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第一章 一話

 すべての光が失われたような暗闇の中で、イーリー・シュレイガーはひとり思考を巡らせていた。理論は完璧である。手順さえ間違えなければ、失敗することはない。そう自分に言い聞かせて、彼は時が来るのを待った。

 ほんのわずかな時間なのだろうが、彼にはとても長く感じられた。まるで死に直面したかのように、これまでの人生が走馬灯のように蘇る。

 病に倒れ、道端で手の施しようもなく息を引き取った母の姿が、深い悲しみとともに無力な自分の心を締め付けた。あの時、強い人間になろうと誓ったのだ。

 この難関を突破しなければ、あの時の誓いも、これまでの努力も無駄になってしまう。

 イーリーは、頭を振って弱気な自分を追い払った。

 ……胸を張りなさい。

 恥じるようにうつむく彼に、母がよく言い聞かせた言葉だった。

 イーリーは胸を張った。戦うべき相手は、いつも自分の内にあるのだ。

 緊張のためだろうか。気が付くと、わずかに魔導書を持った右手が汗ばんでいた。イーリーは魔導書を左手に持ち替えると、着ていたローブで汗を拭い、冷えた空気を鼻から吸い込んだ。そしてゆっくりと口から吐き出し、それを数回繰り返して、気持ちを落ち着かせた。

 やがて一つの、炎のような明かりが灯る。明かりはイーリーを中心とした正方形を描くように、ぜんぶで四つ灯って暗闇を照らした。ぼんやりとした光の中に浮かび上がった彼の姿は、十四、五歳の、まだあどけなさを残す少年であった。

 黒髪は闇に溶け、わずかに茶色味を帯びた瞳には、橙色の明かりが揺れている。

 ハイデル王国が魔導士協会と協力して設立した、養成所の三年生生徒というのが彼の立場であった。

 ハイデル王国は、建国の英雄である初代国王ゼーマン・ハイデルが、勇敢な騎士であると同時に、強力な魔導士であったところから、騎士だけではなく魔導士の育成にも力を注いでいた。

 この養成所を卒業した者だけが魔導士を名乗れるため、世界中から多くの若者が入学して来ているのだ。イーリーも、その一人だった。

「それではこれより、魔法課程の修了試験を開始する。生徒イーリー・シュレイガー君、始めなさい」

「はい」

 直接、頭の中に語りかけるような声に応え、イーリーは魔導書を右手の掌に乗せ、挟むように左手を添えた。

 この試験では、課題となる四元素――地、水、火、風――の魔法のうちから、最も得意なものをひとつ披露しなければならない。その際、補助として魔力を増幅する道具をひとつだけ持ち込むことが許されていたのだ。多くの呪文で紙面を埋めた魔導書は、それ自体が魔力をわずかながら帯びていた。

定義(ヴァース)!」

 イーリーの声に呼応して、魔導書に添えた左手が燐光のような光を放った。

 魔法の基本は、代価による契約である。

 元素界の住人と契約し、魔力を報酬として払う代わりに、その力を借りるという契約の流れを儀式化したのが魔法なのだ。多くの魔力を消費するほど、強力な住人の力を借りられるのであった。

 儀式はまず、住人がこの世界で力を(ふる)えるようにするため、仮の体を用意しなければならない。この仮の体を『素態(そたい)』と呼び、魔力を練成して造る。練成した魔力は、そのままではすぐに散ってしまうので、一度媒介に留め置くことが必要だった。イーリーの場合は、光る左手が媒介になっていた。

 媒介に自分の体の一部を使うのはごく一般的であり、初歩的なものであった。素態を別の物質に伝達させる必要がなく、力を利用する時の感覚が掴みやすいのである。

 魔法の扱いは、体系化された理論と経験による感覚が必要なのだった。

召喚(クリート)!」

 媒介の左手が熱を帯びたように赤くなり、蛍の光のような速さで明滅を繰り返し始めた。元素界との間に道が開かれ、用意した素態に見合う住人が移動を始めているのだ。

 これがもっと熟練した魔導士ならば、経験とより高度な理論を用いることで、一連の作業を簡略化し、時間の短縮を図ることが出来る。そして、時には一瞬で力を行使するのだ。

 やがてイーリーの左手が炎に包まれた。どうやら、火の住人を呼び出したようである。

 素態に入った元素界の住人は、その能力に応じてこちらの世界で最も適した姿になるのだ。そして、

「闇を切り裂け、炎よ!」

 イーリーはそう叫んで、炎に包まれた左手を突き出した。炎は渦巻き、闇の中を跳ね回って彼の頭の上に着地した。その姿は、とても可愛らしい、

「にゃあ!」

 猫だった。



 試験を終えたイーリーは、紺のブレザーにズボンという養成所の制服に着替え更衣室を出た。すると、

「やあ、試験はどうだったかな?」

 満面の笑みで近付いて来たのは、入学してからずっと学年トップの成績を維持し続けている、レンツ・ファラディであった。

 イーリーは彼を睨み付け、何も言わずに歩き出す。

 試験の様子は黒水晶によって映し出され、誰でも見ることが出来るのだ。案の定、レンツはこんなことを言い出した。

「僕が小さい頃、お父様が『砂漠の貴婦人』と呼ばれるスフィルティアを、誕生日に贈ってくれたことがあるんだ。僕に懐いていたんだけれど、魔導士になるため王都へやって来てから、ほとんど会うことが出来ないんだ。代わりと言うと言葉は悪いが、ぜひ君にお願いしたいと思っているんだよ。君の不思議な能力で、僕の寂しい心を癒してくれないだろうか? ああ、ちなみにスフィルティアというのは猫の種類のことでね……」

 きっと、試験に合格していなければ、イーリーは彼を殴っていただろう。

 試験の合否は、扱う魔力の大きさによって決まるのだ。もしあの時、現れたのがネズミであったら不合格だった。しかし、魔導書を使ってあのレベルでは、合格といっても笑われて仕方がない。

 自分でそのことがわかっているだけに、レンツに言い返すことが出来なかった。

 入学してからずっと、イーリーは下から数えた方が早いくらいの成績である。そんな彼に常に上位のレンツが突っかかってくるのは、ある理由があった。

 魔導士は魔法の他に、調合も行う。強力な魔力を持った者は各国に召し抱えられるが、それ以外の者は魔導士協会に寄せられた依頼を受けたり、魔具という魔法補助の道具や薬――病気の治療に使うものはもちろん、毒や実験の材料――を作って販売するなどして生計を立てるのだった。

 イーリーは、母が病に倒れたときに魔導士になることを決意した。その時から彼の目指すものは、国に仕えることではなく、在野で病と闘うことにあったのだ。そのため調合の授業は、彼にとってもっとも重要視すべきことだったのである。

 もともと、記憶力は抜群に良い。魔法も筆記テストでは上位にランクインするが、才能に左右される実技がどうしても苦手であった。結果、総合では平凡な成績になってしまうのである。

 レンツはそんなイーリーに、唯一、調合では勝てなかった。調合の筆記も実技も、イーリーは完璧だったのだ。それが、レンツのプライドを傷つけたのである。仮にイーリーが魔法も優秀であったなら、レンツもそれほどこだわることはなかったのかも知れない。

 そんな理由から、レンツはイーリーの顔を見れば、何かひとつ皮肉を口にした。もしストレスが魔力に変換できたなら、イーリーはハイデル王国宮廷大魔導師のチャンドラーに匹敵する魔導士になっていたことだろう。

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