3話ー⑧
全く生態系不明の生物が生息する魔鉱山脈とは違い、ルーナ地方では他の地域でも見かけるような動物が獰猛な姿に変化して性質も荒くなっているものがほとんどだ。先程の狼もその一例として挙げられ、 背中の毛が銀色に光ったり、額に角が生えて爪と牙が大きく鋭くなるなど、他の地域では見られないような特徴がある。
「血に嫌悪感を抱くなら適当な場所で待っておく方がいいのだろうが、護衛がこれだけでは危ないからな」
後ろを振り返り、第11の君以外に着いてきた魔法使いの数を見てそう呟く。王宮から派遣された者が1人とルーナ地方をよく知る第11の君の友達のアミンの生家であるカタラーナ伯爵家から駆り出された騎士と魔法使いの2人、どちらも実力は確かなはずだがアノールはそれでも戦力不足を心配する。それに魔物達が襲われれば同じように血を見ることになる。
そしてルーナ地方の麓にある拠点に引き返すには森の中に深く入り過ぎていた。
「やはり私達に着いてくるのが1番安全か」
アノールはそう結論を出す。紫や淡い桃色をした一角兎が2匹襲いかかる。その場には計7匹居たが、アノールはそれらを誰かが声を掛ける間もなく八つ裂きにする。2匹取り逃したがその一角兎は森の奥へ逃げていく。
風魔術のようだが、魔術の術式は創造、使用している本人以外分かりにくい。レイティに分かるのは兄のアノールがとてつもなく強いということだけだ。
紫の草の上に兎だった残骸が散らばっている。レイティは見ないように顔を逸らし、アノールの腕を掴んでその場所から更に森の深部に向けて移動を再開する。
その後、カラフルな色の羽を持つ足の長い鳥や、巨大で銀色に光る角を持つ鹿、体長7メートルは超えるであろう大猪に出会うがアノールと第11の君を主戦力に素早く討伐していく。
カタラーナ伯爵家から駆り出された魔法使いと騎士はあまりの手早さに初めは驚愕してその場に固まっていたが、途中からは慣れてきたの徐々に連携を取れるようになっていった。
足元の土の水分が多くなり泥濘んできた所で先頭を歩くアノールが全員を見返して口元に人差し指を当てる。それに反応して歩みを止めて耳を澄ますとまだ距離はあるのだろうが、水の音が聞こえた。
「やぁ、方向はあってみたいだ」
川から外れて森に入って源流を探すのは中々に困難なことのはずなのだが、魔力の流れを読みとりながらそれを遣って退けるアノールの実力が恐ろしい。
「強いね」
これまでの能天気な態度とは打って変わって真剣な声でそう呟く。
「分かるのですか?」
レイティのこの質問に対して第11の君だけでなくアノールも頷く。だが、彼女には彼らの感覚がいまいち分からなかった。今日討伐してきた魔物達は普段はもっと深部にいたり、群れでの数が多いと聞きその異常現象を引き起こしている原因ならば、強敵なのは間違いないが、気配が全く探れなかった。
魔力も同様にそうで、水の音が聞こえて来る方向から水属性らしき魔力の流れを感じるがとても薄く、追うのも戦闘に不慣れなレイティでは厳しい。
「相手が見えないわ」
どこにいるかも、どれくらいの強さが分からない。強敵だと判断できる要素が分からなかった。
「それが強敵だと言える要素さ」
アノールのレイティの心の中を読んだかのような言葉を聞いて途端に対処できるのか不安になってくる。レイティの憂いの表情を見てアノールは彼女を安心させるように頭を撫でる。
「目の前にいる素晴らしい兄を見てご覧」
レイティは素直にアノールの顔を見上げる。そこには腰に手を当てて決め顔を作った兄の姿があった。
「自信しかない威風堂々とした素敵なポーズを決める兄がいますわ」
「うんうん」
アノールは満足気に何度も頷く。
「他には…」
第11の君や他の人達はじと目で2人のやり取りの成り行きを見ていたが、長くなりそうになった所で優しくアノールの肩を叩いて言葉を遮らす。
「レイティには強くてかっこいい世界一素晴らしい兄が着いているから心配するな。危なくなったら何としてでも逃がそう」
レイティはアノールの優しさに胸が熱くなる。そして怖気付いているだけでなくて、危機的状況になっても逃げずに少しでも役に立てるように頑張ると決心する。
水の音が少しづつ大きくなるにつれて辺りに霧で覆われる。離れないようにとの号令が入りゆっくりと来た道を見失わないように進んで行く。
―ピチャン
水辺はまだ見えないのに耳元ではっきりと聞こえた。
―ポチョン
また、水の聞こえたと言おうとした時、後ろから強い力で手首を引っ張られる。驚いて見ると、険しい顔をした第11の君がいた。
「アノール!引き返そう!これはだめ!」
第11の君は切実な叫び声を上げる。数歩先にいたアノールが歩みを止める。
「僕達じゃあ勝てない!」
アノールの水色の目がこちらに一瞥をくれる。
「もう手遅れのようだ」
第11の君が絶望の表情をすると同時にアノールが走って近づいて6人を覆う防御魔術を構築する。レイティも危険なものが近づいてくる気配がしてアノールと2秒遅れで防御魔術を展開する。
その1秒後、轟音を立てて水の激流が襲いかかる。レイティの防御魔術より外側にあったアノールの防御魔術が簡単に破られて高い音がする。暫く耐えていると流れが収まりだして足音を立てながら近づいてくるものが露となる。
それは水霊であった。水霊であるけれど、村の近くで見た丸い形に小さな角が2本という単純な形では無かった。形がぼやけてはいるが何らかの生き物の形を縁どっていた。
激流の来た方向にひびが入った防御魔術を反撃の為に解除しようとする間もなくレイティが張ったものすら防御魔術すら粉々に砕ける。原因を探そうと辺りを見渡すも霧で見通しが悪い。
激流を起こした水霊とアノールが対峙して、立ち直した第11の君が水玉が飛んできた方向に向かって火魔術を放つが、既にそこには居ないようで空振る。
そのうち、軽やかに飛ぶ村近くの川でも見かける丸い形をした水霊が湧いてくる。周囲に緊張感が走る。レイティは素早く、そして的確な局所に防御魔術を展開出来るように集中力を高める。
初めに動いたのは激流を襲わせた水霊で、蛇の形になってアノールを目掛けて突撃してくる。構えていたアノールは近づいて来た所で爆発を起こさせると、蛇の前方部分が熱によって蒸発するが、あまりダメージが入っていないようで直ぐに元の形へ戻っていく。
第11の君の方ではまた水玉がこちらを目掛けて飛んできた為、レイティは防御魔術で防ぐ。相打ちのような形となって水玉と防御魔術が同時に砕ける。それを狙って第11の君が魔術を放つがやはり空振りとなる。
それとは別で王宮魔法使いとカタラーナ伯爵家からの魔法使いと騎士は小さな水霊に向かって魔法や剣を振るうが魔術の火力量には全く叶わないらしく手こずっている。
4回降ってくる水玉を発生させている主に魔術が当たらないとなると第11の君も小さな水霊を倒すほうに力を入れる。だが、倒しても倒しても途切れることなくどこからともなく湧いてくる。相変わらず空からは水玉も突如降ってくる。
そのうち、アノールがいる方向から苦しげな呻き声が聞こえた。
「お兄様!」
見れば少し離れた地点で転倒しかけるアノールの姿がある。そして気が逸れた所に頭上から水が飛んでくる。
(間に合わない…)
水玉にも大きな水霊が次の攻撃をアノールに入れようとしているのにも気がついたが、今の時点でかなり魔力も体力も気力も消費している。快調な状態なら間に合うが、今の疲弊している状態だと水玉が到達するまでに防御魔術の展開が間に合わない。
次に回復魔術の展開をしようと準備をしていた矢先、上部の水が蒸発して消える。
第11の君が火魔術を使った雰囲気は無く、驚いてアノールを見ると彼は水霊に押し潰されながらもこちらへ向けて魔術を使ったようだった。アノールの姿が歪み、すぐさま助けに行きたいと思ったが、いつの間にか空いていた距離がそれを許さない。
(この霧が原因ね)
この場の湿度が高い。少し動くだけで皮膚に細かな水滴が付く感覚がする。
「少し時間を作ってくれないかしら?」
霧をどうにかする方法、これが全く無いわけではない。霧を消したとしても水霊を生み出し、異常現象を引き起こしている根源を倒せるわけではないから調査と討伐は失敗に終わる。だが、このままでは押されて、失敗するだけでは無く、命すら危うい。多少の無茶をしてでも霧を晴らすことで逃げる隙ができればそれでいい。
「どれくらい?」
「10秒ほど」
了解と第11の君が頷く。