06:笑顔の裏の本音
(いや全部覚えてるんですがー!?)
翌朝、私室のベッドの上で目が醒めたアイリは、飛び起きて頭を抱えた。
昨日起きたすべてのことを覚えていたからだ。
「すべて」というのは、すべてである。
入店する時にユリウスに助けてもらったことも、ユリウスから聞き込みについて忠告を受けたことも、自分の無力さにイライラしたことも、やけ酒してユリウスに絡みまくったことも、イーヴとユリウスがまるで以前から知り合いだったかのような会話をしていたことも、ユリウスがアイリのことを「仲間に引き入れたい」と言っていたことも…店からの帰りイーヴに負ぶってもらったことも。すべて、全部、事細かに覚えていた。
何故なら、完全に寝落ちしたのはこの部屋に戻ってきたときだったから。
(え?イーヴさんとユリウスさんって知り合い?ってか何「お前のことを諦めない」って、どういうこと?知ってたなら何でイーヴさん話してくれなかったの?…は?え、じゃああの時ユリウスさんは本当に助けてくれただけだったの…?いやでも目的が合って近づいているのは確かだよね。っていうか、ユリウスさんの正体ってもしかして…?え、仲間にしたいって、何させるつもり…待ってその前に何であんな絡み酒したの私…)
「うわああああ」っと声を上げながら頭をかきむしった。考えなくてはいけないことが多すぎる。ひとつひとつじっくり考えなくてはいけないのに、どれもショックが大きすぎて冷静になれない。昨日のことを反芻しては顔を赤くしたり、青くしたり、もはや人間イルミネーションだ。
コンコン
やる気のないノックが聞こえてきて、一人の女が入ってきた。メイド服を着た彼女の手には、着替えとふわふわのタオル。アイリ付きの侍女だ。
「アイリ様、おはようございまーすぅ。湯あみしますよぉー」
「ジジさんッ!大変大変どうしよ!?」
「朝から元気ですね、どうしたんですか?」
ジジと呼ばれた侍女はめんどくさそうな顔を主に向ける。別に悪気はないのだが、彼女は感情表現が素直だった。
だがアイリは彼女のそんなところを気に入っている。謀略渦巻く城内で、聖女に取り入ろうとする人間は数知れない。たとえ人権がなくても、物珍しさや肩書を利用しようと近寄ってくる人間は多いのだ。そんな状況下で彼女のストレートな物言いは、アイリにとって救いであった。
ということで、話すことにした。彼女はボトルメール事件の聞き込みのときに情報をくれた一人であったし、このタイミングで来てくれたのは天の助けだと思って。
「…ってことがあったんですけど、どう思います?」
浴槽で体を洗われながら、これまでの出来事をなるべく詳細に、丁寧に、順を追って説明したつもりだ。別に問題が解決することは望んでない。ただ「大変でしたね」と共感さえしてくれればいいのだ。そうしたら、きっと落ち着いて自分で考えられるようになるから。
しかし帰ってきた返事は
「えー、何でそれ、よりによって私に言うかなー」
酷いにもほどがあるそっけなさだった。
「軽い気持ちで機密情報を漏洩しないでくださいよ。私まだ死にたくないんですけど」
「えっダメだった!?さすがに侍女には守秘義務あるでしょ!?」
「あるといっても限度がありますよ。貴族や商人が被害に遭ってるって、それ天上院の議員たちにも影響出てるんでしょ?噂にでもなったりしたらメンツ丸潰れじゃないですか。末端にペラペラしゃべっていいことじゃないですよ。あーあー私何も聞いてません―」
「あー!じゃあ!じゃあイーヴさんとユリウスさんの会話のことだけでも!」
「やーでーすーぅ。じゅうぶん不穏ですってぇー」
ギャーギャー騒ぐが、ばさーとお湯をかけられ発言を封じられる。もうこの話はおしまいとばかりに、泡が落ちた頭をタオルでくるまれわしゃわしゃと拭かれた。
「ほら、そんな事より。今日は滅多にないお勤めの日なんですから、綺麗にしないと」
そう。今日は週に一度の聖女の勤めの日だった。
ルノアール王国には、聖女が建国に深くかかわったとされる伝説が残っている。教会では神だけでなく、神の御使いとされている聖女も信仰の対象とし、その伝説や歴代の聖女たちが起こしてきた奇跡を広めるための法話集会を頻繁に行っていた。「我が国の歴史を正しく伝え、その素晴らしさと偉業を後世に残す」という名目で。
しかしそれは建前であり、実情は体のいい寄付金巻き上げ集会だった。
教会は「寄付をすることが美徳である」という教えを説き、金を出すものには優先的に世話をしてやった。だから自然と金と暇を持て余した貴族や商人ばかり集まるし、金を出すのが正義となる。逆に言えば貧乏人はいつまで経っても救われないし、それは金を出さないから悪いと断罪する。金を出すことこそが善、マネーイズパワーが教義であった。
国の方針にもよるのだが、宗教とプロパガンダは紙一重だし、教育は洗脳となり得る。それはいつの時代も、どこの世界でも変わらない真実というわけだった。
さらに。
「はぁ~シャルル様は今日もお美しいわ~」
「私、今日は金貨を3枚持ってきたの。シャルル様とたくさんお話したくて、受け取っていただけるかしら…」
「まあ素敵ね!私もお話したいわ~」
ここ王立中央教会には、シャルル・シャイエという美男がいた。彼は若干20歳にして司祭を務める秀才であり、その美貌と知性で貴族や商人の娘たちのハートを鷲摑みにしている。
しかも彼は自分の顔がいいことに気づいているので、積極的にその利点を活用した。乙女たちとの会話を大切にし、ファンを増やしているのだ。
彼の賢いところは、多くの金額を取りすぎないところだった。
重課金勢に対しては「無理をしてはいけません」と言いながら一定額以上は返金し、無課金勢に対しても一言二言の会話をするように心がける。その姿が乙女たちには「紳士的で素晴らしいお方」に見え、結果として教会は太く継続的な収入が得られていた。
そこに最近は聖女アイリも登壇させるようにした。伝説上の存在が目の前で拝めるとなれば、教会の付加価値が上がる。幸いアイリの容姿は一般的より美しく、シャルルと並ぶ姿は「天使が二人舞い降りたかのようである」と評判だった。
教会の中は満員である。
ステンドグラスに陽光が入り、アイリとシャルルが並ぶ姿が幻想的に演出される。法話はもはやライブだったし、寄付にかこつけたささやかな交流はお渡し会と同義だった(寄付金を渡されているのは二人の方だが)。桃色のまなざしを向けながら熱心に話を聞く乙女たちは、この後の天使たちとの交流を心待ちにしている。
要するに二人はこの中央教会において、「会いに行けるアイドル」なのだ。
「はぁ、なるほど。そんなことが…」
法話のあとの「寄付金お渡し会」を終えた二人は、がらんどうになった集会所でだべっていた。シャルルは集まった寄付金を丁寧に数えていて、その横で勝手にアイリが言いたいだけしゃべっている。
彼女にとってシャルルは、気兼ねなく話せる友人だった。教会という性質上、話したことは口外されないし、実は聖職者は意外と身分が高い。同年代で対等に話せる人物は、今の彼女にとって非常に貴重な存在なのだ。
「さっきイーヴが凹んでましたよ、アイリさんに避けられてるって」
視線を金から離さないまま、シャルルが苦笑する。
教会に来るまでの道のりは当然、イーヴに護衛をしてもらった。しかし昨日あんなことがあったばかりである。きっと彼は「アイリは知らない」と思っているのだろうが、バッチリ聞いていたうえにガッツリ覚えてるアイリは気まずくてまともにイーヴの顔が見れなかった。もともと二人はお喋りをする方ではないが、よそよそしい雰囲気は伝わってしまったのだろう。
アイリは何度も聞いてみようと努力したが、ついぞ言い出せず教会まで来てしまった。すると「自分は別の用を済ませてくる。帰るころには戻る」と言って、イーヴはどこかへ行ってしまった。いつもは集会が終わるまで待っていてくれるのだが、もしかしたら気を遣わせてしまったのかもしれない。
それで困ってシャルルに相談しているのが今、というわけだった。
「シャルルさんはどう思います?」
「んー、どう思うかぁ。別にどうとも」
「えええ!無慈悲!」
「いやいや。アイリさんはどうして僕の感想が知りたいんです?」
「えっ…それは、どうして二人がコソコソしてるのかわからないから」
「じゃあ二人に直接聞けばよくないですか?なぜ秘密にしているのかって。僕の感想は外野の想像でしかないですよ」
「えー」
「…まぁ聞いた感じ、秘密にしているのはイーヴだけで、ヴェルナー卿はそのうち仕掛けてくるんじゃありません?アイリさんを仲間にしたいんだから」
「うーん…」
そうなのだ。ユリウスに関しては正直どうでもいいというか…目的ははっきりしたので、今は特に考える必要がなかった。聖女に何をさせたいのかはわからないが、こればっかりは考えても仕方がない。どうせ放っておいても、そのうち向こうから勧誘しに来るんだろう。詳しい話はその時に聞けばいい。
問題はイーヴだ。彼が従者になってからこの2か月、本当によく尽くしてくれていると思っていた。会話はあまりなかったけれど、誠実な人柄はその仕事ぶりからとてもよくわかっていたつもりだった。
それなのに、隠し事をされていた。
イーヴとユリウスは知り合いだったのに、まるで初対面かのように口裏を合わせていたし、急に襲ってきた輩がユリウスの手先の可能性があると考えていたことも初耳だった。
何も考えていること全部共有しろとは思わない。ただ、大事なことくらい教えてほしかった。
それが、もし…
「イーヴさんが秘密にしてた理由がもし悪意を持ってのことだったら、私ショックで立ち直れないと思うんです。だから聞くのが怖い、…のかも」
「イーヴって、そんな男でしたっけ?」
「正直、考えてることがよくわからないんですよね。あんまりお喋りしてくれなくて」
「あー…w」
シャルルは思い当たる節があるようで、間延びした返事の後ろの方は半笑いのようになっている。
金勘定が終わり、彼は硬貨でじゃらじゃら音がする木箱を丁寧に閉めてアイリに向き直った。
「…まぁ、大丈夫だと思いますけどね。あいつ昔からあんな感じですけど、真面目で不器用で無骨物で無愛想なだけですから」
「同じ救貧院のご出身なんでしたっけ?」
「ええ。ほぼ兄弟みたいなもんですからね、悪人でないことは僕が保証しますよ。帰りにでも聞いてみてやってください、あの口下手は自分から話し出せないと思うので」
アイリは友人の言葉に小さくうなずく。話を聞いてもらえて、背中を押してもらえて、満足した。欲しかったのは、ほんの少しの応援だけだった。兄弟同然のシャルルからのお墨付きは、十分すぎる成果である。
バァァァァン
穏やかなおしゃべりは、けたたましい音に突然遮られた。
教会のドアが乱暴に開かれたのだ。
「ひゃっはー!今日こそはその金貰うぜぇ牧師さんよぉ…」
ドアには5~6人のいかにも小悪党な男たちが立っている。手にはこん棒や鍬などの武器を持ち、どう見ても強盗目的だ。
しかしシャルルもアイリもこれにはすっかり慣れていて、別に驚きも何にもしない。しいて言えば「今日はちょっと遅かったね」といった具合である。
「また来たんですか?みなさん凝りませんねー。あと僕、牧師じゃなくて司祭です。いい加減覚えてください」
「司祭でもチンパンジーでもどうでもいいんだよォ!いいからその金よこしなァ!」
「はぁ…今日も話が通じないなあ…」
ため息ひとつ、シャルルは立ち上がる。
「じゃあこれお願いします」
寄付金の箱をアイリに渡して、シャルルは男たちの前に立ちはだかった。
・
・
・
「毎回思うんですけど、どうして役人に突き出さないんですか?」
10分もすると、立っている男はシャルル一人だけになっていた。
彼は細身で綺麗な顔をしているが、実はとんでもなく武闘派だった。ほとんど素手で投げ飛ばしてしまったし、刃物に対してはローブの下に隠した戦斧で応戦した。
もはやこの襲撃は、恒例行事となりつつあった。集会は毎週開かれていて、その度に寄付が集まる。彼らはそれを知っていて、金を奪いにやってきては毎回シャルルにコテンパンにやられている。
だがシャルルは、彼らを一度も役人に突き出したことがない。制圧した後は怪我の手当てをしてやり、強盗の罰として教会の掃除などの奉仕をさせ、適当なところで帰してやるのがお決まりだった。
今は二人で、彼らに縄をかけている。起きた時に暴れて怪我を増やされては困るので。
「アイリさんは、どうして彼らがこんなことするんだと思います?」
「え?」
「僕はね、これは教会の怠慢の結果だと思ってます。本来教会は貧富や身分に関係なく、すべての民に開かれた場所であるべきです。誰にでも平等に教育の機会を与え、仕事をあっせんし、悩みを聞いて然るべき。教会がしっかり機能していれば、彼らだって強盗なんかしなくても、働いて、賃金を得て、生活を営めるはず。…でも実際は貴族や商人ばかりを相手にして、教会にとって都合のいい偏った話だけを並べて、いかに金を搾取するかしか考えていない」
「…」
何てあいづち打てばいいか、うまく言葉が出てこない。アイリの脳内には、先日見たゴンティエの村の様子が思い出された。活気のない村、実りのない畑、お椀をおき物乞いをする人々…
彼女はなんだか、自分がとてもちっぽけに思えた。自分の生活しか考えてない、自分のことしか考えられていない自分のことが、少し恥ずかしかった。
「…だからこれは、今の僕に唯一できる彼らへの償いなんです。僕は…」
彼の話に真剣に耳を傾けていると、その奥からゆらっと人影が見えた。強盗がまだ一人残っていたのだ。強盗は大きく振りかぶって、シャベルをシャルルめがけて振り下ろそうとしている。
「シャルルさん!後ろ!」
「えっ」
切迫したアイリの声に虚を突かれたシャルルは、後ろを振り向いた。
Q:シャルルは救貧院出身なのにどうして司祭になれたのですか?
A:彼の家は没落貴族で、家柄はいいのにお金がなくて救貧院に行きました。あとは本人の努力です。
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