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悪妻は退場しましたので  作者: 中村くらら


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7 若様、ご来店②(ジャジャーン)

「……いえ、まさか。そんなことはありえないと分かっていますから」


 そう、アドルファスが私を迎えに来るなんてありえない。

 すでに『黒狼将軍の最愛花』の物語はスタートしている時期。

 物語どおりなら、すでにアドルファスとヒロインの距離が急速に縮まっている頃だ。

 三年も前に離縁した元妻のことなど、思い出しもしていないだろう。


 ちなみに、ロウェルの父親については、ハンナさん達にすら本当のことは話せていない。私の出自も。

 ハンナさん達には、「王都で身分違いの相手に恋をしてしまったけれど、未来がないと悟り、身を引いて辺境にやって来た」と説明した。

 ……ウソではない。

 ただし身分が高いのは実は彼ではなく私の方だし、未来がないのは身分差のせいでもないけれど。


 二人を騙しているようで心苦しい気持ちがないわけではない。

 だけど、言えるわけない。私が実は貴族どころか元王女だなんて。ロウェルの父親は伯爵家当主で、英雄とも呼ばれる若き将軍だなんて。

 知られればきっと、もうここにはいられなくなるから――。


「元恋人を待っているのでないなら、なぜだい? その子のことも悪いようにはしないよ。何も、君と引き離そうなんて考えちゃいないし、もちろん衣食住も保障する」

「そういう問題ではなくてですね……」

「よし! それなら、その子が将来王都の学校に行く費用を出すことも約束しようじゃないか。悪い条件ではないだろう?」


 ファサァッと髪をかき上げるフィリップ。

 私にぎゅっとしがみつくロウェルの手に力がこもる。

 ……確かにお金は大事だ。あるに越したことはない。特に王都の学校を卒業できれば、平民にとっては出世を約束されたようなものだ。子持ちで二十歳を過ぎた私にとって、これ以上の条件はないだろうと思う。

 だけど、お金のために若様の恋人になることが、ロウェルの幸せに繋がるとは、私にはどうしても思えないのだ。

 どう言えば、彼にわかってもらえるだろうか……。


「お言葉ですがね、バロウの若様」


 私より先に口を開いたのはハンナさんだった。


「ロジーの雇い主として、いえ、親代わりとして言わせてもらいますが、あたしら夫婦は、ロジーをきちんと奥さんとして迎えて、ロウェルのパパになってくれる人……ロウェルを実の子同然に可愛がってくれる人でなきゃ、安心して任せることなんかできゃしませんよ。若様にそれができますか?」


 胸の前で腕を組み、眼光鋭く若様を見据えるハンナさん。その隣ではダンさんが深くうなずいている。

 相手が酔っ払い客だろうと、領主の息子だろうと、臆せず盾になってくれるハンナさんは本当に頼もしい。「親代わり」という言葉が決してこの場限りのものでないことは、普段の関わりの中でも充分わかっている。

 実の親にすらこうしてかばってもらったことなんてなかったのにと思うと、じーんと胸が熱くなってくる。

 ハンナさんに睨まれたフィリップは、「弱ったなぁ」と苦笑した。


「ハンナの条件はなかなか厳しいね。僕はこれでも男爵家の跡取りだから、いずれは男爵家の利になる家の娘を正妻に迎えなきゃならない。ロウェルを養子にするのも、難しい相談だな。貴族は血筋を何よりも重んじるからね」


 そう、つまりフィリップは私に愛人になれと言っているのだ。

 もちろんそれは最初からこちらも分かっていたことだ。だからこそ、若様の求愛をまともに受け取る気にはなれない。


「だけど君にもその子にも、一生不自由はさせないよ。貴族並みの生活を保障する。それに、たとえ他に正妻を迎えても、僕の唯一にして至高の愛は永遠に君のものだよ、ロジー!」

「……それで、私にもロウェルにも、一生若様の奥様やご家族に憎まれながら生きろと? そんなの、絶対にご免です」


 再び芝居がかった仕草で差し出された花束を、真顔でそっと押し返す。

 身分の低い愛妾の子のくせにと、蔑まれ、疎まれ続けた王宮での暮らしが頭をよぎる。ロウェルにあんな思いはさせたくない。絶対に。

 しばらく真顔で見つめ合う。先に視線を逸らしたのはフィリップの方だった。


「やれやれ、ロジーは手強いな。そんなロジーだからこそ余計に惹かれてしまうのだけど……。仕方ない、今日のところは引くとしよう」


 フィリップは花束を引っ込め、大袈裟な仕草で肩を竦めて見せた。


「さて、僕の愛は今日も受け取ってもらえなかったわけだけど、これならどうかな?」


 若様が懐からジャジャーンと取り出したのは、食品保存用の小瓶。


「そ、それは……!?」


 小瓶の中身に、私の目は釘付けになった。明るい紅色に輝く小さな粒々。これはもしや……⁉


「北の海洋国との交易で手に入れた珍味だよ。魚卵の塩漬けらしいんだけど、現地では『海の宝石』と呼ばれているそうだよ。ロジーは興味があるんじゃないかと思ってね」

「興味……ありますッ……!」


 あの色! つぶつぶ! あれ、イクラじゃない⁉ 全く同じではないとしても、近い味がしそう! この世界に来て初めての魚卵! うわぁ食べたい! 今すぐ白ご飯に乗っけて食べたい~~‼

 バロウの若様を邪険にできない理由の一つがこれ。彼は男爵家の交易で珍しい食材や食品が手に入ると、こうしてリコリス亭に持ってきてくれるのだ。


「わ、若様、そちら、お代はいかほどで……⁉」

「そうだなぁ、それじゃあランチにリコリス亭のまかないをごちそうになろうかな。皆さんもこれからお昼でしょう?」


 ダンさんを見ると、心得たとばかりにさっそく厨房に向かっている。


「じゃあさっそく皆で『海の宝石』を頂いてみましょうよ! 若様、試作品のスープも召し上がります? さっきちょうど出来上がったところなんです」

「新作のスープかい? もちろん頂くよ。いいところに来たな」

「ふふっ、これはただのスープじゃないんですよ。なんと、これからラーメンになる予定なんです!」

「ラーメン? という料理は初めて耳にするが、きっと斬新で美味しいんだろうね、楽しみだ」

「やみつきになるような美味し~いラーメンを作りますからね、楽しみにしていて下さい!」


 若様を座らせ、他の皆で昼食の準備をする。ずっと私の陰に隠れていたロウェルも、スプーンとフォークを並べるお手伝いをしてくれた。

 今日のまかないランチは、白ご飯、唐揚げ、鶏ガラスープ、サラダ。

 そしてスペシャルメニュー、イクラ(推定)の塩漬け!


「ああっ、この輝き! 艶! まさに海の宝石っ……!」


 スプーンに掬ったイクラ(推定)を、うっとりと白ご飯に乗せる。

 思ったよりも小粒だったけど、食べてみたら味はイクラとかなり近く、プチプチした食感がとても楽しい。白ご飯ともたいへんよく合う。私の隣でロウェルも、「おいち~!」と興奮気味に頬張っている。

 だけど若様にとっては、少し苦手なお味だったらしい。眉間に皺を寄せ、ほとんど噛まずに飲み込んでいた。ダンさんとハンナさんも微妙な顔をしていたので、この国の人には受け入れられにくい味と食感なのかもしれない。こんなに美味しいのになぁ。

 皆に遠慮されたイクラもどきの残りは、ありがたく私が頂戴した。


 若様を交えて囲むまかないランチは和やかだった。

 彼は貴族らしい価値観を持ってはいるものの、平民に対して無駄に偉ぶることはしない。

 珍しい食材も持ってきてくれるし、決して悪い人ではないのだ。本当に、私を口説くことさえなければ良い人なんだけど……。

 若様は食後のお茶まできっちり召し上がり、近々南の島国から珍しい果物が手に入りそうだとか、近頃魔の森の魔獣の動きが活発になっているとか、そんな雑談をしばらくしてから帰っていった。




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