証人喚問➀
整然と刈り込まれた瑞々しい芝に、端正に刈り込まれた生垣。咲き乱れる色とりどりの薔薇はかぐわしい香りを放ち、何匹も蝶を引き寄せていた。さすがは公爵様、植木一本とっても格が違う。噴水の建材だって、うちのよりずっといいのを使っている。この場に存在するもの全てから、お前は場違いだと言われ続けているような気がした。
ここはベルフェゴール家の庭園だ。あたしはその東屋で開かれている、小さな茶会に招かれていた。近しいものだけを集めた、小さなお茶会。主催者はこの家のご令嬢アルエット・フォン・ベルフェゴール。
「どうぞ、お楽になさって」
アルエットはまぶたを閉じて、無音で紅茶を飲む。あたしはどうやっても音が出てしまう。この人は、お茶じゃなくて空気を飲んでいるんじゃないかと思う。
いいなあ、まつ毛が長い。肌も陶磁器みたいに綺麗だ。差し込んだ陽射しで金髪がきらきら輝いて、まるで世界全体から祝福されているみたいだった。その美しい顔がなんだか居心地が悪くて、あたしはカップを持ち直した。
オレリア・バーミリア伯爵令嬢。
それがあたしの名前だ。ベルフェゴール領の隣、多くの古代遺跡を有するバーミリア領の領主の長女。容姿は並み。ピンクのふわふわした髪とピンクトルマリンみたいな瞳はお気に入りだけれども。勉学は普通、ただし魔法薬学の成績は最悪。趣味はお料理で、おいしそうに食べている人を見るのが好き。
ただそれだけ。
他に特筆すべき事項も、特筆すべき理由もない、それだけの存在。
あたしは逆光に目を細める時のように、真っ白なテーブルクロスの向こうを睨みつけた。あんたとあたしは何が違うの?ほとんど同じ条件のもとに生まれたはずなのに。
あたしから向かって左側、太陽に背を向けるように座るのは、無機質な赤い瞳の小柄な少女。その銀の髪は持ち主に似て、近寄りがたい、冷たい金属質の輝きを放っていた。まるで優しく伸ばされた手を振りほどくような、傲慢な拒絶の輝き。そいつはこちらを見ようともせず、つまらなそうに紅茶をすすっていた。あたしは心の中でそいつに語り掛ける。
あんたは誰にも微笑まないし、誰からも微笑みを求めない。それなのに、どうしてあんたがその席に座っているの?あんたはありとあらゆる人間を見下しているんじゃなかったの?
ガチャン、と陶器がぶつかる音がした。
「ああ、失礼」
そう言ってティーカップを置き直すのは、アルエットの幼馴染、クロード・スレッダさまだ。さっきから、必要以上にカップを置いたり持ち上げたり、クッキーをかじったり、そわそわと落ち着かない。
クロードさまはスレッダ辺境伯の長男で、古代魔術の研究生。身長は182㎝、体重は72㎏、残念ながらスリーサイズは知らないけど靴のサイズはこの前足跡を勝手に測ったから知っている。26㎝だ。「研究以外興味はありません」と言う顔をしているけど、好きなものは甘いもので、将来の夢は田舎で夫婦水入らずのスローライフだということも知っている。だから料理上手な女性が好み。本人はかっこ悪いと思って秘密にしているけれど、そのギャップがたまらない。どうしてあたしがその秘密を知っているかって?それは—。
「オレリアさん」
あたしはうっとりとクロードさまを眺めた。今日はいつもの白衣ではなく、中々お目に掛かれない私服姿だ。上着の群青色が水色の長髪によく映えていた。なんだか包帯だらけな気がするが、やっぱり何度見てもかっこいい。髪は少々痛みが激しいけれど、水の流れみたいで美しい。冷徹そうな眼差しも素敵だけれど、あの金色の瞳がこちらを見て笑ってくれないだろうか。それにメガネが理知的で・・・・・・。
「オレリアさん?」
アルエットの呆れたような声に、あたしは現実に引き戻された。
「は、はいっ。何でございましょう」
あたしは直立不動で敬礼した。アルエットは苦笑したがそれを一瞬でひっこめ、代わりに女神のような微笑みを浮かべる。
「そろそろ本題に入ろうかと思いまして。あなたにお越しいただいたのは他でもないの」
アルエットはロビンに視線を送った。ロビンは軽くうなずき、テーブルの下に手をやる。
白日の下に引き出されたものを見て、あたしは声の震えを隠せなかった。
「どうして、あんたがそれを持っているの・・・・・?」
見覚えのあり過ぎるそれは、光沢のある水色の紙に、金色のリボンがかかった袋だった。
あれは昨日、あたしが—。
「オレリアさん」
もうアルエットは笑っていなかった。大きな青色の瞳が、嵐の前の青空のように、不穏な澄んだ輝きを放つ。
「こちらの紙袋の中身について、お話を伺ってもよろしいかしら」
なぜ、オレリアがベルフェゴール邸に呼び出されることになったのか。それは今から二日ほど前、学園祭の夜にさかのぼる。
この日、アルエットは学園祭そっちのけで木の実型の毒物を探しに会場を駆けまわっていた。その最中、たまたまガスパール王子とヴレンが声をかけてきたので現物を見せ、「食堂の裏で毒物を発見した」とだけ報告して協力を仰いだ。王子はただちに空き教室に対策本部を設置、聖槍の騎士団員の学生百二十六名を動員して、手分けして食料の安全確認と毒の捜索を命じた。そのかいあってと言うべきか、学園祭は何事もなく過ぎ去った。
「アルエットさま、こちらです」
食堂裏に案内されたアルエットは、ヴレンに言われるまま、植え込みを覗き込む。
そこにあったのは、瀕死のカラスとずたずたになったピンク色の包み紙だ。それからリスが誤食したものと同形の、木の実型をした大量の毒物。
おそらく犯人は、学園祭の料理に毒物を混ぜて「ロビン」を狙うつもりだった。怪しまれないようにお菓子が入っていそうな袋に入れて持ち歩いていたところを、ごちそうと勘違いしたカラスに強奪されたのだろう。リスはカラスのおこぼれを頂戴した結果、今朝方草地の上で伸びていたと考えられる。
ただ問題は、誰が持っていたか、だ。それをはっきりさせなければ、今後枕を高くして眠ることは難しい。
「おや、これはなんでしょう」
ヴレンが取り上げたのは、一枚のメッセージカードだ。何か手がかりがあるかもしれないと、アルエットはそれを覗き込む。ヴレンはその場にいるみんなに聞こえるよう、カードの内容を読み上げようとした。
「えーと、何々。『愛しいクロードさまへ』・・・・へぶっ」
アルエットはヴレンの口を咄嗟に塞いでいた。
「ヴレン、乙女の恋文を公衆の面前で音読するなど、騎士にあるまじき行為でしてよ」
メッセージカードには、チェリーピンクの小さな丸文字で、「大好きなクロードのために一生懸命作ったので、チョコレートを受け取ってほしい」ということが書かれていた。あの物体がチョコレートだったのか、という衝撃の事実はさておき、常識的に考えて、ラブレターを全校放送されたらしばらく立ち直れなくなるに違いない。たとえ凶悪犯の手紙の可能性があると言っても、尊厳だけは守られてしかるべきだろう。
だが、融通が利かず正義感の強いヴレンには、なぜ自分が怒られているのか分からない。
「し、しかし、証拠品についての情報は皆で共有すべきかと」
「それでも誰かをさらし者にするようなやり方は宜しくなくてよ」
アルエットの言葉に、居合わせた女子生徒一同が一斉に頷いた。針の筵だ。申し訳なさそうに身体を縮めるヴレン。
「・・・・・以後気を付けます」
叱られた子犬のようなその表情を見て、女子の態度が幾分か軟化した。
「反省したならよろしいのです」
アルエットも慈愛に満ちた微笑みを向ける。ヴレンはほっとしたように身長を元に戻した。少々きつく言い過ぎたかもしれない。お前は中々怒らない分一度怒ると怖い、というのはアザゼルの言だった。淑女たるもの、どんな時でも必要以上に人を怯えさせることがあってはならない
「では早速ですがヴレン。この差出人に話を聞きましょう」
アルエットはヴレンからメッセージカードを受け取ると、署名の部分を指でなぞる。その署名は、アルエットもヴレンもよく見知った人物のものだった。
「彼女は寮生ではありません。呼び出すにしても明日になります。とりあえず、クロードを重要参考人として召喚しましょう。クロードは今どこに?」
何事もなかったかのような顔でヴレンは言った。二秒で回復した。脅威のレジリエンス能力である。
「クロードなら四時ごろ、仏頂面の銀髪の女の子を引きずって歩いていくのを見ましたけど」
爆発頭に丸メガネをかけ、薄汚れた白衣の研究生が挙手をして答える。この青年はクロードの数少ない親友の一人だった。
彼の発言を受け、聴衆から興奮した囁きが漏れる。アルエットはにわかに頭痛を感じた。その可哀想な女子は間違いなくアザゼルだ。アルエットは、デリカシーのない専門バカの幼馴染を見捨てるか、みすみす犯人を取り逃がすかの究極の二択に直面していた。
ヴレンは別の意味でこの事態を心配していたようだ。青ざめた顔で拳を握りしめる。
「女の子が心配です。あれはそこまで愚かな男ではないと思いますが・・・・・今すぐクロードを呼んで来た方がいい」
それはそうだ。ヴレンの言う「女の子」よりもクロードの身の安全に重きを置いて、アルエットは賛同を示した。
「そ、そうね、どなたか、お願いしてもよろしくて?」
「その必要はないんじゃないかな」
耳元からいきなり声をかけられ、アルエットは飛び上がった。ガスパール王子だ。いつの間にかアルエットの背後に立っており、アルエットの肩越しにメッセージカードを覗き込んでいたようだった。
「しかし殿下!一介の騎士としてこの状況を見過ごす訳には」
納得できないヴレンはなおも食い下がる。他人の頭ごしに喧嘩するの、やめてほしい。二人とも腹筋を鍛えているから、うるさいのだ。
王子は鷹揚に笑って答える。
「大丈夫さ。あのロビンだよ?運動不足気味のクロードが太刀打ちできる相手だと思うかい?」
その言葉でみんな一斉に黙った。ヴレンが真っ先に黙った。反論の余地というものをわずかでも持ち合わせている者が誰一人いなかったのだ。
「それにさ、ヴレン。惚れ薬は去年、取引禁止品目に追加されたよね」
突然の法律クイズに、ヴレンは戸惑いながらも的確な答えを返す。
「え、ええ。殿下の初仕事ですし、私も法整備に携わりましたからよく覚えております。確か、惚れ薬の取引は犯罪ですが、保持すること自体や自分用に作ることは合法、という内容になっていたかと」
王子としては存在そのものを違法にしたかったようだが、有力者やその親族たちから泣きつかれて規制に留めたらしい。これではザル法だと愚痴を聞かされた覚えがある。
ヴレンの返答を聞くと、王子は満足げに微笑んだ。
「じゃあ、惚れ薬を誰かに使おうと思えば、自分で作るしかないわけだ」
確かにそうだ。しかし、それが今どうしたと言うのか。
ガスパール王子はそのまましばらく考え込んでいたが、何か思い当たることがあったのか、パチッと指を鳴らすと、夜空に向かって声を張り上げる。
「みんな、これは毒薬じゃない。惚れ薬になりたかった何かだ!」
「な、何を証拠に」
「そうですよ」
王子の言葉にざわめきが走る。聴衆は説得力のある説明を望んでいた。あの毒物は全校生徒を巻き込んで甚大な被害を出したのだ。いい加減な説明で納得できるはずがない。
「証拠を出せ、か」
自分の推理が信じてもらえなかったガスパール王子は、悔しそうに下を向くと、ためらうように拳を握りしめる。
「僕も未来の為政者としては、こんな公開処刑のような真似をするのは心苦しい。だが・・・・・疑惑の平和的解決のためには致し方無い」
ガスパール王子はメッセージカードを高々と掲げた。
「証拠はこれだ。このメッセージカードの送り主が、オレリア・バーミリアだからだ!」
今、王子とヴレンはちょうどアルエットを挟むように立っている。「控えおろう!」と字幕を入れたくなるのはアルエットだけだろうか。それともかなりネタが古いか。
王子の堂々たる宣言を受け、群衆にざわめきが広がる。
「オレリア?あのオレリア・バーミリアか?」
オレリア・バーミリア伯爵令嬢は、この学園ではあることについて、非常によく知られた存在だった。
魔法薬学の授業で、何一つまともな薬品を提出しない、ということにおいて。
一応本人の名誉のために言っておくと、オレリアの能力がないとか、努力が足りないとかいう訳ではない。そういう体質の人なのだ。この世界には、「手汗が酷い人」のような要領で、「魔力が必要以上に漏れ出してしまう人」が存在している。何かを作ろうとすると漏れ出した魔力が混入し、ものの性質を勝手に変えてしまうのだそうだ。魔力の含有量まできっちり制御しなければならない調薬は、ほぼ間違いなく駄目になる。
オレリアはかなり症状が酷いようで、毎回薬を作るたびに現在の魔法理論では説明できない謎の大変化を引き起こしており、噂を聞きつけた校医から「治療法の開発実験に協力してくれないか」と打診されているのを見たことがある。ちなみにこの医者はマルグリット・ルーユと言って、以前アザゼルに「人体実験に協力してくれ」と頼みこんだのと同じ人である。
「言い方は非常に失礼になってしまうのだが・・・・・その、彼女にまともな薬品など作れるはずがない。おそらくこれは人類の知恵を越えた脅威の副産物だ。きっと、媚薬の失敗作を料理にふりかけたせいでこうなったんだ」
学者泣かせのオレリアなら、そういうこともあるかもしれない。みんなはうんうん頷いた。確かにそうかもしれない。シェムハザも「かなり複雑な変身魔法がかかっている」と言っていたから、仮にこの物体が元チョコレートだったとしても辻褄は合う。アルエットはその説に納得しかけて、はたと立ち止まった。何かが引っかかるのだ。
確かにオレリアの症状が酷いと言っても、偶然が神の領分に食い込んでしまうほど、この世界の仕組みはいい加減にできているのか?実際にロビンは死に、現に今アザゼルが復活している。転生者とルシフの関与が疑われる以上、憶測だけで警戒を緩めるわけにはいかない。
アルエットは鋭く挙手をして王子の話に割り込んだ。
「お待ち下さい、殿下。仮に例のトリュフもどきもオレリアさんの生み出した暗黒物質だったとします。ですけど、その元料理が別の料理に混入したことはどうやって説明いたしますの」
王子は、アルエットが自分の推理の穴をつつき始めたことが心底意外なようだった。一瞬虚を突かれたような表情を浮かべたが、すぐにいつもの落ち着きを取り戻し、にこやかに説明を始める。
「受取人はクロードなんだろう?きっと、野菜の木箱をゴミ箱と間違えたんだよ。彼は『ごみはゴミ箱に捨てる主義』を公言しているけど、ちょっとぼんやりしたところがあるからね」
アルエットは黙り込んだ。ぐうの音も出ない、とはこのことだ。魔法の方面以外は万事抜けているクロードならやりかねなかった。
「なるほど、そうだったのか。どうりで近衛騎士が束になっても混入経路など分からないはずだ」
「そういや、そんなこと言っていたな。変なところで律儀なんだから」
「殿下の言う通りだ。クロードなら、やる」
クロードをよく知る一団から納得の声が上がる。哀しい哉、クロードの研究以外の理性に対する信頼は、この世界には一ミリたりとも存在していなかった。残念ながらアルエットもそう思う。
食堂裏に居合わせた人々は、満場一致で「不慮の事故説」に納得しようとしていた。
その時、再び疑義を呈する者があった。
「殿下、アルエットさまの仰る通りです。結論を出すにはまだ早いかと」
ヴレンだ。ヴレンは頭が切れる反面、頑固なところがあるから、生半可な説明では納得しない。アルエット以上に鋭い口調で、ガスパール王子に食い下がる。
「これは誰が見ても食べ物ではないと分かります。ですが、調理担当者はトリュフと間違え、カラスやリスも食べ物だと認識した。食材の専門家や動物でさえこうなのに、研究以外は万事抜けているクロードがそれを見分ける・・・・おかしくありませんか。というか、いくら自分の料理に自信を持っている人間でも、おおよそ原型とかけ離れた代物を他人様に贈るでしょうか?」
ヴレンの言うことにも一理ある。群衆に再びざわめきが戻ってくる。
「個人の心の働きばかりは僕に聞かれても困るんだけどね」
王子は肩をすくめて答えた。
「きっと、惚れ薬の効果が歪んだ形で残っていたんだよ。惚れ薬なんて所詮幻覚剤みたいなものだからね。体質的に効く人と効かない人が出て来てもおかしくないんじゃないかな」
惚れ薬の効果については王子の言う通りだ。魂を縛る術が人間には許されていない以上、強制的に誰かを好きにさせようと思えば、生理的な反応を利用するしかない。だから惚れ薬は幻覚剤だ。
前世のアルエットも『ユメウタ』攻略のために散々作って使ったから知っているが、惚れ薬の材料にはそれ自体に幻覚作用のある植物が含まれている。それに記憶を辿ってみれば、クロードには精神干渉系の魔法に耐性がある、という設定だったはずだ。
今のところ、ガスパール王子の説明が一番的を射ていた。原因、効果、例外の説明が全て揃っている。他に上手い説明が思いつく者はこの場にいなかった。
反論しきれず、アルエットは口をつぐんだ。
「まあ、そういう訳だから、これは毒薬じゃない。みんな安心していいよ。何せ恋する乙女の失敗だからね。何も見なかったことにして、温かく見守ってあげようじゃないか。ねえ、アルエット―」
アルエットは駆けだしていた。アザゼルに頼んで、アルマロスを呼び出してもらうのだ。部外者のガスパール王子には望むべくもないが、それでも納得できないことが多すぎる。解呪の力を持つアルマロスなら、これの正体が何なのか、白黒はっきりつけてくれるはずだ。
それに、アザゼルは敵と認定した相手には容赦しないところがある。もしこのタイミングで、オレリアの他に犯人の有力候補者が現れたとしたら、間違いなく世界の終末の局地的再来となる。それだけは絶対に阻止しなければ。このままいけば余計な犠牲者が—。
「いや、待ってくれ、ちがうんだ。これは誤解で」
「お前が犯人かぁぁぁぁぁ!」
出ていた。
この後、アザゼルを説得するのに三十分かかった。
すったもんだの後、一同はクロードの研究室に収まっていた。
六時間拘束された上にあやうく毒を食べるところだったアザゼルは怒り心頭だったが、疑わしきは罰せずということで一旦引き下がってもらった。もし本当にクロードが犯人だったら、その時は煮るなり焼くなり好きにすればいいと言ったら、クロードが泣きそうな顔でこっちを見ていた。なお、クロードは治療魔法を使って全治二週間の怪我だそうである。
みんなの話を総合すると、結局トリュフもどきの差出人はオレリアで、食中毒の一件は、クロードが野菜の木箱をゴミ箱と間違えたことで起きた不幸な事故だった。その日以降もオレリアは、毎朝クロードの散歩コース、つまりは食堂裏で待ち受けていて、同様の紙袋を押し付けると、わき目もふらず走り去っていくらしい。差し入れの受け取りを拒否したら、今度は置き配形式に切り替えられてしまったそうだ。今夜の紙袋もそのうちの一つ。ガスパール王子の推理はほとんど正解だったことになる。
「ええー、では、これから、この暗黒物質の正体について解説を行いたいと思います」
みんなの頭から少しだけ高いところに浮きながら、解説を買って出るのはアルマロスだ。アルマロスは長い腕を伸ばして、床の上の物体を指し示した。
「結論から申しますと、料理に籠った魔力が元のまじないを破壊して、変な風につなぎ合わせたせいで謎の毒物が誕生したのです。では、これを一段階前の状態に戻します。ご覧あれ!」
アルマロスは紐を引きちぎるように、バッと手を広げた。光の鎖が弾け飛んだかと思うと、あとには桜色の水球と、やはり黒焦げの謎物体が残った。
「どういうことだアルマロス。さっきから何も変わっていないぞ」
すぐさまアザゼルが食って掛かる。まだ機嫌が直らないらしく、普段よりきつい物言いになっていた。だが、アルマロスは慣れっこなのか、まったく動じない。
「分かりやすくおぞましいものに目を奪われてはいけない、ということですよ。それ自体はたっぷり魔力をため込んで変質した、ただの料理の失敗作です。まあ、魔力中毒を起こしますから、食べない方が身のためですけど」
アルマロスは桜色の水玉を瓶に集めながら答えた。そして小瓶が満タンになったところで、みんなの頭の上で軽く振ってみせる。
「あなたが真に警戒すべきは、こちらの薬品です」
「それってまさか」
あまりにも見覚えのあるその薬に、アルエットは思わず素っ頓狂な声を上げた。見覚えがあるどころの騒ぎではない。全乙女ゲームおなじみと言っても過言ではないレベルのアイテム、《惚れ薬》だ。
「ええ。邪神ルシフ謹製、惚れ薬です」
シャンパンの栓を引き抜くように、アルマロスはくい、と人差し指を動かした。指の動きに釣られて、輝く文字列が空中に展開される。
『邪神ルシフが命ずる、この薬が汝の身体の中にある限り、汝、我の命じるままに、これを与えし者を欲せ。また、汝の敵アザゼルがどこにいようと苦痛を与えるよう、これを食らいし者の魂に枷を嵌める』
「前半が惚れ薬の魔法。後半が魂を縛り、自分の思い通りに操る術。惚れ薬が渡ったのがこの料理下手のところで良かったですね。上手い具合に術が壊れている。いと高きお方の采配、とでも申しましょうか」
アルマロスの嘆息を聞きながら、アルエットは、背中に冷たい汗が流れ落ちるのを感じていた。
原作では、王子やクロードたちは、アザゼルら堕天使に太刀打ちできる数少ない人間である。ロビン殺しの犯人がアザゼルを排除しようとするならば、攻略対象たちを利用しない手はないだろう。恋する乙女を利用して罪悪感なく一服盛らせ、彼らを操り人形にする算段だったのだ。
―ルシフと真犯人、許すまじ。
ロビンを殺すだけでは飽き足らず、攻略対象たちの自由意志まで奪おうとするとは。復讐の決意を新たにしたアルエットだった。
アルエットは扇でびしっと宙を指し示し、高らかに宣言する。
「みなさん、オレリアに話を聞きましょう」
もしもオレリアがロビン殺しの真犯人ならば、話をしているうちに尻尾を出すかもしれない。たとえオレリアが何も知らず、真犯人が別にいたとしても、何か売人についての情報が聞きだせればそれは大きな進展となるに違いなかった。