9 未練なんてとっくの昔に
がっつりR15です。
ロウェルにアドルファスの話をしたからだろうか。その晩、久しぶりに彼の夢を見た。幸せだった初夜の夢を。
夢の中で私は、彼に強く抱きしめられている。
二人の間を遮るものは、薄布一枚すらない。
破瓜の痛みと、恋い焦がれた人と一番深いところで繋がれた喜びが混ざり合い、目尻に涙が滲む。
彼がゆっくりと動く度に、私の喉の奥から陶然とした吐息が漏れる。
頭の芯が痺れたようになり、何度も夢と現を行き来するうち、甘い声に混じって、きつく蓋をして押し込めていた気持ちが不意にこぼれ出た。
『ごめ……ごめんなさい……』
彼が動きを止める。
『……なぜ謝る?』
耳元で響く低い声が予想外に優しくて、心の蓋はさらに緩んでしまう。
『好きになって、ごめんなさい……』
彼が深い青の瞳を見開くのが、滲んだ視界に映った。
『あなたが俺を好き……と、そう言ったのか……? ああ、本当に? ……いや、たとえこの場限りの嘘でも構わない。どうかもう一度言ってくれ、その唇で……』
『好き、好きなの……』
ぽろりと零れた涙が、熱い舌に舐めとられる。掠れた声が耳元で囁いた。
『名前を呼んで。アドルファスと』
『アドルファス……アドルファス、好き、好き……!』
『……っ! 俺もあなたが好きだ、ロザリンド。俺の方がずっと、ずっと……!』
彼が、苦しいほどに私を抱きしめる。止まっていた動きが再開され、それは次第に激しさを増した。
『好きだ、愛している、ロザリンド、たとえあなたが俺を嫌っていても、俺はあなたが……!』
荒々しい波間に翻弄される木の葉のように体を揺さぶられながら、私は壊れた機械のように『好き』を繰り返す。
『これからは俺があなたを……この世の全ての悪意からあなたを守る。だからお願いだロザリンド、どうかずっと俺の腕の中に……!』
ひときわ熱いものが、波のように押し寄せてくる。
それを全身で受け止めた私の意識は、溺れるように幸福の海に沈んでいった。
◇
ハッと目覚めると、早朝の薄明りの中、すっかり見慣れた天井が視界に映った。隣に目をやれば、すやすやと眠るロウェルのあどけない顔。
(んぎゃ~! え、え、え、えっちな夢を見てしまった~~!)
気恥ずかしさに火照った顔を両手で覆ってジタバタと見悶える。あ、もちろんロウェルを起こさないように、こっそりと。
三年も経っているというのに、いまだに繰り返しあの夜の夢を見る。そして、幸福感の名残が切なくて、泣きたいような気持ちで目覚める。
……いや、これは私が欲求不満だとか煩悩の塊だとかそういうことではなくてですね、単にアドルファスとの思い出がそれくらいしかないせいだと思うんですよ。うん、そうです。そうに違いない。
(いやそれにしても今回の夢はちょっと盛りすぎというか……)
好きだとか愛してるとか守るとか、なんか記憶にない台詞がバンバン登場していた気がする。
(え、やだ、それって私の願望ってこと? いやいやいや、あれからもう三年も経ってるんだよ⁉ とっくの昔に未練なんか捨てたはずでしょ私……⁉)
悪妻はさっさと退場しよう。そう決めて、結婚からわずか五日でデュアー伯爵家を飛び出した私だけど、決断までに全く迷いがなかったと言ったら嘘になる。
だって、前世ではウェブ小説を読み漁るのが趣味だったのだ。
悪役に転生した主人公の物語も数えきれないほど読んだ。
むしろ最近では、悪役に転生したところから逆転してハッピーエンドになる方が王道だということも知っている。
だから、ちらっと、本当にちらっとだけど、考えなかったわけではない。
私が悪妻らしい行動を取らなければ、アドルファスとちゃんと夫婦として思い合える未来もありうるんじゃないかって。
だけど、そんな考えは封印することにした。
原作カップルを壊したくないとか、処刑を回避したいとか、そういう気持ちがあったのも嘘ではない。
だけど一番の理由は、アドルファスを振り向かせる自信がなかったからだ。
だって私は、王女としての価値もない、出来損ないの嫌われ王女。
一方、いずれ現れる物語のヒロイン、リリアナは、それはもう素敵な女の子なのだ。
その名にふさわしく百合の花のように可憐で清純な容姿。ドアマットヒロインだけあって、性格は真面目な努力家。
その上リリアナは、とある事情から特別な才能を秘めていて、それがヒーロー、アドルファスの愛によって開花するのだ。
そんな特別な存在を――物語のヒロインを差し置いてアドルファスに選ばれるなんて、そんな夢みたいなことを考えるには、当時の私の自己肯定感は低すぎた。
あれから三年経ち、少しは自分のことが好きになれたと思う。
この辺境の町には、私の悪評を知る人なんて一人もいない。
家族同然のダンさんとハンナさんもいる。
そして何より、私にはロウェルがいる。
(さてっと。今日もお仕事頑張りますか!)
ロウェルを起こさないようにそっとベッドを抜け出し、素早く着替えを済ませる。
小さな鏡台の前に座り、赤毛を丁寧に梳かし、一つにまとめてポニーテールにする。
身支度の最後に、私が持っている唯一の装飾品、銀のネックレスを身につけた。ネックレスに通した結婚指輪は、三年前と変わらず私の胸元で輝いている。
(すっかり御守り代わりになっちゃったな……)
王都から辺境までやって来た時も、初めてリコリス亭で働いた時も、それからロウェルが生まれた時も。
お風呂と寝ている間以外はいつも身につけていたもんだから、もはや身につけていないと落ち着かないまでになっている。
(そう、ただそれだけのことで……)
アドルファスに未練があるとか、そういうわけではない。
(ないったらないの!)
深い青の宝石を指先でそっと撫で、私は指輪を服の中に仕舞い込んだ。




