05:信じるべきは誰か
「えっ何で入れないんですか?」
「申し訳ございませんが、当店はご紹介のない方の入店をお断りしておりまして…」
数日後の夕方。
アイリとイーヴは、城下町のある酒場に来ていた。
ボトルメール事件の捜査は、すでに手づまりだった。
あれから何度か雑貨店を張り込んだが、男が出てくることは二度となかったのだ。あれだけドンパチしてしまったので、男に気づかれてしまったのだろう。アイリは手掛かりを完全に失ってしまった。
そこで仕方がなく、捜査を振り出しに戻すことにした。
素直にポンジ・スキームと思われる事件を洗いなおし、舞台となった酒場を調査することにしたのだ。
すでに一度は役人たちが調べているはずだが、もしかしたら見落としがあるかもしれない。異世界人が調べることで得られる発見もあるだろう…たぶん。
そんな淡い期待を胸に、事件の再調査を始めることにしたのだ。じゃないと、バジルに「またサボって!生活費の危機ですよ!」と言われかねないので。
とはいえ、聖女に捜査権限なんてものはない。
「事件調査のための立ち入り」というのは役人のみに与えられた特権だ。そもそも人権すらない聖女には、当然そんな権利は持たされなかった。
なのでひとまず普通に客として中に入り、それから他の客に聞き込みができればと思っていたのだが…
どうやらこの酒場は、いわゆる「一見さんお断り」の店らしい。というか、イカサマ事件の余波でそうなってしまったらしい。事件の被害について店には何の落ち度もないが、対策をしないと客から信用されないのだろう。商売は信用が第一だ。当然と言えば当然なのかもしれないが、アイリにとっては何とも迷惑な話だった。
「ディナーでしたら、当店よりもっと素敵なお店が周りにございますので…よろしければ近いところをご案内いたしましょうか?それともベッドのある店の方がお好みでしょうかね」
ニヤニヤとドアマンが答える。口調こそ丁寧だが、言ってる内容が最低だ。暗に「一昨日きやがれ」と言われている。まぁ貴族も来るような店に若い男女が突然訪ねてきたら、場違いなのは確かだが。
「下衆が」
イーヴの右手はすでに剣の使を握っている。礼を失した相手には一秒も我慢できずにキレてしまうのがこの男である。彼は大抵のことは許せる人間だが、アイリが絡むと途端にダメだった。
「待って待って待って、イーヴさんダメ!」
「聖女に対する不敬は死罪と決まっていますので」
「極端すぎるわこの国の法律!」
敬愛の念が強すぎて、もはや過激派テロリストの勢いだった。慌ててアイリが止めるが、彼の意志は固いようだ。仕方なく指を柄からはがそうとするが、こもった力が強すぎて一本もはがれない。
折れないイーヴの態度に刃傷沙汰を覚悟した、その時…
「アイリ様。お待たせして申し訳ございません」
突然、二人の後ろから声がした。
振り向くとそこには、従者を連れたユリウスがいたのだ。
「前の予定が長引き、遅れてしまいました。本日も大変お美しいですね」
「え、あ…」
面食らった。
彼と会ったのは、廃屋のとき以来だったから。
当然、約束などしていない。すべてユリウスの口から出まかせである。
「ヴェルナー様のお連れ様でしたか」
「どうもランベールさん、4人でお願いしたいんですがよろしいですか?」
「ええ、もちろんです。どうぞこちらに」
ランベールと呼ばれたドアマンは、先ほどの失礼な対応とは打って変わって丁寧な案内を始めた。固く閉ざされていた店のドアを開き、客を店の奥へと招き入れる。
「あの、ユリウスさん。これは…」
「アイリ様、どうぞお手を」
どういうこと問いただそうとするアイリに対し、ユリウスは右手を差し出した。左手は人差し指を立てて口に当て、ウインクのおまけまでついてくる。「黙ってついてこい」ということだ。何故だかわからないが、どうやら彼女たちが入店するのを手助けしてくれる気らしい。
後ろを振り向くと、従者同士が対峙している。イーヴは警戒しているようだが、対するユリウスの従者はニコニコとして敵意がないのをアピールしていた。長身でピアスをしていて赤い髪をワックスでまとめいる男がニコニコしている姿は、それはそれで威圧感を感じるが。
現れるタイミングが良すぎる気がした。
廃屋のときにしても、今にしても。偶然にしてはできすぎている。
ポンジ・スキームとボトルメールの事件が偶然とは思えなかったように、今起きていることにも同じような気持ちを抱いていた。
「奇遇ですね!」で済ませるには、気持ちの悪いタイミングの良さ。
こんなに都合のいい偶然が重なるものなのだろうか。
「さあ」
逡巡していると、右手を再度差し出してユリウスが催促する。
正直なところ、胡散臭い。
先日はイカサマ事件のことを知っていたこともあって信用したが、本当に信じていいのかアイリは疑い始めていた。
とはいえ、今はこの手を取るくらいしか選択肢がない。せっかく店内に入れるのだ。この機会を失っては、次にいつ調査できるかわからない。
イーヴもついてきてくれてるし、店の中には他にも人がいる。そんなに悪いことにはならないと、期待したい。
「ありがとう、ございます…」
ユリウスの真意を掴めないまま、アイリは彼の手を取った。
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「さ、何を食べましょうか。この店は揚げ物が特に美味しいですよ。私のオススメはこの白身魚のフリットですね。あ、嫌いなものあります?」
あまりに普通に食事が始まろうとしていた。
アイリたちは4人掛けのテーブルに通された。ユリウスは何でもないように普通にメニューを開き、普通に注文をしようとしている。というか、ユリウスの従者 (オスカルというらしい)に至ってはすでにウェイターを呼び止め適当に注文を始めている。乾杯用のドリンクを人数分注文したらしい。
あれ?今日はご飯を食べに来たんだったかな?と、一瞬アイリは錯覚した。ハッとして思わずイーヴの顔を見ると、彼も彼で困惑しているらしい。眉間にしわが寄っている。
「アイリ様はアルコールは大丈夫ですか?甘いカクテルの方がよければこっちのページに」
「あの!」
意を決して流れを止めた。相手のペースに巻き込まれてはいけない、という気負いが声の大きさに比例して、馬鹿でか声が出たことにアイリは自分でびっくりした。しかし必死さは伝わったようで、ユリウスはきょとんとしてアイリを見ている。
「?なにか」
「助けてくださってありがとうございます。でもあの、どうして…」
「例の詐欺事件の調査にいらっしゃったのだと思ったんですが、違いましたか?入店できずにお困りのようだったので」
「そうですけど…私を助けても、ユリウスさんに何のメリットもないかと」
「メリットならありますよ。あなたと食事ができる」
頬杖をついて聖女の顔を見つめるイケメンがそこにいた。
彼はこうやって女を口説き落としてきたのだろうか。少なくともアイリにはイケメンに耐性があるので、こんな安っぽいナンパに釣られることはない。…きれいな造形してるな、くらいは思ったが。
「まぁでも聞き込みならやめた方がよろしいでしょうね」
「え?」
「周りをよく見てごらんなさい」
言われた通り店内を見渡すと、自分たちが座っているようなテーブルがあちこちにあり、ほとんどの席に人が座っているのが見えた。
圧倒的に男性客が多く、女性は給仕が数人程度。
男たちの身なりは様々で、いかにも貴族らしい装飾がふんだんに施された衣服を着てるものもあれば、簡素な服を汚れたまま着ている人もいる。いずれの者も品定めするような目つきをしており、うまい儲け話がないか、もしくはいい客がいないか探っているような雰囲気だ。この店は食事だけでなく、社交の場としても機能しているらしい。
「ここには確かに上流階級の、それこそ詐欺のカモになるような人たちが多くいます。当時の事を知っている人も中に入るかもしれません。でもそれと同時に、悪事を企む人間も大勢います。情報屋もよくこの店を利用しますからね。いくら聖女様の顔が割れてないと言っても、女性が聞き込みをしていたと知れれば、すぐに噂が回ってしまう。それが原因で犯人に逃げられたとあっては、お困りになるのは聖女様の方では?」
「…」
「少しは人を使うことを覚えた方がいい。次はせめて、そこの忠犬くんを1人でお使いに出すことですね」
悔しいけど、ユリウスの言う通りだと思った。
アイリは世間知らずもいいところだった。いつも城の中にいて、城の中でほとんどの生活が完結する。少し考えればわかるようなことでも、考えるための材料となる知識と経験がないから考えるまで至らない。
しかし、なおさらこの男の目的がよくわからない。
何故二度も三度も、アイリのことを助けてくれるのか。…まさか本当にナンパ目的なのだろうか。
考えれば考えるほど、わからなくなっていった。
この問いの答えを見つけるには、情報が足りな過ぎた。尋ねても適当にはぐらかされ、情報が得られる兆しもない。
気になることはいくつかある。
だが今わかるのは、アイリたちはここで夕食を取る以外に何もできないということだけだった。
「…ありがとうございます、いろいろ教えてくださって。助かります」
「ふふ。そう思ってくださるなら…お礼代わりに、一杯付き合ってくださいますか?」
オスカルが届いたジョッキを全員に配り始めた。なみなみ注がれた発泡酒が、小さくパチパチと音を鳴らしている。アイリは目の前の人間に対する猜疑心と捜査がうまくいかない事に対するイライラを感じながら、弾ける泡を見つめていた。
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「人権がないって何よぉ!勝手に喚んでおいてあんまりじゃなぃ…私だってねぇ、好きで来たんじゃないの…頑張ってたのにぃ……ブスとか金食い虫とかってって言われても我慢して、やっと家出て、頑張って働いてたのに…それを取り上げんならね!生活ぐらい保障するのが筋ってもんでしょー!ちょっとくらい遊んだっていいじゃなーぃー!…ひっく、ひっく。ッバ、バジルさんの馬鹿ぁあああうあわぁぁぁあん!!!!」
30分もすると、アイリはすっかり出来上がってしまった。
テーブルの上には空になったジョッキがいくつも並んでいる。すべてアイリが一人で飲んでしまったものだ。注文した料理が届く前にすべて飲んでしまった。空きっ腹に飲んだので、アルコールがいつもより早く回っているらしい。
彼女のメンタルは早くも限界を迎えていた。
上手くいかない捜査、生活の危機、イケメンのない日常、行く先々に現れる怪しい男。それらは無自覚にストレスを蓄積させていき、アルコールによって自覚してしまったストレスは吐き出すことでしか解消できなかった。
「ユリウスさんもですよぉ…何考えてるんですかぁいったい!何が、目的なんですかぁ…」
「聖女様とお話がしたかったんですよ」
「うそ!うそだ!…ふっふ、ふ、聖女を利用しようってったって、そうはいきませんよぉ!ひっく…なんてったって権力ありませんからぁ…はっはっは…ぅぅ、うぅぅぅぁわあぁっぁぁあああぁん……」
勢いはとどまることを知らなかった。酔いが回って、歯止めが効かない。飲みなれない酒ということも相まって、彼女は立派な妖怪・号泣絡み酒女と化していた。
「おお、すごい泣き上戸だな…。イーヴ、お前知ってたのか?」
「知ってたらさすがに止めている」
「それもそうか。アイリ様ー、お水飲みましょう、ね?…オスカル、水もらってきて」
しゃっくりが出るアイリの背中をイーヴがさすり、ユリウスは彼女が掴むジョッキをさり気なくテーブルの端っこに移動させる。そのジョッキをオスカルが受取り、空になったジョッキのいくつかといっしょに持って厨房の方へ向かっていった。満席の店内は混みあってなかなかウェイトレスが来ないので、自分から行ってしまったほうが早いのだ。
「お水なんていらにゃい…」
聖女は水の到着を待たず、むにゃむにゃ言いながらテーブルに突っ伏した。口はまだもごもご何かを言っているが、瞼は固く閉ざされてしまう。横向きになった顔に、長い前髪がパラパラとかかっていた。
「寝ちゃったわ。…はっ、かーわい」
前髪を除けてやろうとして、ユリウスは手を伸ばした。しかし「やめろ」の声と同時にその手をイーヴに掴まれる。
ハッと鼻で笑い、出した手を引っ込める。どうやら従者は番犬でも気取っているらしい。ユリウスはそれが気に食わなかった。
「お前、それで聖女様の騎士ができてるつもりか?こんなとこまでノコノコ連れてきて」
「…門前払いされることはわかっていたから、そこで引き返すつもりだったんだ。まさかお前が来るとは思わなかった」
「そりゃ詰めが甘かったな」
聖女が聞いていないなら取り繕う必要はないとばかりに、両者とも話し方が雑になる。感情も隠さず、先ほどの穏やかな雰囲気はどこへやら。お互いに鋭い眼光を飛ばしあい、テーブルは一気にトゲトゲとした空気に包まれた。
その横で水を取ってきたオスカルは受取り手が寝てしまったので、やることをなくして大量の食事を一人でガツガツ食べている。この男の心臓には毛が生えていた。
「何が目的だ」
「…彼女を仲間に引き入れたいと思っている」
「何のために」
「お前を誘った理由と同じだよ。あの時から俺の行動原理は変わっていない」
「…アイリ様を巻き込むな」
「すでに当事者だろ。誰かに襲われてたんだし」
「!?あれはお前の差し金じゃないのか」
「仲間にしたいっつってんだろ、襲う理由がどこにある」
「…てっきりいつものように強引な手を使おうとしているのかと」
「女相手に手荒なことしねえよ。お前、俺のことなんだと思ってんの?」
ハァーと大きく背中をのけぞらせ、天を仰ぐ。相対する青銀髪は若干すまなそうにしつつも「じゃあそれなら誰が」と犯人探しに夢中になる。赤髪はガツガツ飯を食う。
「ばっかじゃねえの」と思いながら、遠慮のいらない会話は楽でいいなとユリウスは思った。野郎だらけのコミュニケーションは大雑把で、それゆえ話が進みやすい。共感思考ではなく解決思考で会話ができることの何と楽なことか。まぁそれは、旧知の仲であることが幾分か手伝ってのことなのだが。
ユリウスはイーヴに向き直り、真剣なまなざしで言った。
「俺はまだ諦めてないからな。お前のことも」
正月休みが終わってしまいます…悲しい…
たくさん書けて楽しいお休みでした。
次回は本日17時ごろ更新予定です。
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