8 あなたのパパはね
その日の夜のこと。
ロウェルと一緒にベッドに横になり、絵本を一冊読み終えて、「さぁねんねするよ~」と灯りを消そうとしたとき。「ねぇ、まま」と、ロウェルが深い青の瞳でじっと私の顔を見つめてきた。
「ろーちゃ、ぱぱ、どちていないの?」
ドキリとした。ロウェルから父親のことを聞かれるのは、これが初めてだ。
いつかはこの時が来ると覚悟はしていたけれど、やっぱり動揺してしまう。
教会の託児所に来る子は、母子家庭の子もいるけれど、父子家庭の子もいるし、両親が揃っている子もいる。父親というものの存在を、ぼんやりと理解し始めていたに違いない。
さらに昼間の私達の会話で、何か思うところがあったのだろう。
ロウェルに、なんて説明しよう。なるべく嘘は言いたくない……。
「あのね、ローちゃんにも、ちゃんとパパはいるんだよ。事情があって、一緒にはいられないんだけど……」
迷いつつそう言うと、ロウェルの顔がパァァと輝いた。
「ろーちゃのぱぱ!」
「……パパのお話、もっと聞きたい?」
「うん!」
ロウェルが目をキラキラさせる。
その様子を見て、ロウェルは本当は、もっと以前から父親のことが気になっていたのかもしれないな、と思う。ちっとも気付いてあげられなかった。
「ローちゃんのパパはね……」
ゆっくりと言葉を探す。
アドルファス・デュアー。若き伯爵にして、王国軍の将軍。
そして、たった五日だけ夫だった人。
三年も会っていないというのに、彼の姿は今でもはっきりと思い浮かべることができる。
「とっても強い騎士様で、皆が憧れちゃうくらいかっこいい人なの」
「ちゅよくてかっこいい!」
「ローちゃんの髪の色とお目々の色、ママと全然違うでしょ? ローちゃんの黒の髪と青のお目々は、パパとお揃いなんだよ」
「ぱぱとおしょろい!」
ロウェルははしゃいだ様子で、ブランケットの中で足をジタバタする。とっても嬉しそうだ。
「ローちゃんはパパによく似てるから、大きくなったらきっと、すっごくかっこよくなるよ」
「ぱぱみたいに?」
「そう、ぱぱみたいに」
ロウェルの見た目は、「アドルファスの少年時代ってきっとこんな感じだったんだろうな〜」と思うほど彼によく似ている。成長したらきっと、アドルファスそっくりのイケメンになるに違いない。
その上、ロウェルは天然の人たらしだ。もしかしたら、硬派で無愛想なアドルファス以上にモテモテになっちゃうかも……。
そんなことを考えながら、いつの間にか笑顔になっている自分に気付く。嬉しそうなロウェルにつられてしまったらしい。
「それからね、ローちゃんのパパは、とっても優しい人なんだよ」
アドルファスと初めて会った時のことを思い出す。
「ママが服を汚して困っていた時に、どうぞってハンカチを貸してくれたの……」
私が十五歳の時のことだ。
異母姉たちとのお茶会でドレスに紅茶をかけられ、泣きそうになりながら一人で着替えに戻る途中、一人の騎士が「どうぞこれをお使い下さい」とハンカチを差し出した。それが、当時王宮で近衛騎士をしていたアドルファスだった。
彼のあまりの美しさに一瞬見惚れてしまって、でも次の瞬間にはみっともない姿を見られたことが情けなくて恥ずかしくて、私は顔を伏せたまま「ありがとう」とハンカチを受け取り、逃げるように自室に戻った。
たったそれだけのやり取り。きっとアドルファスは、覚えてもいないだろう。
だけど私にとっては特別な思い出だ。
異母姉たちも使用人たちも、誰もが見て見ぬふりをする中、彼だけが声をかけてくれたのだ。
我ながら単純だと思うけど、恋に落ちるにはそれで充分だった。
アドルファスと言葉を交わしたのは、その一度きり。
まもなく彼は、魔獣の討伐を担う部隊に配置換えになり、王宮内で見かけることはなくなった。
ごくまれに、王宮の夜会に参加しているのを遠くから見つめるだけ。その度に、凛々しさと逞しさを増す彼に心を躍らせ、彼が特定のパートナーを伴っていないことに密かに安堵した。そして彼が華やかなご令嬢たちに囲まれるのを、諦念とともに見守った。
話しかけに行けば良かったのにと、前世の記憶を取り戻した今なら思うけど、当時の私は自己肯定感が低く、悪評まみれで萎縮していた。
見目麗しいアドルファスに話しかけて、「噂通りの男好きな王女だ」と後ろ指をさされるのが怖かったのだ。
遠くからこっそりと見つめていただけだったのに、私の恋心は目ざとい異母姉の一人に気づかれてしまった。
そして珍しく父王のもとに王子王女が集まっての歓談の場で、面白おかしく暴露された。
『ねぇ知ってる? ロザリンドったら、あのアドルファス・デュアーに熱を上げているのよ。そうよね、ロザリンド』
『まぁ。ロザリンドは面食いなのねぇ』
『アドルファス・デュアーは確かに見目麗しいけれど、所詮は伯爵家の人間でしょう? 王女であるあたくし達のお相手としてはちょっと、ねぇ?』
『あら、ロザリンドにはそのくらいがちょうどいいのではなくて? 金の髪も聖魔法も、王女らしいものは何一つ持っていないのだもの』
『それもそうねぇ』
クスクスと嘲り笑う声。
萎縮した私は否定の声を上げることもできず、ただ顔を赤くして俯いていた。
そのやり取りを見ていた父王も、出来損ないの末娘には国内の伯爵家あたりが似合いだと思ったのだろう。それからほどなくして、私は父王からアドルファス・デュアーとの婚約を命じられた。
魔獣討伐で英雄級の活躍をした彼への褒賞という形で。
私が好きになってしまったせいで、彼の人生を捻じ曲げてしまった。
アドルファスに申し訳なくて、結婚式ではまともに彼の顔が見られなかった。
だけど心の中では、ずっと憧れ続けた彼と結婚できることが嬉しくてたまらなかった。
だから、そう。これだけははっきりとロウェルに伝えておかなければと思う。
父親譲りの黒髪をそっと撫で、宝石のような青い瞳を見つめる。
「ママはね、パパのことがとってもとっても大好きだったの。だからローちゃんが生まれてきたんだよ」
あの時私はアドルファスのことが好きだった。それだけは確かな事実。
……たとえ彼の方は私を嫌っていたとしても。そのことは、決してロウェルには言えないけれど。




