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あなたの愛の告白は聞き飽きた

「シンシア、君がいるだけで、ありふれた毎日が輝いて見えるんだ。これからもずっと、僕のそばにいてほしい」


 学園のテラスに朗々と響く、情熱的な愛の告白。

 夕日に照らされた彼の横顔はまるで舞台役者のようにドラマチック。

 初めてこの言葉を聞いた時の私――シンシアは頬を染めて、胸を高鳴らせていた。


 けれど、今の私はどこか冷めた頭で聞き流していた。



 ――ああ、またこのセリフ。

 聞き飽きたな。



「ありふれた毎日が輝いて見える」だなんて、少しキザじゃない?

 なんだか少し、背伸びをしているようにも聞こえるわね。

 初めての告白だからと、少しばかり気負いすぎてしまったのかしら。



 この奇妙な現象に、私が囚われてしまったのは、もう何度目のことだろうか。

 ことの始まりは、私の主観で言えば、もう一年以上も前のことになる。


 ◇


 王都にある、貴族子女のための高等学園。

 そこで私はオネット様と出会った。


 彼は子爵家の嫡男で、爽やかな風をまとったような人。

 陽の光を浴びて輝く金色の髪に、澄んだ空を映したような青い瞳。

 誰に対しても分け隔てなく接する優しい性格は、多くの令嬢たちの憧れの的。


 もちろん、私もその一人。

 同じ子爵家で、父同士の派閥も近い。家格の釣り合いも取れていて、政略的に見ても申し分ない相手。


 けれど、そんな打算を抜きにして、私は純粋にオネット様に惹かれていた。


 授業で分からないところがあれば、彼の方から声をかけて教えてくれた。

 廊下ですれ違えば、いつも柔らかな笑みを向けてくれる。

 そんな些細なやり取りの一つ一つが、私の心を温かく満たしていく。

 いつしか、彼の姿を目で追うのが日課になっていた。


 そんな日々が続いていたある日の放課後。

 私はオネット様に、夕暮れのテラスへと呼び出された。


「シンシア、君がいるだけで、ありふれた毎日が輝いて見えるんだ。これからもずっと、僕のそばにいてほしい」


 真摯な瞳でまっすぐに私を見つめ、彼は言った。

 予想もしない愛の告白に、私の頭は真っ白。

 心臓が、今にも張り裂けてしまいそうなほど、大きく、速く脈打った。


 感極まった私の瞳からぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。

 嬉しくて、幸せで、どうにかなってしまいそうだった。


「……っ、嬉しい、です。ありがとう、ございます」


 声を振り絞って、そう答えるのが精一杯だった。

 オネット様は心から安堵したように微笑むと、私の手を優しく取って甲に口づけを落とした。

 その夜、私は興奮と幸福感でほとんど眠ることができなかった。




 しかし、次の日。

 目を覚ました私は、どうにも周囲の様子がおかしいことに気づいた。


「おはようございます、お嬢様。本日はお天気に恵まれ、素晴らしい一日になりそうですね」


 いつも通りに私を起こしに来てくれた侍女のマリーが、にこやかにカーテンを開ける。

 窓から差し込む光は、昨日と同じように穏やかだ。

 けれど、何か違和感がある。


「ねえマリー。今日の日付を教えてくれる?」

「はい。本日は花の月の一日でございます」


 マリーの言葉に首を傾げる。

 花の月の一日? そんなはずはない!



 ――オネット様に告白された昨日は、花の月の七日だったはずだ!



 混乱する私をよそに、一日はいつも通りに進んでいく。

 朝食のメニュー、学園へ向かう馬車から見えた街の景色、友人との会話。

 その全てが一週間前に体験したはずの出来事と全く同じ。



 未来を予知する能力でも得てしまったのかしら……?



 まるで、一度見た演劇をもう一度見ているような、不思議な感覚。

 既視感――デジャヴという言葉では片付けられないほど鮮明な記憶。私は戸惑いながらも、どこか胸を高鳴らせていた。


 なぜなら、もしこの記憶が正しいのなら。

 一週間後、私は再びオネット様から愛の告白を受けることになるのだから。


 その日から、私はこれまで以上に彼のことを注意深く観察するようになった。

 すると、今まで気づかなかったたくさんのことに気がついた。


 図書館で本を探していると、ふと視線を感じて顔を上げた先に彼がいること。

 庭園のベンチで休憩していると、偶然を装って彼が隣に座ってくること。

 階段で足を滑らせそうになった時、さっと手を差し伸べて支えてくれること。


 一つ一つは本当に些細なこと。

 けれど、その全ては彼が私に寄せてくれる好意のサインなのだ。

 たまらなく愛おしく思えた。

 私は一人で納得しては、こっそりと微笑む。


 ああ、オネット様はこんなにも前から私のことを見ていてくださったの?


 同時に、私自身の身だしなみや言動にも、普段よりずっと気を使う。

 髪はいつもより念入りに梳かし、艶やかに。

 ドレスの皺一つないように、立ち居振る舞いは淑女らしく。

 彼に「告白してよかった」と思ってもらえるように、来るべき日に向けて自分磨きに精を出した。


 そして、告白された時にどう返事をするか、シミュレーションを繰り返す。

 最初の時のように、ただ「嬉しいです」と答えるだけでは味気ない。

 もっと、私の気持ちが伝わるような素敵な言葉はないだろうか。

 彼がくれた告白にふさわしい、最高の返事をしたい。


 そうして迎えた、運命の一週間後。

 あの日と全く同じ、夕暮れのテラス。


「シンシア、君がいるだけで、ありふれた毎日が輝いて見えるんだ。これからもずっと、僕のそばにいてほしい」


 再び向けられた、熱のこもった眼差しと愛の言葉。

 私はこの一週間考え抜いた、とっておきの返事を口にした。


「オネット様、そのお言葉をずっと待っておりました。私こそ、貴方の輝く毎日をご一緒させてくださいませ」


 私の言葉に、オネット様は一瞬、驚いたように目を見開いた。

 そして次の瞬間、今までに見たことがないくらい、嬉しそうに顔をほころばせたのだ。

 その表情を見て、私は心の中で勝利のガッツポーズをする。



 完璧な返事ができた。最高の瞬間だ!

 満ち足りた気持ちで、私はその夜、眠りについた。




 そして、次の日。

 目を覚ました私の耳に飛び込んできたのは、聞き覚えのあるマリーの声だった。


「おはようございます、お嬢様。本日はお天気に恵まれ、素晴らしい一日になりそうですね」


 ――え?


 勢いよくベッドから起き上がる。

 見慣れた自室の天井。窓から差し込む、穏やかな朝日。

 震える声で、マリーに日付を尋ねた。


「本日は、花の月の一日でございます」


 にこやかに告げられたその事実に、私の思考は完全に停止した。

 花の月の一日。

 まただ。また、一週間前に戻っている。


 え、どういうこと?

 予知能力なんかじゃなかった。

 これは……ループ?

 どうして? 何が原因で?

 分からない。何も分からない。


 途方に暮れた私は、ただ呆然と、ベッドの横で立ち尽くすしかなかった。



 ◇ ◇



 二度目のループが始まってから、私の頭の中は疑問符で埋め尽くされていた。

 なぜ、時間が巻き戻るの?

 どうすれば、この奇妙な現象から抜け出せるの?


 答えの出ない問いを繰り返すうちに、一つの仮説にたどり着く。

 私だけが知覚できるループで、オネット様から告白を受けた日から1週間を繰り返すようになった。



 ――もしかして、オネット様の告白を断れば、このループは終わるのではないか?



 もし本当にそうだとしたら。

 ループが終わるということは、彼からの愛を断って日々が進むということ?

 それは、あまりにも不条理ではないだろうか。


 受け入れれば、また一週間前に戻される。

 断れば、未来へ進めるかもしれないけれど、彼を失う。


 どちらを選んでも、待っているのは地獄。

 そんな考えが頭を支配し、私の心は日に日にすり減っていった。


 そして3日が過ぎ、ついに私は限界を迎えた。どうしようもない閉塞感と、未来への絶望。


 その日、私はストレスから、やけ食いに走った。


「マリー! 今すぐキッチンのホールケーキを丸ごと一つ持ってきてちょうだい!」

「おっお嬢様!? 今からでございますか?」

「いいから、早く!」


 夜も更けた時間に、私は半ば叫ぶように侍女に命じる。

 わけが分からず困惑するマリーを急かし、運ばれてきた大きな箱をひったくるように受け取った。


 一人になった部屋で箱を開ける。

 甘いクリームと苺の香りがふわりと鼻をくすぐった。

 普段なら決してしないことだけれど、今はもうどうでもよかった。

 フォークで大きくケーキをすくい、ほとんど味わうこともなく口に詰め込む。


 甘い。

 甘くて、苦しい。


 ぽろぽろと、涙がこぼれ落ちた。

 どうして、こんなことになってしまったのだろう。

 ただオネット様が好きで、彼と結ばれたいと願っていただけなのに。


 もう一口、また一口と、無心で食べ進めていた、その時だった。


 あ、これ、美味しい……


 ふと、そう思った。

 悲しみで麻痺していた味覚が急に仕事をし始めたかのように、舌の上に広がるクリームの芳醇な甘みと苺の爽やかな酸味を感じた。


 美味しい。


 そう認識した瞬間、私の脳裏にまるで稲妻が走るような衝撃が突き抜けた。


 待って。

 もしかして、これって……。



 いくら食べても、太っても、一週間後には全部元に戻るということ……じゃない?



 時間が巻き戻るのなら、私の身体も前の状態に戻るはずだ。

 その可能性に気づいた途端、私の心臓が告白された時とはまた違う意味で大きく高鳴り始めた。


 だとしたら、これは……天国?



 それからの私は、猛然と美味しいものを食べ続けた。


 侍女たちが目を丸くするのも気にせず、朝から晩まで食べたいものを食べたいだけ注文する。

 ふわふわのクリームがたっぷり乗ったケーキ。

 色とりどりの宝石みたいなマカロン。

 チョコレートアイスにジューシーなステーキ、ハンバーグ……!


 好きなものを好きなだけ。

 カロリーなんて気にしない。だって、リセットされるのだから!


 そんな暴飲暴食を続ける私を周囲が奇異の目で見る中、オネット様だけは違った。

 ある日の昼下がり、私が学園の中庭で特大のパフェを頬張っていると、偶然通りかかった彼が柔らかな笑みを浮かべて言ったのだ。


「シンシアは、いつも美味しそうにご飯を食べるよね。見ているこっちまで幸せな気分になるよ。そういう人は、素敵だと思うな」


 え……なにこれ。最高か?


 こんな、食い意地の張ったはしたない姿を見られてしまったというのに。

 彼は、幻滅するどころか褒めてくれた。

 その優しい言葉と眼差しに、私の胸がきゅんと音を立てる。


 ああ、やっぱり好きだ。


 そして、運命の一週間後。

 すっかりぽっこりと出てしまったお腹をドレスで隠しながら、私は夕暮れのテラスへと向かった。

 前回同様、オネット様が待っている。


「シンシア、君がいるだけで、ありふれた毎日が輝いて見えるんだ。これからもずっと、僕のそばにいてほしい」


 差し出された愛の告白に、私は満面の笑みで頷いた。


 次の日。

 目覚めた時、私はいつものように自室のベッドの上だった。

 勢いよく起き上がると、パジャマをめくってお腹を確認する。


 ……ない!

 ぽっこりしていたお腹が、すっかり平らに戻っている!


「よっしゃ!」


 私は思わず、天に向かってガッツポーズをした。




 こうして、それからの約一年間。

 私はフードファイターと化した。


 美食の限りを尽くしては、オネット様の愛の告白で体型をリセットする。

 なんて素晴らしい永久機関。

 もはやループする世界は私にとって絶望の牢獄ではなく、夢のビュッフェ会場と化していた。


 そして、冒頭の場面に戻る。

 食への探求と幸福が、ついにオネット様への恋心に勝ちすぎてしまった結果、私は彼の渾身の愛の告白にダメ出しをする始末!


 我ながら、とんでもないダメ女である。

 でも、美味しいものを心ゆくまで堪能し、その上で大好きな人に「素敵だ」と微笑みかけてもらえるこの生活が最高に素敵で、もう辞められそうになかった。



 ◇ ◇ ◇



 そんな生活を、実に五年も続けた。

 五年と言えば、生まれたての赤子が走り回るようになるほどの年月だ。


 さすがに美食三昧の日々にも、少しばかり飽きというものがやってくる。

 王都の名店は、高級店から裏路地の隠れた名店まで、すべて制覇してしまった。

 そこで最近の私は、一週間という限られた時間をフル活用し、新たな食の地平を求めて冒険に出るようになっていた。


 ある週は、北の港町でしか食べられないという、幻の深海魚の塩焼きを求めて。

 またある週は、南の砂漠のオアシスに実る、蜜のように甘い果実を味わうために。


 片道二日かかるような場所へも、躊躇なく馬車を飛ばす。

 もちろん、貴族の令嬢が一人でふらふらと遠出するなんて、普通なら大問題だ。

 けれど、どうせ一週間後には全てが元通り。誰の記憶にも残らないのだから、やりたい放題である。


 そうして旅先の宿で珍味に舌鼓を打っていると、きっかり七日目の夕暮れ時。

 どこからどうやって突き止めたのか、息を切らしたオネット様が必ず私の前に現れるのだ。


「シンシア、君がいるだけで、ありふれた毎日が輝いて見えるんだ。これからもずっと、僕のそばにいてほしい」


 どんなに離れた場所にいても、彼は律儀に愛を告げに来てくれる。

 その健気さには、もはや感心すらしてしまう。




 ひとしきり美食を堪能し尽くした私は、次なるループの活用法を模索し始めた。

 食でこれだけ楽しめるのだ。他のことだって、きっと面白いはずに違いない。


 そうして私が最初に思いついたのは、『聖女ごっこ』だった。


 ループする私にとって、未来に何が起こるかを知るのは赤子の手をひねるより簡単。

 例えば、週末に開催される競馬のレース結果も、どの馬が一着になるか、百発百中で当てられる。

 お小遣いを元手に競馬の配当を総なめにする。

 たった数日で、資産家も唸るほどの大金が私の手元に転がり込んできた。


 もちろん、そのお金はループすれば消えてしまう。

 だからこそ、この一週間で派手に使い切ってしまおうと考えたのだ。


 私は身分を隠すために簡素なドレスとフード付きのマントをまとい、スラム街へと向かった。

 そして、稼いだお金で温かいシチューや焼きたてのパンを大量に用意させ、お腹を空かせた人々に惜しみなく振る舞う。

 孤児院には、子どもたちが欲しがっていたおもちゃや、たくさんの絵本を匿名で寄付した。


「ありがとう、お姉さん!」

「あなたは神様からの遣いです!」


 感謝の言葉を浴びるのは、なかなかに気分がいい。

 いつしか私は「謎の聖女」として人々の間で噂される。

 ちょっと、いや、かなり得意な気分だった!


 しかし、聖女ごっこというのも、何度か繰り返すうちに飽きてくる。

 人の善意に触れるのは心地良いけれど、少し刺激が足りないのだ。



 そこで、次の週。

 私は真逆の遊びに興じることにした。

 名付けて、『悪女ごっこ』である。


 いつもはおしとやかに微笑んでいる私も、この週ばかりは高飛車でわがままな性格を思い切り演じてみせる。

 学園の廊下を肩で風を切って歩き、気に入らない令嬢にはわざとぶつかって見下したような視線を送る。


 特に力を入れたのは、オネット様に言い寄る令嬢たちへの牽制だった。


「オネット様は、あなたのような方とお話しする時間なんてございませんことよ。お分かり?」


 扇で口元を隠し、これ以上ないほど意地の悪い笑みを浮かべてみせる。

 怯えて去っていく令嬢たちの背中を見送るのは、聖女ごっことはまた違った種類の快感があった。


 もちろん、そんな私の振る舞いは、すぐにオネット様の耳にも入る。

 けれど、彼は私を責めたりしなかった。

 それどころか、夕暮れのテラスで、困ったように笑いながらこう言ったのだ。


「やきもちを焼いてくれるのかい? そんな君も、僕にとってはたまらなく魅力的だよ」


 そして、いつもの愛の告白。


「シンシア、君がいるだけで、ありふれた毎日が輝いて見えるんだ。これからもずっと、僕のそばにいてほしい」


 あら、悪女な私でもいいの?

 なんだか、彼の愛の深さを試しているようで、幸せな気持ちでループを迎えることができた。




 それからというもの、私は思いつく限りの「ごっこ遊び」に明け暮れた。


 ある週は、吟遊詩人になってみようとリュートをかき鳴らし、広場で素性を隠して歌を披露した。

 またある週は、絵画に没頭した。

 そんな風に、ありとあらゆる遊びを心の赴くままに楽しんだ。


 美食家、聖女、悪女、吟遊詩人、画家……。

 まるで、たくさんの人生を一度に生きているような、不思議で贅沢な時間。


 そうして、さらに五年が過ぎ去った。

 ループが始まってから、体感ではもう十年になる。


 十年。

 生まれたばかりの赤子が、生意気な口をきくように育つほどの長い年月だ。

 さすがの私も、この特殊な状況を使い、遊び尽くしたという達成感に満たされていた。


 王都の美味しいものは食べ尽くした。

 やってみたいと思ったことは、大抵試してみた。

 そろそろ、この永遠に続くかのような饗宴にも、幕を下ろすべき時なのかもしれない。


 ふと、そんな考えが頭をよぎる。



 ――そろそろループを脱出するべきか。



 仮説はとうの昔に立てている。

 おそらく、オネット様の告白を断れば、この繰り返しの日々は終わるのだろう。

 けれど、それはつまり、彼の愛を拒絶するということ。


 彼の想いを踏みにじってまで、先へ進みたいのだろうか?

 この甘美な時間と、毎週必ず届けられる彼の愛を、手放す覚悟が私にあるのだろうか?


 それに、何より。

 私は、オネット様の告白を断りたくない。

 彼のことが、今でもどうしようもなく好きなのだから。


 ああ、どうすれば……。

 悩み、ベッドの上で頭を抱えてごろごろと転がる。

 しかし、十年というループ生活で、私の思考はすっかり常識の枠から外れてしまっていたらしい。

 すぐに、とんでもない解決策が閃いた。


 そうだわ。



 一度告白を断ったくらいでは、オネット様が諦めきれないほど、私が魅力的になればいいのでは?



 今の私でも、彼にとって充分に魅力的なのだろう。

 けれど、一度断られて「はい、そうですか」と引き下がる程度の魅力では足りない。

 彼が「断られても、それでも君がいいんだ!」と、なりふり構わず追いかけてくるほどの、抗いがたい引力を持つ女になる。

 それだけの価値を私が身につければいい。


 十年もループで遊び(ほう)けたのだ。

 私の腹は、すぐに括れた。


 やるからには、徹底的に。

 中途半端な自分磨きでは意味がない。



 目指すは、完全無欠の淑女!




 そこからの日々は、まさしく自己研鑽の嵐だった。


 まず、淑女としての基本的なスキルから見直した。

 礼儀作法、服飾の知識、歴史、芸術。ダンスのステップから会話術に至るまで。

 これまでも学園で学んできたことだけれど、それを「完璧」の域まで高めるのは骨が折れた。


 けれど、無限の時間と、絶対に失敗が許される環境は、何よりの味方だった。

 ダンスでパートナーの足を踏んでも、晩餐会でスープをこぼしても、一週間後には全てがリセットされる。

 そう思うと、どんな失敗も怖くなかった。

 おかげで淑女として必要とされるスキルは、驚くほどの速さで身体に染み込んでいった。


 次に私は教養を深めることにした。

 王宮の図書館に毎日通い詰め、古代語で書かれた文献から最新の魔術理論まで、ありとあらゆる知識を頭に詰め込む。

 政治学、経済学、天文学、哲学。世界の成り立ちから人の心の機微まで、知の探求は尽きることがない。

 一つの分野をマスターしたと思っても、隣の分野に足を踏み入れれば、また新たな世界が広がっている。

 それは、美食巡りとはまた違う、知的好奇心が満たされていく純粋な喜びだった。


 そして、身体能力の向上にも着手した。

 護身術に馬術。

 ループの奇妙な法則で、鍛え上げた筋肉や体力は一週間で元に戻ってしまう。

 けれど、一度覚えた技や身体の動かし方は消えることがなかった。

 身体が覚えているという感覚。

 何度も何度も同じ技を繰り返し、身体に叩き込む。

 初めはひ弱な令嬢だったが、数年でそれなりに動けるようになってきた。


 そうして、ついには。

 私はこっそりと冒険者ギルドに登録し、魔物退治にまで出かけるようになった。


 もちろん、最初は恐ろしかった。

 牙をむくゴブリンの群れを見た時は、腰が抜けそうになったし、巨大なオークに棍棒で殴り飛ばされた時は、本当に死ぬかと思った。


 ……というか、実際に何度か死んだ。


 けれど、目を覚ませばいつも自室のベッドの上。ピンピンしている。



 このループ、死んでもリセットされるのね!



 その事実に気づいてからは、私の冒険はより一層、大胆なものになった。

 死を恐れぬ令嬢冒険者。

 すでにマスターしていた魔術を駆使し、強力な魔法を惜しみなく放つ。

 経験を積むうちに、Bランク級の冒険者程度の実力になるまで、そう時間はかからなかった。


 そんな日々を、二十年。


 体感時間で、私はもう五十歳近い。

 けれど、見た目はまだうら若き学園生。

 そのギャップが、少しおかしい。


 けれど、鏡に映る私は、以前とは明らかに違っていた。

 立ち居振る舞いは王妃のように洗練され。

 瞳の奥には、数多の知識と経験からくる深い自信が宿っている。



 もはや、そこにいるのはただの子爵令嬢シンシアではない。

 古今東西の知恵を収め、オークの群れの討伐隊にも参加できる、完全無欠の超令嬢。



 今の私ならば。

 一度や二度、告白を断ったところで、オネット様が決して諦めきれない女になったはずだ。

 確かな自信が私の胸に灯っていた。


 そして、迎えた最後の日。

 私はあの日と同じドレスを身にまとい、夕暮れのテラスへと向かった。

 そこに立つ彼の姿は、もう千回以上と見てきた光景。

 けれど、今日の私にはいつもと全く違って見えた。


「シンシア、君がいるだけで、ありふれた毎日が輝いて見えるんだ。これからもずっと、僕のそばにいてほしい」


 差し出された言葉は、一言一句、寸分の狂いもない、いつもの愛の告白。

 その言葉を聞いて、私の胸に深い感慨が込み上げてきた。


 ああ、この言葉。

 この、聞き飽きたとさえ思った、ありきたりな愛の言葉。


 自己研鑽に疲れ果て、心が折れそうになった時。

 巨大な魔物に追い詰められ、大けがをして帰った時。

 どんな時も、週の終わりには、あなたがこの言葉を告げに来てくれた。


 それは、暗く長いトンネルを歩く私にとって、決して消えることのない道標の光だった。

 あなたの励ましと、変わらぬ愛があったから、私は独りきりの三十年を歩き続けることができた。


 あなたは、知らないでしょう?

 私が、あなたにどれだけ救われてきたのか。

 誰も知らない、私だけの長い長い日々。

 その日々を振り返り、心からの感謝が涙になって溢れそうになる。


 私はそっと微笑み、なにも知らないであろう彼に向かって優雅にお礼をした。


「オネット様。あなたがいてくれたからこそ、私はどんな時も前を向いて頑張ることができましたわ。本当にありがとうございます」


 心からの感謝を告げると、彼は少し驚いたように、けれど嬉しそうに微笑んでくれた。

 その笑顔が愛おしい。

 でも、ごめんなさい。

 千回以上も聞いたその言葉を、今日、了承することはできないの。




「でも、あなたのそのありきたりな愛の告白は聞き飽きてしまいましたので、お断りいたしますわ」




「え……? き、聞き飽きた……?」


 私の言葉に、オネット様が鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする。

 その表情が可愛らしくて、思わず笑みが深くなった。


「明日また、この場所でお待ちしております。もっと、あなたの心がこもった、飾らない素敵な言葉で……わたくしを、もう一度好きにさせてくださいませ」


 そう言って、完璧な所作と、今の私にできる最高の微笑みを彼に向ける。

 私の視線を受けた彼の頬が、夕日のせいだけではない赤に染まった。


 そんな彼に背を向け、私はテラスを後にする。

 もう、振り返らない。

 私たちの新しい物語は、ここから始まるのだから。




 次の日の朝。

 私は、少しの緊張と共に目を覚ました。


 いつものように、侍女のマリーがカーテンを開けに来る。

 心臓が、少しだけ速く脈打つのを感じる。


「おはようございます、お嬢様。本日はお天気に恵まれ、素晴らしい一日になりそうですね」


 聞き慣れた挨拶。

 私は、震えを抑えながら、ゆっくりと尋ねた。


「ねえ、マリー。今日の日付を、教えてくれる?」


 マリーはにこりと微笑み、淀みなく答える。



「はい。本日は、花の月の八日でございます」



 花の月の、八日。


 その瞬間、私の世界に新しい風が吹き込んだ。

 ついに止まっていた時間が動き出したのだ。


 三十年ぶりの、新しい一日。

 胸いっぱいに新鮮な空気を吸い込む。


「今日はどんな新しい言葉で、愛を告げてくださるかしら?」


 彼の新鮮な愛の言葉への期待を胸に、私はベッドから未来へと続く新たな一歩を力強く踏み出した。




 ◇ ◇ ある令嬢の視点 ◇ ◇



 この国がまだ形を成すよりも遥か昔。

 世界を終焉の淵に追いやった魔王軍を退けた、一人の勇者がいたという。

 今では誰もが知るおとぎ話。その勇者のパーティーには、万象を操る一人の魔術師がいた。


 その魔術師こそが私の祖先。

 そして、その血を引く末裔がこの私――クリミナである。


 おとぎ話には語られていない裏側がある。

 絶望的とまで言われた魔王軍との戦いで、勇者たちが勝利を掴めたのは、我が祖先が編み出した秘伝の魔法による功績が大きい。

 けれど、それは決して敵を屠る殺傷能力に長けた魔法ではなかった。


「いいかい、クリミナ。この魔法は、決して軽々しく使ってはならないよ」


 魔法使いとして一人前と認められた日、祖母は皺深い顔で、けれど厳粛な声で私にそう告げた。

 古びた魔導書に記された、一族の奥義。


「これは、『ある目的を達成するまで同じ一週間を繰り返す』という、究極の時間魔法。因果律そのものに干渉する、神の領域の秘術さ」


 魔法の中心に据えられた人物は、同じ時を何度も何度も繰り返すことになる。

 何度失敗してもやり直せる。あらゆる可能性を試し、最適解を導き出すことができる。

 この魔法があったからこそ、魔王との決戦に勇者たちは勝利することができたのだ。


「でもね、クリミナ。この魔法には恐ろしい制約がある。『術者はループの中心になることはできない』。あくまで、ループという舞台の上で演じられる劇を、客席から観測するだけ。自分では何も変えられない。ただ、呪いのように、同じ一週間を繰り返すことになるんだよ」


 自身では日常に一切の変化をもたらすことができない、観測者という名の牢獄。

 そんな魔法、私が一生涯使うことなどないはずだった。



 そう、あの日。あの花の月の七日までは。




 王都にそびえる、貴族子女のための高等学園。

 そこで私は、オネット様と出会った。


 陽光を編み込んだような金の髪。

 どこまでも澄んだ空を閉じ込めた青い瞳。

 そして何より、誰に対しても分け隔てなく向けられる、春の陽だまりのような優しい微笑み。

 多くの令嬢が彼に憧れたように、私もまた、すぐに恋に落ちた。


 けれど、彼を前にすると、心臓がうるさく鳴って、喉がからからに渇いてしまう。

 あまりに素敵すぎて、声をかけることすらできない。

 授業で使う本を忘れた私に、隣の席からそっと教科書を見せてくれた時も、「ありがとう」の一言を絞り出すのがやっとだった。


 オネット様のことを思うと、胸が甘く締め付けられる。

 でも、その感情の大きさに怯えて、私はいつしか自分の心に蓋をしていた。

 この想いを伝えようだなんて、おこがましい。遠くから眺めているだけで幸せなのだと、自分に言い聞かせて。

 私は自分の臆病な恋心から、ただひたすらに逃げていたのだ。


 そして、運命の日が訪れる。花の月の、七日。

 放課後、忘れ物を取りに教室へ戻る途中、私は見てしまった。

 夕暮れのテラスでオネット様が、学園で一番の淑女と名高いシンシア様に愛を告げているところを。


「シンシア、君がいるだけで、ありふれた毎日が輝いて見えるんだ。これからもずっと、僕のそばにいてほしい」


 真摯な彼の言葉と、それに応えるように頬を染め、幸せそうに微笑むシンシア様。

 二人の姿は一枚の絵画のように美しく、そして、私の心を粉々に砕くのだった。


 その日の夜、私は自室のベッドで泣き明かした。

 どうして、もっと早く勇気を出さなかったのだろう。

 どうして、自分の気持ちから逃げ続けてしまったのだろう。

 後悔と絶望が、真っ黒な渦となって私を飲み込んでいく。


 その時、脳裏をよぎったのだ。

 祖母から教わった、禁断の魔法が。


『目的を達成するまで、同じ一週間を繰り返す』


 もし、あの告白がなかったことになったら?

 もし、もう一度、花の月の一日からやり直すことができたなら?

 正気ではなかったのだと思う。

 衝動のままに、私は震える手で魔法陣を描き、呪文を詠唱していた。


 ――解除条件は、「シンシア様がオネット様の告白をお断りすること」。


 本当はオネット様をループの中心にしようかとも考えた。

 でも、できなかった。

 彼が、シンシア様を振り向かせるために手を変え品を変え、何度も愛を囁く姿を想像しただけで胸が張り裂けそうだったから。


 そう、私はそこでも、また逃げたのだ。

 一番見たくないものから目を逸らすために、シンシア様をループの中心に据えた。


 彼女は聡明な方だ。

 ループという異常事態に気づけば、そこから抜け出すために、きっとすぐに彼の告白を断ってくれるはず。

 そう、高をくくっていた。

 それが、三十年にも及ぶ地獄の始まりになるとも知らずに。





 ループが始まって数週間。

 私の予想通り、シンシア様はすぐにこの奇妙な現象のルールに気づいたようだった。

 これでループは終わる。

 そう安堵したのも束の間、彼女は私の想像の斜め上を行く、とんでもない行動に出た。


 なんと、猛然と美食にふけり始めたのだ。


 朝から晩まで、侍女に命じては厨房から取り寄せたケーキやステーキを幸せそうに頬張っている。

 学園の中庭で、顔よりも大きなパフェを食べている姿を見かけた時は我が目を疑った。

 しかも、オネット様はそんな彼女を見て「美味しそうに食べる君は素敵だ」なんて微笑んでいる始末。



 ええい、どこまでお人好しなのですか、あの方は!



「もう、いい加減に断ってくださいませ!」


 そんな声が喉まで出かかったけれど、私には何もできない。

 ただ、毎週花の月の七日になると、ぽっこりしたお腹をドレスで隠したシンシア様が、満面の笑みでオネット様の告白を受け入れるのを、指を咥えて見ているしかなかった。

 そして次の日、花の月の一日。彼女のお腹は元通りになり、また新たな一週間の暴食が始まるのだ。



 長いよ! どれだけ食べるのよ!

 私の心の叫びも虚しく、シンシア様のグルメ探訪は、実に五年も続いた。


 そして、美食の日々に飽き足らなくなった彼女は次なる奇行に走る。



 『ごっこ遊び』だ。



 ある週は有り金をはたいてスラム街で炊き出しを行い、「謎の聖女」と呼ばれてみたり。

 またある週は、高飛車な悪女を演じてオネット様に言い寄る令嬢たちを片っ端から牽制したり。

 吟遊詩人になったり、画家になったり……。



 もう、やめて! ループで遊びすぎよ!



 内心で悲鳴を上げながらも、ループの強制力によって、私はいつも通りの一週間を繰り返すしかない。

 いつも通りに授業を受け、いつも通りに友人と同じ内容の会話をする。


 そして。

 七日の夕暮れには、テラスで大好きな人がシンシア様に愛を告げるのを見せつけられる。

 本当に、地獄だった。


 ごっこ遊びに興じること、さらに五年。

 ループ開始から、体感ではもう十年が過ぎていた。

 そして、ここからが本当の地獄の始まりだった。



 遊び尽くしたシンシア様が、何を思ったか、自己の研鑽を積み始めたのだ。


 礼儀作法、歴史、芸術、ダンス、果ては政治学に経済学。

 王宮の図書館に通い詰め、あらゆる知識をスポンジのように吸収していく。

 それだけではない。護身術を習い始め、馬を乗りこなし、しまいには冒険者ギルドに登録して魔物まで討伐し始めたのだ。


 最初はゴブリンにすら苦戦していたか弱き令嬢が、数年も経つ頃には、B級冒険者になっていた。

 死んでもループで生き返ることに気づいてからは、彼女の成長速度は恐ろしいほどに加速した。


 どんどん、どんどん素敵になっていくシンシア様。

 その隣で、私は同じ一週間をただ繰り返すだけ。

 昨日と同じ授業を受け、昨日と同じ会話をする。

 何も変わらない、足踏みするだけの毎日。


『術者はループを観測するだけ。呪いのように、同じ一週間を繰り返すことになる』


 祖母の言葉が、現実の重みとなって私にのしかかる。


 これは、罰なのだ。

 勇気を出さず、恋から逃げ、魔法という『ずる』に手を染めた私への、あまりにも長すぎる罰。

 まさに、呪いだった。


 自己研鑽の日々が、二十年。

 ループが始まってから、合計で三十年。

 もはや、シンシア様はただの子爵令嬢ではなかった。

 王妃の如き気品を漂わせ、賢者の如き知識を持ち、そして中堅冒険者ほどの武力さえ持つ、完全無欠の超令嬢。


 そんな彼女が本気で振り向かせようとしたら、オネット様が諦められるはずがない。

 私が作り出したこのループは、皮肉にも、彼らの絆をより強固なものにしてしまったのかもしれない。

 絶望に、目の前が真っ暗になった。




 そして、ついにその時が来た。

 体感時間で三十年が過ぎた、何度目の花の月の七日だろうか。


「でも、あなたのそのありきたりな愛の告白は、聞き飽きてしまいましたので、お断りいたしますわ」


 テラスの柱の陰で、いつも通り息を殺して見守っていた私は、その言葉を聞いた瞬間、信じられない思いで目を見開いた。

 断った……?

 今、確かに、彼女は……。


 シンシア様が優雅な足取りで去っていく。

 呆然と立ち尽くすオネット様。

 そして、その光景を最後に、私の視界を縛り付けていたループの枷が、音を立てて砕け散ったのを感じた。



 終わった。

 三十年にも及ぶ、長すぎた一週間が。



 その瞬間、堪えきれなくなった涙が、堰を切ったように頬を伝った。

 安堵と、解放感と、そして言いようのない虚しさがごちゃ混ぜになって、私はその場にへたり込んだ。



「う……あ……ああああ……っ!」



 嗚咽が止まらない。

 結局、私は『ずる』をして、シンシア様に告白を断らせただけ。

 その代償として、三十年も同じ行動を繰り返すだけの地獄の中で過ごしたのだ。

 オネット様に、自分から「好き」と伝える勇気がなかったから。

 臆病な自分から逃げ続けたせいで。


 しかも、これから私が向き合わなければならない現実はさらに過酷だ。

 私の恋敵は、延べ三十年の人生経験を追加し、そのうち二十年を自分磨きに費やした、完全無欠の超人。

 勝ち目なんて、あるはずもない。

 その残酷な真実を、この世界でただ一人、私だけが知っていた。



 花の月の、八日。

 三十年ぶりに迎える、新しい朝。


 侍女が運んできた朝食のスープは、昨日までとは違う味がした。

 窓から見える街の景色も、どこか新鮮に映る。

 けれど、私の心は鉛のように重かった。


 もう、諦めるべきなのだろうか。

 でも、このまま何もしなければ、きっと私はまた後悔する。



 三十年間、何も変えられなかった私が、今日、初めて自分の意志で未来を変えるのだ。



 その日の放課後、私は約束のテラスへと向かうオネット様を呼び止めた。


「オネット様!」


 振り向いた彼の青い瞳が、少しだけ驚いたように私を映す。

 心臓が、あの頃のようにうるさく鳴った。


 でも、もう逃げない。


 勇気を振り絞って、私は口を開く。


 三十年分の、たった一言を伝えるために。


「ずっと、お慕いしておりました」


 声が、震える。


「初めてお会いした日から、ずっと。あなたの優しい笑顔も、真剣な横顔も、全てが大好きでした。この気持ちをお伝えするために、まるで三十年も待っていたかのようです。きっと、これから三十年経っても、私はあなたのことが、変わらず好きなのだと思います」


 堰を切ったように、想いが溢れ出す。

 これが、私の精一杯。

 私の、たった一つの真実。


 オネット様は、驚いたように瞬きを繰り返していたが、やがて困ったように、けれど優しい顔で微笑んだ。


「ありがとう、クリミナさん。君の気持ちは、とても嬉しい。……でも、ごめん。僕には、どうしても好きな人がいるんだ」


 分かっていた答え。

 それでも、彼の口からはっきりと告げられると、胸の奥がきりりと痛んだ。

 彼は少し考えるそぶりを見せた後、ふと何かを思いついたように言った。


「でも、そうか……。心のこもった、飾らない素敵な言葉……。君が言ってくれたこと、とても参考になったよ。ありがとう」


 無邪気なその言葉は、優しくて、残酷な刃となって私の心を抉った。

 私の三十年分の恋は、彼の恋を成就させるための踏み台。


 涙が滲みそうになるのを、必死で堪える。

 ここで泣いてしまったら、私の三十年は本当に、ただの惨めな思い出になってしまうから。


「……どういたしまして。いってらっしゃいませ、オネット様」


 私は、背筋を伸ばし、精一杯の笑顔を作って彼を送り出した。

 テラスへと向かう彼の背中が、角を曲がって見えなくなる。


 失恋はした。

 でも、最後に、自分の想いを伝えることはできた。

 臆病風に吹かれて逃げ続けた私が、ほんの少しだけ前に進めたのだ。



 彼の背中が見えなくなるまで涙を堪えられたことを、私が私自身で褒めてあげても、きっと罰は当たらないだろう。



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― 新着の感想 ―
クリミナさん、よく発狂しなかったですねー。クリミナさんの身体は自分の意志に反して決まった動きをするんですよね。三十年。私なら死ぬる…。 あ、でもシンシアを観察するためには、王都での美食三昧の様子をうか…
ファーwww ウケるw ザマァwww やるなと言われる事には大抵理由がある物なのに、そういう理由を考えずに、軽く捉えて無視した輩の無様は大変気持ち良いですねっ! 遠慮なく大爆笑させて頂きました。 …
こんなに楽しくループ生活を堪能している話は初めて読んで面白かったです! ネガティブ思考とポジティブ思考の人の対比で面白かったです。 クリミナも少しだけ成長している所も良かったです。
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