1話ー④
「お兄様、こちらの四足獣は?」
「この子は魔鉱山脈で偶然拾ったんだ」
魔鉱山脈―ドラゴニスタ王国北東部に位置する険しい山脈で希少性の高い薬草や鉱物が存在する。しかし、危険度の高い魔物も多く住まう危険地帯だ。
「よくお戻りになりました…」
「新しく発明した魔術も試せて有意義な時間だった」
アノールはあっけらかんと言うが魔鉱山脈は百人力の騎士でさえも怪我を負う危険な場所だ。そんな危険地帯を無傷で、しかも試し打ちできるアノールは桁違いの実力なのだ。
四足獣―ティルはサイドテーブルからレイティを飛び越えアノールの膝の上へ着地した。アノールが撫でるとティルは目を細くして甘えるように手に頭を擦り付ける。
「か、かわいいっ!」
レイティは目を輝かせてティルを見る。ティルもレイティの視線に気がついたのかレイティの方をアノールに撫でられながら見つめてくる。レイティはゆっくりティルの頭に手を近づけていく。
「シャーーーーーー!!」
「ふぎゃぁぁ!」
ティルの普段真ん丸な瞳を三角にして威嚇をする姿を見たレイティは怖気付いて飛び上がってしまう。従属の契約を結んでいても、さすが魔鉱山脈の魔物である威嚇は効果抜群。レイティはソファの隅の隅に移動し肩を抱く。
「すまないな、ティルはツンデレなんだ」
「ツンデレ…」
ツンデレとかのレベルじゃないでしょ、と心の中でツッコミを入れる。
「そういえば、レイティはかなり頑張っているみたいではないか、陛下や父上が褒めていたぞ」
明らかな話の転換で切り出されたのはミナミノ公爵家の責務である王宮仕えのレイティの進捗状況だった。
「先に王宮に挨拶へ行かれたのですね」
「ああ」
ティルを抱き上げながら泣き真似をするアノールだが彼はミナミノ公爵家嫡男である。王都から離れた学術都市にある魔法学園の魔術研究室に居候しているが自らの責務を放棄したわけが無く学園にて公務の一部を行っている。その上で魔術に関しての研究を行っているのだから天才としか言いようがない。
「お兄様には敵いませんわ」
レイティが尊敬の眼差しでアノールを見る。アノールは満更でもなさそうにしながら目線を落とすとレイティが先程読もうとしていた20冊目の本の題名が目に入る。
「…レイティも遂に大人の階段を登るのか」
アノールの寂しげな呟きでレイティは20冊目の本の題名を思い出す。20冊目は休憩も兼ねて用意していた30冊唯一の小説で恋愛物語だった。
「いえ!違いますっ!」
レイティは腕を伸ばしてアノールが手に取った本を再び取り返そうと焦るが、アノールは本を微妙に届かない位置に持ち上げて意地悪そうな顔をする。
「そうかそうか、別に恥ずかしがる必要などないぞぉ、兄は何時だって妹の味方だからなぁ」
「そうではなくて…!」
軽快な笑いを浮かべるアノールは顔立ちは良いし、身分だってドラゴニスタ王国の一柱、更に魔術の天才なのに本当に性格が悪いとレイティは内心悪態をつく。だけれどアノールは家族想いなのも事実であり、憎んだことはこれまで1度もない。
レイティの悔しげな表情を眺めて楽しんでいたアノールだったが突然動きを止めて本の表紙に描かれた龍と少女を指でなぞる。
「龍が人を娶る話…か」
世間で今も昔も人気の題材で村で虐げられていた少女が番として王族に迎えられ幸せになるシンデレラストーリー。番を息苦しい程の愛で縛る独占欲や執着の実態を美しい言葉でひた隠した華麗な物語。おかげでドラゴニスタ王国の夢見る少女は番であることを夢に見る。
「お兄様はこう言った物語をどのような気持ちでご覧になりますか?」
「……真実とは時に知らない方が幸せなことが多い。美談だと思うぞ」
暫く沈黙を保ったアノールは静かに息を吐いた。その様子は決して王族を陥れようとしているのではなかった。元よりミナミノ公爵家は王族を支える為にドラゴニスタ王国建国時よりクロウ公爵家と共に続く由緒ある貴族家だ。それ故施される教育は疑う余地なく王族を未来永劫崇拝させる洗脳が確かにあった。
「わたしも同意見ですわ、物語はいずれもハッピーエンドで幕を閉じます」
レイティが頷くとアノールもまた頷く。下を向いてばかりだった少女が前を向いて歩み出すその瞬間を記して終幕と迎える。幸せいっぱいのハッピーな状態を以てエンドとするならばそれは素敵なハッピーエンドに思えた。
「ですが、龍にもまた思い遣りの心があると思います。ヒトが心を痛め病むように龍にも繊細の心があると思うのです」
アノールは吟味するようにレイティの会話に向かい合う。レイティはアノールを見ることなく、王族と対面した時のことを思い出しながら話す。龍についての話題はどこでだって尽きないものだ。
「―レイティ、あの方々は私達には理解知り得ない感覚を有しているのだよ。例えば犬は満腹だからといって得た食べ物を他の空腹の見知らぬ犬に分け与えたりなどしないだろう?」
アノールはレイティを諭すがレイティは負けじと真っ直ぐとアノールを見定める。2人の間を日光に照らされた空気が小さな埃と共に時間の流れを錯覚させる。
「ええ…彼らはただヒトの感情を知らないだけに感じましたの。誰も彼もが彼らを龍として違う生き物として接することこそが彼らを龍として違う生き物たらしめているのではないかと思いました」
アノールは「ふむ…」と声を漏らす。遠くで3時を告げる時計の鐘の音が聞こえる。
「それも一理あるかもしれないな」
アノールはこれまで1度も、龍を龍だと思わなかったない日はなかった。柔軟な考えを持つレイティにアノールは純粋に敬意を抱いた。
「だが忘れること無かれ、あの方々は龍である。龍は性質上1度手に入れたいと執着したものは必ず手に入れようとする。それは番であっても何にしても、だ」
レイティはミナミノ公爵家のご令嬢である。アノールが言う事柄は全て既知の知識だ。レイティは言葉の意図が掴めず首を傾げる。アノールはその様子を皮肉気に斜光の反対側に影を作る。
「お前は仲良くしたいようだが、あまり王族に肩入れするな…。これは1度きりの優しい兄から大切な妹への忠告だ」
アノールの表情は真剣で心配と親愛が読み取れる瞳をしていた。
「さぁ、お茶の時間にしようか。レイティが食べたいと言っていたレモンチーズケーキを土産に持って帰ったんだ」
先程までの重々しい雰囲気から何時もの一見軽薄なものに変化し、レイティ直ぐさま返事できなかった。先にソファを立ったアノールは「御手をどうぞお姫様」と繊細な刺繍が入った手袋をした手を差し出して来る。
「…ありがとう。学園や魔鉱山脈での出来事を教えてください、とても楽しみですわ!」
レイティが破顔するとアノールは慈しみを込めて微笑みを返す。