3話ー②
ノアの眠るベットの天幕を出ていったレティ―元いレイティはひと息着く。
ノアに穴が空くほど見つめられた時には勘づかれたかと焦ったが上手く誤魔化せたようだった。朝食はレイティが提案した粥だ。この辺りで粥といえば大麦やライ麦を煮たものでパンを焼くほどの金銭が無い庶民に食べられているが、消化には良いと聞く。更に麦類ではなく南方の国から輸入された米というものを使用してみた。
米と一括りにしても多種多様なものが存在し、レイティが選んだのはその中でも米の粒が丸く厚みが分厚い上に弾力のある炊けば柔らかい品種を採用した。それと共に栄養価の高い野菜と鶏肉を加え、隠し味に天日干しした小魚から取れる出汁を加えた。
離宮にある厨房の一角を借りて料理人達の鬱陶しげな視線が背中に刺さる中、ミナミノ公爵家料理人と共同作業で作り上げた一品だ。これを第6の君に食べさせたいと懇願するとさらに侮蔑の視線まで合わさって突き刺さったが、3日間申し出て漸く今日通った。
ノアの部屋まで押してきたワゴンの下段に手に担いでいる樽とタオルを畳んで横に置く。次に掛かっている白い使用人が普段から使う硬いタオルで手を素早く拭き、上段に積んでいる粥が乗るトレイを手に取る。それを持って天幕を抜けるとノアが上半身を起こしてレイティを優しく微笑んで迎える。
「お待たせしました!」
ノアの笑顔に答えるように頬を緩めて声を上げる。
「ありがとう」
そうノアは言ったもののレイティを天幕から入る所から粥の乗ったトレイをサイドテーブルに置く所まで終始見つめてくる。レイティは不思議に思い指の先まで意識をして丁寧に置くと主人であるノアの方を見て首を傾げる。
「眼鏡を外してもらえないかな?」
おっとりとした様子でノアはレイティにお願いする。彼女は彼の言葉に目を見開いて驚きを示す。ノアの様子を見るにレティがレイティだという疑いはどうやら晴れていずに眼鏡の小細工も暴かれてしまったようだ。
「わ、ワタシハ目ガ悪ウゴザイマシテ…」
「眼鏡の隙間から見えた君の目が翡翠色に見えたから確認するだけだよ」
誤魔化そうと苦し紛れに放った声は疑いを明らかな確信にさせる棒読みになってしまう。体を硬直させた状態で流し目にしてしまったのも敗因か、ノアは苦笑しながら穏やかに眼鏡を外すこと促す。
レイティは顔をノアから逸らして両手で眼鏡のテンプルを持ってゆっくりと外す。赤縁眼鏡の下から現れてのはやはり翡翠色の美しい瞳だ。その瞳はノアの反応を窺うように動く。
「レイティ」
判然とした声で事実を伝えると、レイティは拗ねたように口を尖らして「はい…」と返事した。
「ああああ、でもわたしが侍女の仕事をしてることは秘密にしてくださいね!」
「うん、分かったよ」
ノアの専属侍女に紛れ込んでいたことは肯定するが、それがフィンクス達に広まっては続けるのが不可能になってしまうことを危惧して今度はレイティが彼にお願いする。レティが密かに侍女の仕事をしている時、レイティは図書館で読書を勤しんでいることになっているのだ。フィンクスは既に薄ら気が付いているようだが確信ができないようで未だ動きを見せていない。
「秘密にするのはいいけど、 どうしてレイは侍女の真似なんてしているの?これだけは聞かせて?」
「それは…」
ノアはレイティを圧迫しないように気を付けながらそう問う。彼女はこうして主すら知らない短期間の内に王子の専属侍女に抜擢されたこの4日間の経緯を思い出していた。
4日前、葉が凍り息を吐けば白くなる寒い冬の早朝、王宮侍女服を着たレイティは手の中に侍女長からの推薦書を握りしめて離宮の狭い通路を歩いていた。この通路は離宮勤めの使用人達がよく使うものだ。
昨日の夕方、ノアに拒絶された後レイティの目の前は暗転した。もう彼の側には近づいてはいけない感覚がして全身が震えた。寒くて雪でホワイトアウトしたように鈍った頭で密かに彼の様子を確認できる方法として思いついたのが侍女に紛れ込むことだった。
懐中時計を確認すると幸い侍女長はまだ勤務時間中で、レイティと今の侍女長はマナー講師を共にした同級であった。侍女長は出来の良い生徒で数回顔を合わせたことがある。小豆色の髪に黄金の瞳を持つ彼女は若くして侍女長に上り詰めるだけの器量があり、身分に問わず公平で仁徳ある人物だ。
レイティはたまに侍女に紛れて王宮内の情報収集を勤しんでいる。その時に協力して貰っているのが侍女長であり、彼女はレイティの侍女としての力量を把握している。彼女に頼めば侍女としてのレティの離宮への移動が可能だと踏んだ。そして昨日頼みの手紙を書いたところ今日には推薦書がレイティの手元へ届けられた。
離宮の班長へ侍女長からの推薦書を渡せば驚きはしていたが、直ぐに第6の君専属侍女達に加えられるよう取り計らってくれた。
「今日から臨時で第6の君付きの侍女となるレティです、よろしくお願いします!」
他の第6の君付きの使用人達へ挨拶すると皆赤毛の侍女のレティになったレイティを哀れな目で見てくる。これから少しの期間同僚となる、昨日レイティがノアの部屋を訪れた際に案内してくれた第6の君筆頭専属侍女―モニカに説明を求める目線を送る。
「よろしくね、レティ。第6の君が高熱を発症している最中にここへ移動とはあなたも災難ね」
モニカはレティが求めているものが分かったようでレティの肩を軽く叩きながら目を伏せてそう言う。レティはそれでも意味が上手く取れず首を傾げる。その反応を見たモニカは残念な子を見る表情をしてレティの耳元に口を近づける。
「レティは侍女長からの推薦書が貰えるくらい優秀なのよね、なら第6の君が風邪を引いたことくらい知っているわね」
モニカの耳打ちにレティは小さく頷くとモニカは苦い笑いを漏らす。
「医官はただの風邪と診断したけれど殿下のあれは魔力暴走よ。王族付きの使用人が主の魔力暴走に巻き込まれて癒えない傷を負う、最悪の場合死んでしまうのは有名な話よ、最近だと第9の姫かしら…」
それはレイティも知っている事実だ。第9の姫が亡くなる際、魔力膨張により受け止め着れなくなった器から溢れた魔力により当時側に控えていた第9の姫専属侍女が巻き込まれて重症を負った。かの侍女は生家に帰されて治療を受けているが、未だ目覚めないらしい。
第9の姫とその侍女が主従関係というよりも母娘のような関係性を築いていたこともあり、苦悶に耐える姫を見かねて側に駆け寄って体を抱き寄せた結果、深傷を負う事態になった。
「魔力がいつ爆発するか分からない不安定な王子のところに急遽配属されるなんてあなたも不運ね」
それを聞いて漸くレティは第6の君付きの使用人達に憐れみを帯びた目を寄越す理由を理解できた。しかし理解できても飲み込めない痼があった。レイティにとってノアも第9の姫も大切な友達で、その友達を彼らの使用人自身に本当に危害が及ぶとしても、危険物扱いはいただけ無い。