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第四章 二話

 夜、イーリーが本を読んでいると、激しく扉が叩かれた。初めての出来事に驚くイーリーの耳に、老騎士ボルン・ディラックの声が飛び込む。

「プリムは来ているか?」

 彼が扉を開けると、しとしとと降る雨の中、ボルンが緊迫した顔で立っていた。

「夕食の片付けに来てから、会ってませんけど……」

「そうか……昼間ずっと母親の看病をしておったから、疲れてもう眠ってしまったのだと思っていたのだが、様子を見に行ったらもぬけの殻だった」

「こんな時間に、どこへ?」

 そう問いかけてから、ハッとしたようにイーリーはボルンを見た。ボルンもすぐに気付いたようで、後悔が老練の皺深い顔に滲んだ。

「あの子を励まそうと、期待させすぎた」

「ボクが見てきます。ボルンさんはプリムのお母さんを見ててあげてください」

「すまない。頼んだぞ。ピーモ族であることが知れれば、何をされるか――」

 イーリーは上着を羽織ると、暗闇の中、飛び出してゆく。明かりのない公園の中を抜けるのは、本能に訴えるような圧迫感がある。プリムがここを、心細い不安を抱いて街に向かったのかと思うと、イーリーの足は自然と速まった。

 何度も木にぶつかりそうになりながら、ようやく公園を抜けたイーリーは、とにかくプリムの姿を探して走り回った。名前を呼ぼうかとも思ったが、あまり騒ぎにならないようにした方が良いだろうと判断し、視認で細い路地から子供が隠れられそうな場所までを調べたのである。しかしすでに深夜で、小雨が降り肌寒いということもあって、人の姿がまったくなかった。

 イーリーが落胆し途方に暮れていると、人の怒鳴り声がわずかに聞こえた。すぐに声は聞こえなくなったが、イーリーはその方向へ足を向ける。すると、街の端にある小さな診療所のドアが開き、明かりが漏れていた。そして、体を押されたらしく、よろめきながら小さな人影が転げ出てきたのだ。

「プリム……」

 駆け寄ろうとしたイーリーは、だが、すぐに足を止めた。少女は雨で濡れた地面に汚れるのも気にせず、膝を付いて頭を何度も下げた。

「お願いします。お母さんを助けてください」

 ドアのところに立つ中年の小太りの男は、腕を組んだまま吐き捨てるように言う。

「帰れ。何度頼まれようとも、ピーモ族の診療をするつもりはない。世話になったボルンさんの頼みだから、仕方なく薬は出したがな、それだって本当は迷惑だったんだ」

「お願いします。お母さん、とっても苦しそうで……」

「知ったこっちゃないよ。ピーモ族がどうなろうが、関係ないさ」

「お願いします……お願いします……」

 プリムは男の足にすがりつく。すると、男は加減なく少女を蹴り飛ばした。

「汚いから触るんじゃない!」

「プリム!」

 たまらず、イーリーは駆け寄ってプリムの体を抱き起こした。そして、

「一時間もあれば、行って診察して帰って来るぐらい、できるでしょ? たったそれだけのことじゃないですか」

 睨み付けるイーリーに、男は眉を寄せた。

「何だ小僧は? お前は人間だろ? ボルンさんの知り合いか?」

「ボクは今、ボルンさんやこの子にお世話になっています」

「子供が変なことに首を突っ込むなよ。まったく、ピーモ族は魔法で人を操るらしいからな。気をつけないと後悔することになるぞ」

「ボクがここにいるのは自分の意志だし、彼女たちに関わったことを後悔なんてしません」

「ふん。どっちでもいいさ。さっさとこいつを連れて帰ってくれ」

「彼女のお母さんは、咳が止まらなくてすごく苦しそうなんです。昔ボクの母親も同じような症状で倒れて、亡くなりました。でも医者に診てもらっていれば助かったかも知れないんです。お願いします、プリムのお母さんを助けてあげてください」

 イーリーは土下座をすると、額が地面に付くほど頭を下げる。しかし男の心は動かされることはなかった。

「さっさと死んだ方が、いいんだ。いい加減、ボルンさんを解放してやったらどうなんだ?」

「解放……だって?」

「そうさ、あの人は真面目な人だから、自分の仕事を全うしようとがんばっているんだ。そうじゃなきゃ、誰が好んでピーモ族の面倒など見るものか。お前らに、少しでもあの人に対する感謝の気持ちがあるなら、さっさとくたばって解放してやれ」

 イーリーは、怒りで震えた。

「言っていいことと悪いことがあるだろ!」

 思わず身を乗り出そうしたイーリーの服を、プリムの手が掴む。少女の儚げな顔を見た瞬間、イーリーは冷静さを取り戻した。拳を握り、再び頭を下げる。

「お願いします……」

「お願いします」

 プリムも一緒に頭を下げた。

「さっさと帰ってくれ。ピーモ族の診察をするくらいなら、野良犬の診察をする方がマシだ」

 男は乱暴にドアを閉めると、鍵を掛けて明かりを消した。辺りは静寂と、夜の帳に包まれる。とたん、イーリーはどうしようもないほどの無力感に襲われた。

 気遣うようにプリムを見ると、少女の体は雨に濡れて、寒さのせいか少し震えていた。イーリーは上着を脱いで彼女に羽織らせると、腕を優しく掴んで立たせた。少女は潤んだ瞳で、イーリーを見上げて尋ねる。

「お爺ちゃんは、迷惑なのかな? 私とお母さんが生きてたら、迷惑なのかな?」

「そんなことない! ボルンさんが、迷惑だなんて思っているはずないじゃないか。毎日、お母さんの看病をして、薬ももらいに行ったり……さっきだって、プリムがいないってすごく心配してたんだよ。ボルンさんは、本当にプリムやお母さんのことを大切に思っているし、ピーモ族だからとか、そんなことぜんぜん気にしてないよ。プリムは、ボルンさんが嫌々付き合ってると思う? プリムにひどいこと、言ったことある?」

 少女は強く首を振った。恥じるようにうつむくその目から、涙が溢れてこぼれた。イーリーは優しく少女の肩を抱き、背中を軽く叩く。

 プリムはイーリーの服をぎゅっと掴んで、声を潜めて泣いた。

(――胸を張りなさい)

 イーリーの脳裏に、母の言葉が浮かぶ。父を恥じた自分に対する、戒めの言葉だった。

 あの時、母の気持ちが理解できなかった。父が余計なことをしなければ、こんな惨めな思いをしないですんだのに……ずっとそう思っていたのだ。多くの犠牲が出る前にという父の思いは、結局、ほとんどの村人に伝わることはなかった。無駄なことだと思った。けれど今、イーリーはあの時の父の気持ちが少しだけわかった気がした。

 結果はわからない。自分の行動が、この街の人々に何をもたらすのか、想像も出来ない。しかし問題を解決出来るかもしれない術を知りながら、それを行わずに見過ごすことはイーリーには出来なかった。

「プリム、お母さんは絶対に死なせない。必ず、助ける。詳しいことは言えないけど、今はボクを信じてくれないかな? 帰ろう?」

 少女は少し驚いたように、彼を見上げた。澄んだ瞳に映る自分に、イーリーは問いかける。

(ボクは、これから先の人生で胸を張って生きられるか?)

 そのために、やるのだ。

 はっきりと、力強く頷いた少女の手を取って、イーリーは歩き出す。

 雨は、やんでいた。

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