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悪妻は退場しましたので  作者: 中村くらら


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6 若様、ご来店①(ファッサァ…)

 リコリス亭の定休日は週に一日。

 この日ばかりはロウェルを託児所に預けることなく、私も店に出ることはない……と言いたいところだけれど、店休日の今日も私は店の厨房にいた。

 時間にゆとりのある休日にしかできないことがある。

 そう、ダンさんと一緒に、新しい和食メニューの開発をするのだ!


 ちなみに、ロウェルのお相手は主にハンナさんがしてくれている。ホールのテーブルで、小さな黒板にお絵描きをしているのが厨房からも見える。

 時々、描いた絵を持って来て見せてくれる。「にゃんにゃん可愛いね〜」と褒めたら「おうましゃんだよ〜」と訂正されてしまった。……お馬さん、可愛いね!

 

 さて新メニュー開発である。

 少し前から気合いを入れて挑戦しているのはラーメン。

 完成すれば店の看板メニューの一つになることは間違いないと思うし、なにより私自身が食べたい!

 店で一番大きな鍋では、鶏がらと数種類の香味野菜がくつくつと煮えている。

 丁寧にアクを取りながら弱火で煮込むこと、そろそろ三時間。


「……どうだ?」


 ダンさんから差し出された味見用の小皿には、黄金色にきらめくスープ。口に含むと、鶏がらで取った出汁の味がじわりと広がった。


「ん~っ、美味しい! 臭みも全然ないし、鶏の旨味が最高! 塩を足すだけで美味しいスープになりそうですね。これで雑炊作るのもいいなぁ……。これいけますよ、ダンさん!」


 グッと親指を立てると、ダンさんがニヤリと控えめに口の端を上げた。

 前世では、ブラック企業に就職して余裕を失うまで、ちゃんと自炊をしていた。だからそれなりに料理はしていたのだが、さすがにスープからラーメンを作った経験はない。

 美味しい鶏がらスープにたどり着けたのは、プロの料理人であるダンさんの知識と経験があってこそだ。

 まずは材料が手に入って比較的作りやすそうな鶏がらスープのラーメンに挑戦しているのだけれど、ゆくゆくは醤油ラーメンと豚骨ラーメンも作りたい。

 夢は広がるばかりだ。


「次は麺だな」


 ダンさんの言葉にうなずく。そう、今はまだ鶏がらスープができただけだ。


「こっちの方が難題ですよね。スパゲッティはなんか違うし……」

「どう違う?」

「う~ん、なんて言えばいいんでしょう。スパゲッティは堅いというか、弾力がありすぎるというか……。あ、と言ってもそれなりにコシは欲しいんです。ただ、もう少し柔らかくて、もっちりした食感が理想なんですけど……」

「もっちり、か……」


 ダンさんが顎に手をやって考え込む。

 その時、出入口のカウベルが音を立てた。

 閉店の札をかけているのに構わずやって来るのは、普通のお客さまではない。出入りの業者は裏口から訪ねてくる。となれば……。


「やあ、皆さんお揃いで」


 真っ赤な薔薇の花束を手ににこやかに、しかし無遠慮に店に入ってきたのは、予想通りの人物だった。


「こんにちは、バロウの若様」


 私より一つか二つ年上と思われる身なりの良い青年を、居ずまいを正して出迎える。

 約束などない突然の訪問客だが、失礼な対応をするわけにはいかない。

 なんたって彼――フィリップ・バロウは、このディウドの町を治めるバロウ男爵の跡継ぎ息子なのだ。


 若様はダンさんとハンナさんに軽く手を挙げて応えながら、まっすぐ私に向かって歩み寄ってくる。

 そして、手にした薔薇の花束を、ずいっと私の目の前に差し出した。


「今日も麗しいね、ロジー。咲き誇る大輪の薔薇すらも、君の美しさの前では色褪せるようだ。そして僕は、君という花に魅せられた恋の奴隷……」


 芝居がかった仕草で薄茶色の髪をかき上げ、歯の浮くような台詞を口にする。


「あは、はは……」


 顔を引き攣らせながら一歩引くが、引けば引いた分だけ若様は迫ってくる。 


「あぁロジー! どうかこの哀れな男に情けをかけてくれないか。今日こそ色良い返事を聞かせてよ。どうか僕の最愛の恋人になっておくれ!」


 胸に手を当て、歌うように朗々と言い切った若様は、もはや完全に仰け反る私の手を握り、ちゅっと音を立てて口付けた。

 ゾワワ~と鳥肌が立つが、手を振りほどくのは角が立つのでぐっと堪える。

 一応、若様の名誉のために言っておくが、彼は一般的に見てかなりのイケメンである。町を歩くたびに、うら若い娘さんたちからキャーキャー黄色い声を浴びている。

 ただ私は、いくらイケメンでも、好きでもない人に口説かれるのは得意じゃないのだ。

 というかそもそも、二歳の息子の目の前で堂々と口説かないで頂きたい!

 ちなみにそのロウェルは、若様の顔を見るなりささっと私に駆け寄ってきて、ぎゅっとスカートにしがみついている。若様とは何度も顔を合わせているのだが、なかなか馴れない……というか、どうやら苦手らしい。


「あの、若様……」

「そんな他人行儀にされては悲しいよ、ロジー。僕と君の仲じゃぁないか。フィリップと呼んでくれるね?」

「いえ、滅相もございません。この土地のご領主様であるバロウ男爵様のご子息であらせられる貴方様を、一介の食堂配膳係にすぎない平民の私が、そのように馴れ馴れしく呼べるはずがございませんわ、若様。貴方様のファンのお嬢さん達に恨まれてしまいます」


 私はきりっとした表情で答える。心の距離ゆえに、つい過剰に「様」を付けてしまった気もするが、まぁいいだろう。 

 若様との出会いは今から半年ほど前。下町に変わった料理を出す店があるという噂を耳にした彼が、リコリス亭にやって来たのが始まりだ。

 やけに仕立ての良い服を来て綺麗な所作のお客さんだな~と思ったら、男爵の息子だったというわけ。

 若様はリコリス亭の料理を気に入ったらしく、それから度々店に食べに来るようになった。

 そこまではいいのだが、何を思ったか私を口説くようになった。

 営業中にそんなことをされては迷惑だとはっきり伝えたら、今度は店休日にやってくるようになった。

 少し迷惑だが、バロウ男爵家の息子となればそう邪険にもできない。貴族だからというのもあるが、バロウ男爵家はなかなか評判の良い領主一家なのだ。


 ここディウドの町の近くには、魔獣が数多く棲む森、通称『魔の森』がある。

 魔獣は畑を荒らし、人を襲う。そんな魔獣の脅威に備えるため、ディウドの市街地はぐるりと高い塀に囲まれている。この塀を建築して維持しているのがバロウ男爵家だ。

 また、塀の外にある畑や街道を守るために、守備隊を結成して警護している。


 さらに男爵家は、優秀な冒険者を数多くディウドの町に誘致することにも成功した。

 魔獣の討伐と、魔獣や魔の森に由来する貴重な資源の取得を男爵家自らが依頼することで、冒険者の仕事を多数作り出したのだ。

 彼ら冒険者のおかげで、町にも活気がある。

 ちなみに男爵家は、冒険者から買い取った資源で活発に交易し、しっかり利益を得ているらしい。

 まさにウィンウィン。なかなかやり手の領主と言える。

 そしてこの若様は、領主の息子として、町を守る守備隊を率いている。

 一見、荒事には縁のなさそうな優男風なのだが、こう見えてけっこう強いらしい。まぁそこは本人の談なので、どこまで真に受けていいものやら分からないが。


「相変わらずロジーは謙虚だねぇ。だがそこもまたいい……!」


 ファッサァ……ッと若様が前髪を搔き上げる隙に、握られていた手をシュッと引き、口付けられたところをこっそりゴシゴシとスカートで拭った。


「若様、何度来られても私の答えは同じですよ。貴方様の恋人になるつもりはありません。私には、この子がいますから」


 私のスカートにしがみついているロウェルの柔らかな黒髪を撫でる。それだけで心が強くなれる気がするから、子どもって不思議だ。

 若様の薄青色の瞳がロウェルに向けられる。視線を受けたロウェルはさっとスカートの陰に顔を隠してしまった。


「まさかとは思うけど、ロジーは昔の恋人が迎えに来るのを待っているのかい?」



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