求めるものは
いつものように人影は、薔薇の植え込みの陰に身を潜めていた。ここは主人の書斎、ベルフェゴール領の治政の中枢の眼前であって、密談も公私を問わずここで交わされることがしょっちゅうだった。
廊下の方で足音がしたかと思うと、扉のきしむ音がし、書斎に灯りが点される。足音は二人分で、ひとつはこの家の主のものだった。壁一枚を隔てて、椅子などを起こすような音がする。
「ウィリアム」
ホセアはかすれた低い声で執事の名を呼んだ。いつになく、無感動で陰険な声色をしていた。
「最近、立て続けに我が家に泥棒が入ったが、実はあれを狙った犯行だったのかもしれん。犯人の真の目的がどうであれ、このまま家探しを続けられては、見つかるのも時間の問題だろう」
人影は身を固くした。あれは実在する。そしてその所在を目の前の男が握っている。あれの存在が公爵家当主の口から語られていることに、人影は軽い興奮と歓喜を覚えていた。同時に、これまで散々苦心して探し回った例のものの所在が、こうもあっけなく知れてしまうことに、若干の怒りも感じていた。
さあ、どこにある。言えよ。とっとと口を滑らせろ。
人影は、手に汗を握りしめて、ホセアが再び話し出すのを待った。それは、実際には一分の三分の二ほどの時間もなかったのだが、人影にはそれが永遠のことのように思われた。
ホセアが再び口を開く。
「あれをもはや、この家には置いておけん。フリードのやつならわたしと思想的な立場を同じくしているし、こういったものに理解もある。何より、古代魔術に一家言あるあいつに解読させた方が、我々の利益になるだろう。だから、あれの管理をフリードに任せたいと思うのだ。だが、このタイミングでやつに会いに行っては、いかにも怪しい」
盗人に感づかれないように、あいつの手許に送り届ける方策はないものか。そう言って、ホセアは小さく唸り、彼の忠実なる執事に意見を求めた。執事はしばらく考え込んでいる様子だったが、三分後、見事解決策を主人に献上してみせた。
「では、毎月恒例の、スレッダ家への仕送りに紛れ込ませて送るのはどうでしょう。ほら、もうじき月末でございますし、おおよそのものは詰め終わってございますから、明日にでも発送できます。いつものことですから盗人の目も誤魔化せるでしょう。それに、あの家は、節約のために家事部門の使用人をただの一人も雇っておりませんから、スレッダ辺境伯がじかに荷物を触ります。余人の目に触れることも考えにくいかと」
ホセアが満足げにうなずく気配がした。
「よし、さっそく荷造りを終わらせて来い。あれはこの世に二つとない貴重なものだからな。ぬかるなよ」
「仰せのままに」
執事は衣擦れの音をさせると、部屋から去って行く。
今度は人影が考え込む番だった。
あの明敏な伯爵は、令嬢の部屋を荒したのが聖女気取りの小娘でないことに気づいている。当然、荷物周りの警備も厳重となろう。きっと、工夫を凝らした魔法の罠をしこたま仕掛けて、自分を待ち受けているに違いない。容疑をあの小娘に押し付けて、仕事がしやすかった昨日とは訳が違う。ここは様子見に徹するべきではないか。
だが、今日以上に最適な決行日は巡って来ないかもしれない。新しい家の間取りをおぼえて、じっくり情報を集めて隠し場所を推測して。こうした下準備をして、また一から捜索するのは面倒だし、自分達には今すぐあれを手に入れなければならない差し迫った事情がある。そもそも、「ただの一人も」使用人を雇っていないと言うスレッダ辺境伯家に長期間潜入するのは至難の業だろう。
どのような困難を押してでも、今日中に盗み出す必要がありそうだった。
人々が寝静まった深夜。
人影は食堂の横、厨房の中にいた。
月明かりの中、染みは多いが塵ひとつなく清められた床の上に、どん、と実用一辺倒の木箱が鎮座している。意外にも、木箱の周囲に罠は一つたりとも仕掛けられていなかった。なるほど、作戦の完璧さに溺れて油断したと見える。
人影は木箱に手を伸ばし、死肉にたかるハゲタカのような勢いで中身を漁り出した。出てくるのは野菜、野菜、野菜、時々「缶詰」食品、野菜、野菜、それから野菜。およそ公爵家から伯爵家に送られるとは思えぬ箱の中身だ。スレッダ辺境伯家、どんだけ貧乏なんだ。
それから十分間箱の中身と格闘し続けた人影は、緩衝材に包まれた革表紙の本を探り当てた。
「あった・・・・・」
人影は歓喜に打ち震え、人差し指で表紙をなぞった。人影は緩衝材を乱暴に引きはがす。
タイトルがカンテラの明かりに照らし出されようとした瞬間、暗がりより飛来した何かに四肢を拘束される。人影は断末魔の猿にも似た、身の毛もよだつ絶叫を上げ、拘束から逃れようと必死にもがいた。
「無駄だよ。この魔法、《糸紡ぐ女主人》は拘束魔法の一種でね。じたばたすればするだけ糸が締まるという寸法さ。特に工夫したのは蜘蛛の糸を――」
「お父さま、魔法へのこだわりは、あとでわたくしが聞きますからそのへんで」
「ああ、すまなかったね。では本題に戻ろう」
この場に似つかわしくない間の抜けたやり取りのあと、指を鳴らす音が響き、室内の明かりが灯された。ホセアはコツコツと靴音を立てて、人影の元へ歩み寄る。
「残念ながら、きみのお探しの本はこれではないのだろうね」
そして、人影の前まで来ると、床の上に投げ出された赤い本を拾い、そのタイトルを読み上げた。
「いい本なのだけれどね、勿体ない。『リラ遺跡の研究 古代の生活様式と信仰について—著・ジョエル・バーミリア伯爵』。こちらの仕掛けた罠にまんまと引っかかってくれて、感謝するよ、ジャック」
そう、そこにいたのは薔薇の香りをまとわせた人物、庭師のジャックだったのだ。
中庭、窓枠、薔薇の花、アザゼルの好きな赤い本。ヒントは並んだこの四つ。
今朝がた手に入れた情報から、アルエットは以下のように推理を展開した。
前提として、昨日までの窃盗未遂事件は、機密文書や私信など、情報目当ての線を疑った方が良い。金目のものに一切興味が示されないのがその証拠だ。現時点で、ホセアとアルエットの部屋から書類や手紙の類がなくなった形跡はない。襲撃が二度続いたことを考えると、犯人はまだ目的を達していない可能性が高い。
では、犯人は何を探しているのか?
部屋中のものを一遍に放り投げるような、あんな乱雑なやり方で見つかるようなものだから、余程大きくて、一目みれば見当のつく代物か、視覚に頼らないもの、例えば嗅覚とか聴覚、あるいは、あらかじめ設定した魔力にのみ反応する魔力検知機とかで判別できるものなのだろう。
では、それは一体何だろう?
答えはアザゼルが教えてくれたようなものだ。今朝の専門書バラバラ事件と、昨日までの空き巣事件を結んだ時、考えられる目的物はひとつ。
そう、邪神ルシフの持つと言う、世界の秘密が記された「赤い本」だ。
今、《聖槍の騎士団》内部では、「赤い本」をどこかの大貴族が手に入れたと専らの噂になっている。犯人はその噂からベルフェゴール公爵家に狙いを定めたのではないか。
では、誰がそれをやったのか?
手がかりになるのは薔薇の花だ。事件現場には必ず薔薇の花びらが落ちており、必ず薔薇の臭いがした。それもそこらにあるような普通の薔薇ではなく、薄紫の花弁の特殊な薔薇。そして、その薔薇を植えたのは庭師のジャックであって、二回目の事件の時、「中庭に入って行くのを見た」という目撃情報もある。だが、実際にその薔薇がどのような手口に使われるのかまでは分からないから、それだけでジャックを犯人と決めつけるのは軽率であった。
そこでアルエットは、ジャックが犯人であるかを確かめるために罠を張った。悪の親玉と目されるホセアとウィリアムに一芝居打ってもらったのだ。二人は書斎の暗がりの中で、「悪代官と越後屋」よろしく、「悪役公爵と悪の右腕執事」を演じ切った。両者ともあまりにノリノリだったため、演技がクサ過ぎてばれやしないか、アルエットは若干心配になった。
しかしなんとか引っかかってくれたため、ジャックは今アルエットたちの目の前で、蜘蛛の糸にしばられている。勿怪の幸いとはこのことか。
「アルから話を聞かされた時はまさかとは思ったが、本当に君が・・・・・」
「お見事です、アルエット様」
「よっしゃ、これであいつは無罪放免ね!この借りは絶対に返させるわよ。あとで甘いものでもおごってもらおう。ドーナツか・・・・・あっ、パフェもいいわね」
ホセアとアルエットに続いて、物置から、ガスパール王子とヴレン、オレリアがぞろぞろ顔を出した。それを目にしたジャックはなめくじの行列でも見たような顔をしていたが、アルエットの方に視点を戻し、
「へっ、あんたが発案者か。お人形みたいな顔して油断のならないお嬢さんだぜ」
好青年の仮面を脱ぎ捨てて、口を歪めてそう吐き捨てた。
「お褒めの言葉として受け取っておきますわ、ジャック。さあ、観念して洗いざらい白状なさい」
アルエットは腰に手を当てると、ジャックの前に立ちはだかる。ジャックはしばらく皮肉げな半笑いを浮かべていたが、やがて肩をすくめて息を吐き出すと、犯行の経緯を話し出した。
現在、邪神教団は壊滅の危機に瀕している。
原因の一つとしては、聖女「ロビン」が破竹の勢いで掃討を進めていることが挙げられる。有力貴族を締め上げて金の流れを止め、王国全土に張り巡らされた支部を潰し信徒を迫害して情報収集能力と武力を削ぐ。最終兵器の堕天使たちも《浄化の祈り》で天使に戻し、善神ミカルの勢力に組み込んでしまう。
そこに来て、邪神教団も一枚岩ではなく、日夜熾烈な主導権争いを繰り広げている。お互いに足を引っ張り、蹴落としあい、いつの間にかまじめで有能だった人材は消えている。邪神ルシフの加護があるとはいえ、こんな組織に明るい未来が約束されていようとはとうてい思えなかった。
そんな時、団員の一人のグレゴールという男が、「赤い本」を手に入れたのはベルフェゴール公爵ではないか、という噂を拾ってきた。
ホセアは邪神教団には属していない。だが、「アザゼルたち八人の堕天使は悪魔の一派ではない。天使の仲間として拝んでいれば、いずれ人類の庇護者に戻るのだ」と主張するなど、善神ミカルを仰ぐ一派にとって都合の悪い論説を次々打ち出している。ホセアが邪神ルシフのおぼえめでたく、「赤い本」を下賜されたというのはもっともらしいことだと思われた。
無論、ジャックたちは根も葉もない噂話に踊らされるほど蒙昧無知な連中ではない。直ちに裏取りに奔走した。グレゴールが然るべき機関から盗んで来た、確かな調査書類によって、この噂はどうやら確からしいと証明された。
その報告を受けた派閥の長は、ジャックに、ベルフェゴール公爵家に潜入し、なにがなんでも「赤い本」を手に入れてくるように命令した。
「俺が『赤い本』を持ち帰ったあかつきには、世界の浄化と変革のために使っていただけるのですよね」
世界にルシフの力を知らしめるだの、偉大なる邪神の著した神秘の書をどっちつかずの半端者の手に渡してはいけないだの、口角泡とともに御大層で空虚な理屈ばかりを飛ばす司祭を見つめて、ジャックは言った。司祭は「勿論だとも」と力強く肯じたが、それでも答える前に司祭が一瞬、虚を突かれたような表情を作ったことを、ジャックは見逃さなかった。
邪神の英知は権力争いに空費されることになるのではあるまいか、という予感が胸を満たした。こんな連中の欲望のために、自分の命を懸ける空しさを思った。
ジャックはかつて、熱心に善神ミカルを崇拝する修道士だった。だが、善神ミカルの教えを守っても、いっこうに世の中は良くならない。貧民は生活苦に喘ぎ、理不尽に人は倒れ、罪びとは今日も手を穢す。王侯貴族は自分が一秒息をするごとに、何百人もの人間を苦しめている事実に気づきもしない。それは司祭や修道士たちも同じことで、神に仕え人々を救済するという責務を忘れ、日々贅沢と派閥争いに明け暮れていた。
ジャックは苦悩した。今この瞬間、自分がのうのうと息をして、命をつないでいる意味を問うた。死後の生命にかける希望をなくしてしまった。来世に希望をつなごうにも、未来永劫この地獄が続くなら、そこに期待をかける意味もない。
そんな時に出会ったのが邪神を奉じる人々だった。彼らは、善神ミカルの代わりに、邪神ルシフによる厳格な地上の統治をこいねがう。邪神とされるルシフは、本来は法と刑罰を司る最高位の天使であった。ルシフの直接統治下であれば、悪徳の栄えなどまず起こるまい。正義を司ると標榜するくせに不公平で、地上の放置を決め込むミカルの統治を称賛できるのは、今現在恵まれている連中だけだろう。
この人々となら理不尽な世界を変えられる。そう思ったから、邪神教団に入信した。なのに、あなたがたも、あいつらと同じだと言うのか。この世に、正義はないのだ。深い絶望が体中に広がった。
それでも、ジャックは「赤い本」の奪取作戦を決行することにした。
今、何もせずに手をこまねいてみているよりは、マシだと思ったのだ。作戦はグレゴールが立てた。グレゴールは信頼すべき男だった。作戦に必要な金銭、人員、情報、『本』を見つめるために必要な手段、その他もろもろ、すべての調達も担当してくれた。一方的に要求だけを突きつけ、怒鳴りつけるだけの司祭どもと違い、ジャックの話を親身に聞き、的確な助言をし、よき参謀役となってくれた。
「ありがとう、グレゴール」
ジャックは、グレゴールの手を握りしめて言った。
「きみほどに信を置ける人はいない。きみのような人がまだ生きているからこそ、世界には希望が残されているのだろう。わが邪神教団がパルミラ王国を手中に収めた暁には、ぜひとも高位に就いてその辣腕を存分にふるい、理想の国を築き上げてくれ」
グレゴールは笑って答えた。
「いいや、僕なんかよりも人を治めるのにふさわしいのは、巧妙に塗りこめられた不公正に思いを致せる、鋭い知性と潔癖な正義感を持ったきみだ。きみこそ早く出世して、大きな裁量と権限のある地位に就かなくては。だが、あいにく上層部の連中は、きみの真価に気づいていない。ここはぜひとも『赤い本』の奪取を成功させて、連中に目にもの見せてやるんだ」
ジャックは、今際の際の恒星が宿る目で、盟友と恃むべき男の目を見据えた。
「ああ、死んでも目的を達成する。そうでなくても、やつらに目にもの見せてやる」
そうでなければ、今まで苦痛を忍んで生きてきた意味があろうか。
それから二ヶ月、ジャックは様々に姿を変えつつホセアに張り付き、行動の癖を把握しきり、「赤い本」の隠し場所を自領の書斎であると推測した。あんな分かり易いものすぐに見つかるだろう。本を見つけて一撃離脱だ、警備システム何するものぞ、と高をくくって突入をかけて見たはいいものの、書斎からは「赤い本」は発見されなかった。
では、一体どこに隠したのか。
次に思いついたのは、アルエットの部屋だ。アルエットは、邪神教団撲滅の旗手で、善神ミカルより不思議な力を与えられた聖女の「ロビン」と仲良くしている。アルエットの聖母のような性格と相まって、ベルフェゴール公爵令嬢と「赤い本」、この両者に関係があろうなど、たとえ妄想であっても考えつく輩はいないだろう。邪神由来の物品を隠すなら、これ以上もないうってつけの場所ではないだろうか。
それに、アルエットは、ヴレンの祝賀会の時、父親の書斎から本を借りることがあると発言していた。もしかしたら、アルエットが父親の不在中に、珍しい本だと間違えて勝手に借りていき、自分の本棚にしまいこんでそのままになっている、と言う事態もありうる。
だが、アルエットの部屋にも見当たらない。ジャックは焦り始めた。
最後に考えたのはトーラスの部屋だ。ここの坊ちゃんは運動大好きの活字嫌悪症で、部屋に備え付けられた本棚は、もはや単なる背景の一部と化している。温情的な言葉をかけてもせいぜいが「オシャレな壁」だ。勝手に持ち出すことはおろか、知らない間に本が一冊増えていたところで気にも留めないだろう。木を隠すには森の中とはこのことだ。
先の二回は効率性を重視して(すぐ見つかるだろうとタカをくくったのもある)、派手にものを破壊し部屋中のものをひっくり返す強硬策を取ってきたが、今回ばかりはやり方を変えた。「ロビン」が犯人として逮捕され、折角窃盗犯への注目が削がれているのだ、静かに、速やかに目当てのものを盗み出し、その夜のうちに逃げ去った方が良いだろう。
得意の植物魔法を使い、針金のように細い蔓で鍵を開け、厄介な警備システムを突破した。催眠性の香りで家人を深く眠らせてから、普通の空き巣のように棚や引き出しを漁りまくる。地道な作業が実を結び、山並みの後ろに白い光が差す頃には、ベッドの下に後生大事に隠してあった、赤い革表紙の本を発見できたのである。
ジャックは歓喜に打ち震えながらその本の表紙、金字で記された表題をなぞった。
『リラ遺跡の研究 古代の生活様式と信仰について—著・ジョエル・バーミリア伯爵』
それは在庫過多・評価散々の無価値な考古学の本でしかなかった。期待を裏切られ、頭にきたジャックはそれを怒り任せに引き裂き投げ棄てた。
当然と言うべきか、翌朝、屋敷は大騒ぎになり、アルエットに事件の真相に気づかれ、まんまと罠に落とされてしまった。罠にかかったその瞬間、ジャックは人生の中で最も、自分の愚かさを呪ったのだった。




