劇薬
ぽちゃん、と音がして、ぶつ切りのソーセージがスープの中に落下した。
「なんか、面倒くさいやつだな」
スプーンから具を落としたままの姿勢で固まり、真顔でつぶやくアザゼル。なんだか、説明を聞いてより気力を持っていかれたように見えた。
「身内がごめんなさいね」
アルエットは眉間を押さえ、長々とため息を吐き出した。
アルエットの父・ベルフェゴール公爵とクロードの父・スレッダ辺境伯は友人で、スレッダ辺境伯は家族ぐるみでアルエットを可愛がってくれた。幼い頃より、アルエットは何度もスレッダ家へ招待されている。だからクロードの性格はよく知っている。
クロードは思い込みが激しくて本当に面倒くさい。この性格でどうして優秀な研究者になれたのか甚だ疑問である。ヒロイン役はそういうイベントに巻き込まれる運命とは言え、巻き込まれたアザゼルには申し訳なさが募る。
「今日はうちにスレッダ家のみなさんが遊びに来る予定だから、あなたもいらっしゃい。そこでクロードに謝罪させるわ」
アルエットは爆弾低気圧に憑りつかれたような気分で頭を下げた。本当に頭痛しかしない。だが、アザゼルは、善意だけ受け取っておこう、と言って、手をひらひら振って受けない。
「悪いが、同行はできない。午後から城で《聖槍の騎士団》の会議がある。先日大規模な摘発があったから、その報告を命じられている」
《聖槍の騎士団》は、ガスパール王子が組織した邪神教団対策の討伐隊の名前だ。
チュートリアルのエピソード、グラシャラボラスによる民間人襲撃の一件で、ガスパール王子は世界情勢が随分と差し迫った状態にあることを悟った。そこで王子は討伐隊を編成、自らそのトップに就任し、邪神教団の取り締まりに乗り出す。同時にヒロインにも、魔法学校で魔法の才能を磨きつつ、この騎士団に協力するよう指示を出すのだ。
アザゼルは堕天使だが、ロビンの血を取り込んで復活したため、浄化の力を行使できる。だからヒロインの代役を果たすのに何の差支えもない。すでにラハブ、バラキエル、シェムハザの三体を救済していた。
もっとも、シェムハザはラスボスステージの中ボスであり、原作では、救済されるのはゲーム終盤のはずだった。だが、アザゼルが復活してすぐ、不運にも隣の部屋に封印されていたところを、浄化の力を使えることに気づいたアザゼルの実験台にされたため、序盤で天界に戻っている。シェムハザ曰く、「天地創造以来で一番の恐怖を味わった」そうである。やはり《浄化の力》は「鉄拳制裁」の間違いなのだろうか。
「あら、残念。お勤めを頑張るのはいいけど、あまり無理はしないでね」
アルエットは淑女の顔で忠告した。実は、内心鬼の形相でいい加減にしろと思っていた。頼むから、無理、というより傍若無人な行いをしないでほしい。
最低限の礼儀は守っているものの、人間を小馬鹿にしているアザゼルは、ともすれば人間の序列や常識を無視してかかるところがある。アルエットも常々注意をしてきたが、一向に耳を貸さない。そのうちなにかやらかすのではないかとヒヤヒヤしていたところ、さっそくアザゼルはやらかしてくれた。
入団早々、王子とトラブルを起こしたのである。
『ユメウタ』では、ガスパール王子とヴレンの攻略は、主に《聖槍の騎士団》内で行われる。ガスパールとヴレンの好みはどちらも有能な女性なので、騎士団内で活躍できないと攻略は難しい。そこでプレイヤーは魔法学園でヒロインを鍛え、フィールドに出て山や川、遺跡などで攻略に役立つ素材やアイテムを集めつつ、邪神教団討伐を進めていく。クエストをクリアしたり、特定の魔法やアイテムを取得したりすると《聖騎士》や《火竜の魔導士》などの称号が付与される。《隊長》の称号を獲得すると、直属の小隊が与えられる。今までヒロインは一介の平民にすぎなかったし、魔法や戦闘、集団を統率することの素養も、経験もない。至極当然で、配慮の行き届いたシステムである。
ところがアザゼルは、いきなり直属の小隊を要求したらしい。王子が「きみのような、指揮の経験がないものに隊を任すことはできない」と難色を示すと、
「一ヶ月のうちに教団の支部三つを潰して差し上げよう。できなければ、百叩きでも火あぶりでもなんでも好きなようになさるといい」
と言い放った。そして宣言通り、一ヶ月で三つの支部を壊滅させた。好感を持たれるどころかドン引きされていた。
アザゼルのこうした傲岸不遜な態度の数々は騎士たちの間で語り草になっており、すでに社交界の方でも集中砲火を食らっていた。社交界など、所詮は他人の揚げ足取りが生きがいの、そこ意地悪い暇人連中の集まりである。アザゼルはそんなことで傷つくほどのやわな精神は持ち合わせいないが、周囲の不興を買って良いことはない。さすがに心配になったので王子に形だけでも謝罪するよう忠告したら、
「気にするな。あと五十年もすればみんないなくなる」
と返ってきた。天地を創造する側のスケールでものを言われても説得力に欠ける。
まあ、業績にだけ目を向けるなら、アザゼルは目覚ましい活躍を見せている。次々と邪神教団のアジトを検挙しては壊滅に追い込み、原作以上の快進撃で教団を弱体化させていた。おまけに、部下への差配が上手いので、直属の一隊からはとても慕われている。報告書や会議書類を作らせても文句のつけようがなく、騎士団や官庁からの勧誘が引きも切らないそうだ。さすが、かつて天使長を務めただけのことはある。
ただ一点ケチをつけることがあるとすれば、ボス戦になるとアザゼルは単身特攻をかけて相手を完膚なきまでに叩きのめすので、この美人の隊長にいいところを見せられなくなった騎士たちからはすこぶる評判が悪い。
アルエットとしてはぜひとも同行し、アザゼルの勇姿を拝みたかったのだが、危ないからと王子に止められていた。アルエットの実力ならば討伐に同行しても足手纏いにはならないはずである。アルエットはそれが不服であった。
「あ、そうだ、アルマロス戦はここの中庭のはずだから、その時は呼んでね。応援に行くから」
アルエットはきらきらした顔でぐっと拳を作る。学園の中庭なら王子もケチはつけられまい。腰が抜けたとか、友達を見捨てておけなかったとか、いくらでも言い逃れが用意できる。一回でいいから、大技・《浄化の祈り》だとか、アザゼルのかっこいい古代魔法だとかを堪能したい。あと堕天使も見てみたい。
「不謹慎だな。別に構わないが」
はしゃいだ様子のアルエットに、アザゼルは本心から「不謹慎」と思っている顔をした。
「真面目ね、ロビンは」
アルエットはつまらなそうな顔を作る。アザゼルが《騎士団》の活動を真面目に取り組むべきものと捉えているとは、正直以外である。「人間は愚か」が口癖のアザゼルのこと、人間同士の小競り合いなど、内心鼻で嗤っていると思っていた。今日はアザゼルに驚かされることばかりである。
しかし、いい機会だ。アルエットは、ずっと気になっていたことを聞いてみることにした。
「でも、いいの?邪神教団を倒すと、世界を救う、つまりは人間を助けることになるのだけれど。人間が自業自得で苦しむところを、冷ややかに眺めている方がよっぽどあなたの性に合うのではなくて?」
初めて会った時、アザゼルは無理矢理起こされた腹いせに世界を滅ぼすと放言した。この発言がどのくらい真剣なものかは分からないが、アザゼルなら本当にやりかねなかった。だからアルエットは《服従の魔法》でアザゼルを支配下に置くことにしたのだ。
だが、この魔法に期待していたほどの強制力はなかった。アザゼルがこちらの指示に従わないこともしょっちゅうあるし、契約違反のお仕置きといっても軽い片頭痛くらいの罰しか与えられない。アザゼル曰く、両者の魔力量が拮抗していると、主人を害すること以外ならいくらでも反抗できるのだそうだ。とんだポンコツ魔法である。
だからこそ疑問が残る。
どうしてアザゼルは、誰に強制された訳でもないのに、素直に世界を救う「ヒロイン」の代役に精を出しているのだろうか?
アザゼルは、欠けた縁を指でなでつつ、いつも通りの無機質な目で皿を見つめた。金色のスープの表面に、無表情で端正な顔がいびつに、逆さまに映り込んだ。
「別に人間のためにやっている訳じゃない。ヒロインの代役を務めれば、シェムハザやラハブたちを天界に戻してやることができる。あいつらにとっては、悪魔になって人々を苦しめるより、人間の庇護者に戻る方がずっといい。全てこちらの都合だ」
アザゼルは何も言わないが、堕天に部下たちを巻き込んでしまった負い目を感じているのだろう。かつて地上を焼いた実行犯はアザゼル一人。他の七人はアザゼルを止めようとしたが、連帯責任の形で罰を受けている。
だが、何か引っかかる。納得できないアルエットはなおも食い下がった。
「だったらどうして、邪神教団の掃討まで引き受けているの?教団の壊滅と堕天使の救済とは、直接関係がないじゃない」
アザゼルは皿から顔を上げた。いつもは無機質なはずの赤い瞳がにわかに懸念の色を宿す。
「アルエット、自分の思い通りに動いている相手に余計なことを教えるな。計画が狂って損をするのはお前だぞ。やっぱりお前、悪役に向いていないな」
アザゼルは少し眉根を寄せ、咎めるような表情で言って聞かせる。ついついこういう助言をしてしまうあたり、堕天した後も面倒見の良さが消しきれていないのだろう。性格はひねくれているが、なんだかんだで「いいやつ」なのである。
「邪教教団はわたしを起こそうとした連中だ。それ相応の報いは受けてもらわねばならん。だからわたしは連中を全力で邪魔する」
アザゼルはそこで言葉を切り、一旦匙でスープを口に含む。
「それに、世界を滅ぼそうと思うなら、他人に任せるなどまどろっこしいことをせずに自分でやったほうが早い・・・・・しかしまずいな、このスープ」
うん、それはさっきからずっと思っていた。
今二人が食べているのは、元の世界のポトフに似た煮込み料理だ。頭にパセリと胡椒、それから焼け焦げたキノコらしきものの粉末を被り、ほくほくと煮えたソーセージとジャガイモ、ニンジンが、丸く油の浮いた金色の汁の中から顔を出している。匂いも至って尋常、使い古されて縁の欠けた皿の中から、脂の匂いが混ざった湯気を吹き上げている。
普通に考えれば食欲をそそる料理である。が、如何せん味がまずい。普段食事にケチをつけることがないアザゼルが言うのだから、よほどまずいのだ。どうしたらこんな代物が作れるのかが疑問なレベルのまずさである。
それでもアルエットは、淑女たるもの出された食事にケチをつけるようなことがあってはならないと、表立って同意はしなかった。
「うん、食材に失礼なくらいにまずいな。ここは一思いに・・・・・」
アザゼルはしばらく匙でスープをかき回していたが、いきなりスープ皿の縁を両手でつかむと、黒田節か何かかと言う勢いで一気に飲み始める。「ヒロイン」の外見をしているとは思えない暴挙だ。それを呆然と眺める周囲の人々。
「ロビン、お行儀!」
アルエットは小さな声で咎めたが、アザゼルは気にしない。体面よりも実益を優先したのだ。
「うん、まずい!」
やっとのことでスープ皿を空にし、元気よく宣言するアザゼル。食堂中から無言の賛同が返ってきたのは言うまでもない。
「よ、よし、おれも」
次第に、令息たちの中から、アザゼルに続くものが現れる。よく見たら何人か令嬢もいた。よほどまずかったのだ。そして根性でスープを飲み干し、みんな一斉に叫ぶ。
「「「うん、まずい!」」」
ここでアルエットは思った。どうして誰も「残す」という選択肢を思いつかなかったのか、と。
「さあ、アルエット君、ひとまず腹も膨れたことだし、午後からの授業も頑張り給え。わたしはこれで失礼する」
地獄の一気飲みから生還し、テンションがおかしくなったアザゼルは、食器を乱雑に片づけて立ち上がる。少々足元がふらついているように見える。さすがに心配になったアルエットは思わず椅子から腰を浮かせた。
「ちょっと、本当に大丈夫?」
案の定というか何と言うか、次の瞬間、アザゼルが食器をぶちまけて倒れた。
「ロビン!」
アルエットは椅子を蹴飛ばすようにして駆けつけると、アザゼルの側に慌てて膝をつく。
呼吸、脈拍に異常なし。出血も見られない。気絶しているだけのようだ。胃の中身が逆流してくる可能性もあるので、顔を横向きにして気道を確保する。前世で救急救命の知識を習得しておいてよかった。
後は「あなたは救急車を呼んでください」「あなたはAEDを持ってきてください」という指示出しの異世界版をしなければならない。この世界の場合は「あなたは治療師を呼んできてください」「あなたは回復魔法かポーションを使ってください」になる。アルエットはただちに他の生徒たちに声をかけようとして、言葉を失った。
アルエットの周囲で、生徒たちがバタバタと倒れていく。吐いたり、頭や腹を押さえたりして苦しそうだ。最初はさっきの一気飲みが祟ったのではないかと思ったが、どうやらそうではないらしい。一気飲みに参加しなかった生徒までもが床をのたうち回っている。
―もしかして、毒?
ピリリと鋭い痛みが走り、アルエットは頭を押さえた。床が回る。眩暈がするのだ。胃も痛い。あまりの激痛に、脂汗が全身を伝う。意識が遠のいていく。
やがて、アルエットは完全に意識を失った。
アルエットは目を覚ました。
漆喰づくりの白天井は暗く沈み、すでに夕刻であることを告げていた。そして自分は仰向けでベッドの上にいる。どうやらここは救護室のようだ。確か入学式の日、施設見学で来た覚えがある。
周りを見渡すと、アザゼルが窓際で本を読んでいた。目線だけはすぐにでもこちらへ向けられる状態で、丸椅子の上で少し背を丸めて座っている。今暮れて行こうとする西日が、墓石のように色彩のない横顔に差し掛かり、右半分を薄暗いオレンジ色の光の中へ、残り半分を深い闇の中へ投げ込んでいた。時折開いた窓から風が吹き込み、レースのカーテンをふわりと広げる。アザゼルの背中の方へ細長くまといつくそれには、トンボの翅のような細かな刺繍が施されており、こうして見ると堕天使ではなくて妖精かと錯覚しそうになる。
一瞬、ひときわ強く風が吹き込み、カーテンが鳩のように翼を広げ、アザゼルの顔を覆い隠す。口元以外何も見えない。赤い革表紙の本がばらばらと音を立てて震えた。白いページの中に、遺跡の見取り図や、石板の拓本のようなものが見えたような気がした。
そうしたもの陰で、アザゼルは少し、笑った。
やがて、風は収まった。日もすっかり姿を消し、世界は暗い蒼に閉ざされた。
アザゼルはしばらくページを繰っていたが、アルエットが目覚めたことに気づくと、静かに本を閉じて鞄にしまった。
「気づいたか。アルエット」
こちらに声をかけつつ、アザゼルは指をひと振りした。ベッドサイドに置かれたランプに火が灯り、室内は穏やかなオレンジ色に包まれる。
「ロビン。無事だったの」
アルエットの問いかけに、うなずくアザゼル。アザゼルはあのあとすぐに意識を取り戻していた。
「さっきまで王子とヴレンもいたんだがな。公務があるとかで、帰った」
アザゼルは手早く薬湯を準備しつつ、アルエットが眠っている間、何があったのかを教えてくれた。
大勢の生徒を巻き込む大食中毒事件の発生を受けて、学園は午後からは休校、騎士団の会議も中止になった。なお、治療師たちの迅速な対応のおかげで生徒らは無事だった。ちなみに真っ先に健康体で復活したアザゼルは、驚異の回復力を見込まれ、「今度人体実験に協力してくれ」と頼まれてしまい、丁重に断ったという。
調査に駆けつけた魔術騎士によると、料理に毒物が仕込まれた形式は見つからなかったそうだ。ただし、調理関係者の一人が、「今日納入された野菜の箱の中に、綺麗な包み紙に入った巨大な黒トリュフがあったので、隠し味に使った」と証言したと言う。トリュフの混入経路は未だ特定されていない。
毒殺未遂の線でも捜査されたが、例の「トリュフ」以外に原因とおぼしきものは見つからず、結局、謎の食中毒事件として処理された。
アルエットは手許の薬湯を見つめた。ハーブの香りが鼻をくすぐる。
「最強の堕天使をも昏倒させる毒・・・・・恐ろしいわね」
アルエットの記憶が正しければ、そんなアイテムは出てこない。というか、そんなものがあったら一瞬でゲームが終わってしまう。そんなゲーム、製作元はボロカスに叩かれるぞ。
「そんな悠長なことを言っている場合ではないと思うがな」
窓枠に頬杖をつき、自分のひざをコツコツ指で叩きながらアザゼルは言った。真剣に頭を働かせつつも、どこか楽しんでいるような表情だった。アルエットが不思議そうに視線を向けると、アザゼルは挑むように、こちらに向けてすっと人差し指を立てる。
「アルエット、ロビン殺しの重要容疑者は、転生者で、邪神教団とかなり深いつながりがある人物。それ以外の人間には動機も知識もないのでして除外よい。それで合意したな」
アルエットはうなずいた。
転生者と邪神教団。どちらにとっても、ヒロインが生きていれば、自分の望む未来に邪魔になる。犯人はヒロイン抹殺を思い立ったが、自分で手を下すのを嫌がり、ロビンの始末を教団に提案した。その際、ロビンは魔力量も多いからと、生贄に流用されることになった。だが、ゲーム序盤の邪神教団は、まだ生贄を用いて堕天使を操る技術を完成させていない。確実に転生者の入れ知恵だ。
この転生者はアザゼル復活という、重要な儀式に招待されるくらいだ。邪教教団内部にかなり深く入り込んでいると見て間違いはない。
続いてアザゼルは二本目、中指も立てる。
「もしもこの先何らかの襲撃があったとして、転生者が首謀者だった場合、わたしの正体を把握した上で襲って来る。対して、その他の人間なら、わけも分からず効果のないやり方で襲って来る。これも合意した」
アルエットは再びうなずく。
転生者ならばビジュアルを見ただけで「ロビン」の正体がアザゼルであることも見抜くだろう。だが、たとえ中身がすり替わっていたとしても、「ロビン」がヒロインとしての役目を果たし続ける以上、犯人にとっての存在価値は同等。ラスボス戦についての知識を総動員した上で、どうにかして再び襲撃してくるはずだ。逆に、「ロビン」を普通の人間だと想定して、普通の方法で襲って来るものは、利権だとか怨恨だとか、別の目的で動いていると考えて良い。
そこまで言って、アザゼルはぱっと残りの指を広げた。アルエットの目の前に、五弁の白い花が咲く。
「そういう仮説の下で判断するならば、今回の食中毒事件は不運な事故ではなく、わたしを狙った犯行である可能性が高い」
そしてさも愉快そうに、にやりと笑う。さあ、楽しい知恵比べがはじまったぞ、と。
アザゼルの背後から、薄いカーテンを突き飛ばし、びゅう、と唸りながら風が吹き込んだ。空はすっかり夜の色に染まり、世界は一面の暗闇に覆い尽くされている。大気も随分と冷たくなって、昼間、大地がせっせと蓄えたはずの熱も奪われていた。出ている星も身を縮めて輝いている。肌が粟立ち、アルエットは温かさにすがるようにして、薬湯のカップを握りしめた。アルエットは、アザゼルがどうしてこんな風に笑えるのか分からなかった。
そう、この学園には自分以外にも転生者がいて、今も「ロビン」の命を狙い続けている。
アルエットも知らない、未知の劇薬を携えて。