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専門家の入れ知恵

一部前の話とつながりがおかしい部分を見つけて修正しました。申し訳ありません。

「なんですか、これ」

 アザゼルからガラス瓶を渡された天使は、困惑しきった表情を浮かべた。

 今、アルエットたちは雑木林にいる。アザゼルはそこに「専門家」を呼び出していた。この雑木林は学園の敷地の端の端、薬草園のさらに奥にあるのだが、長らく放置されて荒れに荒れ、近づく者は皆無である。虫が多いのだけは難点だが、密談をするにはもってこいの場所だった。

「それはこっちが聞きたいくらいだ」

 アザゼルは腕組みをしたまま、憮然とした表情で天使を見上げる。公式ファンブックによれば、「ロビン」の身長は155㎝。身長180㎝はある上に、地面から20㎝ほど浮いている天使を見上げ続けるのは首が辛そうだった。

 この天使の名はシェムハザ。少し前に罪を赦され天界に帰った、魔術と植物を司る天使だ。

 アルエットはハンカチを敷いた倒木に腰かけたまま、シェムハザをしげしげと観察した。ゲームでだいたいのビジュアルは知っていたが、やっぱり実物の方が断然美麗で、かっこいい。

 アザゼル曰く天使に性別はないそうだが、この天使はかなり男性的な容貌をしている。サルスベリの木肌に似た、つややかなアイボリーの顔に金縁眼鏡をかけ、古代ギリシャ人の着るような、ゆったりとした衣装をまとっている。肩から身体に巡らせた布は苔のような濃緑色で、帯は複雑に絡み合う生きた藤のツルだった。背中の肩甲骨あたりからは、百合の花びらで作ったような、大きな白い翼が伸びている。夏も盛りの丘陵にも似た、さわやかな薄緑をしたふさふさの髪には小さな白い花がいくつも咲き、気まぐれに咲いたり散ったりを繰り返していた。

 さすが異世界、ゲーム以上に造形が細かい。


「そうは言ってもですねえ、アザゼル。天地創造の始めから今に至るまで、こんなものはお目にかかったことがありませんよ」

 シェムハザは情けなく眉を下げ、高くて細い声で弁解を始める。羽もしょんぼりと項垂れている。前世に、電車の中でこういうサラリーマンの電話を見たことがある。

 アザゼルがシェムハザに鑑定させているのは、ガラス瓶に入った謎の塊だ。それはどす黒い石炭色で、炭化してそうなったのか、元からそういう形状なのかさえ判別がつかない。例えて言うなら、「マグマ的な何かが下から吹きあがってきて固形化した後、雨風に削られて手ひどくボロボロになって崩れて行った、その残骸」とでも表現するのが適切なような、非常に説明に窮する質感をしていた。元は何かの一部だったところを刃物で切り取られたと見えて、瓶に接している面はすっぱりと平らになっていた。今まで見たことのあるどのような植物にも物質にも似ておらず、「黒い」という以外には如何とも形容しがたい。

 

 強いて言葉を絞り出すなら、表面の焦げたトリュフのようなもの、だろうか。


 そう、これこそが先日起きた食中毒事件の元凶となった、例の「トリュフのようなもの」の試料(サンプル)である。 これは証拠品として近衛騎士団で保管されていたのだが、アザゼルが《聖槍の騎士団切り込み隊長》の威光と信頼と実力への恐怖を濫用して一部を頂戴してきたのだった。

「シェムハザ、お前にも分からないのか・・・・・」

 アザゼルは頭を抱える。語尾がだんだんと小さくなっていくところに、落胆と絶望がよく表れていた。

 あれから二週間、アルエットとアザゼルも、このトリュフもどきについて調べ尽くし、散々話し合ってはみたのだが、結局結論にはたどり着けなかった。

 別にこの物体の正体が何だろうが究極的にはどうでもいいのだが、こんな珍妙な物品の入手先など世に二つとあるはずがない。このトリュフもどきの流通経路をたどって行けば、必ず犯人に突き当たるはず。せめて見当だけでもつけておいた方が、毒殺未遂の犯人を炙り出すのがやりやすかろうと思ったのだが・・・・・植物を司る天使をしても正体が分からない毒となると、犯人を炙り出すどころか、向こうが仕掛けて来るのをただただ待つしかない。もしも一点物の特別な毒だったとしたら、なおさら犯人の正体が分からなくなる。再び襲撃してきても、二度と同じ手が使えないからだ。

―これはもう、本気で駄目かもしれない。

 アルエットは、どんな雑草もただちに萎れていきそうなほどの、特濃のため息をついた。


 これ以上もなく分かりやすく打ちひしがれる二人を尻目に、シェムハザはあらゆる角度から瓶を眺めたり、ふたを開けて匂いを嗅いだりして物体の調査を進める。それから、トリュフみたいな匂いはしますねぇ、と言ったなり、瓶の中身を見つめてじっとしていたが、

「これが何かは分かりませんが、どういうものかはだいたい分かりました。アザゼルに地上の毒は効きませんから、これは自然物ではないと見て間違いはない。きっと、呪いの類でしょう」

 そう言って瓶の蓋を閉めた。匂いを嗅いだ時にやられたのか、涙目になっていた。天使も涙目になるんだ、とアルエットは思った。

 シェムハザの手の上に、緑色の魔法陣が展開され、対象物をスキャンしていく。物体の持つ性質を測定する計測魔法の一種だ。

「ああ、やはり。元の材料が特定できなくなるくらい、かなり複雑な変身魔法がかけられていますね。断言できないのが悔しいですが、外観がトリュフに似ているのならば、おそらくキノコの類が原料と考えるのが穏当でしょう」

 シェムハザは鑑定を終えた瞬間、勢いよく瓶を突っ返してきた。一秒たりとも手許に置いておきたくないらしい。

「そうなると、これは霊魂そのものを呪うための呪物なのではないかと推測できます」

「霊魂そのものを呪う?そんな魔法があるの?」

 アルエットは思わず倒木から立ち上がり、シェムハザに詰め寄った。 

 

 霊魂に作用する魔法は存在しない。それが幼い頃から魔法の研鑽に勤めてきたアルエットの常識である。

 例えば、以前アルエットがボロカスにこき下ろしていた《服従の魔法》では、魔力で網を作って契約者の周囲に張り、主人の意志に反した行動を取ると自動で罰を下すことで、主従関係を持続させる。露見すれば牢屋行きだが、魔物以外に人間にも適応できる。いわば調教だ。だから、主従の魔力が拮抗していると、懲罰用の網を押し返されてあまり効果がなくなる。様々な漫画やアニメに出て来る「魂の契約」とでもいうような、逃れがたい何かで縛っている訳ではない。

 魔法を使うということは、「ボタンを押したら所定の結果を返す、パーツの見えない透明な機械」を使うということなのである。原理や法則は大違いだが、元の世界の科学と大して変わらない。


 このあたりの内実は、元の世界でゲームをやっている限りでは分からない。こちらに転生してきて初めて知ったことだ。そして《服従の魔法》がいかに見かけ倒しかは、実際に使ってみて初めて知った。アザゼルが自主的にヒロインの代役を果たしてくれているからいいものの、未だにアルエットは腹の虫がおさまらない。

 あの技、ゲームだと物凄くかっこよかったのだ。感動を返してくれ。


「驚くのも道理です」

 シェムハザはアルエットの形相に若干驚いたようだが、すぐに軽くうなずいて説明を始める。

「ですが、できるのですよ。魔法というよりは、神とその代行者にのみ与えられた特権ですがね。例えば、我々が受けていた罰なんかがそうです」

 堕天使たちが受けていた懲罰。それは、過去の記憶の夢を何度も反芻させられるというものだ。自分の記憶と違う行動は取れず、結末はいつも同じ。何度も同じ記憶、同じ状況、同じ感情を味わわせられ、それが自分の否に気づくまで繰り返される。記憶が一巡すると気絶したように眠れる時間が用意されているとはいえ、想像しただけでもえげつない罰である。「えげつない」と思ったのは罰を与える側の天使たちも同じだったようで、これはあんまりだとミカルに泣きついて休憩時間の増加と癒しの提供を認めさせたらしい。その結果、深い眠りの間に何の脈絡もなく、戯れる子犬や雄大な自然の風景、子どもの姿をした天使たちが合唱する映像などが流れるようになった。天使たちからすれば精一杯の温情のつもりだったようだが、見せられているシェムハザ曰く、「なんとなく腹が立った」そうである。

「・・・・・」

 アルエットは、なんとも言えない目でアザゼルの方を見た。このえげつない刑罰から解放してくれた邪神教団を、どうしてアザゼルが逆恨みしているのかは永遠の謎である。

「・・・・・」

 腕を組んだまま、無言でそっぽを向くアザゼル。二人の間に、夏の生温かい風が吹き抜けていく。セミがジジジジジ、と音を立てて、薄暗い木立ちの奥へ飛んで行った。

 シェムハザはやれやれ、といった様子で苦笑いした後、ひとまずそれは置くとして、と言って説明の続きを始めた。


 この終わらない悪夢をもたらす呪いは、アザゼルたち堕天使の実体である魂そのものにかけられている。魂は永久に同じものであるから、どこへ行こうと呪いはついて回る。ミカルが呪いを解くその日まで、堕天使たちは永遠に眠り続け、永遠に苦しみ続ける。

 このシステムに目をつけたのが邪神教団だ。ルシフの力で夢の内容に手を加え、夢遊病者の手を取って崖へと導く悪人の如く、悪夢にうなされる堕天使たちを誘導して人や街を襲わせることに成功した。だが、邪神教団はほどなく頭を抱えることになる。

 この方法では堕天使をコントロールしきれず、自分たちが被害を受けたり、スポンサーの貴族や富豪の家を破壊してクレームを入れられたりと、色々な不都合が発生したからだ。堕天使には、寝ぼけて人を攻撃するのではなく、はっきりした頭で、明確な害意を持って人間を攻撃してもらわなければならない―そう、邪神教団の幹部たちは痛感した。

 ここから先はアルエットの知識にある未来の話になるが、彼らは研究の末、堕天使を懲罰の夢から目覚めさせる方法に辿り着く。

 それは、負の感情をため込んだ血で入れ物を作り、中に堕天使の魂を包むことで両者の精神を混線させ、誰の魂か見分けがつかないようにする、というものだった。ミカルは善神、もとい正義を司る大天使である。いくら醜い魂の持ち主とはいえ、関係のない者に夢の懲罰を与えることは正義に反する。「それ」が人の子か堕天使か判別できない以上、ミカルも手出しを控えざるをえないのだ。おまけにこの方法では、堕天使が生贄の負の情念に引っ張られ、自動的に人間を攻撃する側に回ってくれる。あとは自分たちに害が及ばないよう、ルシフに仲介を頼んで契約だけしておけばよい。邪神教団にとっていいことずくめの解決策だった。


「魂の扱いは人間の領分を越えた知識ですから、邪神教団の連中が自力で思いついたとは考えにくい。ミカルがロビンに浄化の力を授けたように、おのれの権能の一部を授けた者がいたのでしょう」   

 シェムハザは唸るような声で言った。その眉間には皺が深々と刻まれていた。

「そしてそいつは、おそらく他にも色々といらぬ技術を与えているはずです。この・・・・・なんですか、トリュフ?の生成方法だってその一つでしょう」

 と、なると、この技術の出どころは—。

「ルシフか」

 舌打ちでもするような勢いで、アザゼルは邪神の名を口にした。やはり邪神教団が関わっていたようだ。シェムハザも懸念の意を示す。

「ええ。早急に対策を立てた方が良いでしょう。解呪となるとアルマロスの領分です。あとのことはアルマロスに。わたくしは魔法をかけるのは得意ですが、昔から解くのは大の苦手ですから」

 さきほどの真剣な表情から一転、話の後半で、照れたように頭を掻くシェムハザ。あんたは荒地の魔女か。ツッコミを入れたアルエットをよそに、アザゼルはパン、と拳を打ち鳴らす。いつもは無機質な赤い双眸が底光りする。

「よし、そうと決まればアルマロスをぶっ飛ばすか」

 やっぱり、《浄化の力》は鉄拳制裁に違いない。それを見たシェムハザがげっそりした表情になる。聞くのも怖いような気がするが、『ユメウタ』ファンとしては内実を把握しておきたいところだ。前世からずっと気になっていたことであるし、思い切ってシェムハザに聞いてみる。

「あの、シェムハザさん。アザゼルが《浄化の祈り》を発動させている時って、一体どういう現象が起きているんですか?」

「ああ・・・・・。あれですか・・・・・・」

 シェムハザは遠くを見る目で答える。思い出すのも嫌らしい。

「記憶の暴力というか、共感の暴力と言うか・・・・・人生最悪の瞬間を見せられているところに、無理矢理幸せだった頃の記憶を思い出させられるんですよ。おまけに自分の記憶を全国放送されて、それを見た人間の感情が何人分も流れ込んでくるんです。頭が大混乱して、訳が分からなくて恐ろしくて、正直、気が狂うかと思いましたよ」

 生気のない瞳ではは、と笑うシェムハザ。

―うわぁ・・・・・地獄だ。 

 何と反応してよいか分からず、表情筋が凍り付くアルエット。刑罰も地獄だが、救済の処置までも地獄だった。あまり知りたくなかった。

 ゲームでは感動のシーンだったのに・・・・・。



「では、わたくしはこれで。何か困ったことがあったら、いつでも呼んでくださいね」

 シェムハザはにこにこと手を振りながら、強烈な夏の日差しの中に溶け込むように消え、天界に帰って行った。笑顔が少しやつれて見得たのは、おそらくアルエットの気のせいではない。好奇心のせいで悪いことをしてしまった。今度アザゼルに謝っておいてもらおう。

 遠くで八時を告げる鐘が鳴り響く。その音に驚いたのか、鳩が数羽ほど、雲一つない群青の空へ、あわただしく飛び去っていった。アザゼルはしばらく鳩の行方を見送っていたが、くるりとこちらに背を向け、雑木林の出口へ向けて歩き出す。

「では、ここからは別行動だ。わたしはマイヤー先生のところに行ってくる。お前は学園祭を楽しんでこい」

 それだけ言い残すと、畑の小道を通ってすたすた行ってしまう。アルエットはしばらくその場にたたずんでいたが、アザゼルの姿が木立ちの向こうに消えるのを待ってひとりごちる。

「まさか、アザゼルが補習になるとは思わなかったわ」

 そう、これからアザゼルは魔法薬学の補習を受けに行くのだ。補習に行くラスボス。これほど格好が悪いシチュエーションもない。

 笑いだしたいのをこらえつつ、アルエットは来た道を戻った。

 薬草園を出、魔法薬学の実習棟の側を過ぎ去り、食堂の裏手まで来たところで、草地の上に、何か茶色いものが落ちているのを見つけた。はじめ、アルエットは、それを誰かが落とした毛皮の襟巻だと思った。だが、季節は夏。そんなものが落ちているはずがない。怪訝に思い、アルエットは毛皮の側にかがみこんだ。

 それはリスだった。意識はない様子で、口から白い泡を吹いて痙攣している。アルエットは慌てて回復魔法を使った。それほど重篤な症状ではなかったようで、幸い、リスはすぐさま意識を取り戻した。アルエットの膝の上から飛び降り、「人間に酷い目に遭わされた!」とでも言いたげな勢いで、中庭の方に消えていく。アルエットは立ち上がると、微笑ましい気分でリスを見送った。

 ふと目線を落とすと、リスが倒れていたそばに、黒焦げになった木の実のような物体がひとつ、転がっていた。さきほどの幸福な気分が一瞬で弾け飛んだ。

 

 犯人は今も、この学園の内部で確実に蠢いている。

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