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13/14

欺瞞

 翌朝、アルエットとオレリアは、散歩ついでにアザゼルを厩舎まで送って行った。

 なんでも、堕天使カイムが現れたとかで、アザゼルが西隣のマルギット領に駆けつけねばならなくなったのだ。

 カイムは巨大なツグミの姿をした堕天使で、人をはじめ、鳥や魚など様々な言語を操るだけでなく、水や風など自然の音の意味も理解するという。味方を操り、こちらに攻撃を向けさせてくるので、非常に厄介な敵であった。前世のアルエットも散々手こずらされた覚えがある。

「羨ましいですわ。カイム討伐、わたくしも行きたかった」

 そう言うと、アルエットは大きくため息をついた。そして決戦前の弟子に説教する勢いで、アルエットは、カイム討伐戦における映像美、演出のこだわり、バックストーリーの素晴らしさなどを延々と語って聞かせた。それに便乗したオレリアは、カイム戦でのクロードの活躍ぶり(この時空ではもはや架空)をかまびすしくまくしたてた。アザゼルはもはやうんざりするのも表情筋の無駄遣いだと言いたげな顔で、会話のキャッチボールと言うより千本ノックを受け流した。これから死闘を繰り広げに行く友人を見送り元気づける、というよりも疲弊・辟易させながら、三人は朝の小道を歩いて行った。


「あら、あれは・・・・・」

 いよいよ厩舎も近づくという時、行く手にヴレンの姿を認め、アルエットは小さく声を上げた。

「ヴレンさまじゃない」

 オレリアはぶんぶん手を振って、ヴレンに呼びかけようとする。

「おはようございます。ヴレンさ―」

 オレリアは調子よく挨拶しかけて、やめた。


 鳩が、小道のむき出しの土の上をひょこひょこと歩く。ヴレンは少し腰を落として、鳩の後ろをひょこひょことついていく。鳩が立ち止まるとヴレンも立ち止まる。鳩が歩き出すとヴレンも歩き出す。アルエットたちが唾を呑むのも忘れて見守る中、ヴレンはそれをひたすらに繰り返していた。

 やがて、鳩が間抜けた顔でこちらを振り向いた瞬間、ヴレンは回れ右してすさまじい勢いで走り出し、地平の向こうに消えていく。鳩は45度ほど首を傾け目を瞬いた後、何事もなかったと判断して首を戻し、ぽっぽぽっぽ鳴きつつ歩き出した。間髪入れずに、地平線の彼方から、土煙を立てつつ無音でヴレンが戻ってくる。ヴレンは再び鳩の尾行に戻ろうとしたが、アルエットたちの存在を認めて足を止める。

 その様子を、アルエットたちは無言で眺めていた。

「・・・・・なにやってんだ、あんた」

 唯一何か言う気力が残っていたアザゼルが、呆れという呆れをしこたまかき集めた表情でツッコミを入れた。

「おはようございます、お嬢さん方。日課の脚の鍛錬です」

 さも当たり前のように答えるヴレン。


 この幼馴染は昔から奇行が多く、「王宮の池の魚一匹一匹に全て違うふざけた顔を描く」「小さな雪だるまを大量に作っておいて、それで客の馬車をぐるりと取り囲む」などの訳の分からないことを真顔でやり、都合が悪くなると居直る。その度にガスパール王子が「何でこんな訳の分からないことを一緒にやったのか」と(やっていない時でも)叱責され、そこにヴレンが屁理屈を返して状況をより悪化させた挙句、アルエットがかんかんに怒った大人をなだめすかして事なきを得る、というのがお決まりのパターンであった。反省もしないし謝りもしない、理由を語らせてもこちらの理解の範疇を越えて来るから、周囲の大人も手を焼いていた。基本はごく優等生的な少年だったから尚更だった。

 ヴレンを持て余した大人たちは、「きっと、周囲の大人が「神童」の兄ばかりをもてはやして、自分に構ってくれないことが寂しいのだろう」と結論づけた。それを盗み聞きした時の、ヴレンのなんとも言えないニタァ~とした表情は未だに忘れられない。今考えて見れば、あれは人を馬鹿にしくさった目だったと思う。侮蔑と憐憫の泥の煮込みのような灰色の目だった。どうしてあんな表情をしたのか、この男の腹の底は何年たっても分かりそうにない。


 念のため言っておくが、以上の奇行の数々は原作ゲームには登場しない。ただ、「ヴレンはガスパール王子に絶対の忠誠を誓っている。その好意は幼少期、問題行動を繰り返す自分をかばってくれた王子への感謝と友情に由来する」という解説が付されるのみである。奇行がシナリオライターによって隠匿されていたのか、最初から「問題行動」の具体的な中身が考えられていなかったのかは永遠の謎である。

 それでもただ一つだけ言えることは、こうした謎行動の数々によってでも、アルエットのヴレンに対する愛(※ファンとしての習性に由来するもの)は微塵も揺らがなかった、ということである。個人のごく正常な感性として、若干引きはしたが。


「ええ・・・・・?それで本当に足が速くなるの?」

 胡散臭いを通り越して、異常現象を見る目で形式的な質問をするオレリア。

「勿論です。今から成果を疲労して差し上げましょうか?」

 どうだとばかりに胸を張り、自信満々で言い切るヴレン。

「・・・・・もう行く。見送り感謝する」

 何を言うのも馬鹿らしくなったアザゼルは、奇人変人とかかずらうオレリアを見捨てて馬に跨った。何と言うか、出発前からくたびれているように見えた。




 時計が午後三時を指す頃には、ベルフェゴール邸の貴顕はおしなべてまどろみの中にいた。

 午後一時頃、《浄化の祈り》によって見せられた、カイムの記憶に中てられたのだ。カイムの記憶に現れる、虚言や計略を用いた人間同士の貶めあいは、心理的に吐き気を催させるような生々しいものであり、みんなグロッキーになっていたのである。疲弊しきった精神は、視覚情報を遮断して問題の直視を先送りしようとした。それはアザゼルも例外ではないようで、午後二時半ごろに帰ってくるなり、疲れたと言って昼寝をしに客室へ引っ込んでしまった。


 アルエットだって寝たかった。だが、アルエットは持ち前の豊富な責任感から、昨日からの捜査を進展させるべきだと考えた。実際に、何とか捜査を続けようと努力しはした。だから、なんとか精神のチャンネルを切り替えて、午後一時半からも引き続き、オレリアと二人で食堂で捜査の続きをやろうとしたのだ。だが、さしものアルエットもオレリアも睡魔には抗えず、樫の大テーブルに頭から突っ込んで、そのまま二、三時間眠りこけてしまった。

―ああ、昨日、オレリアと午前三時まで話し込むんじゃなかった・・・・・・。

 夢かうつつか、どこからともなく漂ってくる薔薇の香りに包まれながら、アルエットはそう思った。


 おとぎ話の眠れる城と化した屋敷の中で、懶惰な眠りをうち破って悲鳴が上がった。

 それは、二階にあるアルエットの私室の前から発せられた。アルエットが駆けつけると、扉の前で見習いメイドが立ちすくんでいる。少女には丁重にお下がりいただいて、アルエットが扉から一歩中へ足を踏み入れると、そこには惨劇が広がっていた。

 部屋は酷い有り様だった。

 棚という棚、抽斗という抽斗はあらかたひっくり返されて床に転がり、部屋中に書籍や衣服が放り出されていた。こちらでインクや羽ペンがぶちまけられているかと思えば、あちらでは繊細なガラス細工のランプが半分ばかり粉になりつつ身を横たえている。家具は乱雑に引き倒され、埃に覆われた背面を衆目に晒している。

 壁の絵画、小机の花瓶でさえ落花狼藉を免れ得なかったようだ。伊万里焼を彷彿とさせる破片の下で、ダリアがぺしゃんこに押しつぶされていた。窓枠や家具に刻まれた、例の特徴的な傷も確認できた。

 そして、全体に散る紫の薔薇の花びら。異様な程の薔薇の香りが鼻をついた。


―なぜ?花瓶に薔薇の花なんて一本もないのに。


 それは非常に奇妙なことのように思えた。

 アルエットの到着から少し遅れて、アザゼルが部屋に踏み込んできた。ついさきほどまで寝ていたのだろう。銀色の髪には寝ぐせがつき、すその方がぴょこんと跳ねていた。

 アザゼルは、すっ飛んできた執事に、皮肉とも挑発とも取れる言い方で問い合わせる。

「こうまで派手に荒されていながら、今の今まで誰も気が付かなかったと言うのか。ご自慢の警備システムは一体どうした」

「警報は鳴らなかったようでございます。おそらく、換気のためとかで窓が開いていたのでしょう」

「確かにな。窓由来のガラス片が一つも落ちていない」

 アザゼルは、外庭に面した窓に目をやりながら、同意を示した。それから白い指を伸ばして、つい、と窓枠を撫でる。

「あの特徴的な傷も、今回は窓枠についていないようだ」


 それからアザゼルは、犯行時刻特定のために証言を募った。

 メイドたちによれば、自分たちが掃除に入った午前十時の時点では、特に異常は見られなかった。

執事のウィリアムによると、アルエット宛に届いた小包を持って入り、机の上に置いたのが午前十一時。この時点でも、部屋は美しく整えられたままだった。

 若いメイドが、メイド長とともに宝石類の管理・点検のために部屋を訪れたのが午後二時。この時点で部屋も無事だった。


「犯行時刻は午後二時以降と推定する」

 アザゼルはそう宣言した。

 検分の結果、今回も、ホセアの書斎の時と、全く同じ荒し方だと結論付けられた。

 たった一つだけ異相を呈していたのは、無様に上蓋をぱっくりと開け、ビロードの歯肉をこちらに見せて転がっている、小さな宝石箱の存在であった。アルエットはそれを拾い上げる。わざわざ確かめて見るまでもなく、中身は空だった。

 背後で、メイドたちが焦燥ぎみにささやき交わすのが聞こえる。

「恐ろしいわ。旦那様の書斎に続いて、お嬢様の部屋まで」

「お可哀想に。お嬢様、きっと悲しんでいらっしゃるわ」

 ええ、ええ。怒ってますよ。アルエットは奥歯をぎりぎりと噛み締めた。

 言えるものなら、声を大にして言ってやりたい。


 こんなところでシナリオ回収するのはやめていただきたい!このタイミングで装飾品の数個でも行方をくらまそうものならば、原作通り、「ロビン」に窃盗の嫌疑がかかってしまうじゃないか、と。


「許せないわ。一体だれがこんなことをしたのかしら」

 アルエットがそうこぼした時、響いた。

「そんなの、泥棒はこの平民の娘に決まっています!」

 メイド長が捻り上げたのは「ロビン」の腕だった。

「先日の事件を模倣し、自分の仕業と分からないようにして、お嬢様の宝石を盗ったのです!」

「へえ、何を根拠に主張するかね」

 揶揄するように言ったのは、嫌疑をかけられている張本人だ。アザゼルは相手に腕を掴ませたまま、あざ笑うような笑みを浮かべていた。


―さあ、お前はわたしをどう料理してくれようと言うのだ?


 絶対的な優位、不死への絶対的な確信を持つからこその、不敵な態度。たとえ全会一致で不利な判決が下されようとも、不当かつ苛酷な刑罰が科されようとも、肉体の死を恐れぬアザゼルを損ない、屈服させることはできない。今、この堕天使がまとっている肉体は、かりそめのものでしかないからだ。たかがこの世のうちにしか権勢及ばぬ連中の、何を恐れると言うのだろう。


 自分は今、限りなく絶対者に近いものと相対している。それを本能的に感じ取ったメイド長は、寸の間ひるみを見せ、押し黙った。

「そうですわよ、メリッサ」

 それを好機と見なしたアルエットは、ここぞとばかりに畳みかける。

「証拠もなしに、誰かを名指しで糾弾するのはおやめなさい。ロビンはそんな子ではないは。それともあなたは、ロビンが実際に悪さをするところを見たとでも言うのですか」

「ええ、ございますとも」

 メイド長は一瞬虚を突かれたような表情を作ったが、やがてにんまりと笑った。

「さ、トーラス坊ちゃま」

 指名されたトーラスは戸惑った様子で、メイド長のダークグリーンの瞳を見つめた。メイド長は軽くうなずいてそれに応える。トーラスはしばらく口を開けたり閉めたりしていたが、

「そ、そいつが、姉上の部屋に入って行くのを見た。多分、二時四十分くらいだったと思う」

 上着の裾を握りしめ、赤い絨毯を見つめてぼそぼそとそう証言する。

 衝撃で息ができなくなる。


―アザゼルが、二十分ほど前に、わたくしの部屋に、侵入した?


 弟が発した言葉の意味を理解した瞬間、アルエットを襲ったのは、激しい怒りだった。


 ツパァン、という乾いた音が廊下に響く。

「あなたという子は!嘘までついて人を陥れて、何が楽しいというの!」

 トーラスの横っ面を、アルエットの平手が襲ったのだ。

 ひっぱたかれた方は自分の身に起きたことが信じられず、目を白黒させていた。だって、あの、いくら悪さをしても、声一つ荒げることをせず、懇々と諭してくれる優しい姉が、自分の頬をひっぱたいたのだ。信じられるわけがなかった。

「どうして」

 悪い夢かと思った。だが、叩かれた頬はじんわりと熱を持ち、これが現実であることを忌々しくも主張している。トーラスの胸に、痛みとともに、憤りと悔しさが広がった。心臓を一突きされて血が吹き出すように、トーラスの口から激情が音となってほとばしる。

「どうして信じてくれないんだよ。確かに見たって言っているじゃないか。どうして泥棒を庇うんだ。姉上はオレなんかより、あんな薄汚い平民の方が大事なのかよ」

「ロビンはわたくしの親友だし、あなたはわたくしのたった一人の可愛い弟。二人とも大切よ。でも、誰かの()()だからと言って、それを理由に他の人に何をしても、許される訳ではないの!」

 アルエットは怒りに任せて叫んだ。いくら口を開いても、そこから出てくるのは鞭のように相手を創傷だらけにする言葉だけだった。

「姉上なんか、大っ嫌いだ!」

「あなたのようなわがままな弟などもう知りません」

 姉弟間の愛情は、互いを突き離す言葉を以て一時決裂しようとしている。鋭く突き刺さる言葉に返されるのは、同じ切れ味を持った言葉でしかない。普段は仲睦まじい姉弟の間に、烈しい避難の応酬が続いた。

「そこまでだ」

 姉弟げんかを止めたのは、彼らの未来の身内・ガスパール王子だった。

「二人とも正しいし、二人とも間違っている」

 王子は姉と弟の顔を交互に見つつ、理性的な説得によって場を収めようと試みた。

「アルエット、自分に親しい者だからと言って、確固たる証拠なしに無罪と決めてかかるのはあまりにも愚かな振る舞いだ。心配なのは分かるが、自重しなさい。それからトーラス、きみもだ。僕たち貴族・王族は、きみが先程蔑んだ『薄汚い』平民に支えられて生きているんだ。未来の為政者として、身分や外見だけで人を決めつけることがあってはならない」

 本来の立場を思い出させられ、責任感の強い二人は黙り込む。場は自分の有利に傾いたことを知り、メイド長は勝ち誇って叫んだ。

「ルーチェ、この泥棒の荷物を持ってきなさい」



 頭陀袋が届けられた。 

 メイド長は頭陀袋をひっつかむと、乱雑に口を開けて逆さまに振る。袋は重力の呵責に耐え兼ねて、慄くように身を震わせ、内容物を吐き出した。大勢の人間が見つめる中、次々と地に叩きつけられる日用品に混じって、なくなったはずの宝石や装身具が宙に身を躍らせた。

 その瞬間、アルエットは、周囲の空気が爆発的な敵意を帯びたのを感じた。健全な鼓動、自由な肺の運動を奪う何かが、アルエットの襟首からそっと入り、素肌に纏わりつく。


 決壊の瞬間はただちに訪れた。


 声高に、ささやくように、あからさまに、ひっそりと、なじるように、見下すように。その場に居合わせた人間分だけのやり方で、すさまじい質量の害意と憤怒と軽蔑が、「ロビン」一人目掛けて降り注ぐ。アルエットはその濁流にのみ込まれた。今の感情の渦に色があるとすればどす黒い赤、触れれば心臓の柔らかい肉を切り裂いていくほど鋭い角を具えている。

 暗夜の黒い水の中へ、たった一人で溺れ行く人が月に向かってそうするように、渦の中心に位置する銀色の光点を求めて、アルエットは口から空気の塊を発した。

「もうやめて!」

 空気の塊は、この世に悲鳴として吐き出された。感情の激流は一秒ごとにアルエットの肺を押しつぶす。肺が圧迫され空気が失われる一秒ごとに、アルエットは涙と共に血を噴くような弁明の言葉を吐き出し続けた。そうでなければ窒息すると思った。

「待って!みんな待って!ロビンは、ロビンはそんな子じゃないの。お金だとか宝石だとか、そういう世間一般で価値あるものなんて興味がないの。絶対にあの子じゃないわ!」

「やめときなさい、アルエット。ここであんたが下手に騒ぐと、あいつがほんとに盗ったみたいになる」

 見かねたオレリアがアルエットの肩を掴んで止めようとした。だけど、と、アルエットは金色の髪を振り乱して親切な友人を睨みつける。今、自分が泡を吐き出し続けなければ、あの銀色の光は未来永劫失われてしまうと本気で思った。海色の目は嵐を宿して、見えない敵を探すように、あたりをひっきりなしに睨み続けた。

「アルエット!」

 突如、鋭く名を呼ばれた。頬を張られたような思いで顔を上げると、目の前にはアザゼルが立っていた。その顔にはいっそ神聖不可侵なものと感じるほど、何の感情も現れてはいない。アルエットは灯台の灯を見る思いで、アザゼルの無機質なはずの赤い双眸を見つめた。赤い玻璃のような虹彩の奥に、今までにない種類の光をたぎらせて、アザゼルは言う。

「わたしは、大丈夫だ」

 それからアザゼルは薄く微笑んだ。形の良い唇が音を立てずに言葉を形作る。

―だって、お前が助けてくれるのだろう?

 アルエットは雷に撃たれたような心地で、その唇の動きを見ていた。

「さあ、連れていけ」

 アザゼルは自ら剣を外すと、隣にいた騎士に押し付ける。両のポケットに手を突っ込み、可愛らしいつくりの口元を、まるで耳まで亀裂があるかのように歪めてみせた。

「牢でも墓でも、どこぞお前たちの好きなところにぶち込んでおくがいい。それで気が済むならそうすればいいだろう。しかしその代わり」

 アザゼルはそこで言葉を切ると、赤い瞳に嘲弄の色をたぎらせて、続きを群衆の中に投げ込んで去って行った。曰く、


 あとはどうなっても、知らないからな。





 その夜のことである。

「お嬢様に申し上げなくてはいけないことがあるのです」

 そう言ってアルエットの部屋――悲惨を極めた本来の部屋ではなく、代わりに使うことになった客室――に入ってきたのは、赤い髪をした、ミネットという名のメイドだった。

 ミネットは、隣に泣きじゃくるもう一人を連れていた。

 それは、金髪のツインテールにオレンジ色の目をしたレベッカと言う少女で、ひたすらにしゃくりあげ、目頭を何度も乱暴にこすりながら、

「あたしが悪いんです、あたしが」

という言葉を繰り返していた。アルエットは、ただならぬ様子のレベッカに一瞬言葉を失ったが、精一杯、穏やかな声で話をするように促した。


 午後二時のことである。

 レベッカは、アルエットの部屋に箒を忘れてきたことに気が付いた。掃除の時に部屋の隅に立てかけて、そのまま置きっぱなしにしてしまったのだ。メイド長などに見つかっては大目玉である。レベッカは慌ててアルエットの部屋に向かった。

 そこで彼女が見たものは、滅茶苦茶になった部屋と、宝石箱を乱雑に投げ落とすメイド長の姿であった。

「メイド長・・・・・・?」

 喉が上手く単語を形作らない。かすれた声で呼びかければ、メイド長はレベッカの方を振り返った。メイド長は前掛けの端を掴んで立っている。白い布の内側で、赤や緑に輝きながら、金銀の細工で輪郭を包まれた宝石たちが、何も知らずに昼の光と戯れていた。

 メイド長は、レベッカ、と少女の名前を呼んだ。表情を覆い隠す逆光のせいで、レベッカに加えられる恐怖は増大した。

「このことは黙っておきなさい。誰かにどうだったかと聞かれたら、お前は、わたくしの手伝いでお嬢様の部屋に入ったけど、宝石も部屋も無事だった、と答えるの。いいわね。そうするのが一番、お嬢様や坊ちゃま、それにお前のためになるの」

 その時の鬼気迫る様子に気圧されたレベッカは偽証をすることに同意してしまった。


「頼まれた時は、こんな大事になるなんて思わなかったんです」

 レベッカは肩を震わせ、大粒の涙をぼろぼろと床に落とした。大ぶりな水滴は板にぶつかって横に潰れ、じわじわとワックスを溶かしていく。

 アルエットは、極力表情を見せないようにしながら、事の本質について思いを巡らせた。


 レベッカの話が正しいとするならば、事件が起こったのは、午後二時以降ではない。

 正しくは、正午~午後一時半の間。

 カイムに対して浄化の祈りを発動させたのが午後一時で、屋敷に帰ってきたのが午後二時半。マルギット領からの距離を考えれば、別に不自然な時間でもない。アザゼルに犯行は無理なのである。

 そうなると、「アザゼルが部屋に入って行くのを見た」というトーラスの証言は、当然ながら嘘ということになる。


「まさか、お嬢様のお友達が、牢屋に入れられてしまうなんて。あの人は、ちょっと態度がでかくておっかないとは思うけど・・・・・何にも悪い事してないのに」

 積極的にそうしようという意図がなかったとはいえ、アザゼルのことをそんなに良くは思っていなかったとは言え、無実の人を陥れて口を拭っていることに、レベッカの純朴な精神は耐えられなかったようだ。

「あんな嘘つくんじゃなかった」

 それだけ言って、震えながらその場にうずくまり、再び泣き出してしまう。アルエットは何か言葉をかけようとして、そのままぐっと飲み下した。今は、何を言ってもレベッカを責める言葉に化けてしまうような気がした。その代わりに、アルエットは椅子から降り、黙ってレベッカの背をさすった。



 それから、レベッカと入れ替わりにやってきたオレリアが、重大な発見をもたらした。

 中庭に面した廊下の窓と、アルエットの部屋の入口の木枠部分に、あの特徴的な傷が刻まれていたというのだ。これによって、ホセアの書斎を荒したのと同一犯によるものと確認できた。


 では一体誰が?疑問はそれに尽きる。


 メイド長は正午~午後一時、ピクニックに行ったガスパール王子の給仕をするために、庭園の東屋に詰めていた。

 庭師のジャックは午後一時に中庭に入って行くところを目撃されているが、魔力が弱いので除外。

 騎士のクレイグは、今日は一日、サボりの罰として厩舎の掃除を命じられていた。脱走も休憩もしていない。鬼より怖い副団長が監視の目を光らせていたので間違いはない。何より、当の本人が未だに寝藁と馬糞の臭いにまみれているという事実が、彼の身の潔白を雄弁に語っていた。


 この議題について三十分ほど二人で話し合ったが、納得のいく結論は出なかった。すくなくともこの段階で言えることは、犯人はまだこの屋敷にいるということである。アルエットの部屋からなくなったものは宝石以外になかったから、犯人はまだ本懐を遂げていない。ということは、三度目の襲撃があるかもしれないのだ。

「自分の友達を助けるのに、他の誰かが罪を犯すのを待たなきゃいけないなんて、変な気分ね」

 オレリアが言った。机の上に置いたランプの明かりが、快活さの名残りを留める横顔に、深い陰影を投げかけた。


 人間とは、なんとずるい生き物だろう。


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