1.学園入学
矛盾点に気づいて一部書き直しました。
今日は、パルミラ王国・王立魔法学園の入学式だ。
校庭が期待に顔を輝かせた新入生たちでごった返す中、玄関につながる道のど真ん中で横柄に腰に手をやり、威厳のある顔で仁王立ちする美少女が一人。抜けるように白い顔。きりりとつりあがった、紅い三日月形の唇。意志の強さを示すように輝く青く大きな瞳は、サファイアに例えれば時価総額いくらになるだろうか。精巧な金細工の如く巻かれた髪がふわふわと風になびき、道行く者の視線を容赦なく絡めとっていった。
普通に考えれば通行の邪魔だが、それを咎める者は誰一人いない。
彼女の名はアルエット・フォン・ベルフェゴール。
この国で並ぶ者がないほどの権勢を誇る公爵家の令嬢だ。父親は国王の信任も厚い有能な廷臣で、偉大な発明家のホセア・フォン・ベルフェゴール公爵である。そして本人も、大人顔負けの魔術の才を誇り、王都のそこらへんを巡回している魔術騎士(これでも、数々の国家試験をくぐり抜けて来た猛者)ぐらいなら、一生歯向かわないと誓わせる程度には叩きのめせるほどの力量を持っている。この国においては、優れた美貌、血統、才能を併せ持つ彼女に意見しようと思う者などいないだろう。
しかし、誰もが彼女に意見しようとは思わない最大の理由は、その性格にある。
おしゃべりをしながら校門をくぐってきた二人組の令嬢が、道の真ん中を占拠するアルエットに目を留めた。そして、なにやらこそこそと話し合っていたが、勇気を出して、おずおずとアルエットに声をかける。
「お、おはようございます。アルエットさま」
自分への呼びかけに振り向くアルエット。令嬢たちが息をのんでその動向を見守る中、アルエットは二人ににっこりと微笑みかけた。
「あら、ごきげんよう。マリアンナにイザベラ。昨年のお茶会以来ね。元気そうでなによりだわ」
「「辺境の貧乏子爵の娘ごときを覚えていてくださったのですか!恐悦至極に存じます‼」」
感激のあまり直立不動でお礼を叫ぶ二人組。アルエットのファンサービスはこんなものでは止まらない。褒めるところは徹底的に褒めて伸ばす、それがこの公爵令嬢の信条だった。
「ところで、マリアンナ。そのレースのついた薄桃色のリボン、とっても素敵ね。よくお似合いだわ」
「は、はい!今日のために頑張ってお小遣いをためて買ったんです!アルエットさまに褒めていただけて光栄です」
「イザベラもいい匂いがするわね。どこの香水を使っているの?」
「じ、自家製なんです。アルエットさまに褒めていただけるなんて勿体ない・・・・・」
そう、この公爵令嬢、縦ロールの存在意義がなくなってしまうくらいに性格がいいのだ。
全ての人間に親切で平等、ちょっとした気遣いも忘れない。さっきの騎士調教事件も、心がけの悪い騎士団員から平民の女の子を守るために行われたものだ。
だからみんな、アルエットが道を塞いでいるくらいではなんにも言わない。麗しいお姿を拝見できて眼福、くらいにしか思わないのだ。
「じゃあ、また入学式でね。今日が素敵な一日になりますように!」
アルエットに優雅に手を振って送り出され、令嬢たちは夢見心地でふらふらと校舎の方に歩いて行った。入学早々、新規崇拝者のできあがりである。
「登校初日からアルエットさまにお会いできるなんて・・・・・。マリアンナ、わたし、もう死んでもいい」
「早まっちゃだめよ、イザベラ。今死んだらもったいないわ。この後も生きてアルエットさまの尊いお姿を目に焼き付けるのよ」
令嬢たちが、弾んだ声を後に引きながら遠ざかっていく。
「それにしても、アルエットさま、なんだかとっても楽しそうだったわね」
「ねー。何か、嬉しいことがおありだったのかしら」
楽しそう。その言葉に、アルエットは思わず唇を押さえた。顔に出てしまっていただろうか。淑女らしくもない振る舞いである。だが、今日くらいは大目に見てもらってもいいだろう。彼女たちの言う通り、アルエットは三歳の時からこの日を心待ちにしていたのだ。
周りから人がいなくなったのを確認し、アルエットはにっこり―というよりニンマリと言った方が適切な笑みを浮かべた。
—そう、だって、せっかく大好きなゲームの悪役令嬢に転生したのだから!
ここはアルエットが、二十一世紀の日本にいた頃何度もやり込んだ、『夢に響く祈りの歌』という乙女ゲームの世界だ。
『夢に響く祈りの歌』、通称『ユメウタ』は、この世を統べる善神ミカルにより、世界の浄化と、その鍵を握る堕天使たちの救済を命じられたヒロインの「ロビン」が、王立魔法学園に通うイケメンたちと共に、邪神ルシフを奉じて世界を支配しようと企む邪神教団の野望をくじくために奔走する物語だ。
このゲームの悪役令嬢「アルエット」は、仕事一筋で家庭を顧みない父親と、恋愛脳で子どもに一切関心がない母親の下に生まれた。周囲の使用人や貴族達から「家名だけは立派だが誰の子だとも分からない娘」と蔑まれながら育ったため、高圧的で意地悪で、常に不機嫌な少女に成長する。だから、本編開始後、愛情に飢えた彼女は、自分の婚約者を始め誰からも愛されるヒロインに嫉妬し、様々な嫌がらせをするようになる。そして最終的に、すさまじい負の情念と、その身に流れる膨大な魔力を見込まれ、ラスボスである最強の堕天使・アザゼル復活のための生贄にされてしまう。つまり、どのルートを選んでも容赦なく破滅する運命なのだ。
ちなみに、生贄の容姿はアザゼルの外見に影響を与えるシステムらしく、アザゼルはアルエットそっくりの姿で登場する。灰色がかった銀髪に赤色の瞳、漆黒の翼の生やした美少女の姿だ。得意技は、身体から生えた複数の蛇と威力絶大の古代魔法での同時攻撃。かなり厄介で、なおかつ最高にかっこいい敵だった。推し、とまではいかなかったが、結構なお気に入りだったといっても過言ではない。このかっこいいアザゼル様を復活させるためなら、自分の血くらい捧げてもいいと本気で思う。
アルエットが転生に気づいたのは三歳の時だ。飴玉を喉に詰まらせた衝撃で、前世の記憶を思い出した。普通なら、バッドエンド回避のために奔走するところだが、この悪役令嬢は違った。自分の運命を素直に受け入れ、最強最悪最高の悪役となるべく邁進したのだ。
曰く、
「どうせ倒される運命だからと手を抜くなど無礼の極み、ヒロインが数々の障害を乗り越え、全てのイケメンたちに愛されつつ幸せになるところを悪役令嬢などという最高の特等席で鑑賞する。それこそが悪役令嬢アルエット、もとい、原作ファンの本懐!」
だ、そうである。
彼女は原作至上主義者であった。
しかし、生来のお人好しのせいでアルエットの目論みが全く上手くいっていないのは言うまでもないが、本人は全くそのことに気づいていなかった。
さて、自分は今からここでロビンを待ち構えて、校庭の噴水に突き落とすイベントをこなさねばならないのだが、ロビンはなかなかやってこない。アルエットはそわそわしながら、何度もつま先立ちになって校門の先、真っ白な石畳の続く目抜き通りの向こうを覗き込んだ。
王都が広すぎて道に迷ったのだろうか。それとも心がけの悪い輩に絡まれているのだろうか。彼女にドジっ子属性や不運体質はなかったはずだが、ここまで遅いとさすがに心配になってくる。アルエットは首を長くして、亜麻色の髪に大きな緑の少女が、きょろきょろあたりを見回しながら、緊張した面持ちで道の向こうからやってくるのを待ち受けた。
アルエットがさすがに待ちくたびれ、辺りから全く人が居なくなった頃、ヒロインはやっとその姿を現した。
来た。ロビンだ。威厳たっぷりに胸を張り、制服の黒マントを翼のようになびかせて、堂々たる足取りで石畳を踏みつけてやって来る。太陽の光を跳ね返し、鈍く銀色に輝くのは原作通りのショートカット。無感動に周囲をねめつける赤い瞳は粗削りのガーネットにも似て、無機質で冷たく、親しみ難い輝きを放っていた。その美はまさに、散ることも手折られることもない孤高の銀の華そのものの威厳である。彼女を前にして捧げ得る賞賛はただ一つ、無言で膝を折り屈服することだけだ。
そう、ということはつまり—。
「ちょっと!本編開始早々、あなたがなんでヒロインの血で復活しているのよ!本来あなたはわたくしを生贄にして、最終ステージでラスボスとして待ち構えてなきゃいけないのよ。これじゃ、『悪役人生大満喫計画』が台無しじゃない。父親が育児放棄だろうが母親が恋愛脳だろうが妃教育がつらかろうがこの十五年間それだけを楽しみに生きて来たのにぃぃぃぃぃ」
次の瞬間、アルエットは光の速さで「かつてヒロインだったもの」に詰め寄っていた。そのまま「最強の堕天使」の襟首をひっつかみ、これでもかとばかりに前後にガクガクと激しく揺さぶる。
「知らん。わたしに聞くな!あと、怒ったり泣いたり忙しいやつだな!」
アルエットの猛抗議に耐えかねたロビン、すなわちアザゼルは、引きつった顔で絶叫を返した。
アザゼルの提案で、とりあえず、中庭に移動して状況を整理することになった。
白い大理石でできた、大きな噴水の縁に二人並んで腰かける。アルエットは淑女らしく脚を揃えて座ったが、アザゼルはスカートのまま、横柄に足を組んでおり、まるで謁見の間にいる女王のような威勢の良さだった。
アザゼルは、自分が数日前に復活したこと、自分の棺桶の周りで邪神教団の一味と亜麻色の髪に緑の目の少女が死亡していたこと、神殿の外に出たところ、すでに似顔絵つきでロビンの捜索願が出されていたらしく、近衛兵に回収されてそのまま王都まで連れてこられたことを語った。
「そういう訳で、お前の言う「ひろいん」とやらの代わりに「らすぼす」のわたしがここにいる。あのまま近衛兵どもを倒して逃げても良かったのだが・・・・・」
アザゼルはそこで言葉を切り、アルエットの目の前に、鎖の切れた金のロケットをぶら下げた。そしてにやりと笑って言葉を続けるが、その目は全然笑っていなかった。
「こいつの持ち主の顔を拝んでやろうと思ってな」
ハナムグリに似た形状のロケットは、土産物としてよく売られているようなメッキのものではなく、純金製で、空色の宝石が象嵌された一級品だった。これは遺体のロビンが握りしめていたものだそうだ。アザゼルは、ロビンの置かれた経済状況から推測して、首謀者の所持品である可能性が高いと見積もっている。なぜ首謀者が別にいると踏んだかと言うと、外へ向かって去って行く足跡を発見したからだ。そいつはおそらく復活の儀式を中座している。
そこまで話し終えると、アザゼルは黙り込んだ。
夜明けの色彩がかすかに残る澄み切った空を、ヒバリが二羽、盛んに鳴き交わしながら飛び去っていった。人気のない中庭に、噴水が水を吐き出すだけがやけに大きく響き、かえって静寂をかき立てた。しばらくどちらも言葉を発しなかった。
アルエットは黙って唇を噛んだ。本編開始前にヒロインを抹殺するなんて、絶対に許せない。決めた。ヒロインの仇はわたくしが取る。
もう一度言う。アルエットは原作至上主義者である。そして、重度のお人好しでもある。
アルエットは立ち上がり、すっと背筋を伸ばすと、アザゼルの面前に立った。乙女ゲームのヒロインらしい、どこかあどけなさを残す純朴そうな顔立ち。こうして見ると、まだロビンが生きていると錯覚しそうになる。だが、何の感情の色も滲ませないガーネットの瞳だけが、「ロビン」の形の中に蠢いているのは別物であることを教えてくれる。アルエットは青い瞳の奥に力を込めて、赤い双眸をはたと睨み据える。
「アザゼル、わたくしたち手を組みませんこと?この世界の攻略法を知り尽くしたわたくしと、世界最強のあなたがいれば、怖い者などありませんわ。必ずロビン殺しの犯人を見つけて司法の手に引き渡し、牢屋の中できっちり罪を償ってもらうのよ!」
ビシッとポーズを決めてやる気満々のアルエットを尻目に、アザゼルは噴水の縁に腰かけたまま微動だにしない。おまけに、どこから持ち出したのかホカホカと湯気を立てるお茶をすすっていた。(しかもそれは日本式の湯呑に入っていた。)さらに、どこからともなくせんべいとおぼしき物体を取り出してかじりながら、アザゼルはこちらに無感動な瞳をこちらに向けて来る。
「投獄が仕返しとは、随分能天気なやつだな。そんなもの、この世界ごと滅ぼす方が早いし確実だろうに」
「なっ・・・・・」
なんてことを、と言いかけて、アルエットは口をつぐんだ。うっかりアザゼルの過去を忘れていた。この堕天使にとって人間は、ただ一人の例外を除いて、十把一絡げに害虫程度の価値しか持たないのだ。
パルミラの歴史では、アザゼルは、「神に叛き、人間を伴侶にするなど堕落し、その上人間に危害を加えようとした堕天使」とされている。
しかし、本当は、先にアザゼルたちを裏切ったのは人間の方だった。
天地が作られて間もない頃、アザゼルは気象と太陽の輝きを司る天使として、地上の監督と人間たちの庇護の任にあたっていた。仲間の天使たちと共に人間たちを慈しみ、教え導きながら送られる、愛と平和に満ちた穏やかな日々。まさに楽園というべき光景がそこにあった。
だが、人間たちは、やがて天使たちを憎むようになる。アザゼルを殺し、自分たちが地上の王になろうと画策したのだ。アザゼルの妻であった人間のエステラも、その地位を妬んだ同胞の手によって殺されてしまった。
アザゼルは愚かな人間を憎み、激しく怒った。アザゼルの怒りはありとあらゆる天変地異、殊に太陽は火を吹く化け物となって地上をなめ尽くし、世界は灰より他に何も残らないのではないかというほどまでに荒廃した。部下の天使たちが数人がかりで引きはがしに来るまで、アザゼルの復讐は止まらなかったという。その後、アザゼル以下地上監督の任についていた者はこの事件の責任を問われ、神性を剥奪された上、荒野の墓に幽閉されることになった。
だから、アザゼルは人間を蔑み、憎んでいる。
アザゼルの過去、何度聞いても泣ける。アルエットはぐっと拳を握りしめた。
が、アルエットの感動は、アザゼルの怨恨をなだめる何の足しにもならない。
「今のわたしは、折角眠っていたところを起こされて不機嫌でな。これの持ち主が相応の報いを受けるところを見るまでは、腹の虫がおさまりそうもない。さあて、どんな方法で目にもの見せてやろうか」
物凄く不機嫌な調子でアザゼルは吐いて捨てた。その口調に呼応するように、周りの空気がぞわりと震える。アルエットの背筋にも悪寒が走った。木々や草花、噴水の水飛沫までも怯えているようだった。さすが最強の堕天使、かつて世界を破滅寸前まで追い込んだだけのことはある。
だが、今はアザゼルを恐れたり、その過去に同情したりしている場合ではない。愛すべき『ユメウタ』世界を滅ぼされるのは正直困る。本来ならば対等な同盟を築きたかったところだが、もはや手段を選んではいられない。
今、アザゼルは、叫びかけてやめたアルエットを、不思議そうな顔で眺めている。アルエットは右手にありったけの魔力を込めると、アザゼルの腹に一撃を加えた。衝撃で吹っ飛ばされ、噴水の中に叩きこまれるアザゼル。アルエットはお守りのペンダントを目の前にかざし、呪文を叫ぶ。
『聞け、遠き昔に天より堕とされし者よ。汝が名はアザゼル!魔を滅し邪を打ち砕く善神ミカルの名において、我が元に跪け!これより汝の名は「ロビン」である!』
左の中指に衝撃が走り、契約印のついた指輪が現れる。噴水から輝きが立ち昇り、チョーカーとネックレスの中間のような首飾りがアザゼルの首元にはまった。うねうねと曲がり、さざ波のような文様が刻み込まれた銀の台に、雫型のエメラルドがついていた。ゲームのデザインとまるっきり同じで、あれを実写化するとこうなるんだと、アルエットは一人で勝手に興奮していた。
「最強の堕天使たるこのわたしを力で屈服させるとは、お前は化け物か」
上から下まで水浸しになって、アザゼルは悪態をついた。《服従の魔法》は本来ならば小型の魔物を服従させるためのものだが、魔力量さえ勝ればどんな大物相手にも応用できる。それくらいアザゼルも知っているが、歴史上、ここまで大物に対して発動させたのは他に例がない。アザゼルは少し、人間の少女相手に人生初の恐怖を覚えていた。
憎まれ口も意に介さず、アルエットは聖母の微笑みでアザゼルに手を差し述べる。
「あなたを復活させるには潤沢な魔力を含んだ血が必要ですもの。『ユメウタ』の悪役令嬢たるもの、当然、ラスボス戦に向けて鍛えておりますわ」
「お前が生贄にならなくてよかったよ。復活するどころか、こっちの意志まで乗っ取られそうだ」
アザゼルは負け惜しみを口にしつつ、しぶしぶといった様子で、差し出された手を掴んだ。ここに、非常に一方的な共同戦線が成立した。
これからよろしくね、と凄みのある顔で微笑み、アザゼルを噴水から引っ張り上げてやろうとしたその時、
「アルエット!どこにいるんだい。入学式が始まってしまうよ」
アルエットの耳に、甘くて深みのある、若い男の声が飛び込んで来た。
「あら、ガスパール殿下だわ」
ガスパール第一王子。この国の王太子にしてアルエットの幼なじみで婚約者である。短い金髪に、引き締まった顔立ちに優しい緑色の目をしていて、丈高く、すらりとした姿態は常に衆目を集める。見目麗しいだけでなく、いついかなる時も穏やかな態度を崩さない人格者だ。そして、向こうからジグザグ走行をしながらやって来る、黒髪に鋭い灰色の目、鼻筋の通った優男は、王子の護衛騎士で幼なじみのヴレン・ランドリル。二人とも攻略対象の一員である。
ヴレンは俊足を生かして校庭をあちこち走り回し、鍛え上げられた腹筋を使って、大声でアルエットを呼ばわっていたが、当人の姿を見つけると、すさまじい土煙を立てて目の前に急停止した。そして走ってきた勢いをそのままに、ここに来る道すがら考えて来たらしい小言をアルエットに投げつけてくる。
「あっ、こんなところにいらした。まったく、あまり手間をかけさせないで頂きたい。未来の王太子妃たるもの、みなの手本となるような行動を心がけるべきであることは、あなた自身よくお判りでしょう。行事や約束事の三十分前集合など基本中の基本。ほら、行きますよ、アルエッ・・・・・」
アルエットの名前を中途半端に呼びかけて、ヴレンは絶句した。
「あら、どうなさったの?」
完璧な角度で小首を傾げるアルエット。皮肉げな視線を送ってくるアザゼルは黙殺されている。ヴレンが何か言おうか言わまいか迷っていると、奥の小道からコツ、コツ、という品の良い靴音が近づいてくる。ガスパール王子だ。靴音までかっこいいとは、つくづくこの世界のイケメンはどうなっているのだと思う。
「どうしたんだい、ヴレン」
ヴレンの背後からおっとりと現れた王子は、アルエットと噴水に尻もちをついたまま握手をするアザゼルを見比べて、少し驚いたような表情を見せた。それからアザゼルの方を二度見した。そして、端正な顔全体に困惑を貼り付けて、こう尋ねる。
「・・・・・いじめかい?アルエット」
確かにこの状況は、いじめとも友好的態度とも判じかねる。王子が困惑するのも無理はないことだった。
「いじめだなんて、とんでもない」
アルエットは、少し切なげに、それでも王子の不安を払拭しようとするように健気に、ふわりと優しげな笑みを浮かべて下を向いた。それからアザゼルを立たせてやると、大輪の向日葵のような無邪気な笑みで、アルエットは宣言する。
「わたくしたち、今お友達になったところですわ。ね、ロビン?」
ここまで一連の動作を一切の自覚なしにやってのけるアルエット。どう見ても、悪役令嬢というよりヒロインの方に適正がある。しかし本人にその自覚はない。
「あ、ああ。それならよかった。仲良くしてやってくれ」
「ア、アルエット嬢に新しいお友達ができて何よりです」
いじめを疑った言い訳を口走りつつ、呆けたような顔でアルエットに見惚れる男二人。語尾の「?」のところに、意識的に込められた、有無を言わさぬ殺気を感じ取ったのは、アザゼルだけだった。