第七話「アレイア真昼の衝突試算」
昼下がりの《アスフォデル》第三計算塔――そこは都市でも屈指の魔導演算専門施設だ。天井高くそびえる魔導方陣盤がゆるやかに回転し、数百台の計算端末が稼働音を響かせていた。
その一角で、悠はひとり端末と向き合っていた。眼鏡の奥で真剣な瞳が走査データを追う。白衣の袖口をたくし上げ、計算タブレットに指を走らせる姿は、まさに“真面目そのもの”だった。
「……よし。これで衝突シミュレーション、五百八十七回目終了」
静かに独り言を呟きながら、彼女は演算ログを確認していく。
今回の再試験に向け、改良された新型設計の振動挙動、空力安定性、動力ブレード波形など膨大なパラメータが累積している。中でも最も厄介なのが――
「高周波共鳴振動……やっぱり完全には消えない」
乃愛や駿が新設計を進めている間、悠は補助システムの安全検証を一手に引き受けていた。過去の事故履歴を丹念に洗い出し、エテルナ・コード特有の自己学習機能が暴走するリスクも含め、シミュレーションを積み重ねている。
だが、その演算結果はいつもギリギリの不安定さを残した。
「理論的には臨界直前で収束……でも、実際の空域乱流を加味すると誤差が拡大する。最悪値を想定すれば、衝突軌道へ乗る危険性が――3.7パーセント」
悠は眉をしかめる。
たった3.7パーセント。
だが、彼女にとっては「ゼロではない」限り許容できなかった。
「……もっと、何かできるはず」
再計算を指示しようとした、そのときだった。
「おーい、悠! やっぱここにいた!」
軽やかな声が響き、振り返れば乃愛が小走りに駆け寄ってきた。
「悠、もう三時間も計算塔に籠ってるって聞いたよ? ちゃんと休憩してる?」
「……いまは、休むより計算を」
真面目すぎるその返答に、乃愛は苦笑しつつもタブレットを覗き込んだ。
「ああ……衝突試算、またやってるんだね。ええと、現行設計で誤差拡大が三点……七パーセント?」
「低い確率でも、実地で事故る可能性があるなら私は納得できない」
悠は強い口調で言い切った。彼女は元々、助言を素直に受け入れるのが苦手だった。まして冗談めかした慰めは通じない。
乃愛は少し考えた末、優しく提案するように声を落とした。
「でもね、悠。今の設計って“エラー前提”で対応策を複数持ってるよね? A/B系統で振動分散もしてる。もしここで全部潰そうとすると、設計が過剰に硬直しちゃわないかな?」
「……過剰補正の可能性も分かってる。けど……」
悠は唇を噛んだまま言葉を探していた。
「けど、私は——」
悠はゆっくり言葉を紡いだ。
「私は『絶対に事故を起こさせない設計』を作りたいの。もし、あのときのように……」
そこまで言って、悠はふと口を閉じた。
乃愛はその言葉の続きを促さなかった。ただ、穏やかに微笑んだまま寄り添っていた。
「ね、悠。実は私もね、最初は『全部失敗をゼロにしたい!』って思ってたんだよ。でもさ、駿がこう言ったの。『失敗をゼロにするんじゃなく、失敗してもすぐ立て直せる仕組みを作る』って」
悠は、静かに乃愛の顔を見た。
「……リカバリー、前提……」
「そう! 私たちの設計って、もし問題が起きても即時修正できる構成で作ってる。もちろん本当は、最初から何も起こらないのが理想だよ? でも、もし起きたときに備えて“受け皿”を作ることも、同じくらい大事だと思うんだ」
乃愛の口調は軽いが、言葉は真剣だった。
「完璧な制御なんて、どんなシステムでも本当は存在しない。だから、みんなで支え合って立て直していけばいいんじゃないかな?」
「……」
悠はしばらく沈黙した後、肩の力を少しだけ抜いた。
「私は……自分が間違っているかもしれないと考えるのが、少し苦手なのかもしれない」
「うん、知ってる」
乃愛はにこっと笑った。悠も思わず苦笑を漏らす。
「……でも、今の君の助言は、たぶん正しい。私のこの計算も“支え合う仕組み”の一部に組み込めるなら……過剰にはならないかもしれない」
「そうだよ! 悠の計算、すごく役に立つんだもん。間違えたくないって思う気持ちはすごく素敵だよ。でも、それだけじゃなくて、誰かが支えてくれるって思うのも、悪くないよ?」
悠はゆっくり深呼吸した。固く握っていた手のひらが、少しずつ開いていく。
「じゃあ、今から調整案を再構築する。再試験用の最終安全パターンに統合しよう」
「よーし! じゃあ私、補正パラメータのタグ整理を手伝うね!」
二人は並んで新たな計算画面を呼び出した。大量の試算データが再構成され、徐々に柔軟な安全域へと収束していく。
互いに支え合う調整作業。
エテルナ・コードは、こうしてまた一歩“現実的な完全性”に近づいていった。
(第七話 完)