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悪妻は退場しましたので  作者: 中村くらら


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27 もう一人の転生者

「……リリアナ嬢」


 アドルファスがハッと私から体を離す。

 壁際で固まる私と気まずそうな表情のアドルファスを見比べてから、リリアナは困ったように眉を下げた。


「もしかしてあたし、お邪魔でしたか……?」

「……いや。何かあったのか?」

「ナサニエル様がお探しでしたよ。確認してほしい書類があるとかで」

「分かった。すぐに行く」


 アドルファスはリリアナに短く言葉を返すと、もう一度私に目を向けた。何か言いたそうに唇を開きかけたが結局は何も言わず、そのまま踵を返して倉庫を出て行った。

 アドルファスの後ろ姿が見えなくなってから、私はようやく肩の力を抜き、ほぅとため息をついた。


(アドルファス、怒ってたな……。そりゃ、これだけ振り回されれば当然だよね……)


 だけど、顎クイされた時、間近で見たアドルファスの表情が妙に気にかかった。ただ怒っているのとは、なんだか少し違っていたような……。

 そんなことを考えつつ、リリアナの後に続いて私も倉庫を出ようとしたのだが。

 数歩前を行くリリアナが、私の目の前で、音もなく倉庫の扉を閉めた。くるりと振り返り、にこりと綺麗な笑みを浮かべる。


「あたしも少し、いいですか? あなたと二人きりでお話ししてみたかったんです、ロジーさん。……ううん、ロザリンドさん」


 不意を突かれ、私は小さく息をのんだ。


「な……」


 なんでリリアナが私の本名を知っているの⁉

 アドルファスから聞いた? でも彼は、ナサニエルにしか話していないと言っていたはず……。


「癖のある赤髪に緑のつり目。地味な恰好してるからすぐには確信できなかったけど……。ふふっ、駄目じゃないですかー、ロザリンドさん。偽名を使うならもっと違う名前にしなきゃ」


 リリアナが楽しそうに肩を揺らす。

 心臓がドクドクと嫌な音を立てるのを感じながら、私はぎこちなく口角を上げた。


「え、と……私の名前はロジーで……」

「あら、隠さなくたって大丈夫ですよー? 心配しなくても、誰にも言うつもりなんてないですし」


 リリアナは小さく首を傾げ、上目遣いに私の顔を覗き込んだ。


「……と言っても、あの様子だと当然アド様は気づいてますよね。んー、でもさすがにあのことは彼も知らないのかな?」

「あ、あのことって……?」


 完全に彼女のペースに乗せられていると思いつつ、聞き返さずにはいられない。

 リリアナは桃色の目を三日月のように細め、人指し指でトンと私の胸を突いた。


「あなたが転生者だってこと。でしょ?」


 ドクン、と、一瞬心臓が止まる。

 目を見開いて固まる私を見て、リリアナは「やっぱり!」と嬉しそうに手の平を合わせた。


「悪妻ロザリンド、ちっとも登場しないからおかしいなって思ってたんですよねー。噂ではデュアー伯爵家の領地で静養してるって話だったけど、まさかこんな所にいたなんて。破滅回避のために王都から逃げてきたってところかな?」

「な、なんで……」

「ああ、どうしてあなたが転生者だと気づいたかってことですか? んー、悪妻ロザリンドが原作と全然違う動きをしてた時点でその可能性は考えてましたけど、決め手は、あたしを聖女だと勘違いしてたことですねー」

「っ……」


 さっきの失言、ちっとも誤魔化せていなかったらしい。

 いや、今はそんなことより、もっと気になることがある。


「あの、もしかしてリリアナさんも転生者、なの……?」


 おそるおそる尋ねると、リリアナは「そうですよー。前世は日本人」とあっさり肯定した。

 やっぱりそうか。しかも、「原作」などの発言から察するに、私と同じく『黒狼将軍の最愛花』の読者のようだ。


(いや、そりゃ、私という転生者がいる以上、同じような転生者が他にいても不思議ではないわけだけど……)


 迂闊なことに、今までその可能性を全く考えたことがなかった。逃亡、職探し、妊娠、出産、子育てに手一杯で、そんなことを考える暇がなかったからかもしれない。


(そっかぁ、リリアナちゃんも転生者なんだ……!)


 これまでずっと、断罪回避のために極力リリアナとは関わるまいと思っていた。

 だけど、リリアナも転生者となれば、話はちょっと変わってくる。


(ラノベだと、転生者同士って大抵、徹底的に敵対するか、あるいは無二の親友になるかのどっちかなんだけど……)


 にこにこ笑顔が可愛らしいリリアナを見ていると、なんだか仲良くできそうな気がする。


(日本にいた時の話とか、原作の話とかできたら楽しいだろうな~。あっ、そうだ! リコリス亭の和食メニュー、リリアナちゃんにも食べてもらいたいな!)


 私がそうだったように、リリアナもきっと日本の味を恋しく思ってるに違いない。


(リリアナちゃんは何が好きかな? 唐揚げ? 生姜焼き? それともカレー? なんなら、お近づきの印にとっておきのイクラ、出しちゃう……⁉)


 リコリス亭のテーブルでリリアナと向かい合い、イクラ(もどき)のっけご飯を頬張るところを妄想したら、にわかにテンションが上がってきた。


「リリアナちゃん、イクラ――」

「それでね、ロザリンドさん。あなたに聞きたいことがあるんですけど」


 ウキウキと言いかけた言葉を呑み込む。

 リリアナは右手の指を二本立て、にこりと首を傾げた。その微笑みは一見すると、「さすがヒロインちゃん!」と言いたくなるほど可憐で愛らしい。

 だけど私は気づいてしまった。その大きな桃色の目が、ちっとも笑っていないことに。


「あなたが聖女って、いったいどういうことですか?」

「え……」

「だって、聖女はヒロインの――あたしのためだけの特別な称号でしょう? それなのに悪妻ロザリンドが聖女だなんて、おかしいじゃないですか」

「それは、私もそう思う、けど……」

「あなたも知ってるでしょ? ヒロインが聖魔法に目覚める条件は、アド様と愛し合うことだって。まさか――」


 リリアナが笑みを消し去り、じっと私の目を覗き込んだ。深くて暗い洞穴のようなその瞳に、ゾクリと肌が粟立つ。私は慌ててぶんぶんと首を横に振った。


「ないですないです! 私、結婚式の直後に前世の記憶が甦って、すぐに伯爵家の屋敷を出て……だからアドルファスとはほんの数回顔を合わせただけだし、愛し合うなんて絶対ありえないです!」


 初夜……のことはあえて言わなくてもいいよね⁉ 彼にとっては義務的なものだったわけだし!

 私の本能が全力で訴えかけてきている。ここでリリアナに誤解されるのは危険だと。


「どうして聖魔法に目覚めたのかは私にもよく分からないんだけど、アドルファスは本当に関係なくて……」


 リリアナは光の消えた目で私を見つめ続けている。


「でも好きでしょ? アド様のこと」

「すっ……」


 咄嗟に言葉に詰まってしまった。


「好き……っていうか、推し……ではある、けど……」


 ああ……きっとこの場は「好きじゃない」と答えるのが正解なのだ。分かってはいるのに……。


「でも私、二人の邪魔をするつもりなんて全然全くこれっぽっちもないので! そうじゃなきゃ、こんな辺境まで逃げて来たりしないです!」

「……まぁ、それはそうかも?」

「ですよ! 私はこの先もこの町でやっていくつもりだし、それにやっぱりファンとして、アドルファスにはヒロインと幸せになってほしいから!」 


 これは決して嘘じゃない。私はリリアナから目を逸らさず、必死に言い募る。

 リリアナはなおも探るように私を見つめていたが、不意にその表情を緩め、にこりと可愛らしい笑みを浮かべた。


「良かったぁ。それを聞いて安心しましたー。ロザリンドさんが原作みたいな性格だったらどうしようって、つい不安になっちゃって」


 リリアナがうるうると桃色の目を潤ませる。


「それじゃあたし、そろそろ行きますね」


 そう言って、リリアナが踵を返す。ホッとした次の瞬間、「あ、そうだ」とリリアナが足を止めた。


「あたし、同担拒否なんです」

「へ?」

「デュアー将軍」


 意味が分からず、私は目を瞬く。


「呼び方、気をつけてくださいねー? アド様のことを名前で呼んでいいのは、ヒロインのあたしだけなので」

「……あ、はい」


 呆気に取られながら頷くと、リリアナは満足そうに微笑み、今度こそ倉庫を出て行った。

 パタンと扉が閉まった瞬間、私は脱力し、へろへろと近くの壁にもたれかかる。その拍子にゴンと壁に頭をぶつけた。痛い。


(前言撤回……! 全っっっ然、仲良くできる気がしない!)


 アドルファスとは離縁できていないことが分かったし、リリアナは私を警戒しているようだし……。

 やっぱりアドルファスとリリアナには極力関わらないでおこう。

 一刻も早く離縁の手続きを進めなきゃだし、ロウェルがアドルファスの子どもだということも、隠し通した方がよさそうだ。


(……ごめんね、ローちゃん。パパには会わせてあげられないけど、その分、ママがいっぱいいっぱい愛情を注ぐから……)


 ロウェルのことを思うとツキンと胸が痛み、今すぐにロウェルを抱きしめたくなった。


(あ~、早く帰りたい! 帰ってローちゃんをぎゅーしたい!)


 けれど長い一日はまだ終わらず。

 仕事を終えて帰ろうとした私を、今度は若様が待ち構えていた。大きな薔薇の花束を抱えて。




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