て、多少は魔法が使えることを警戒するはずだ。成績まではわからないから、多少のハッタリとしては使える。
……今の位置関係を変えないと。
公園を出るなら、今の位置ではまずい。イーリーは、岩壁に沿って走り出した。
最初は全力で走り、男が横に並んだらスピードをわずかに落とす。すると、男が自分よりも前に出て行く手を遮ろうとするはずだ。そうすれば、互いの位置関係が九十度回転したことになる。
イーリーはそう考えたが、男は悠長に追いかけっこをするつもりはないようだった。




