23:よい聖女はマネしちゃいけません
「アイリ!」
「!?」
緊迫した声とともに、ドアが乱暴に開かれた。リアンとイーヴがなだれ込んできたのだ。
ここまで運ばれるまでに、苦し紛れにブレスレッドについていた花の装飾を一枚一枚剥がして落としてきたのが功を奏したようだ。
招かれざる客に、バジルは驚き後ろを振り向く。反動で首に当てられていた手の力は緩んだ。アイリはその隙を逃すことなく、大きく息を吸い込み、叫ぶ。
「伏ッ…せてぇ…!!」
急に息を吸い込んだせいか、思うように声は出なかったが、意図は二人に伝わったらしい。パッと防御態勢を取ろうとするリアンとイーヴの動作を確認してから、アイリはそれまで手に貯めていた魔力を最大出力で放出する。
何事かともう一度アイリの方を向くバジルと、強い光を放つアイリの手が振り下ろされるタイミングとがぴったり重なった。彼は光の魔法をゼロ距離で直視してしまったのだ。
「うあああああああああああ」
強烈な光に目を焼かれ、バジルは避けようとして大きく体をのけぞらせる。
身動きが取れるようになったアイリは、すぐに立ち上がり、リアンたちのいる方へと走り出した。無我夢中で、痛いとか、怖いとか、考えている余裕などなかった。すぐに二人のもとに行かなくちゃと、ただそれだけで力を振り絞っていた。
近づく足音に、リアンが伏せた顔を上げる。すると目の前にはこちらに走ってくるアイリの姿があった。必死に走ってはいるが足元がおぼつかず、自分たちのもとへたどり着く一歩手前で崩れ落ちそうになってしまう。
とっさにリアンは前に出て、アイリの身体を抱き止めた。
「…ケホッケホッ…」
首を締められ、急に大きな声を出し、さらに走る、という無茶をしたせいで、アイリは呼吸が上手くできず咽てしまう。状況を伝えなくちゃと焦っているのだが、声を出そうとするとかえって声が出せない。しゃがみ込んだまま、立ち上がることすらできなかった。
涙目でせき込み続けるアイリを見て、リアンは次にアイリが元いた部屋の奥へ目を向ける。そこには未だ視力が戻らず、転がっているバジルの姿があった。
「イーヴ!」
「!」
イーヴもリアンの声に応じ顔を上げ、状況を察してすぐさま駆け出した。無抵抗な相手を制圧するのには数秒もかからず、彼はあっさりバジルを拘束することに成功した。手持ちの縄をかけ、次々と手と足の動きを封じていく。
その間、バジルは言葉にならない声を上げ続けていた。悲痛な悲鳴は深い絶望の音色をしていて、聞く者の心を抉っていくようだった。
「…大丈夫です、ありがとう」
やがてアイリは、落ち着きを取り戻した。とはいってもまだ肩で息をしているし、とてもじゃないがまだ安静にしていた方がいいのは確かだ。リアンは腕の中でアイリを抱えながら心配そうに顔を覗き込む。
しかし彼女は強い意志で、いつの間にか頬を伝っていた涙を自分の拳で拭いながら立ち上がろうとしていた。それなら、とリアンも手を貸し、彼女を支える。
アイリは後ろを振りかえると、身動きが取れないながらも泣き叫び続けるバジルが目に入った。
「何で私が…何でだ…何でだぁぁぁぁぁ!!!!!私は優秀なはずなのにィ!私が頂点に立つはずなのにィィイイ!!!!なぜ私を認めないいぃぃィィィイイイイイ!!!!!!!!」
「バジルさん…」
胸が苦しくなった。選ぶ道を間違えなければ彼だってもっと輝ける人生を送れたはずなのに。
そう思うのは、彼女自身もまた、生まれながらの敗者であったから。
持たざる者同士の痛いほどの共感が、そこにあったから。
彼女と彼が決定的に違ったのは、持っているカードの切り方。与えられた数少ないリソースをどのように使ってきたか。ただそれだけ。
もちろん、本人にはどうしようのない部分はある。むしろ人生はままならないことの連続だ。カードの切り方なんて、教わってはじめてできるようになることである。教わらなかったら、いつまでもできないまま、地べたを這いずりながら死んでいくまで。それを自ら気づき、試行錯誤し、自分の生き方に反映できるのは、本当に運のいい者だけである。
その点で、アイリは運が良かった。バジルは運が悪かった。二人の立場を隔てているのは、本人の努力以外の部分も大きいのだ。
(彼は、いつかの私だったかもしれない)
それでもアイリは、自戒を込めて決意する。自分の行く道を、自分で責任を持って決めていくことを。
・
・
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「ねえ、リアンさん。話が違くないですか?」
「何が?」
「聖女の地位向上、してくれるんじゃなかったでしたっけ?今のところ全く変わってないんですけど」
「悪いね、さすがにすべてを一度に解決はできなくて。それに何かを変えるのには時間がかかる。聖女様の件は、まだもう少し先かな」
「むー」
あの夜から数日後の、アイリの執務室での会話である。
国の中枢が変わってからというもの、城内はバタバタしていた。新しく政に参加した新議員たちにより、次々に過去の不正や悪事が暴かれていったからだ。
それに伴い、是正を求められた者たちは、即時の対応に迫られていた。
これまでのやり方を一新し、新しい道を進むのは相当のエネルギーが必要になる。人間は変化を嫌う生き物だ。過去に縋りつき、ラクな方ラクな方へと進みたがるもの。しかしそれが見つければ、すぐに重い処分が下された。始めが肝心と、見せしめがてらサクッとお咎めを食らってしまうのだ。
そんなわけで、国の機能は変わらざるを得ない状況になり、新しい道を右往左往と模索している最中である。今日も城のあちこちで「ああではない」「こうではない」と政治家や官僚たちが話し合っていた。
当然、失脚した政治家たちは横暴だ何だと騒ぎ立て、このクーデターをなかったことにしようと躍起になった。
しかし彼らも「王からの任命」という後ろ盾をなくしては、何もできようはずもなく。結局彼らはすごすごと自分の領地へ帰るしか道は残されていなかった。
ルヌヴィエ卿も例外ではない。彼は最後の最後まで反論し、時には官僚たちの制止を振り切って王への謁見を求めたが、それが仇となり警備兵に連行され、強制的に自身の領地へと送られてしまった。投獄しなかったのは、現政権の恩情である。歪んだ政治だったとはいえ、長年国を支えていた功績を汲んでの采配だった。
断罪ではなく、共存を選ぶ新しい政治を体現する形である。
バジルに関してだけは、さすがに聖女への暴行の罪があるため投獄せざるを得なかったが。
なお、そんな状況でリアンといえば。
彼は別に国の要人でも何でもないし、今はただ金を持っているというだけの隣国の商人である。せっかく商談(という名目の視察)に来ても城はこの有様なので、最終的にアイリのところにやってきて油を売っていた。
もちろん、これは大変喜ばしい状況である。やっと彼の望んだ「歪んだこの国の現状を変える」ための第一歩が踏み出せたのだから。アイリの扱いについても、いずれ話題に上るだろう。リアンは新議員たちにすでに話をつけていた。まあ、物事には優先順位というものがあるので、すぐにとはいかないのだが。
彼は上機嫌に話を続ける。
「でもほら、多少は風向き変わったんじゃない?少なくとも城内では前より扱いよくなってるように見えるけど」
「効いたんでしょうね。脅しが…」
そう言ってアイリは、ゲンナリしながらあの夜の出来事を思い出す。
バジルを拘束したアイリたちは、当初の目的の通り“聖女の涙”を持って王の寝室へ乗り込んだ。
左手に“聖女の涙”を冠した王冠、右手にはどこからともなく取り出したハンマーを持ち「壊されたくなくば書類に署名しろ」と迫る聖女の姿が、王には恐ろしく映っただろう。何せ彼女の右頬は腫れあがり、暴行を受けたせいで衣服はボロボロで、泣いた跡があるのに満面の笑みで迫ってくるのだ。まさにゾンビやユーレイの様相である。夢に出てきてもおかしくないくらいだ。
王はパニックになりながら書類にサインし、アイリたちの目的は無事に果たされた。
王はそれ以降、アイリとすれ違うとビクビクおどおどして従者の背中に隠れるようになってしまった。さらにその様子を見た周りの者たちが何事かとヒソヒソ噂をし、なんだかわからないが最終的に「聖女には逆らうな」という不文律が出来上がってしまったのであった。
(風向きが変わったというか、腫れもの扱いが加速したというか…)
アイリは何とも言えない気持ちになっていた。
とはいえ悪いことばかりでもなかった。前より気軽に外に出やすくなったし、城内であれば付き人をつけずともよいことになった。常識的な範囲であれば、要望が通りやすくなったのである。
これが恐怖によるものでなければ、満点であったのだが…
微妙な表情をして口をへの字に曲げるアイリを見て、フフッとリアンは笑いを漏らす。
「さて。じゃあ俺はそろそろ行かなくちゃ」
「行く?どこに?」
「隣国に…ライスフェルトに帰るんだよ。長いこと向こうを空けてしまったから、仕事が溜まってしまってね」
「あ…」
そうなのだ、しばらくずっと一緒にいたのでアイリは忘れていたが、彼はあくまで隣国の商人。この国の住人たちから見れば、外国人である。目的のために動いていたが、表向きは商談に訪れているだけだ。
キュ…と心が締め付けられる感覚がアイリを襲う。ここ最近はいつも彼と一緒にいたから、別れが来ることを全く想像していなかった。考えてみれば当たり前の話だ。彼にも、今の彼の生き方がある。リアンにはすでに“ユリウス・フリードリヒ・エーリク・ヴェルナー”としての生活があるのだ。
同じ道を歩けるのは、ここまで。
ここから先はそれぞれ違う人生を行く。
当然すぎるこの事実が、なぜだかアイリの心をきつく締め付けた。その理由を、本人はまだ自覚していない。
「…寂しく想ってくれてる?」
「そりゃまぁ、寂しくなりますけど…」
言ってアイリは、顔を隠すように頬杖をついて視線を逸らす。胸の内のもやもやした気持ちを見透かされたくなかったから。
しかしそれは無駄なあがきらしい。リアンは近づき、アイリの耳元で囁いた。
「1か月後、必ず戻ってくる。その時は全力で口説き落とすから、覚悟しててね」
「は?」
アイリは驚いて、逸らしていた視線を元に戻す。そこには満面の笑みのリアンがいた。たっぷりの自信と余裕の表情を携えて。
「じゃあね」
あまりに驚きすぎて、アイリは一言も発せずにリアンの後姿を見送った。
一か月後の自分の心配ができるようになったのは、これから数十分後のことである。
こうしてルノワール王国における国家転覆事件は、幕を閉じた。
国の行く末を変える大事件は、その後国民たちへもうわさが広がり、結果的に聖女は「国の救世主」として支持を集めることになる。
後年、この一連の出来事について、若き新聞記者が聖女にインタビューを申し入れた。すると彼女は懐かしそうに飾りのないブレスレッドをさすりながら、一言だけ答えたという。
よい聖女はマネしちゃいけません、と。
お読みいただきありがとうございました!
このお話はいったんここで完結させることにしました。
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