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悪妻は退場しましたので  作者: 中村くらら


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4 悪妻、食堂の看板娘にジョブチェンジしました!

 カラカラン、と出入口のカウベルが軽快な音を立てる。

 反射的に振り向くと、職人らしき身なりの二人連れが入ってくるところだった。


「いらっしゃいませ~! すみません、相席になっちゃうんですけど大丈夫ですか? ……ありがとうございます! ではこちらにどうぞ~!」


 すかさず営業スマイルを浮かべ、ご新規二名様を空いている席にご案内する。

 二人連れの年配の方は、何度も来店されている常連さんだ。彼は案内された席に腰掛けると、壁に立て掛けたメニュー表にちらりと目をやってから、私の顔を見上げた。 


「おねぇちゃん、今日の日替わりランチは何だい?」

「今日は生姜焼きですよ! いい豚肉が入ったので」

「おっ、ショーガヤキか! いいねぇ、また食いてぇと思ってたんだよ。よし決めた、俺ぁ日替わりにするぜ!」

「親方、ショーガヤキって何すか?」


 若い方の男が首を傾げる。こちらは見覚えのない顔。初めてのお客様のようだ。

 

「なんだおめぇ、知らねぇのかよ。このリコリス亭の名物料理の一つだぜ。ジンジャー風味の甘辛いタレが豚肉とタマネギに絡んでよぉ、美味いのなんの。ちなみにパンより断然ライスが合うぜ。白飯何杯でもいける!」

「へ〜。じゃあ俺も、そのショーガヤキってやつにしてみるっす」

「かしこまりました〜! 三卓ご新規さん、日替わり二丁でーす、両方ライスで!」


 カウンターの奥の厨房に向かって注文を通す。女将のハンナさんからは「はいよ!」というきびきびとした返事が、店主のダンさんからは無言の頷きが返ってきた。

 ここは国境の街ディウドの下町にある食堂リコリス亭。

 カウンター五席と四人掛けのテーブル四つだけの小さな店は、お昼時ということもあり、近所で働く職人さんや冒険者たちでほぼ満席状態だ。


 私がこの店で働き始めて、そろそろ三年になる。

 三年前、「なんとかなるでしょ!」と勢いだけでこの町にやってきた私は、家探しにも職探しにも大苦戦する羽目になった。異世界といえども、まともな家に住んでまともな仕事に就こうと思ったら身元保証が必須なのだということを思い知らされた。

 連日住まいと職を探して歩き回り、疲れてぼんやり歩いているときに財布をすられ、所持金が一気に底を尽きかけた。

 そんな時にいい仕事があると声をかけてきた男がいた。なんだか胡散臭いと思いつつも、背に腹は代えられぬと男について行こうとした時、声をかけてくれたのがハンナさんだった。

 男はこの近辺で有名な破落戸らしい。危うく騙されて娼館に売り飛ばされるところだったと知って血の気が引いた。


 以来、私はこのリコリス亭で、『ロジー』と名乗り、ホールスタッフ兼調理補助として住み込みで働いている。

 前世、学生時代に一番長く続けたアルバイトは居酒屋だった私。幸いにも仕事を覚えるのに苦労はしなかった。


「ロジー、ポークカレー二丁あがったよ! 一卓のお客さんにお出ししておくれ」

「わかりました〜!」


 ハンナさんから差し出されたのは、少し深さのある楕円の皿。中には、ごろっとした豚バラ肉とたっぷりのトマトを使ったカレー。スパイシーな香りに食欲が刺激される。


(うわぁ、この匂いたまんない! 仕事中なのにお腹鳴っちゃいそう!)


 受け取ったポークカレーの皿を両手に持ち、お客さんでぎゅうぎゅうの店内を進む。

 歩く度に、ポニーテールの赤髪が揺れ、白いエプロンの裾がはためく。

 我ながら食堂スタッフが板についている。こんな私がまさか元王女だとは、誰も思うまい。

 料理を運ぶ間にも、お客さんから声がかかる。


「ライスのおかわり頼むわ!」

「はーい!」 

「こっちはエール一杯! カラアゲも追加で!」

「はい、ただいまー!」


 日本人の感覚だと、仕事の合間の昼休みにお酒を飲むなんてと思ってしまうけど、こっちの世界ではわりと普通のことらしい。みんな、お水代わりにぐびぐび飲む。

 ただ、お酒を飲めば酔うのはどこの世界も同じで、酔っ払いに絡まれることもしばしば……。


「ロジーちゃん、今日も可愛いね! 仕事終わったら俺とデートしようぜ!」

「あはは……デートはちょっと遠慮しときます……」

「ちぇっ、今日もふられたかぁ」

「ばーか、ロジーちゃんみたいな別嬪がお前なんか相手にするかよ。ロジーちゃん、俺、俺! 俺はどう?」

「ごめんなさい、恋人は募集してないので……」


 笑顔を引き攣らせながら断りの返事をするが、赤ら顔の彼らはなかなか諦めてくれない。


「そんな固いこと言わずにさぁ、いーじゃんいーじゃん、遊ぶくらい――」

「ちょいとお客さん達! あんまりうちの看板娘にちょっかいかけるようなら出禁にするよ!」


 助け船を出してくれたのはハンナさんだ。恰幅のいいハンナさんが仁王立ちで睨みをきかせる姿には迫力がある。さらにカウンターの向こうの厨房では、ダンさんが無言で包丁を構えている。

 二人に睨まれた酔っ払い達は途端に顔色を悪くした。


「あ、いや、今のはほんの冗談で……」

「出禁は勘弁してよ〜女将さん。俺もう、この店のカレーが食べられなくなったら生きてけないよ〜」

「ふんっ。だったらなおさら、ロジーに敬意を払うこったね。そのカレーもショーガヤキもカラアゲも、うちで出してるオリジナル料理を考案したのは全部ロジーなんだからね!」

「あー……私はたまたまレシピを知ってただけで……」


 そうなのだ。この異世界らしからぬ料理の数々は、私が提案してメニューに追加されたものなのである。

 異世界に転生したり転移した主人公が和食を作って周囲を魅了するというのは、漫画やラノベで定番の展開だけど、実際に異世界転生してみて、主人公達の気持ちがしみじみと理解できた。

 とにかく和食が恋しくなるのだ。それも、いわゆるおふくろの味的な家庭料理が。


 初めに作ったのは唐揚げ。この世界にも鶏肉を揚げた料理はあって、それはそれで美味しいのだけど、唐揚げを食べたい欲はそれでは満たされないものでして……。

 食材を分けてもらい、賄いに唐揚げを作ったら、ダンさんとハンナさんに美味しいと驚かれて、食堂のメニューに加えることになった。なんとこれが店のお客さん達にも大好評。

 その後も、ダンさんに協力してもらいながら、和食の調理に挑戦した。手に入らない食材は代用品を使ったりして、前世の味そのまんまとはいかないことも多いけど、和食の再現は少しずつ成功し、そのたびに食堂のメニューは増えていった。


 リコリス亭は元々、素朴な定番料理をリーズナブルに提供する食堂。一応お酒は置いているけど夜の酒場営業はやっておらず、朝と昼のみの営業だ。お客さんのほとんどは、仕事前や仕事の合間に食べにくるご近所さん。

 そういうお客さんは今もメインの客層ではあるのだけど、「変わった料理を食わせる店があるらしい」と和食メニューが口コミで広がり、遠方から食べに来てくれるお客さんが少しずつ増えていった。

 今では、ランチ時ともなれば常に満席状態が続く、ちょっとした人気店になった。

 前世で大好きだった料理を「美味しい」と喜んでもらえるのは、正直とても嬉しくてやりがいを感じている。

 それに、いかにも訳アリな私を、何も訊かずに雇い入れてくれたダンさんとハンナさんには、感謝してもしきれない。少しでも二人への恩返しになっていたらいいなと思う。


 怒涛のランチタイムを終え、最後のお客さんを見送ったのは、すでに夕方近い時間だった。ドアの外側に閉店の札を掛けてから、三人で後片付けに取り掛かる。

 ダンさんとハンナさんがこの食堂を開いたのは、二人が共に二十代後半の時。それから約三十年、この場所で営業を続けているそうだ。

 開店当時から使っているという木製のテーブルと椅子は、古いけれどよく手入れされていて、アンティークのような飴色の艶がある。ヘリンボーンの床も同じく。

 二人への感謝も込めて、店内を隅々まで綺麗に掃除する。床材の隙間の汚れを掻き出しつつ、夢中になって床を磨いていると、ハンナさんから「ちょいと、ロジー」と声がかかった。


「そろそろ日暮れが近いよ」


 言われて窓の外に目をやると、西の空がオレンジ色に染まっていた。


「えっ、もうそんな時間⁉ 床掃除があと少し……」

「それはこっちでやっとくから、急いでお迎えに行ってやんな」

「すみません、ありがとうございます! 行ってきます!」


 大急ぎでエプロンを外し、私は店の裏口から飛び出した。



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