第三話「無冠女王の執念」
朝陽がゆっくりと都市の巨大な輪環の縁を照らし始める頃、設計局アーカイヴ棟の高層フロアにひとりの少女がいた。
有紀――かつて操縦技術大会で無冠の名を馳せた天才設計士。今はエテルナ・コード開発チームの一員として、この巨大アーカイヴに籠っていた。
だが、彼女の心中は穏やかではない。
「……やっぱり、超えられないのかな。あのときの自分を」
独りごとのように小さく呟き、指先で旧データのスクロールを止めた。画面に映し出されたのは、六年前に自ら設計し操縦した旧型フレーム《ファルギア・β型》の詳細設計図。精緻な寸法値が並び、どれも誤差0.01単位で詰めに詰めた痕跡が残っている。
それは彼女の“栄光”であり、今なお超えられない“壁”でもあった。
目の前の試作機〈エテルナ・コード〉は、確かに新世代の魔導技術を結集した最新機だ。だが設計理念が違う。あまりに“完璧”を追い求めすぎる駿の方針も、柔軟に妥協案を引き出す凌平のやり方も、有紀の胸にわだかまりを残していた。
――そもそも、詰めが甘い。
それが彼女の正直な感想だった。
ノイズを拾う新素材、複雑化しすぎた制御回路、結晶コアの不安定さ。駿の計算は確かに精密だが、「ギリギリ成立する計算」と「運用に耐える現場の強度」は違う。
有紀は端末に保存していた新しい試作案を呼び出した。旧型フレームの構造をベースに、最新制御系を適合させた独自改良案だ。無冠の女王が、過去の自分と今の技術の融合を試みた結果だった。
「これなら……耐えられる。過負荷にも、振動にも」
そのとき背後から足音が近づいた。
「有紀」
振り返ると、駿が立っていた。相変わらず眠気のかけらも見せない顔。昨夜の失敗後も、すでに次のプランを練り始めている様子だ。
「何をしてる?」
「……再設計よ。細部の詰め直し。これを見て」
有紀は迷いなく端末のホログラムを投影した。立体映像で浮かび上がる新案のフレーム構造。補助支持部材の配置、衝撃吸収関節、振動拡散フィン――どれも旧型技術のノウハウが生きている。
だが、駿の表情は曇った。
「これでは古い。時代遅れだ」
「違うわ。現場で確実に“耐えうる”設計よ。あなたの理論値は美しいけど、現場で暴れる振動波は、計算通りに収束しない時もある」
有紀の声には熱がこもる。心の奥底でずっと燻っていた焦りと苛立ちが、じわじわと噴き出し始めていた。
「あなたの設計は――高すぎるのよ。理想に合わせるんじゃない。現実が耐えられる形に調整するのが設計士の仕事!」
だが、駿も引かなかった。
「それは妥協だ。限界を決めてしまえば、進化は止まる。エテルナ・コードは“記憶して進化する”機体だ。ならば、可能性の上限を設定するべきではない」
「無責任な理想論ね。進化だの可能性だの、その前に……壊れたら、意味がないでしょ!」
アーカイヴ棟の静寂が、二人の言い合いでわずかに震えた。
「壊れる? それは制御次第だ。限界を突破するには、精密な操縦と制御理論が必要だと最初から分かっている。だから僕は完璧なバランスを追求しているんだ」
駿の声は淡々としていた。激情を表に出すことはないが、芯は鋼のように硬い。その揺るぎなさが、有紀を余計に苛立たせた。
「それじゃあ……私の旧型は無駄だったって言いたいの?」
「無駄ではない。参考にはなる。だが、あの頃の限界に縛られる必要はないというだけだ」
「――!」
有紀は口をつぐんだ。図星を突かれた感覚だった。胸の中に巣食う“過去の自分”への執着。それを見透かされたような気がして、喉の奥が苦しくなる。
「私だって……超えたいのよ」
絞り出すように、有紀は言った。
「だけど、自分の最高到達点を超える方法が、分からなくなる時があるの」
駿はしばらく黙っていた。彼もまた迷わぬわけではない。けれど、彼は決して立ち止まらない。
「だから、僕は君の案を却下はしない。だが、それは『参考値』だ。最新の制御計算に統合して、さらに上を目指すために使う。現場での強度検証も入れよう。完全性に必要な“現実的データ”として」
「……!」
有紀は驚いた。思わず駿を見上げる。今まで彼が「妥協の要素」を自ら取り入れる発言をすることなど、ほとんどなかった。
「記憶する機体ならば、過去の蓄積も進化の糧だ。君の旧フレームもその“記憶”の一部として残す。それがエテルナ・コードの在り方だろう」
そう言って、駿は端末に新たな設計統合プランを描き始めた。旧型と新型、理想と現実、計算と経験――それらが交差し、新たな回路網が形成されていく。
有紀は息を呑んだ。目の前の設計画面が、まるで「自分の過去」と「駿の未来」が重なり合うように輝いて見えた。
「……私、やるわ。この細部、寸法誤差ゼロコンマゼロ一でも狂わせない」
「頼む」
短く返す駿の声に、有紀は小さく笑った。
「“現実的な最適”は、案外悪くないでしょ?」
「……場合によっては、な」
互いにぶつかり合いながらも、その中で新たな歩み寄りが生まれていた。
やがて朝日がアーカイヴ棟の窓から差し込む。新しい一日の始まり。設計はまだ終わらない。だが確かに、一歩は進んだ。
(第三話 完)