3話ー①
第6の君は体を起こす。既に開かれたカーテンの向こうの大きな窓から清々しい白い陽光が差し込み部屋全体を明るく照らしていた。ソファも机もレイティから貰った些細なプレゼントを飾る小棚もを優しく包み込む光は彼の寝るベットをも照らし、天幕が閉じられていたとしても太陽の存在を感じることができた。
彼は身体を伸ばして風邪を引いてから5日、漸く熱が引いて軽くなってきたことを感じる。ここ数日襲った高熱は彼に死後の花畑すらも見せた。宮廷医師は彼の病状を風邪と診断したが、あれは風邪というよりも魔力暴走に近かったと振り返る。
体内にある魔力が彼の魔力操作と関係なく熱を持ってのたうち回る。魔力が動く度に吐気と激痛が襲い、通常時全身に均一に行き渡せている魔力に偏りが起こると薄くなった所は冷たく凍ったように動かすことができずに感覚すら途絶え、濃くなった所は熱で痛みを感じる。
魔力放散をしようとも試みたが、それをするとこの部屋に人が出入りできない状態になることを予期して実行できなかった。
(レイに酷いことをしちゃった…)
手を握っては開いてを数回繰り返し魔力の流れがある程度は元に戻ったことを確認する。まだベットの住民になることには変わりないが、これなら難無く人との会話も可能だろう。
脳裏に浮かぶのはレイティの俯き顔、そこには第6の君に拒絶されて絶望した顔があった。とるものてにつかず覚束無い足取りで退出して行く姿は自身が原因を作ったというのもあり尚のこと痛々しかった。
だけどあのままレイティが彼の部屋に留まっていたら、すぐ手を伸ばせば届く範囲に彼女が居たら、彼は彼女に暴走する魔力を受け流してしまっていた。それは魅力的なことに思えてくるが、魔力共有はしてはならないこと、唯一して良いのは夫婦となった者達のみだ。決して婚約者のいる女性にしてもいいことではない。
手を分厚く手触りのいい掛け布団の上に下ろすと拳を握り締めて見つめる。表情は無意識に険しくなってしまう。
「おはようございます〜」
そう言って第6の君が寝ているベットの天幕を開けて顔を覗かせたのは彼の専属侍女には見ない見事な赤い髪をした少女だった。赤といっても日光により朱色にも見えて侍女とは思えない美しい光沢を持っていた。髪をひとつにまとめ黒いカチューシャをし、翠色の瞳を覆うのは赤縁眼鏡だ。
伏せがちの彼女の目を見つめているとそれに気が付いたのか顔を上げる。整ったその顔立ちはどことなく見覚えがある。
「あの……どうかされましたか?」
「見ない顔だから」
黙って見つめる第6の君に戸惑う赤毛の少女は焦りを声色に含めて問いかける。彼が答えれば彼女は不意を突かれたようで顔に焦りを浮かべる。
「わ、わたしは新しく第6の君付きになったレティです!殿下がお休みの間に移動させて頂きました」
元気よく言うその姿は生き生きしており第6の君は自然な笑みを作り彼女に向ける。彼女は突然現れた彼の笑みに安堵を浮かべて破顔する。
「…体調はもう大丈夫なのですね」
「うん、まだ歩けそうにはないけどね」
「よかったです!」と第6の君の快復を心から嬉しそうに言うレティは慣れた様子で腕に抱えていた木製の温かい蒸気を上げるお湯の入った桶と毛並みの良いタオルをベットサイドテーブルに置く。
それを見て彼女がこれから身体を拭いてくれることが分かる。意識が朦朧としていた間はよかったが、今更ながら居心地が悪い。
「今日は拭かなくていいよ」
レティは驚いた表情を、続いて粗末を働いてしまい気に触ることをしてしまったのかと不安な表情をする。それを見て第6の君は慌てて言葉を訂正する。
「そういう意味じゃなくて」
第6の君は指を鳴らして自分の周囲に霞を纏わして、次に柔らかな風が吹くとさっぱりと水浴びした気分になる。身体に着いていた汗や汚れは落ちており、着ている服はまっさらのようなしなやかさと柔らかい肌触りになる。
「魔術って便利ですね!」
魔術を目にしたレティは不安顔から感心したものに変化していた。
幼い頃のレイティの様だと2人を重ねる。最近のレイティは常に忙しそうで張り詰めた表情をしていた。時間に余裕ができても将来への不安なのか、第9の姫が亡くなったことに対する憂いなのか、思考を何かで埋めるように圧迫されている雰囲気がある。
昔のレイティはレティのように今起きた目の前のことに喜怒哀楽を見せ、過去も未来も全て幸せだと言わんことない笑顔を見せてくれた。無知で無垢な彼女は今よりもずっと幸福そうだった。
(もしレイを箱庭に閉じ込めて世の中の全てから切り離して僕がもたらす幸福に浸せば彼女は幸せそうに笑ってくれるだろうか)
叶えば甘美な理想だと―そう考えてから自分にもそんな願望があることに自嘲して首を振る。それはレイティが必死に積み上げてきたものを侮辱する行為だ。決して彼女の意志関係無しに他者が踏み込んでいいものでは無い。
レティはそんな物騒なことを考える第6の君をいざ知らず手際良く片付けていく。見れば見るほど彼女がレイティによく似ていることが分かる。手の動きや呼吸の使い方、上半身から顔へ見上げると赤縁眼鏡の隙間から翡翠色が見えた気がした。
「それでは朝食をお持ちしますね!」
レティはそれだけ言うと天幕の隙間から第6の君が呼び止める隙なく出ていく。彼女が去った後に残る温かな蒸気の気配や天幕の寄れ目が印象的だった。