08:人権のない者同士
「アイリ様」と呼び止められて、彼女は身体をひねって振り返った。するとニコニコ笑顔のユリウスが
「お酒はほどほどに」
というから、アイリは瞬間湯沸かし器のように顔を赤くし、ペコペコ頭を下げてからイーヴの後についていった。その後ろから笑い声が聞こえた気がするけど、彼女はもうそれを聞く余裕はなかった。
二人はシャルルとも軽く挨拶をして、教会を出た。
城への道を歩く。
歩く。
ただただ歩く。無言。会話はない。歩幅はアイリに合わせてくれている。
街は日が落ち、石造りの道が赤く染まっている。
城へ続く道はだんだん民家や商店が少なくなり、人通りが少なくなっていく。
二人は、幅の広い道に二人だけだった。
途中で「あ、これは私からきっかけを作らないとダメなやつだな」とアイリは思った。確かシャルルにもそう言われていた。「あいつは口下手だから」って。
それに「凹んでた」とも聞いていた。アイリが真相を聞くのを怖がって、変な態度を取ったせいで「避けられている」と誤解されていたのだ。今彼がアイリに話しかけないのは、もしかしたら気遣ってくれているのもあるのかもしれない。
どちらにしても、この場はアイリから話し出すのが正解なのだ。
アイリは隣のイーヴを見上げた。夕陽が彼の顔をライトアップし、青銀髪にオレンジ色のハイライトが入っている。
「イーヴさん」
「はい」
「あの…教えてほしいんですけど」
「なんでしょう」
「どうしてユリウスさんと知り合いだってこと、黙ってたんですか?」
なるべく責めている口調にならないように気をつけた…つもりだ。まぁそんなもの、受取り手が嫌な思いをしたら、話し手の言い分なんて関係ないのだが。
イーヴは特に気にせず、歩みを止めずに話し出す。
「…あいつの話は、どこまで?」
「国家転覆のこととか、ご両親の無念を晴らすとか…そのくらいです」
情報を整理するように、イーヴはしばらく視線を横に流す。どこから話すべきか考えているのだ。彼は少ししてから視線を前方に戻し、表情を変えずに話を続けた。
「…俺とシャルル…そしてあいつは、同じ救貧院の出身です」
「え」
「ですが、今のあいつは外国の商人としてここにいます。だから俺とシャルルは、あいつと他人でいる必要がありました。対外的には」
「あ…」
「…変な子供でした。いつも本ばかり読んでいて、大人ぶった振る舞いをして、周囲に溶け込めていなかった。でもその早熟ぶりを買われ、あいつはエルミート男爵家の養子になりました」
なるほど、合点がいった。
イーヴとユリウスが知り合いであるのを隠していたこと。そしてシャルルとユリウスが表面的な挨拶しかしなかったこと。どちらも納得できる。本当は3人とも幼馴染だけど、ユリウスを守るために他人でいなくてはいけなかったのだ。
アイリはこれに安心した。ひとまず想像していた最悪の事態は免れたので。それと同時に、疑って申し訳なかったなとも思っている。普段の彼の行動で判断するべきだったと。
「男爵夫妻はあいつだけでなく、救貧院の俺たちにも良くしてくれました。たくさんの継続的な支援をしてくれて、おかげで腹を空かせた記憶はなく、生きるのに必要な知識を与えてくれました。だから屋敷が火事になったと知ったときは驚いたし、あいつの行方が分からなくなった時は心配しました。…まさか外国人になって戻ってくるとは思いませんでしたが。あいつがルノアール王国に戻ってきたとき、俺はすでに王立軍に入隊していました。それを知ったあいつは、俺に『仲間になってほしい』と。具体的には間者のようなことをしてほしいということでしたが、俺は断りました」
「どうして?」
「役に立てないと思ったからです」
イーヴは歩みを止め、隣のアイリに身体を向けた。一歩遅れて、アイリも彼と向き合って止まる。
「アイリ様は、俺が“シャパリュの民”であることを覚えていますか?」
「えっと…はい、そういう民族のご出身なんですよね?」
「ええ」
彼はおもむろに左手を自分の襟もとにかけ、突然服を広げて胸元をはだけさせた。出てきた肌には、鎖骨から胸にかけて刺青が入っている。
「これは罪人の証です。かつてシャパリュは王国の財を盗み、民を傷つけ、暴虐の限りを尽くしました。何百年も経った今でも王国はその時のことを恨み、シャパリュに対する風当たりは強い。軍では特にそれが顕著でした。そんな俺があいつの仕事を手伝っても、迷惑をかけるだけだと思ったのです」
イーヴは衣服を直して次の質問を待った。彼も彼で、聖女を不安にさせてしまったことを後悔していた。だから、聞かれたことは全部答えようという姿勢を取っている。
それを察して、アイリも今日の出来事を話すことにした。隠し事をしてほしくないのに、自分の手の内をさらさないのはフェアではないと感じていたので。
「…私、勧誘を受けました。仲間になってほしいって」
「そうですか」
「…?え、それだけ?」
「?はい」
「えっと、反対とか、…ないんですか?」
「止めてほしいのですか…?」
「いや、そういうわけじゃないですけど…ほら、一応犯罪なわけだし、イーヴさんの思うところはないのかなって」
「聖女は人権がない代わりに、法的に守られています。今まで国を滅ぼしてきた聖女たちも、お咎めは特になかったと聞きますので。裁かれることはありません」
(それは咎める国がすでになかっただけなんじゃないかな…)
急に頭痛がしてきたような気がして、思わずこめかみに手を当ててしまう。何なのだろう、この世界の聖女に対する扱いの極端さは…
「俺は、あなたを守るだけです。あなたはどんな選択をしてもいい。むしろあなたの選択に、いかなる邪魔も入らせてはいけない。あなたはあなたの考えた通りに動いていいのです」
まっすぐな断言に、アイリは目をぱちくりした。
「何でそんなに尊重してくれるんですか?」
「あなたがそれを言いますか?」
「え」
フッと笑うイーヴの脳裏には、2か月前のことが思い出されていた。
軍の仲間から“しごき”を受けていた時のこと。たまたま通りかかったアイリがそれを止めた。
シャパリュを庇うという非常識としか言えないその行為に、イーヴは被害者でありながら困惑した。だから彼は「自分はシャパリュの民である」こと、「シャパリュと王国との確執があり、それは“しごき”を受ける相当の理由である」ことを説明したのだが、彼女の態度は変わることがなかった。それどころか「人権のない者同士、仲良くやりましょ」と言って手を差し伸べ、イーヴを従者に召し上げてくれた。それ以来兵士たちは聖女の目を気にして、イーヴに強く当たることはなくなった。
しかしそれは決して押し付けではなかった。「軍に戻りたければ戻ればいいし、ここにいたければ好きなだけいればいい」と聖女は常々話している。
一連の行動を彼女は気まぐれだと言っていたが、それがイーヴにとってどんなにありがたかったか。
だから彼は決めていた。
何があっても、常に俺はこの人の味方であろうと。
彼女のやりたいことを最大限手助けし、彼女の剣となり、彼女の盾となろうと。
赤く染まる石畳の上で、彼は聖女に跪く。
「俺はこの身に代えてもあなたをお守りします。だからどうぞ、御心のままに」
ひとまず分かったのは、イーヴの固い忠誠心。
アイリにはピンとこなかったが、彼はどうやら聖女に恩義を感じているらしい。
彼女が考えていた最悪の事態は免れたのはよかった。だが、たぶんこのままだと今後も同じことが起きてしまうだろう。聖女を尊重するがゆえに、言葉が足りずにすれ違いが起きる可能性が。
彼女は彼の忠誠心を嬉しく思いながらも、その態度には疑問が残っていた。
「ありがとう…でも」
「?」
跪く従者に目線を合わせるようにしゃがみ込み、聖女は言葉を続ける。
「イーヴさんが知ってて私が知らないことは、言える範囲でいいから教えてくださいね。実は酒場が一見さんお断りだった、とか。そんな小さなことでも」
「…いえ、俺なんかの意見であなたの行動に影響を与えては」
青銀髪は合わせた目を横にそらし、なおも一歩引こうとしている。聖女はその両頬をむにっと、突然つまんで横に伸ばした。驚いたイーヴは目を点にして、再度彼女の顔を見る。
「なんか禁止!」
「?ひゃい…?」
「俺なんかって言い方、やめましょう。イーヴさんが私を尊重してくれるのと同じように、私もイーヴさんを尊重したい。話を聞いたうえで私がどうするかは私が決めます。それなら問題ないでしょ?」
伸ばした頬を離して、「ね?」と聖女が笑う。
それを見て困ったようにイーヴも笑みを作る。「ああ、やっぱり俺はこの人のために尽くそう」と決意を新たにして。
「イーヴさん、頼りにしてます」
「…はい」
二人は並んで、城への帰路を歩き出した。
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…1月終わるってマ?