マリーヴ・ルーフの教育日誌 -事件の始まり-
「モイラ、モイラ・キート!」
教室に私の声が響く。昼休みで賑わっていた室内が静まっていく。その角の方で、他の者に比べやや質素な昼食を1人で食べていた人間の女生徒がビクッと反応し、弱々しく返事をする。
「何でしょうか、マリーヴ教諭…。」
「食事が終わってからでいいわ、私の研究室へいらっしゃい。」
私がそう告げると短く了承の返事をし、再び下を向く女生徒。周りからはクスクスと笑い声。私はそこを離れ、彼女を待つべく自分の研究室に向かいながら小さく溜め息をつく。
此処はこの魔大陸と呼ばれる瘴気に覆われた大地の外れに有る、魔王の四天王と呼ばれる内の1人、ビオレッタ様の治める国、魔導国家ザキラム。その辺境の森林地帯の中に造られた学校施設、パンプール魔法学園。私、マリーヴ・ルーフは、此処で召喚魔法学の教鞭を取っている。エルフとしては未だ若い方だとは思っているが、教職としては学園長に次ぐ最古参だったりする。
ビオレッタ様の方針により魔法教育は国の根幹と位置付けられていて、魔法の危険性を鑑みて人里離れた森の中に造られてはいるけれど、間違い無く国の最重要施設なのだ。
「失礼します…。」
私が自分に当てがわれた研究室で待つ事暫し、食事を終えたモイラがやって来た。彼女は召喚魔法学科に属する私の教え子だ。招いて向かいの席に座らせる。これから言われるだろう事に予想は立っているのか、こちらの動向を警戒する素振りを見せている。
「それでモイラ、転科の件は考えてくれた?」
「はい…、でも……。」
歯切れの悪いモイラ。まあ、簡単に決められる事でも無い…か。
「迷う気持ちは分かるわ。でも別の魔法学科に移るのなら早い方が良い。貴方、魔法の才能は有るもの。でもね、残念だけど、私の学科では、貴方の才能を活かすのは難しいと考えるわ。」
「わたし、入学時の適正試験では召喚術の適性は"優"でした。実家も召喚術を利用して商売をしているんです。今更諦めろって言われても、納得出来ないんです。」
やはり、モイラには私からの提案は承服しかねた様だ。彼女の実家"キート商会"は、ザキラムでも有数の大商会で、商売に召喚術で呼び出した召喚魔を利用している事でも有名だ。運搬や通信、護衛等、さまざまなシーンで召喚魔の力を借りている。特にキート家の血筋は召喚魔法への適性が高く、実は彼女の親や兄や姉も私の教え子だったりする。
「そうでしょうね。でも、もう一度説明させて。召喚術者と召喚される対象との間には相性が有るのは知ってるでしょ? どういう種類の召喚魔を召喚出来るかはほぼ最初から決まっているって事ね。魔獣だったり魔鳥だったり、妖精や精霊、幻獣な事も有るわ。そこまでは分かるわよね。」
「…はい。」
「で、貴方と相性の良い召喚魔が何か…、調べた結果は聞いてるわよね。そう、魔神…よ。」
「…聞いて…ます。」
「貴方が召喚魔に出来るのは魔神族だけ、ていう事になる訳だけど、魔神を召喚するのは実質不可能だというのは想像付くでしょ? 魔神なんてそもそもこの世界での絶対数が少ないし、もしたまたま近くに居たとして、召喚するって事は相手を自分の魔力で屈服させるって事。召喚儀式による多少の底上げは有るにせよ、学生レベルの魔力ではとてもじゃ無いけど太刀打ち出来る相手ではないわ。」
「難しいのは理解します。でも、何度か試せばひょっとしたら…」
それでも食い下がろうとするモイラを制し、私は少しきつめに釘を刺す、
「無闇に試すのはお勧め出来ないわ。召喚し損なった時、相手がそのまま無視してくれればいいけど、最悪反撃されて命を落とす事だって有り得るのよ。いい? 相手は魔神、お隣の国のエボニアム様と同じなの。そんな相手を魔力で屈服させなきゃいけないのよ。無理が有るって分かるでしょ?」
「……。」
それ以上彼女からの反論は無かった。でも納得した顔もしていない。
不安を残しながらその時の話は終わった。そしてその日の終業後、彼女と親しかったと記憶する別の女生徒を見掛けて話を聞いてみる。
「実は最近あの子があんまり意固地な態度なんで、少し距離を置いてるんですが。」
と、前置きをした上で、彼女、アンジーは話してくれた。
「ご存知かと思いますが、今私達の学年で未だ召喚魔の召喚に成功していない学生はもう数人しか居ません。モイラ以外は単に不真面目が原因で落ちこぼれてるだけの連中なんですけど、あの子だけは真面目で成績も優秀、なのに召喚にだけは成功していないんです。」
そう、モイラは魔法の才能だけで無く、学業の成績も優秀だし、生活態度も問題は無い。ただ本業の召喚術だけが結果を出せないでいるのだ。相性のいい相手が召喚魔としては最高位に当たる魔神種で有ると言うのが運が悪かった…と言うかむしろ能力が高過ぎたとも言える。
「あの子、家業の事も有って召喚魔法にはこだわりが有るみたいで、随分悩んでいたのは知ってます。魔族連中の中にはそんなあの子を馬鹿にしたり、嫌がらせして来る奴もいて…。あいつ等は座学の成績では大体私達人族には勝てない事をやっかみ気味なんですけど、モイラは特に成績がいいんで標的にされてしまって…。あの子かえってそれで意固地になったみたいなんです。マリーヴ教諭がお勧めされた転科にわたしも賛成したんですけど、聞き入れて貰えなくて…。」
「意固地…っていうのは心配ね、暴発しなければいいけど。私達教員の見ていないところで無茶な召喚を試されたら、何か有った時フォロー出来ないし、大変な事になるかも。最悪逆ギレした魔神が暴れ回るかも知れない。」
私の懸念を伝えると、急にアンジーの落ち着きが無くなって来た。
「そう言われると、最近あの子変に外出が多いし、この前は学園の近所の森の中とかに少し開けた場所は無いかなんて事を聞いて回ってたっけ…。」
「それは…、召喚の実験場所を探してるわね。まずいかも…。」
この学園は全寮制で、学生の動向は比較的管理し易い。此処で教えている"魔法"とは危険なものでも有るので、管理は厳しい方だろう。過去には無茶な召喚魔法のせいで地方壊滅レベルの危機に陥った事も有り、徹底されている。でも残念ながらそれは学園内での話、一歩学園の外に出てしまえばその管理は充分には及ばない。外出がちというのは不良化のバロメーターだったりする。
不安を募らせた私は女子寮にモイラを訪ねていく。が、モイラは不在だった。寮母さんに緊急の用件である事を伝え、特別にモイラの部屋の鍵を開けて貰った。
中へ入ってみると、随分殺風景な部屋…と言うかガランとして感じる。あの後そのまま付いて来ていたアンジーが、あっと声を上げる。
「何…これ、前に来た時はもっと家具や調度品なんかも有ったのに、何でこんなに空っぽ⁈ 」
アンジーの言葉にいよいよただならぬものを感じ、私は部屋の中を見回す。すると、飾り気の無い机の上に何かの注意書きの様な木片が置かれているのに気付き、それを手に取った。
「これは…、"魔力電池"の注意書きだわ。片手で持てるくらいの筒状の魔法道具なんだけど、特定の魔法を封じ込めて貯めておけるっていうものなの。」
「それって…、まさか。」
と、アンジー。
「そのまさかでしょうね。魔神を屈服させるのに足りない魔力をこれで補おうと考えてるんだと思うわ。」
「そんな事、可能なんですか?」
「分からない、でも危険なのは間違い無いわ。魔力電池っていうのはちょっと衝撃が加わると中に込めた魔法が暴発してしまう様な不安定な代物らしいし、そんな道具で一時的に底上げした魔力で従えた召喚魔を制御し続けられるのかどうか…。」
どんどん悪い想像が膨らんでいく。よく見ると同じ注意書きの木片は3つも有った。成程、結構な値のするはずの魔力電池を3つも用意する為に、家財道具なんかを売ったりした訳ね。まるで昔の…。
そこでふと気が付いた。注意書きは3つ有るのに本体が無い。…まさか…
「…マリーヴ教諭…」
そこでアンジーが少し震える声で呼び掛けて来る、窓の外を指差しながら。その方向へ目を向けると、それは学園の外、森の上の方の空中に違和感、遠くの山の稜線が陽炎の様に揺らいで見える。あれは…召喚による空間の揺らぎ!
「いけない!」
私は焦って寮を出ると、現場と思われる森の中へと急いだ。研究室に籠りきる事が多く、運動不足な自分を呪った。
果たして森へ分け入って割とすぐ、忽然と開けた場所に出る、何かの建設予定地の様だ。その真ん中に既に活性化した魔法陣、更にその傍には一心不乱に儀式に興じるモイラの姿が。その足元には3本の魔力電池が置かれ、それは妖しい光を放って起動している事を現していた。
「モイラっ!」
精一杯の声で呼び掛けたが、ほぼ同時に揺らいでいた中空でポンッ!という音と共に光の爆発が起きる。それが示すものは…。
「召喚が、成功した⁈ 」
後から付いて来たアンジーが驚きの声を上げる。何はともあれの成功を喜んでいる風でも有る。
「間に合わなかった…のね。」
でも私の方はそこまで手放しに楽観は出来ない、空を凝視して身構える。
そして私達3人が見守る中、広がった光が形を成して行く…。