07:ネタバラシ
「シャルルさん!後ろ!」
「えっ」
切迫したアイリの声に虚を突かれたシャルルは、後ろを振り向いた。
それと同時に、
ゴンッ
と鈍い音がする。
しかしシャルルは無事である。男の手が振り下ろされる直前に、鈍い音がしたのだ。
無事では済まなかったのは、なぜか強盗の方らしい。男は振りかぶったまま静止したかと思うと、白目をむいてその場で足から崩れていく。奥から姿を現したのは、最近よく見る怪しい商人だった。
「ユリウスさん…」
彼は何でもないような顔をして、手にしたこん棒をポイッと捨てた。その目がシャルルとアイリを目に捉えると、パッと笑顔を作り、二人へ近づいてくる。
「失礼。集会にお邪魔しようと思ったのですが、時間を間違えたようですね…お取込み中でしたか?」
「いいえ、今片付きましたので問題ございません。いつもご出資ありがとうございますヴェルナー卿」
男たちの挨拶は乾いていてどこか白々しかった。表面的で感情が読めない。
アイリは二人の挨拶を眺めながら、先ほどシャルルから言われた言葉を脳内で反芻している。
「ヴェルナー卿はそのうち仕掛けてくるんじゃありません?アイリさんを仲間にしたいんだから」――予想よりはるかに早かったが、確かにその通りになった。もしかしたら、今日もジャブを打ちに来ただけかもしれないし、もっと時間をかけて関係を作ってから自分を取り込もうという魂胆かもしれないけど…。しかしいずれにしても、アイリはこれが面白くなかった。彼女は存外気が強い。手のひらで踊らされるのは好きではないのだ。
ならばもう、こちらから聞いてしまおう、と聖女は静かに決意を固めた。今日こそは向こうのペースに乗せられないようにせねば、と。
「アイリ様にはご機嫌麗しゅう…」
「よくお会いしますね。お話するのはこれで3回目です」
「覚えていてくださって光栄です。偶然もここまで重なると、何かの縁を感じますね」
「偶然?…違いますよね。何か私に話したいことがあって会いに来てるんじゃないですか?3度も重なる偶然は、もはや仕組まれた必然としか思えません」
気負い過ぎてガチガチになってしまったけれど、なんとかアイリは言い切った。こんな駆け引き、OLとして普通に生きていたらそうそう経験するものではない。アニメや映画のように流暢にかっこよく言うのは、やってみると結構難しいのだ。
その一方、
「おや、バレてましたか。さすがはイカサマ…いや、詐欺事件の捜査を任された聖女様だ」
相手の商人はやけに芝居がかった物言いをする。場慣れしているのだろう。ただ先ほどのシャルルとの挨拶とは違い、なんだか生き生きとして見える。何だか楽しんでいるような、そんな雰囲気だ。
「なんでしたっけ、『3度目必然』って。名探偵ポアロ?」
「…日曜朝の仮面のバイク乗り」
「ぷはっ」
商人は思わず吹き出した。まさか女子とライダーの話を異世界でするとは思わなかったので。彼はしばらく小さく笑い続けてから、「ン゛ン゛ッ」と一つ咳払いをする。その素直な反応は、決して悪いことを企んでいるようには見えなかった。
「あなたもそろそろ、私に聞きたいことが出てきた頃なんじゃないかと思うのですが、どうでしょう?少しお時間いただけませんか」
「そうですね、ぜひ」
「良かったら、奥の部屋をどうぞ。僕ここの片付けしちゃいますから」
「お気遣いをどうも、シャルル様」
「いえいえ。どうぞごゆっくり」
ユリウスの後に続こうとしたアイリに、「不味いことがあったら大声出してください、すぐ行きます」とシャルルが耳打ちをした。友人の言葉をこれほど心強く思ったことはない。ユリウスの目的からすれば乱暴なことをされるような事態にはならないだろうが、それでもこの言葉は彼女の心を安心させてくれるものだった。
奥の部屋は小さな倉庫のようになっていて、中には神を象った巨大な彫刻や、神話をモチーフにした絵画・美術品などが多数保管されていた。盗難防止のためか窓には鉄格子がはめられている。出入口は今通ってきた扉一つだけだった。
「神様たちの前では変な事言えませんねえ。さて、何から話しましょうか?」
ユリウスは部屋の一番奥に立ち、数々の美術品を見上げてからアイリに向き直った。出入り口に一番近いところに彼女を立たせ、いつでも逃げられる状況を作っている。
ユリウスは彼女の言葉を待っている。ペースは聖女にゆだねてくれるらしい。
「あなたは、日本から召喚されてここに来たんですか?」
「おっと、いきなり直球ですね。何故、そう思いました?」
「ずっと違和感があったんです。この世界では“詐欺”という言葉はありません。代わりに“イカサマ”という言葉を使う。なのに、あなたは“詐欺事件”と何度も、はっきりと、言った。まるで私にサインを送っているかのように」
「無事に届いていてよかったです」
「それだけじゃない。オスカルさんを酒場で会わせたのも、そうなんじゃないですか?私たちが尾行していた日と同じピアスをわざわざつけさせて。あれらの詐欺は、ユリウスさんが関係してるんですか?」
「ふふっ質問がいっぱいですね。順を追って話しましょうか」
喉の奥で何度か笑ってから、話の順序を組み立てるためにユリウスは室内を歩き出した。右へ左へ、顔を天に仰いで、考えながら言葉を紡ぐ。
「まず私は、残念ながら召喚された者ではありません。ですが、おっしゃるように“日本”での生活を知っています。なぜなら日本に生きた前世の記憶を持っているからです」
「前世…」
「いわゆる“転生者”と言うやつですね。向こうの私はすでに死んでいます。人生終わったと思ったら、何故だかまた新しく始まってしまいまして。不思議なものですね。あとはご想像の通り、前世で得た知識を使って詐欺を働いています。あなたが調査していたポンジ・スキームもボトルメールも、首謀者は私です」
「どうして、そんなこと…」
「この国に蔓延っている腐った人間…つまり今いる天上院議員を全員、排除したいからです」
男の歩みが止まる。のん気な口調はいつの間にか鋭さが交じり、部屋の空気が張り詰めたようになる。
求めていた答えがポンといきなり飛び出してきて、アイリは思わず喉をゴクリと鳴らす。
とても穏やかな話ではない。天上院の議員というのは、この国の政治を動かしている主要人物たちだからだ。国の政治に疎いアイリでも、この商人がどんなに大それたことを言っているか理解ができた。
ユリウスは視線をアイリに戻し、話を続ける。
「あなたはこの国の現状を、どこまでご存知ですか?」
「現状?」
「この国の階級制度、経済…差別、とか」
「貧富の差が激しいのは、なんとなく…あ、あと差別も。特に聖女の人権」
「そう。ご存知の通り、この国は富める者は富み、貧しいものは貧しい生活を強いられています。それに差別も激しい。聖女だけじゃなく、民族の違いでも日々小競り合いが起きている。こうした社会構造は、一部の特権階級の人間たちが都合よく政治を動かしているからに他なりません。彼らは民から教育を取り上げて考える力を奪い、労働者からは一生搾取し続け、気に入らない人間は共通の敵として仕立て上げ、扇動して攻撃させる。こんなことが続いてはいつまで経っても民の生活は豊かになりません。だから私は、その者たちを失脚させたいんです。詐欺は相手の資金力をそぐための手段の一つとして行っています」
ご立派な動機だな、と正直アイリは思った。なんていうんだっけ、こういうの。ノブリス・オブリージュ?知らんけど。
彼女は自分の人生を生きるのに必死で、ほとんど他人のためなんて考えたことがない。先ほどシャルルの強盗に対する気持ちを聞いた時もそうだったが、なぜみんなこんなに他人のことが考えられるんだろうと。…なぜ自分は自分のことしか考えられないのだろうと、矮小な自分が嫌になるばかりだ。
とはいえ、その素晴らしい動機は理解した。それでも彼女には理解しがたい部分もあった。
「でも、どうしてそのやり方が犯罪なんですか?世の中を変えたいなら、もっと正攻法でやってもいいんじゃないですか?味方の議員を増やすとか、ボランティア活動でもするとかして…」
何も犯罪行為で事をなさなくてもよいのでは?というのがアイリの疑問だった。思想自体は素晴らしいものだと思ったので。しかし返ってきた答えに、彼女は自分自身の平和ボケに気づかざるを得なかった。
「殺されます」
「え?」
「私の両親がそうでした。…両親というのは、もちろんこちらの世界の、です。父は商いで財を成した新興貴族でした。貧乏の辛さを知っている二人ですから、必死にこの国のあり方を変えようと努力しました。村の者に食事を恵み、読み書きを教え、仕事を世話してやるなど面倒を見てやり…。志を同じくする若い議員とも交流を持ち、議会へ働きかける準備をしていました。それが古参貴族には気に入らなかったのでしょうね。民が知恵や力を持つことを、上流階級は恐れているのです」
ユリウスの目には憂いが宿る。凄惨な過去を思い出しながら話していた。
「アイリ様は、ゴンティエの廃屋を覚えていますか?」
「え、はい…」
「あれはかつて、両親と私が暮らしていた屋敷です」
「ッ…」
「今でも覚えています。屋敷を焼く炎の熱さ、人が燃える臭い…運よく外出していた私は難を逃れることができましたが、命を狙われるのは明白です。そこで外国の親戚を頼って亡命し、今は外国人として生きています」
胸の前に挙げた手を、固く握って彼は続ける。拳を見る瞳の奥には、今度は怒りとも知れない炎が揺らめいているように見えた。
「これは私にとって、復讐でもあるのです。両親の無念を晴らすためにも、この歪んだ国の現状を変える為にも、私は今の天上院議員を排除したい。今のこの国を、転覆させたいのです」
「…その国家転覆を手伝わせるために、私を仲間に引き入れたいと?」
聖女が核心に触れると、それまで彼の周りを支配していた鋭い空気がパッと消えた。意外そうな顔をして、柔和な雰囲気が帰ってくる。
「あれ?イーヴが話しましたか?」
「いえ、あの時起きてたので」
「そうでしたか、話が早くて助かります」
ユリウスがフッと笑う。この期に及んで話していないイーヴの堅物さに、昔のままだとおもったからだ。頑固だとは知っていたが、ここまでとは。
ただ、聞いていてくれたのはユリウスにとって好都合だった。元来彼は回りくどいやり方が好きではない。だから今日この話を聖女とできたのは、嬉しい誤算だった。仕事は常にスピード感を持って進めたいタチなのだ。
「犯罪行為をしておいてこんなことを言うのも虫のいい話ですが、私はできるだけ血を流したくないと思っています。あいつらと同じ土俵には立ちたくありませんからね。そのためには、あなたの力が必要なのです。もちろんタダでとは言いません。仲間として手伝っていただけるのであれば、今後の生活は私が保証しましょう。不自由のない未来をお約束いたします」
「…聞いてもいいですか?」
「もちろん、なんなりと」
「…こんなことを私に話して、通報されるとは考えないんですか?」
「あなたが通報したとしても、そちらの役人は動けませんよ。物的証拠は何もないし、第一今の私は外国人です。両親のときと違ってうかつに動けば国際問題だ。それに今の聖女様には、残念ながら何の権力もない。いったいどれだけの人が、あなたの話に耳を傾けてくれるか」
「…」
「…変えたいですね、そういう現状も」
ここまで話したところで。
ギィーッと古めかしい音が部屋の入り口から響いてきた。二人は音のする方へ視線を向ける。
すると扉が開かれ、そこにはイーヴが立っていた。アイリを迎えに来たのだ。彼は聖女越しにユリウスを見るが、先日のような殺気だった攻撃的な意図は見受けられない。あれはやはり、アイリを傷つけたと誤解したからこその怒りだったのだろう。
「どうやら、今日は時間切れのようです」と、ユリウスが呟く。実際のところ、双方説明したいことも聞きたいことも山ほどあるが…あまり帰りが遅くなっては、城の人間に感づかれるかもしれない。無理は禁物だ。今日はここで切り上げるのが吉である。
「今すぐにとは言いませんので、少し考えてみてもらえませんか。また、いずれ」
ユリウスの言葉に軽く頷き、アイリはイーヴのもとへ近づいて行った。
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