Episode 02:世界は遠く、食事は近くに|了
戦場が静まったとき、リコは息を詰めたまま、通信ログを凝視していた。
《K-15分隊、目標地点からの撤退を確認。残存信号、ラストナンバー=01──アッシュ・クレイド、一名》
――たった一人。
リコ・エルネストは、まだその意味を理解しきれなかった。
ここは”汎洲連邦(UAF)”の前線管制棟。
旧オーストラリア大陸中央部、“アルタード線停滞戦区”。
十四年前から、前線が一メートルたりとも動いていない“戦争の膿溜まり”。
赤茶けた荒野の下には、かつての都市インフラとトンネル網が眠り、今は兵士とドローンが這いずる墓場と化している。
対する敵は、帝国連合機構(ICE)。
人工神経技術を用いた《EIDOLON》──人格断片を封じたゴースト兵を前線投入する狂気の軍事国家群だ。
「……K-15、ミッション完了。目標施設の爆破ログ、受信」
「生体信号、再確認。……アッシュ・クレイド以外、全滅……」
リコは震える指先で操作を終え、最終処理モードに切り替える。
自分の役目は、ここまで。
上官の声が全体チャンネルに響いた。
《ラストナンバーの収容を最優先。全オペレーター、帰還班のルート設計に入れ。初任の者はログ保護プロトコルに従い退席せよ》
──退席許可。
ようやく、息ができる。
制御席を離れると、リコはまっすぐトイレに駆け込み、鏡の前で水をあびた。
冷たい液体は頬を伝って落ちたが、耳奥にこびりついた“音”は消えない。
爆発、断末魔、そして──沈黙。
その後にやってきたのは、目に見えない“逆転劇”だった。
RELIC計画。
それは、戦死者の記憶を数秒間だけ切り取って、次代に“継がせる”仕組み。
発火センサーが脳と筋肉の電気信号を吸い上げ、それを量子チップに変換。
通常兵には訓練用30FPS版。
選抜兵には“リアルタイムの再演”が許される1200FPS版。
だが、それでも3つまでが限界だ。
──彼は違う。
アッシュ・クレイド。コードネーム:No.999。
βシンク素体。998件すべての戦闘記録を、常時、脳内で再生している。
それは“継承”ではなく“常時解放”。
ただし、何を、どの順に解くかまでは彼の意志に任されている。
今日、彼は解いたのだ。
圧倒的な、何かを。
*****
「──おーい。生きてるかー?」
ロッカールームの外から、声が響いた。
「……カレンさん?」
「当たり! あんたの部屋の画面が“灰”だったから、心配して来たわけよ」
扉を開けて顔を出したのは、先輩オペレーターのカレン・ミューリス。
ポニーテールを揺らし、軍指定のグレーの私服に身を包んでいる。
「やばかったんでしょ? ラストナンバーって、あれ、いわゆる“切り札”だからね。大隊のひとつやふたつの戦力差なんて普通に覆すんじゃない?」
「……」
「見えた?」
「……ううん。何も。“敵が壊れていった”だけ」
カレンは少し黙り、首をすくめた。
「……まぁ、そりゃそうか。998人分の“データ”が解き放たれるんだもの。あの動きは、もう人じゃないよ」
少しの沈黙。
だがすぐに、カレンは声色を変えた。
「さて、ここでリコちゃんを連れ出すのが私の役目です!」
「え、どこへ?」
「食堂。上官命令で“精神ケア”が出てるから。ほら、初陣でRELICに巻き込まれたオペレーターには、特別休養日がもらえるんだって」
「えっ、ほんとに?」
「うそじゃない! おごる。何食べる?」
笑顔の先輩に引っ張られて、リコはようやく口元を緩めた。
──基地南棟の食堂。
夜でも稼働するオート給仕端末の音。
金属のスプーンが、陶器の皿を軽く打つ音。
まるでここだけが、“地上”のようだった。
「……カレンさん。RELICって、成功例ばっかり報道されますよね」
「まあね。でも帰還率、知ってる?」
「……2%って、聞いた」
「そう。だけど人は“奇跡”しか覚えてない。“負けた記憶”は、記録にすらならない」
リコはカップに口をつけ、ふっと目を伏せた。
「──それでも、わたしは残したい。誰が死んで、誰が継いだのか。忘れないように」
カレンは少し目を見張って、それから静かに頷いた。
「いい目してるじゃん。……ね、次は何分隊担当したい?」
「……ラストナンバー以外でお願いします」
「はは、正解」
空に星は見えない。
けれど、どこかで誰かが、今日の死者を継いでいく。
アッシュ・クレイドの中で、それは今も続いているのだろう。
──Episode 02:世界は遠く、食事は近くに|了