モイラと"ボニー"の出会い
最初にこの世界に呼び込まれた際にも経験した目眩の様な感覚、しかし今回はそれは一瞬で終わる。恐らく割と近くだったのでは無いかと想像する。
再び通常の空間に戻った時、空の色も、空気の匂いも、気候さえほとんど違いは無いと感じた。ただもちろん手近な景色はいきなり変わった。同じ森の中では有るが、こちらは多分幾らか人の手が入っている。丁度真下には、こちらは明らかに人が拓いたであろう広場が有り、円と星形を組み合わせた様な図形や文字列が大きく描かれている。所謂魔法陣ってやつなんだろうなあ、そしてこれが俺を此処へ呼んだのだろう。
少し先には結構立派な建造物が有る、何だか学校みたいな建物だ。そして恐らくそこからやって来たのだろう2人の人影、どちらも若い女性の様だが、前にいる方はエルフの様なので、若いかどうかは判断に困る。2人でこっちを凝視しているが、歓迎ムードじゃ無いなあ…などと考えている間にも、俺は地上の魔法陣の真ん中にフワフワと着地する。
魔法陣の側にはこちらも若い女性、と言うか女の子がおり、この子もやや緊張の面持ちだ。だが俺を見る目はどことなく嬉しそうに見える。この子が俺を此処に呼んだ召喚者なのだろう、先程からやたらとこの女性に服従すべしという強制力が魔法陣から俺に向けられて来る。彼女を崇拝し、彼女の願いを全て聞き入れ、常に彼女に付き従うべし…と言った事が強要されて来る。正直相手が傲慢そうなおっさんとかだったらキレて暴れたくなるレベルの酷い内容だ。だがしかし、今目の前に居るのは若い女の子、しかも中々美少女だと思うし、傲慢な感じも小ずるい感じもない。うん、拒否する理由、無いね! 内心尻尾を振る勢いの俺だが、懸命に無表情を貫く。
彼女はというと、やはり警戒しながらでは有るが、こちらへ寄って来ようとする。
「不用意に近付いちゃ駄目よモイラ!」
エルフ女史の声が響き、少しビクッとなる目の前の少女、モイラって名前なのかな。そのモイラは足を止め、その場で何か儀式を始める。それ自体には何の意味も無い音節を発し、不思議な手振りをしてみせた後、俺に呼び掛けて来る。
「我、其方の召喚を成したる召喚士、モイラ・キートなり。召喚に応じたる其方の名を告げよ!」
えっ…と、名乗れって事? さすがにエボニアムでございますとは言えないよなぁ。
「…ポニー…。」
咄嗟にそう名乗った、捻ってる余裕も無かったしね。懐の中でネビルブが身動きしている。こいつ、笑ってやがるな!
「此処に、我が召喚に応じし者、ボニーを我が僕とし、運命を共にする我が半身となす事を誓う!! 」
モイラがそう高らかに宣言するや、魔法陣が強く光を放ち、何かの強制力が完成したのを感じた。主従契約みたいな物か、余りピンと来ないけど。ただ彼女と俺の間に何かが繋がったのは分かった。彼女の情報が一方的に流れて来る。
モイラ・キート、人間の女性、元の俺より2つ年上、何とお姉さんだった! 元の俺は高校生だったので、女子大生ぐらいか。商人の家の末娘で、現在森の向こうに見えているパンプール魔法学園にて召喚魔法を学んでいる学生の様だ。召喚には今日まで成功した事が無く、今回初めて召喚魔を呼び出す事が出来てかなり興奮気味の様である。
「成功…したの?」
エルフ女史…召喚術の教諭らしい…の後ろにいたもう1人の人間の少女が初めて口を開く。
「未だよ、未だ分からない。」
エルフ教諭は慎重だ。モイラの側に近付き何やら耳打ちをする。それを受けてモイラ、
「跪け!」
と、指示して来る。俺は既に鎮まっている魔法陣の真ん中で、片膝を付いて畏まったポーズをとる。実のところ拒否しようと思えば出来たが、何となく逆らわなかった。すると今度はモイラがそろそろとこちらに近寄って来て、右手を前に出して来た。これは…お手? 犬扱いかよ! さすがにこれは…、うん、応じましたとも。彼女の手に俺の右手を載せる、ワンと言いそうになって思い留まった。だがその途端、後ろの2人が色めき立つ。
「信じられない、あっさり利き手を捧げたわ! 誇り高い魔神が簡単に服従の証しを…、主従の強制力が完成していなければ絶対有り得ない!」
「じゃあ…やっぱり、召喚成功? 魔神を? 信じられない!」
見守り組の2人がそう話している。てかこれ、そんなに大変な意味になっちゃうの⁈ ネビルブも何だか俺の懐でジタジタしてるし…。
「やった、やったんだわわたし、遂に、召喚に成功した! ああボニー、ようこそ、これからよろしく!」
モイラが俺の預けた手を握り締め、感激の涙で俺を見つめて来る。う〜ん、女性からここまで歓迎の意を示されるなんて俺の人生初、母親からすらされた覚えが無い、何て逆にこっちが感動したりしていた時…、
「え〜い調子に乗るなこの人間共グワ!」
ネビルブが懐から顔を出し、いきなり叫んだ。同時にビクッとする女性3人。
「か…カラス? しゃべるカラス⁈ 」
「え、この魔神の連れてた使い魔まで一緒に呼んじゃったって事?」
と、見守り組。
「使い魔じゃない、このお方のお供でクエ! そもそもこのお方をそんじょそこらの魔神と思う無かれ! 何とエむグェ……」
俺は前に出していた腕の下に挟み込む様にしてネビルブの口を塞いだ。そして目を白黒させているネビルブに視線で念を送る。察・し・ろ…と。
「何このカラス、エ…何だっての⁈…て、エ⁈ 」
「どうしたのアンジー?」
「あの、ここってエボニアム国との国境にほど近いですよね…、まさか、エボニアム様本人⁈ 」
「ああ、それは無いわ。」
エルフ教諭、即否定。
「私は一度だけ実物のエボニアム様を見掛けた事が有るわ。確かに同族だからちょっと見は似てるけど、あの近付いただけで焼き殺されそうな凶悪なオーラをこの魔神からは全く感じないもの。」
うん、オーラ無いってね、よく言われる。アンジーと呼ばれた女生徒も少しホッとした顔をする。
「でも、それでも魔神よ。あ! そう言えばモイラ、魔力電池は⁈ 」
「え?…使いましたけど…。」
モイラの指し示すところを見ると、筒状の物が3つ転がっている。て言うかこれと同じ物を以前何処かで…、人間街の町長の家! 町長の奥方が持ち出して、取り扱いをミスって、町長の家も何もかも燃やしてしまったやつだ!
「使い切ってる…全部?」
エルフ教諭の声が震えている。
「はい、召喚範囲の拡大と、契約の強制力の強化で…。」
「維持は? 契約の維持は自前の魔力だけで賄う気なの? ああでも今現在実際に出来てる? 魔神を調伏し続けられてる?」
「ひょっとして、魔神は魔神でも、かなり弱い魔神なんじゃ?」
アンジーの忖度無しの発言に、ネビルブが再びジタバタし始める。
「失礼な事言わないで!」
だが先に声を上げたのはモイラだった。
「見てよあの立派な角、ボニーは絶対優秀な魔神よ! ボニー、あそこの一本だけ残ってる木を魔法で燃やしてみて!」
と、指示して来るモイラ。お求めと有らば…とは思うが、火を放つ魔法…やった事無いな…。え〜と、イメージイメージ…。俺の4本有る角の内の頭頂部の2本、その根元辺りに魔法行使を制御する器官が有る、そこで魔力を練って炎を作るイメージを固める。角と角の間に炎の塊が生じる。そしてそれを目標に向かって一気に…放つ! 角の間から発した炎が木に当たり、燃え出す。
「ほうらね!」
モイラがちょっと得意気だ。
「えっ……と、これ位ならアースマジック学科の学生の方が…」
アンジーの素直な感想をエルフ教諭が制す、言ってやるなという感じで。まあ初めてで加減が分からないからお試し感覚で放ってみたんだけど、学生レベルですかそうですか。
「とりあえず何事も無く召喚が成功して良かったわ。もちろん学外で無茶な儀式をした事は本来停学レベルの蛮行、決して褒められた事じゃ無いわ。でも、夢が叶ったのね、おめでとう。」
「あ…有難うございます、マリーヴ教諭!」
エルフ…マリーヴ教諭の祝福の言葉にモイラは感激の様子だが…。
「ただ、召喚魔を呼び出している間、召喚術士はずっと自分の魔力を分け与え続けなければいけないわ。だから普通は異空間を内包する魔道具に封じ込めておいたり、上級者になると自前で異空間を構築してそこに待機させておいたりするんだけど、学生個人レベルではそこまでの対処は難しい。学園で用意した共同異空間に封じるのが此処では一般的だけど…。」
「わたしが召喚したシルフも今そこにいるのよ。」
と、アンジーが口を挟む。
「あそこなら召喚士の魔力は消耗しなくて済むわ。でも召喚士と召喚魔の繋がりが希薄になりがちだから、はずみで支配が途切れて召喚魔がフリーになってしまう事が有るの。そのまま逃げてしまう事がほとんどだけど、出て来て暴れ回る事もごくたまに有るわ。魔神となればその可能性もそれによる被害も大きい。召喚成功の実績作りは出来たのだし、恨みを貯めない内に契約を解除してしまう事も考えた方がいいと思う。方法については教えるから…。」
マリーヴ教諭が言い難そうに、だがきっぱりとそう伝えると、再び表情を曇らせるモイラ。ふう…、そうか、せっかく呼んで貰ったけど、すぐにお別れか…。
その後少しその場を片付けてから、彼女等の学園に戻って行く。召喚成功で沸いたのが嘘だったかの様に沈んだ空気。俺は彼女等の後ろを付いて行きながら、ネビルブとヒソヒソ話。
(どういうおつもりですクワな、"ボニー"様。あんな人間の小娘なんぞの僕に甘んじるおつもりでしょうクワ?)
(とりあえず様子見だ。この国の魔法教育にも興味が有るしな。まあ死ねとか言う命令じゃ無い限り従
っとくさ。)
(本当にそこまでする意味が有るんですクワ?)
(だって…、その方が、"面白そう"だろう?)
これ、ネビルブにとってのキラーワードである。案の定それで納得して引っ込みやがった、そう言う奴なのだ。