公爵令嬢と子爵令息の婚約。自由にしてあげてと言われましても
定番身分差婚約「解放してあげてください!」にチャレンジです。
「マーガレット様! ロバート様を解放してあげてください!」
学園に設けられたテラスに突然貴族令嬢らしからぬ声が響いた。
名前を呼ばれた本人、マーガレット・ブレアは素知らぬ顔で紅茶を飲んでいる。いや、素知らぬ訳ではない。本当に、自分が呼ばれたとは思っていなかった。
「聞いてるんですかマーガレット様!」
声の主が自分のテーブルにやって来てようやく、マーガレットは突然現れた闖入者を視界に入れる。肩をようやく越える長さの、ふわふわの髪の毛。大きく丸い瞳は、泣き出してしまいそうに潤んでいた。
マーガレットは公爵家に生まれ、本来であれば必要のない学園生活を「見聞を広めるため」として通っている。王族が通わない学園の中での身分は最上位。
その自分に対して見ず知らずの女生徒が発言の許しも求めず、あまつさえ許可を出してもいないのに自分の名前を呼んだのだ。「マーガレット」が自分の名前であり「ロバート」が自分の婚約者の名前だとしても、まさか自分に対しての発言だとは思わなかった。
「お願いします! ロバート様を自由にしてください!」
ついにはテーブルに手を乗せた女生徒に対し、同じテーブルについていたマーガレットの友人達が叱責のために腰を上げかけた。
それを片手で止め、マーガレットはようやく声の主へと顔を向ける。
「貴女は……クロフト男爵家のフローラさんね? ロバートを解放するというのはどういう意味?」
テラスに集まっていた生徒達がざわりとざわめく。フローラと呼ばれた女生徒の言動はあまりにも無礼で、本来であればすぐさま警備の者を呼ばれてもおかしくない所業だ。だというのにマーガレットはその相手に対して会話の許可を出した。
「私聞いたんです! マーガレット様はロバート様をお金と権力で無理矢理婚約者にしたって!」
ぎゅっと胸の前で両手を組んだフローラの目からは、今にも涙がこぼれそうだ。
「婚約者をお金で買うなんてっ! ロバート様が可哀想すぎます!」
「そう、ロバートは可哀想なのね?」
数十人はいるテラスでは物音一つしない。全員が、二人の会話に耳を傾けている。
「ロバート様が言ってました! 顔で買われた婚約者だなんて不愉快だって!」
静かだったテラスのそこかしこで、息を飲む音が聞こえた。
マーガレットとロバートの婚約はとにかく異例続きだった。ホワイト家の嫡男として育ったはずのロバートがマーガレットの家に婿入りする事になったのも、ロバートの生家ホワイト家がブレア公爵家には到底釣り合わない子爵家だという事も。
そしてなにより人々に噂の種を蒔いたのは、ロバートが類い希なる美男子だった事だ。
銀糸の髪が縁取る顔は熟練の彫り師が生涯をかけて刻んだかのような造形だが、感情が乗った瞬間に美術品のようなよそよそしさは影を潜める。翡翠を嵌めた瞳は春の若葉のように和らぎ、細部まで計算されつくされた唇が柔らかく笑みを浮かべれば人好きのする表情がこぼれた。
人々は邪推する。マーガレットも、そんなロバートに心酔した一人なのだろうと。
「ホワイト家の嫡男を引き抜く事になったのだから、補填金を支払った事は否定しないけれど」
再びテラスに小さなざわめきが起きる。
あまりにも莫大な権力を持つブレア公爵家に対し、今まで誰も表立って尋ねる事はなかった。だがフローラという異物によって「マーガレットがロバートを金で買った」という噂が補強されてしまったのだ。
「ロバートが言ったの? 私との婚約は不本意だと」
「顔しか見てくれない婚約者との結婚なんて不幸なだけです!」
庇護欲をそそるような出で立ちのフローラがきゅっと悲しそうな表情を浮かべれば、思わず手を伸ばしたくなるだろう。
しかしフローラに手を差し伸べる者はいない。
「なら何故ロバートは私に直接そう言わないのかしら?」
「言えるわけありません! マーガレット様はロバート様を権力で縛っている自覚はないのですか!?」
「そう、ロバートは我が家の権威を恐れて自分から言い出さないのね?」
「そうです!」
はっきりと言い切ったフローラをじっと見つめるマーガレットは、しばらく何かを思案してからにこりと微笑んだ。
「分かりました。フローラさんの言う事が正しいのなら、ロバートとの婚姻は無かった事にしましょう。そして今後一切ロバートは、王家のどんな催しにも登城を許しません」
テラスのどこからか、小さく悲鳴が上がる。
国内の貴族であればどのような爵位であれ、年に二度、建国祭と国王の生誕祭には城への登城が許される。それを禁止されたとなれば、今後ロバートが貴族として生きていく事は不可能だろう。
「ああ、それから国内のどこであれ要職には就かせないよう約束しましょう。残念だわ、あの才能を無駄にするなんて」
ロバートは成績も非常に優秀で、卒業後の文官採用はもちろんいずれ宰相補佐室への配属さえも期待されている。その輝かしい未来の全てがマーガレットの言葉で消えようとしていた。
「そっ、そうやってロバート様を権力で脅すのですね!?」
「あら、権力で脅されたのはフローラさんでしょう?」
不思議そうに首を傾げるマーガレットの様子に、フローラの瞳からはこぼれそうだった涙が消えていく。
「私、が?」
「だってそうでしょう? 陛下も認めた我がブレア家とホワイト家の契約について、ロバートは全く関係のないフローラさんに解消させるよう言わせたのだもの。確かにロバートの立場から契約の解消を言い出すのは勇気がいる事だと思うわ。だからといって叙爵されたばかりで政治の事を何も知らないフローラさんに押しつけるのは卑劣極まりないじゃない」
「卑劣、だなんて……」
胸の前で組まれていたフローラの手が、かたかたと震えだした。
フローラはただ惹かれていたのだ。ロバートという美しい男に。婚姻には本人の意向が重視されるこの国で、子爵令息というロバートはフローラにとって手が届かない程の相手ではない。だから無理矢理ロバートを婚約者の座に据えたマーガレット本人が「手放す」と言いさえすればよかった。
ただそれだけだったのに、何故ロバートの未来が潰えようとしているのか。
「卑劣だなんて酷いですマーガレット様! ご自分がロバート様に見向きもされないからって! 自分に従わない人間はそうやって悪役にするんですね!」
「だって悪いのはロバートじゃない」
ようやく絞り出した声に、またも冷酷な言葉が返ってくる。
「フローラさんよく聞いて。私達の婚姻という契約を許したのは国王陛下。それに口出しするという事は陛下の決定に異論を唱える事。私達の契約に直接関係のある家からの言葉であれば検討も視野に入れてくださるでしょうけど、クロフト男爵家は全くの無関係。貴女の立場から契約への異議申し立てをすれば、不敬罪で極刑の可能性だって出てくるのよ? それを分かっていて、ロバートは貴女をけしかけたのでしょう?」
「え……」
ついにフローラは返す言葉を失った。不敬罪、極刑、なぜそんな恐ろしい単語が出てくるのか。
「ロバートが貴女を通して婚約の解消を求めたという事は、フローラさんだけでなくクロフト男爵家が潰れても構わないと判断したという意味なのよ?」
「そんな……ロバート様はそんな事……」
「したのでしょう? だって貴女はこうして私にロバートとの婚約解消を求めに来たのだもの」
本当に残念だわ。
そう言って、マーガレットは冷めかけてしまった紅茶に口を付ける。こくんと一口飲み終えてから、再び視線をフローラへと向けた。
「安心してちょうだいフローラさん、貴女を不敬罪で問うような事はさせないわ。だって全ては卑劣な行いをしたロバートがいけないのだもの。全ての咎はきちんとロバートに受けさせるわ」
ついには言葉にもならぬ音だけを口から漏らすフローラに、マーガレットは安心させるような声音で微笑みかける。これで会話は終わったとばかりに、マーガレットは同じテーブルに座る友人達へと目を向けた。
テラスには、その場にいる人数に相応しいざわめきが戻りつつある。
滅多に学園へと姿を現さないロバートが、しがない男爵令嬢のフローラと出会う確率は低い。さらにはその心の内を明かし、フローラをマーガレットの元へと向かわせる事などまず有り得ないだろう。今回は確実にフローラが単独で行った暴挙だ。それがテラスに集まっていた者達の総意だった。
だがその軽率な行いでロバートは貴族としての立場どころか命すら危うくなっている。
誰かがマーガレットに伝えるべきなのだ。ロバートに罪は無いと。
では誰が?
「酷いな、少し顔を出さないだけでこれほどの冤罪を被せられるとは」
誰もがマーガレットと視線を合わせない中、テラスに響いたのは苦笑いの混じる声だった。
「あらロバート、今日は来ていたのね?」
「ああ。どうしても君に報告したい事があってね」
つい先程までロバートを卑劣な男だと断じていたマーガレットだったが、当のロバートが姿を現せば楽しそうに笑みを浮かべる。手を取られ指先にキスをするロバートの行為も喜んで受け入れた。
「正式に決まったよ」
「おめでとう。その報告のためだけに、わざわざ学園に?」
「だって急がないと公爵閣下が先に教えてしまうだろう? 僕が一番先に、君へ伝えたかったんだ」
ふふ、と微笑み合う二人の空気は婚約の解消などとは程遠く、身分差さえ感じられない。一度でも二人の会話を聞いた事があれば、お互い対等な関係を築いていると知る事ができただろう。
だがそれも「お金で婚約者を買った」という後ろめたさが原因だと考える者も多かったのだが。
「さて。せっかくこれだけ人が集まっているんだから、酷い冤罪を今ここで晴らそうか」
マーガレットの手を取っていたロバートは、テラスにいた生徒達へと視線を巡らせた。堂々とした姿と誇らしげな瞳に、誰もがロバートへと注目する。
「今まで学園に来られない理由は公爵家を支えるための勉強と言っていたが、実は宰相補佐として仕事をしていた」
今度こそ驚きの悲鳴が各所から上がった。
宰相補佐。その名の通り、宰相に付き添い仕事の手助けをする役割だ。宰相補佐室で働く人間は十名以上いるが、直接の補佐はたったの一人。それをまさか、まだ学生である身分の子爵令息が任命されていたとは。
「いずれ王太子殿下の即位に合わせて、僕は宰相の席を任される事に決まった。これもすべてマーガレットのおかげだ」
さらに大きな歓声が上がる。
まさか。さすが。ありえない。
至る所で言葉が飛び交う。
宰相は代々ガーヴィン侯爵家から輩出されていた。その慣わしを破るのが、まさか子爵令息とは。
「私はお父様に進言しただけよ。優秀な人材を身分を理由に登用しないのは、国のためにならないのではと」
「そうだね。そしてマーガレットは僕のために、ブレア公爵家の後ろ盾だけじゃなく女公爵の夫という立場を用意してくれた」
「それもお父様が決めた事だわ」
「でも僕を婚約者として受け入れてくれたのは君だ」
ようやく異例続きの婚約の理由が判明し、生徒達からは驚きと賞賛の声が送られる。一部ロバートとの婚約を夢見ていた女生徒達からは落胆の溜め息が漏れていたが、お祭り騒ぎのテラスではそれすらかき消された。
その騒ぎを黙らせたのは、やはりロバートの視線だ。
「僕の任命は最初の一歩だ。マーガレットとの婚姻で僕は公爵家の人間になるが、生まれはただの子爵家にすぎない。その僕が国の中枢を担う役目を仰せつかった。僕の働き次第では、今後下位貴族からも城内の要職に就ける者が現れるだろう」
おお! と歓声を上げたのは下位貴族だろう。どれだけ優秀な成績をおさめても、就ける職には限りが有る。配属部署にどこを目指そうが、伯爵家以上でなければ役職付きになる事は叶わない。
その慣習が変わる。
「もちろん、僕がこの先も有能である事を示し続ければ、の話にはなるが。僕は君達の未来のために、マーガレットのために誓うよ。この人生を以て最善を尽くすと」
さながら舞台に立っているかのような演説に、テラスでは次々と拍手の音が広がった。
マーガレットの手を取り微笑むロバート。そしてその微笑みを受け頷くマーガレット。二人は同世代の生徒達にとって希望の光であった。
「ところでロバート。こんなところでお披露目してしまって問題は無いの? 発表は卒業式にって決めていたでしょう?」
「宰相からは正式決定を報告しても構わないと言われたからね」
「それは身内に限っての話では?」
「報告する相手について特に制限はかけられなかったな」
いたずらそうに肩を竦めて笑ってみせるロバートに、マーガレットはわざと溜め息を吐いて見せる。
「それはきちんと条件を盛り込まなかった宰相の手落ちね」
「だろう?」
くすくすと笑い合う二人の横では、退場し損ねたフローラが真っ青な顔で立っていた。
「という訳でクロフト令嬢。君は勘違いも甚だしい理由で、僕と、この国の未来を潰そうとしていた事になるんだけど」
「い、いえ……私は……あのっ……」
「そうよね。私はロバートの顔じゃなくて、頭脳を買ったのだもの。“顔で買われた婚約者”だなんて言われたらロバートだって不快に思うのは当然だわ」
「そ、それは……」
胸の前で組んだ両手だけでなく全身を震わせ、フローラは自分に目を向ける二人と視線が合わないよう地面を見つめる。
婚約には本人の意思が重視されるとはいえ、そこに家の意思が介入していないはずがない。それどころか、国王陛下が直々に国の在り方を変えるために結んだ婚約だったのだ。それをフローラはなんと言ったか。
──権力で無理矢理結ばされた婚約
それは完全に間違っている訳ではない。
ロバートの優秀さに気付いたマーガレットがいくら声高に叫んでも、ただの子爵令息が城内で要職に就く事は難しいだろう。上を目指すのであればと持ちかけられたマーガレットとの婚約。それを断ればロバートは次期ホワイト子爵としての人生を歩んだはずだ。
ロバートは差し出された公爵の手を取り、その手はマーガレットへと繋がっていた。
マーガレットもまた、自分が認めた優秀な人材を埋もれさせたくなかった。そのためには父親から、そして国王陛下から、婚約者の座をロバートに明け渡す必要があると説かれた。
マーガレットもまた父親である公爵の手を取り、その手はロバートへと繋がった。
大いに権力は絡み、金銭も動いた。だがこの婚約を「無理矢理」だと考えている関係者は誰一人としていなかった。
ただ、それだけの話だ。
「どうするマーガレット、クロフト男爵に正式に抗議しようか?」
「駄目よロバート、クロフト男爵はまだ叙爵されたばかりだもの。こんなすぐに取り潰しになんてなったら、叙爵させた陛下の判断が間違っていた事になってしまうわ」
「そうか、なら男爵家へ直接働きかける事はやめておこう」
にこにこと笑みを絶やさず二人は一つの家の行く末を語る。
「あ、あの……わたし……」
「フローラさん、権力がどういうものか理解できた?」
ついには本当に涙を流し始めたフローラに、マーガレットは優しく問いかける。上手く声が出せないのか、ぶんぶんと大きく首を縦に振るフローラは今にもその場で倒れ込んでしまいそうだ。
「今回の件は家まで持ち込まず、ここだけの話にしてあげるわ」
「あり、がとう、ござ……います」
鼻水と嗚咽混じりに礼を言うフローラを見つめ、それからマーガレットは自分達を注目しているテラスの生徒へと目を向けた。
「そう、ここだけの話。ここにいる人達は全てを見聞きしてしまったから、それについては私ではどうしようもないわ。在学中、自分が何をしたのかしっかりと学びなさいね」
にこりと笑うマーガレットが、どれだけ寛大な処置をしたのか。
貴族になったばかりのフローラがその本当の意味を知るには、まだ数年は必要だった。
二人が学園に通っていたのは、卒業式に参加するためでした。
※「婚約者の座をロバートに明け渡す」の部分へのご指摘をいただきましたが、作者としては「本人の意思が重視」される国の「公爵令嬢という地位」を持つマーガレットに対し、たった一つしかない自分の婚約者の枠を、人材確保のためだけに「たかが子爵令息」に譲る事になるがそれでもいいのか。と覚悟を問う場面のつもりで言葉を選びました。
ご指摘は大切に受け取らせていただいていますが、ここの箇所に関しては修正の予定はありません。




